天空の土木作業

鉄道模型レイアウトの制作記録

183系800番台 KTR8000系

2012-06-29 | 車両【国鉄・JR】
実にユニークな歴史を歩んできた福知山の183系800番台。
向日町所属の485系が応援に行き、連結されることもしばしばで、「雷鳥」とも縁の深い系列です。
一方のKTR8000系は、その183系800番台にくっついて新大阪まで乗り入れていた「タンゴディスカバリー」としての活躍が有名です。
乗務は「北近畿11号」が大阪から柏原まで。折り返しは「文殊2号」で大阪まででした。
しかし「北近畿11号」は篠山口から福鉄車販が乗務する為、営業は篠山口までとなっていました。折り返しを柏原にしたのは、同一ホームで乗り換えられるように配慮されたものです。
一方の「タンゴディスカバリー」は、新大阪から天橋立を通って終点の久美浜までの乗務と、その帰路でした。
私たちは久美浜で乗務を終了しますが、列車は間合い運用で急行「タンゴレインボー」として久美浜-天橋立間を一往復していました。そして、その車輛がそのまま帰路の特急「タンゴディスカバリー」になるので、久美浜で降りても何もすることが無いものですから、大体この「タンゴレインボー」に乗ってボーっと車窓を眺めていました。
タンゴディスカバリーの売上はいつも8,000円くらい。仕事というより、小旅行に行くような気分で乗務していました。
また、「北近畿」は大阪乗りこみ、「タンゴディスカバリー」は新大阪乗りこみで、同じ編成に乗っているのに出あう事が無い、不思議な乗務でした。ちなみに、夏季は臨時急行「マリンたかはま」を宝塚で追い越し、マリンの乗務員は「北近畿」と「ディスカバリー」それぞれの乗務員と手を振っていました。



TOMIXから、この183系800番台と、KTR8000系が発売されました。
183系800番台は、以前にも発売されていましたが、今回はハイグレード仕様。細かいところまで忠実に再現されています。
通常版と「クハ801編成」版とが発売され、表情に特徴のある後者を選びました。
KTR8000系は、6連での運用もあり、動力付きと無しの編成が出ましたが、私は「北近畿」にぶら下がって運転されている姿が好きでしたので、動力無しの2両セットを買いました。
ちなみに、今回発売されたのは183系連結対応の1~4番がプロトタイプなので、6両編成にするとスカートを加工する必要があるようです。

183系は、説明書通りトイレタンクやホイッスルなどのパーツを付けていきます。
ヘッドマークは交換用に「きのさき」のものが入っていましたので、うすめ液で剥がして昔の「北近畿」のシールを貼りました。




取り付けて記念撮影。183系には、こうのとりが描かれたこのヘッドマークが似合うと思います。

側面は、ジオマトリクスのシールから「特急・城崎」を貼り付けました。
ディスカバリー登場時には、既に新しいものにサボの交換が行われているので、黒いタイプを選択します。
また、現在は「城崎温泉」駅ですが、この当時は「城崎」駅です。

号車札をクロハから1、2と貼り付け、1号車~3号車のドア横に「指定席」、4号車~6号車に「自由席」、全てのドアが無い方に「特急」サボのシールを貼りましたが、これは旧式のままでいいのか、さらに「特急」サボは付いていたのか、その辺りはよく判りませんでした。



ディスカバリーは、セットに車番のインレタやシールは入っていません。
車番はスカートに記載されていて、いいアクセントなので、何か代用できるものはないか探しています。
側面サボも、とりあえず何も貼らずにいます。



このKTR8000系動力無しセットですが、量販店で買うと2両で3,000円を切る、今時珍しい価格設定で、とても嬉しかったのですが、安いにはそれなりに訳があるようで、ライトユニットが入っていませんでした。
この事を知っていれば動力付きのセットを買っていたのですが、しっかり確認しなかったことを後悔しています。
代用できる照明ユニットを探してみましたが、どれもすんなりとは当てはまらず、今のところは諦めてライト無しのままです。編成の最後を飾るには残念な姿になっています。

まだ課題を残したままですが、一旦ここで作業を終了しました。
単独でヘッドマークを変えて昔の「北近畿」として、または併結相手をKTR8000系から「エーデル丹後」に変えても楽しめそうです。



金沢→長岡→スカイツリー

2012-06-24 | 日記
金沢の夜、居酒屋、おでん屋、バー、中華屋とハシゴして、ホテルに帰ったのが2時半。普段なら翌朝はゆっくりしてしまいますが、485系に乗れるとなると早起きも苦になりません。5時半に起床し、朝食を食べて金沢駅へ。いよいよ485系特急「北越1号(1051M)」に乗車です。
てっきり3000番台が来るかと思っていましたが、ホームに停車していたのはノーマル上沼垂!これは嬉しい誤算です。



発車まで車体を眺めます。サボ周りは模型でもよくいじるところ、じっくり観察します。昔はいつでも、何処でも見ることができた485系も、今では大変貴重な存在。この機会を逃したら、今度いつ会えるか分かりません。しっかりと目に焼き付けます。




