天空の土木作業

鉄道模型レイアウトの制作記録

札幌 「はまなす」「ラベンダーエクスプレス」

2013-06-29 | 日記
1年半ぶりに札幌出張へ行って来ました。
今回の出張は、もともと一泊二日で、現地集合。これを絶好の機会と捉え、上野から北斗星で札幌入りする予定を立てていましたが、前日の親睦ゴルフ会に出なくてはならなくなり、その開始時刻には北斗星では間に合わず、予定は泣く泣くキャンセルしました。

と言う訳で、あまり機嫌良くなく伊丹空港に向かったのですが、用意されていたのは全日空の「プレミアムシート」で、ラウンジでゆったりコーヒーを飲む事が出来、また機内では軽食も出たので、これはこれで満足しました。
朝食の時間と言う事もあり、お粥とおかずだったのですが、小さいながらもお腹がいっぱいになるものでした。



夜の会食では、今日解禁になったばかりだという「チップ(ひめます)」の塩焼きをいただきました。
「北斗星」に乗る事が出来ず、何となく悶々としていましたが、食の面でどうにか満たされてきました。



しかし、『客車に乗りたい』という思いはそう簡単には消えず、ススキノでの会食が21時45分に終わったので、急いでタクシーに飛び乗り、札幌から22時発の急行『はまなす』に乗車しました。前回訪れた2011年の10月も、同じ事をしています。



青函トンネルの新幹線対応工事が着々と進むなか、黙々と走り続ける急行『はまなす』。この日は平日にも関わらず、札幌駅では
5名程がカメラを構えていました。日常の姿を記録するには、もうあまり時間が無いという事なのでしょう。



自由席は3割程の乗車率。寝台車は10名程が乗っていました。お世辞にも多いとは言えませんが、苫小牧方面への最終列車として、青森への青函連絡列車としての使命を果たしています。
酔い覚ましに、駅構内で売っていたチーズタルトを食べました。トロトロで美味しかったです。客車急行でいただくコーヒーとデザート、何とも特別な気分にさせてくれます。



このまま青森まで行ってしまおうかとも考えましたが、翌日の夜は自由が効かないので、ススキノの街を気ままにぶらぶら出来るのは今夜しか無く、札幌に戻る事にしました。
『はまなす』を千歳で下車します。6名の下車がありました。ホームライナーとしての一面を見せてくれます。
DD51の甲高いホイッスルに続き、勇ましいエンジン音を轟かせて本州へ向かう『はまなす』を見送りました。もう、会えないかも知れません。

千歳からは快速エアポート号で札幌へ戻りました。座席が殆ど埋まる程の乗車率です。先頭車両は50系を彷彿させるドアが特徴のデッキが従来通りありましたが、自由席の中間車にはデッキがありませんでした。721系らしさが無くて残念な気もしますが、それだけ車内保温の技術が進んでいるということでしょうか。それともただ単にデッキを取り外しただけでしょうか。



札幌に着くと、711系が停まっていたので見に行きます。デッキまで人が溢れ、なかなか混雑しています。外から車内を眺めると、ボックスシートに北海道車らしいサイドビューと合間って、ノスタルジックな雰囲気を醸し出しています。文句無くカッコイイです。
711系を見送り、これまた前回同様に札沼線で桑園まで乗ってタクシーで帰ることにしました。前回訪れた時はキハ141系列でしたが、今回はもちろん電車に変わっています。ひと駅だけ乗って下車し、タクシーでススキノへ戻って飲み直しました。酒の肴は、今撮影してきた『はまなす』や711系の写真です。

札幌2日目は、人数調整のためゴルフメンバーから外れたので、夕方の会議まで自由時間となりました。
廃止目前の江差線に乗るには遠いですし、平日なのでイベントみたいなこともありません。何か面白い臨時列車でも無いかと探していますと、『フラノラベンダーエクスプレス』が『クリスタルエクスプレス』車両で運転され、『富良野・美瑛ノロッコ号』も運転されていることを知りました。しかもお得な企画切符もありましたので、これを中心にあれこれ乗ることにしました。

早起きしてちゃんとオフィスワークも終え、札幌駅に向かいます。札幌駅はコンコースの1階中央にきちんと仕切られた喫煙ブースがあり、ありがたいです。
例えば、JR西日本の大阪駅や京都駅、金沢駅などは、頑なに『構内禁煙』を徹底していてタバコを吸うには駅の外の珈琲ショップや少し歩いてコンビニの灰皿を使用する他ありません。そして、列車内は全て禁煙です。私は喫煙者ですが、列車内禁煙は賛成です。受動喫煙を防止することは大事なことですし、ところかしこに灰皿を設置して清掃に多額の経費を費やすのは馬鹿げていると思っています。しかし、喫煙者の心理として、今から何時間か吸えないから一服したいと思った時に吸えないというのは、ストレスを感るものですし、吸ってはいけないところで喫煙するマナーの劣る人を生み出します。空港にきちんと分煙された喫煙室があるように、ターミナルならばそれ位のサービスを備えて欲しいものです。



