思い出の乗務はたくさんありますが、その中で特にとなりますと、この列車は外すわけにいきません。
9515レ臨時急行『シュプール妙高志賀』号です。
同じようなスジで、14系国鉄色の12連は上りだけ乗務したことがありましたが、黒姫駅を発車してすぐに戦場のような忙しさになりましたし、日も暮れてましたのでさほど満喫することなく、とにかく忙しかったなぁという印象でした。
その後、大糸線が大雨により橋梁が流され、長期の不通に追い込まれます。シュプール号は14系200番台6両編成の糸魚川行きを毎日運転としてバスで白馬方面へアプローチするほか、381系を名古屋回りで運転するなどしてフォローしますが、14系200番台は12両が余った状態となり、「妙高・志賀」に組み込まれることになります。さらにそこからレパートリーが生まれ、ハザ6+ハネ6だったり、『あかつき』のレガートシートを組み込む日も出て来ましたが、繁忙期の数本はオールハザの12両での運転でした。
単純に14系200番台は展望車付きの3編成とミニサロンの1編成が6両×4編成で組成されていて、この9515レは展望車編成+ミニサロン編成の貫通12連でした。それは、北陸トンネルの制約から、そうせざるを得なかった訳です。
乗務員の視点では、485系+583系の14連なら寝台車をワゴンで回ることは基本的に無かったので、楽でしたが、オールハザのこの編成はワゴンで全車両を回らないといけなかったので、かなりきつかった記憶があります。
では何が思い出の乗務かと言いますと、それは黒姫から直江津までの回送中のことでした。関山のカーブを通過するとき、白銀の中、快晴の下を行くEF64-1000の重連と14系12連という国鉄型14両編成のあまりにも美しすぎる勇姿を最後尾の車掌室窓から身を乗り出して見たときの感動が忘れられないのです。この仕事をしていて良かったと、心底思える時間が何十分と続くのでした。
さらに、ある日の上り列車では大事件が発生することになります。黒姫駅でブレーキ系統の故障が発生し、運休になったのです。これについては、いつか纏めてみたいと思います。
14系200番台の乗務は他にもありまして、夏季に運転されていた『リゾート白馬』、『マリン高浜』にも乗務しました。
そんな14系200番台の製品化がアナウンスされ、とても嬉しかったです。
ただ、最初に製品化されたのは晩年の『ムーンライト九州』をモデルとした編成で、両端がスハフでした。14系200番台が入った『シュプール』号のいかなる編成も、必ずオハフが入っていますので、さてどうしたものか、先ずは悩むことになります。ただ、展望車もミニサロンもない6両編成の『白馬・栂池』は1992年に運転された実積がありますので、スハフをオハフに脳内変換して楽しむのがいいかなと思っていました。ところが、それからまたしばらくして展望車を組み込んだ編成の発売がアナウンスされます!これも大いに喜びました。どうせ脳内変換するなら、いっそ12連の『妙高・志賀』として仕立てることにし、材料を揃え始めました。
先ずはブックケースです。キャスコから発売された『12両用ウレタンB』を用います。今まで発売されていたのは、右と左で編成の上下が逆になっているものでしたが、これは同じ向きに収納できます。ただし、KATO製には入らないとのことでした。開封したウレタンの不要部分を捨てると、本当にスカスカになります。買っていきなりほとんどがゴミになる商品ってのも不思議ですね。
案の定、21メートル級には無理があるようですが、ボディマウントTNカプラーにして、幌の部分をカットすれば使えそうなので強行しました。客車編成の中間部分までボディマウントカプラーにするのは費用的にもきついですが、収納スペースにも限りがありますのでやむを得ずといったところです。
試しに12両を収めてみました。これだけで壮観ですね。しかし、作業はここからです。
カプラーは密自連を使用します。トイレタンクはPZ-106を使用します。
両端だけはキハ58等に使われるJC6356を使用しました。デタラメですが、こっちのほうがカプラー周辺が賑やかになって気に入っています。
展望車側はスプリングを止める場所のギリギリまでカットし、ゴム系接着剤で固着しました。
編成は神戸側の展望車が1号車で、続くオハは200番台と250番台を交互に繋ぎます。200番台には飲料の自販機があり、それを補充するために、私達は始発の神戸へ向けて向日町から向かう回送列車に大阪駅から乗り込んでいました。車両の向きは、ネットの画像や動画から判断しました。
6号車のスハフが1号車と対を成していない方向を向いていて、車掌室同士が向かい合っていないのがご愛敬です。意味があったかはわかりません。
トイレをTとあらわすと、次のような感じです。
←神戸 オハフT+Tオハ+Tオハ+Tオハ+オハT+スハフT+オハフT+Tオハ+Tオハ+オハT+オハT+Tスハフ 直江津→
号車札はペンギンハウス、方向幕はジオマトリクスデザイナーズインク、急行【指定席】サボは の製品を使いました。気の遠くなるボリュームですが、緑の指定席サボや青い『妙高・志賀』の方向幕はこの車体に目立ちますので、やりがいがあります。
トイレ窓は艶消し白を塗り、ルーバー、手刷り、クーラーに墨入れを施しました。
テールマークはうすめ液で落とし、これもジオマトに収録されていたものを貼りました。1号車と12号車は『妙高・志賀』で、6号車は『白馬・栂池』、7号車はそのまま『ムーンライト九州』です。これは、もしもこの先、ミニサロン付きのオハフ15-251が『ムーンライト九州セットC』として発売されたときに差し替えるためです。そうあって欲しいですね。
ようやく整備を終えた14系200番台『シュプール妙高・志賀』。乗務から20年以上の時を経て、ついに再現することが出来ました。
編成のバリエーションはたくさんありますが、先ずはEF64ー1000の重連に牽かせ、あの感動を呼び覚ましたいものです。