コンコースでは、臨時特急『フラノラベンダーエクスプレス』の案内放送を、英語の肉声で行っていました。立派な駅員さんがいるものです。ホームに上がると、すでに『クリスタルエクスプレス』は入線していて、たくさんの乗客を吸い込んでいきます。大きなキャリーバックを持った人が大半で、それも、殆どが中国や台湾からの旅客でした。発車して車内を一回りしましたが、乗車率は個室を除きほぼ満席、そして9割方が外国人観光客でした。私は3号車の2階席に丸々空いたボックスシートがありましたので、そこに座りました。



キハ183系5100番代『クリスタルエクスプレス』は、平成元年に登場した車両ですから、当時流行した車内設備がふんだんに盛り込まれています。全面展望にガラス屋根、ハイデッカー、室内モニター(座席毎のモニターは撤去され、大型モニターに変更されています)にオーディオ設備、個室車、売店ブース、フリースペースと、バブル時代を感じさせる車両です。同じ時期に誕生した北近畿タンゴ鉄道のKTR001形によく似ていると思います。バリアフリー完全非対応車両です。
先頭車の展望室は、現在は座席が撤去されて仕切りが設けられ、入れない様になっています。踏切事故に備えての措置ですが、いささか残念な気もします。



殆ど日本語が聞かれない状態で発車。みな富良野の観光ガイドマップを手にワイワイ盛り上がっています。各駅到着前には、放送でそれぞれの名物を紹介していました。岩見沢では特産品やばんえい競馬の説明を、滝川ではジンギスカン発祥の地である事などを説明していましたが、日本語の放送を理解できている乗客は数名でしょう。しかしながら、観光特急らしい演出で良いと思います。
岩見沢を出ると、車内のモニターには富良野ラベンダーPRビデオが放映され始めました。車掌が『音声はお楽しみいただけますが、イメージビデオで特にナレーションなどございません。』と、あらかじめあまり面白く無いよという断りをいれていたのが面白かったです。



札幌駅で調達したお弁当を食べ、車内を見学し、のんびり過ごします。芦別駅で行き違いの為、4分の停車がありました。下車する人はいませんでしたが、女性駅員が笑顔で観光特急の乗客に手を振っていたのが印象的でした。

以前、『ニセコエクスプレス』の車両が同様に札幌から富良野への臨時特急で運転されたものに乗りましたが、その時は富良野駅到着前にさだまさしさんの『北の国から』が車内で流れたので、今回も期待したのですが、残念ながら有りませんでした。終点富良野には11時03分に到着です。



富良野に到着して、この車両の欠点が浮き彫りになりました。1号車に車椅子の乗客がいたのですが、駅員が持ってきたスロープのサイズが合わず、上手く設置出来ません。無理な形で設置して車椅子を降ろそうとしたのですが、脱輪し、あわや転倒かという状態になりました。また、富良野駅にはエレベーターが無く、車椅子を搭載して階段を昇降する機械を使っての対応をしていました。駅員さんは親切に対応していて、車椅子の乗客もその家族も笑顔でしたが、今ではバリアフリーも重要なサービスのひとつ、解決しなくてはならない課題は多いようです。



富良野駅では50分時間があり、一般の方にはやや退屈かもしれませんが、私は『クリスタルエクスプレス』の入換作業を眺めていたので退屈せずにすみました。駅の近くに『北の国から資料館』があり、パンフレットにも乗り換え時間に訪れることを勧めていますが、私は『北の国から』を一話も見たことがないのでスルーしました。
富良野駅前には大きなバスが停まっていて、行き先は『高速・札幌』とありました。日中1時間ヘッドで運行されている様です。程無くして発車して行きましたが、乗客はいませんでした。



駅に戻ると快速『狩勝』がやって来ました。早朝に釧路を出発し、滝川へは昼過ぎに到着する長距離ランナーです。そして、車両は首都圏色のキハ40でした。三年前に首都圏色に塗り替えられた1758です。驚いたことに、ドア横のサボ受けには、『狩勝』のサボがちゃんと入っています。しかも国鉄色、たまりません。歴史ある名称が快速になりながらもしっかりと走り続けている事に感動しました。



その国鉄色キハ40と入れ替わり、旭川からの『ノロッコ号1号』が入線して来ました。なかなかの乗車率です。折り返しで私が乗る『ノロッコ号2号』も、指定席・自由席ともにほぼ満席。平日、しかもまだラベンダーのシーズンには少し早いというのにたいした盛況ぶりです。ラベンダーエクスプレスからの乗り継ぎ客も多く見受けられます。トップシーズンには物凄い賑わいを見せるのでしょう。富良野駅にバスで乗り付けてノロッコ号に乗車する修学旅行と思しき小団体もいました。



列車はところどころ徐行して歩みを進めます。本来なら紫の絨毯となっているであろう山の斜面も、まだ緑一色でした。訪れた旅客はがっかりでしょうが、香水の工房やチーズ作り体験が出来たりと、飽きさせない様な施設もあり、それが富良野人気を支えているのでしょう。



ちなみに、私が富良野を訪れるのは8年か9年ぶりなのですが、その時もまだ咲いていない時期だったものの、レンタカーであちこちの名所や施設を回りますと、1日では足りないくらいのものでした。町とJRなどが十分に連携し、知恵を絞って努力している成果だと思います。



ノロッコ号しか停車しない臨時駅の『ラベンダー畑』で大量の下車がありましたが、その他のどの停車駅でも十数人の乗降があり、この列車が富良野観光の要として運行されているのがわかります。
少し車内が落ち着いたので、1号車の売店で『富良野大麦』という地ビールと、ノロッコ号の携帯ストラップを買いました。地ビールは500円と少々高めですが、コクがあって美味しかったです。
トロッコ車両独特の重厚な乗り心地と地ビールによるほろ酔いでいい加減になったところで、終着の美瑛に到着しました。



綺麗な駅舎の美瑛駅ですが、ホームの売店も小洒落たもので、そこには何と今朝獲れたアスパラガスを茹でたものがあり、『美瑛サイダー』なる地サイダーと共に購入しました。これを、接続の美瑛始発旭川行き車内で食べることにします。
旭川から来た美瑛止まりの列車と接続し、『ノロッコ3号』は富良野に向けて発車、続いて私の乗る旭川行きも発車です。
さっそくアスパラガスを頂きました。独特の苦味、しっかりとした歯ごたえ、それでいて硬いスジが無く、とても美味しかったです。
列車は終始20名程度の乗車で、旭川に到着しました。



旭川駅はとても綺麗な高架駅に生まれ変わっており、大変驚きました。
2010年に仮開業し、翌2011年に全面開業したそうですが、まだまだ綺麗なままです。スラブ軌道もあまり汚れていませんでした。
旭川からは711系に乗車します。中学1年生のときに初めて乗車し、大好きな車両になったものの、その後は乗車する機会に恵まれず、20年以上が経過してしまいました。



厳しい冬を幾度も乗り越えてきた711系。特徴的な二重窓もそのままに今でも元気な走りを見せてくれます。青春18切符で北海道まできた中学生の頃を思い出させてくれます。車内はガラガラで、3両合わせても20名程の乗車でしたが、それが余計にいいムードを生んでいて、本当に心地良いひと時を過ごせました。

名残惜しいですが時間の都合で滝川で下車し、この駅で追い抜く『スーパーカムイ』に乗り換えました。
せっかく『スーパーカムイ』に乗るのですから、新しい789系に乗りたいなと思っていましたが、やってきたのは785系でした。
785系に乗るのも久しぶりです。快速『エアポート』は、721系を好んで乗っていたので、なかなか乗ることが無かったのですが、いつの間にかリニューアル工事がなされ、ずいぶん質素な感じの車内になっており、違和感が有りました。



私が乗った区間は半数程の乗車率でした。バスやマイカーとの熾烈な戦いを強いられていると聞きますが、30分ヘッドの時間帯で昼間なら善戦している方でしょうか。



岩見沢で下車し、次は室蘭本線を南下します。キハ40の単行でした。高校生が多数乗っています。かつて石炭を満載した超大編成の貨車が室蘭を目指したこの路線も、今は見る影もありません。
ちょうど、今月のJR北海道車内誌に、この路線にある『栗山駅』『栗丘駅』『栗沢駅』の話題が掲載されていました。この付近は栗の木が群生していて、それが所以なのだそうです。ちなみに、日本ハムファイターズの栗山監督は、これを縁として栗山町に住んでいるのだとか。この栗の木は室蘭本線建設の際、大量に伐採されて枕木として活用されたという事実も興味深いです。