9515レ臨時急行『シュプール妙高志賀』号です。
同じようなスジで、14系国鉄色の12連は上りだけ乗務したことがありましたが、黒姫駅を発車してすぐに戦場のような忙しさになりましたし、日も暮れてましたのでさほど満喫することなく、とにかく忙しかったなぁという印象でした。
その後、大糸線が大雨により橋梁が流され、長期の不通に追い込まれます。シュプール号は14系200番台6両編成の糸魚川行きを毎日運転としてバスで白馬方面へアプローチするほか、381系を名古屋回りで運転するなどしてフォローしますが、14系200番台は12両が余った状態となり、「妙高・志賀」に組み込まれることになります。さらにそこからレパートリーが生まれ、ハザ6+ハネ6だったり、『あかつき』のレガートシートを組み込む日も出て来ましたが、繁忙期の数本はオールハザの12両での運転でした。
単純に14系200番台は展望車付きの3編成とミニサロンの1編成が6両×4編成で組成されていて、この9515レは展望車編成+ミニサロン編成の貫通12連でした。それは、北陸トンネルの制約から、そうせざるを得なかった訳です。
乗務員の視点では、485系+583系の14連なら寝台車をワゴンで回ることは基本的に無かったので、楽でしたが、オールハザのこの編成はワゴンで全車両を回らないといけなかったので、かなりきつかった記憶があります。
では何が思い出の乗務かと言いますと、それは黒姫から直江津までの回送中のことでした。関山のカーブを通過するとき、白銀の中、快晴の下を行くEF64-1000の重連と14系12連という国鉄型14両編成のあまりにも美しすぎる勇姿を最後尾の車掌室窓から身を乗り出して見たときの感動が忘れられないのです。この仕事をしていて良かったと、心底思える時間が何十分と続くのでした。
さらに、ある日の上り列車では大事件が発生することになります。黒姫駅でブレーキ系統の故障が発生し、運休になったのです。これについては、いつか纏めてみたいと思います。
14系200番台の乗務は他にもありまして、夏季に運転されていた『リゾート白馬』、『マリン高浜』にも乗務しました。
そんな14系200番台の製品化がアナウンスされ、とても嬉しかったです。
ただ、最初に製品化されたのは晩年の『ムーンライト九州』をモデルとした編成で、両端がスハフでした。14系200番台が入った『シュプール』号のいかなる編成も、必ずオハフが入っていますので、さてどうしたものか、先ずは悩むことになります。ただ、展望車もミニサロンもない6両編成の『白馬・栂池』は1992年に運転された実積がありますので、スハフをオハフに脳内変換して楽しむのがいいかなと思っていました。ところが、それからまたしばらくして展望車を組み込んだ編成の発売がアナウンスされます!これも大いに喜びました。どうせ脳内変換するなら、いっそ12連の『妙高・志賀』として仕立てることにし、材料を揃え始めました。
先ずはブックケースです。キャスコから発売された『12両用ウレタンB』を用います。今まで発売されていたのは、右と左で編成の上下が逆になっているものでしたが、これは同じ向きに収納できます。ただし、KATO製には入らないとのことでした。開封したウレタンの不要部分を捨てると、本当にスカスカになります。買っていきなりほとんどがゴミになる商品ってのも不思議ですね。
案の定、21メートル級には無理があるようですが、ボディマウントTNカプラーにして、幌の部分をカットすれば使えそうなので強行しました。客車編成の中間部分までボディマウントカプラーにするのは費用的にもきついですが、収納スペースにも限りがありますのでやむを得ずといったところです。
試しに12両を収めてみました。これだけで壮観ですね。しかし、作業はここからです。
カプラーは密自連を使用します。トイレタンクはPZ-106を使用します。
両端だけはキハ58等に使われるJC6356を使用しました。デタラメですが、こっちのほうがカプラー周辺が賑やかになって気に入っています。
展望車側はスプリングを止める場所のギリギリまでカットし、ゴム系接着剤で固着しました。
編成は神戸側の展望車が1号車で、続くオハは200番台と250番台を交互に繋ぎます。200番台には飲料の自販機があり、それを補充するために、私達は始発の神戸へ向けて向日町から向かう回送列車に大阪駅から乗り込んでいました。車両の向きは、ネットの画像や動画から判断しました。
6号車のスハフが1号車と対を成していない方向を向いていて、車掌室同士が向かい合っていないのがご愛敬です。意味があったかはわかりません。
トイレをTとあらわすと、次のような感じです。
←神戸 オハフT+Tオハ+Tオハ+Tオハ+オハT+スハフT+オハフT+Tオハ+Tオハ+オハT+オハT+Tスハフ 直江津→
号車札はペンギンハウス、方向幕はジオマトリクスデザイナーズインク、急行【指定席】サボは の製品を使いました。気の遠くなるボリュームですが、緑の指定席サボや青い『妙高・志賀』の方向幕はこの車体に目立ちますので、やりがいがあります。
トイレ窓は艶消し白を塗り、ルーバー、手刷り、クーラーに墨入れを施しました。
テールマークはうすめ液で落とし、これもジオマトに収録されていたものを貼りました。1号車と12号車は『妙高・志賀』で、6号車は『白馬・栂池』、7号車はそのまま『ムーンライト九州』です。これは、もしもこの先、ミニサロン付きのオハフ15-251が『ムーンライト九州セットC』として発売されたときに差し替えるためです。そうあって欲しいですね。
ようやく整備を終えた14系200番台『シュプール妙高・志賀』。乗務から20年以上の時を経て、ついに再現することが出来ました。
編成のバリエーションはたくさんありますが、先ずはEF64ー1000の重連に牽かせ、あの感動を呼び覚ましたいものです。