ひとり、またひとりと高校生が下車していき、車内が閑散となったところで追分駅につきました。かつては貨車で溢れかえっていた追分駅も、まさに「夢の跡」といった風情です。ここで数分の時間調整を行ないますが、ここから再び大勢の高校生が乗ってきて、再び賑やかになります。何故か沼ノ端駅で高校生たちは大量に下車し、終点の苫小牧に到着しました。



苫小牧駅で10分の待ち合わせです。ここで見られたらいいなと思っていた車両が居ました。キハ143系です。
札沼線電化でキハ141系は輸出されたり廃車になりましたが、キハ143系はまさかの室蘭本線転属となりました。ちょうど停車していたので観察してみると、側面サボがLED表示になっていて、車内はワンマン対応の大きなディスプレイが設置されていました。いずれ何らかの形で置き換えられる、ピンチヒッター的な役割だと思いますが、客車から気動車に変身した傑作とも言えるキハ143系が元気に末長く活躍してくれることを願います。



苫小牧からは特急『北斗11号』に乗車します。たまたまこの時間になっただけですが、』スーパー北斗』ではなく『北斗』のキハ183系に乗れてラッキーだと思っていました。しかし、到着した『北斗』は満席。デッキにもたくさんの人がいる様な状態でした。当然指定席もグリーン車も満席で、キハ183系を満喫する様な状態ではありませんした。
仕方ないのでキロの2550番台を観察しますが、売店のカウンター部分が0系ビュフェ車を彷彿とさせるカラーリングと形状で、国鉄らしさを感じさせてくれます。



かつて喫煙室だったところはガランと空いていて、この日は血液輸送の小荷物が搭載されていました。何だかもったいないような気がします。



せわしないので南千歳で下車し、そこから快速「エアポート」に乗って札幌まで帰りました。
こちらも満席で、自由席はなかなかの混雑。デッキが無くなったのが寂しいと書きましたが、さすがにこの様な状況を見るとそうは言ってられないのも判ります。札幌まで指定席が1席だけ空いていたのでそこに乗車し、この日帰り旅行を終えました。

前日の「はまなす」に始まり、リゾート特急、トロッコ列車、711系その他たくさんの車両に乗る事が出来、大満喫の1日となりました。

キハ65 エーデル リゾート シュプール

2013-06-08 | 車両【国鉄・JR】
七尾線電化前、つまりスーパー雷鳥の分割編成登場前は「ゆうトピア和倉」に倣った併結DCが数多く運転されていました。
キハ65を使用し、富山地方鉄道に乗り入れた「リゾート立山」「リゾート宇奈月」や、「アストル」を使用した「ゆうトピア高山」という、大阪発富山経由高山行きの特急まで登場しました。また、「北近畿」に併結されての「エーデル丹後」も「タンゴディスカバディ」登場まで活躍していました。

キハ65系の「エーデル・リゾート車」と呼ばれる6両は、電車併結運転の特急として、冬季は「シュプール号」、夏季は「マリン号」、さらに快速「伊賀甲賀ホリデー号」として草津線に入ったり、団体輸送を行ったりと、縦横無尽の活躍を見せてくれました。

乗務での思い出もとても多い車両です。1995年の夏は「マリン若狭」に乗務しましたが、この時は1両半室が「子供サロン」に改造され、車内にボールプールや絵本コーナーを備え、子供たちは大喜びでした。ちなみに、この年は同様の設備を持った「ファミリーひかり」も登場し、こちらは保育士の方も乗務していましたが、マリン号は我々が子供たちのおもちゃになっていました。

冬場は「シュプール白馬・栂池」や、96年にだけ運転された「シュプール勝山」に乗務し、後者は越美北線の越前大野まで行きました。

定期列車の乗務では、弟分の「エーデル鳥取」がありました。
智頭線開業前までは倉吉までの乗務で、城崎(今の城崎温泉)を出ればそれはのんびりした乗務でした。
1シーズンだけ、しかも下りのみですが「エーデル鳥取」4両の後ろに3両の「マリンたかはま」を連結し、堂々たる7両編成で大阪から福知山まで運転された事があります。しかも、展望車は1号車と7号車だけの、貫通7両編成で、車内の通り抜けも可能でした。鳥取寄り先頭車が「エーデル丹後」車で、大阪側のマリン号最後尾が「エーデル鳥取」車、中間は入り乱れたものだったのですが、記憶が曖昧なのと、日によって編成が違っていたようで、詳しくは判りません。

マイクロエースからは「リゾート・シュプール」「エーデル鳥取」「エーデル北近畿」「だいせん」の4種類が発売されていて、私は「リゾート・シュプール」と「だいせん」のセット、合計10両を買いました。あの「エーデル+マリン」を再現すべく、小加工を行います。



何といっても加工の中心はカプラー交換です。
電車との併結運転を行う為、密自連から密連に改造されていますので、それに倣います。
展望車の付いていない車は、全てJC65の密自連カプラーを0331密連カプラーに交換し、取り付けました。
SPタイプを使用すれば良かったのですが、この加工を始めた頃はまだ発売されていなかったか、存在自体を知りませんでした。
実は、トイレタンクに関する実車の資料を見つけるのに大変な時間が掛かってしまったので、このキハ65の加工は3年ほどに渡って行っています。



車体側は床板をえぐり、接着剤でTNカプラーを取り付ける際のノリシロを大きくしています。
これもSPタイプを使用すれば行う必要が無かった加工です。
カプラーの板バネに付かないよう、小量のゴム系接着剤で固着しましたが、どうも不安なので、ビス止めもしました。



トイレタンクは取り付け部分をカッターで切り取ってしまい、ゴム系接着剤で固着しました。
画像の右が加工前、左が加工後です。



ボディを被せてみると、だいぶ引き締まった感じがします。
購入当初、単に密連カプラーを取り付けたのが画像の右側なのですが、随分変わりました。



続いて前面ですが、製品のスカートは縦に長く、間の抜けた印象で、色は毒々しい謎の紫色です。
なぜ紫色なのか、ひょっとすると登場時はこんな色だったのかと当時の雑誌を探して確認しましたが(こんなことを繰り返しているうちに3年過ぎていたのです)、そんなことはありませんでした。
スカートは一式、TOMIXに交換する事にします。

スカート付きのJC63の中身を密連にして取り付けました。
画像右が加工後です。これで引き締まった前面になりました…
と、思っていたのですが、実車の写真をあらためて見てみると、スカートの形状は違いますし、ジャンパ栓なども取り付け形状が全く異なっていました。
実車のことをよく確認せずに「キハ65改造だからこれで間違いない」と決めつけて改造した大きな代償です。

仕方なく、せっかく取り付けたジャンパ栓を全てカットし、スカートは現物に近く見えるよう、デザインナイフで切り取って成型しました。



画像は右から無加工、真ん中が失敗作で、左が加工後です。
向かって右側のスカート下部が細くなっています。

展望車の先頭側は「エーデル丹後」の福知山側だけTNカプラーを取り付けました。
展望車の中間側ですが、これのトイレタンクは他のものとは形状が違います。
最も近いのは「ゆうトピア和倉」のものなのですが、左右が逆になっています。
悩みましたが、そのまま取り付けることにしました。
展望車のスカートは塗装しています。



失敗した非展望車のジャンパ栓は特徴的なので、針金で再現しました。
受けの部分をドリルで開け、差し込んで接着し、ピンセットで成型します。
成型した後に瞬間接着剤で再度固着し、艶消し黒で塗装しました。



最後に、ヘッドマークを取り付けます。
展望車ですが、リゾート車の西側に「シュプール白馬・栂池」、東側に「エーデル丹後」を、鳥取車は「エーデル鳥取」をそれぞれ白い紙に貼り付け、ボディの裏側から貼りつけました。

黄色のキハ65には、片側だけに「マリン敦賀若狭」を、緑色は「リゾート立山」をそれぞれプラ板に張り付けてポンチで抜き出し、ゴム系接着剤で取り付けました。
「リゾート立山」のヘッドマークは、車体の色と見事にマッチした優作だと思います。
「マリン敦賀若狭」のヘッドマークは、ペンギンモデルから発売されているものを使用しました。
「エーデル鳥取」の非展望車トイレ付きの車には、展望車に取り付ける「エーデル鳥取」のサインをプラ板に貼り付け、フチを銀色で塗ったヘッドマークを取り付けました。実車もそのようなヘッドマークを取り付けていましたが、検査時などの代走はほとんどが「エーデル丹後」車だったので、なかなかお目にかかれないものでした。



後は適当に号車札を付けて完成です。

以上で、実に3年の年月を経て(ずっと放ったらかして)エーデル・リゾート・シュプールシリーズが完成しました。
このひと箱でどれくらいの遊び方ができるでしょうか。
「エーデル鳥取」としてだけでも多彩な編成バリエーションが可能ですし、485系に併結させて「リゾート立山」、183系に併結させて「エーデル丹後」、黄色と緑色だけで「マリン高浜」、6両編成で「シュプール白馬栂池」、そして7両編成の「エーデル+マリン」と、運転していて飽きる事がなさそうです。