ガラガラの車内に腰を下ろし、『北越』は静かに走り出しました。485系のモーター音を満喫します。車内に流れてきたのはオルゴールの鉄道唱歌。いい感じです。何百回と乗っている485系ですが、飽きることはありません。新聞を読み、紅茶を飲んで、日本海を眺めたり、うたた寝したり、ゆったりと485系に揺られます。



3時間の乗車が本当にあっという間で、長岡に着きました。ホームから新潟へラストスパートをかける485系を見送ります。
私の初乗務は特急『白鳥』号で、この485系上沼垂色でした。そんな思い出も浮かびながら、去りゆくテールライトを眺めていました。



続いて乗車したのは『MAXとき318号』です。デビューから15年、当初はカモノハシのようなフェイスに閉口しましたが、慣れました。自由席に乗りましたが、長岡発車時には8割方が埋まり、越後湯沢でほぼ満席になりました。
318Aを大宮で降ります。



大宮からは東武鉄道直通の特急『スペーシアきぬがわ』に乗ります。やってきたのは東武100系の『粋』編成でした。
切符を買う時間が有りませんでしたので車内でJRの車掌から切符を買いましたが、デッキで切符を持っていない旨告げると、すぐに座席を案内され、私が着席してから発券するなど、とても丁寧で好印象でした。



スペーシアに乗るのは初めてです。車内は割と年配の観光客が大半で、ビジネスマンもチラホラ、7割程度の乗車率でした。座席は大変座り心地が良く、デッキやトイレもスッキリしていて、いい車だと思います。
この列車の楽しみは、何といっても栗橋駅の連絡線通過です。
JR栗橋駅の、ホームの無いところに停車し、運転手・車掌の交代が行われます。乗務員用に跨線橋から階段が設置されており、この辺りはJR・東武両方の乗務員が利用するので、特に安全に配慮されているのかなという印象です。
発車して線路をガクガクと渡り、いよいよ東武線内を走ります。
東武と国鉄が対日光輸送で競争していたことを考えると、このような直通列車が走ること自体不思議な感じがしますが、利便性・乗車率をみると、大変理にかなっており、良いサービスだと思います。



時間があれば終点まで行きたいところですが、最初の停車駅・栃木で下車します。
栃木からは折り返しで特急「きぬ」に乗ります。ホームで待っていると、途中まで先行する区間快速がやってきました。6050系です。この存在をすっかり忘れていました。「乗りたい」衝動に駆られます。
しかし、特急券は買ってしまっていたので、とりあえず「きぬ」に乗車。これもまた『粋』編成でした。最初の停車駅・春日部で下車し、ここから6050系に乗車することにします。



6050系を待っている間、やってくる列車を眺めていました。野田線こそ昔の東武の代名詞的存在・8000系がやってきますが、新しい顔・50000系やメトロ車、そして東急車までやってきて、賑やかです。



春日部から6050系を、そして民鉄最長複々線を満喫します。
京阪ファンとしては民鉄複々線距離日本一の座を東武に明け渡してしまったことに残念な思いもありますが、多種多彩な列車が走る伊勢崎線の複々線は楽しいものです。
その複々線区間をボックスシートの6050系が走っているというのも面白いです。隣のボックスでは、登山帰りのおばちゃんが、向かいに座っていた10代後半の女性に話しかけ、北千住まで楽しそうに会話が弾んでいました。昔のローカル線等ではよくありがちな光景ですが、それもまた、ボックスシートが生み出す旅情なのでしょうか。



北千住で後続の区間準急に乗り換え、「とうきょうスカイツリー」駅で下車。ここで以前お世話になった先輩と昼食を食べます。
それにしても「ここが業平橋駅か?」と驚くばかり。初めてここを訪れた時は、現在スカイツリーが立っている場所に地上ホームがあり、浅草駅に入ることの出来ない10両編成の列車が発着していました。ホームも駅舎も一新され、近代的な面持ちです。

ソラマチの中は平日にも関わらず人がいっぱいで、食事は橋を渡ったところにあるお蕎麦屋さん「かみむら」さんで食べました。実にこの二日後にテレビで紹介されていましたが、スカイツリー効果でお客さんは倍近くになっているそうです。
ここの名物は海老天が3本、縦に突き刺さった「タワー丼」で、複数で来店しているお客さんは必ず1人、このタワー丼を注文しているように見受けられます。それにしてもこの「タワー丼」、「スカイ」にも「ツリー」にも掛かっていないのが面白いです。私は天ぷらそばを食べました。東京のつゆが大好きで、出張の際は必ず1杯は蕎麦を食べます。手打ちらしく、美味しかったです。



先輩とわかれ、再び東武へ。次の目的地・川崎に向かいます。時間があったので、曳舟から亀戸線に乗りました。
複々線を10両編成が駆け抜けるそばから、2両編成がのんびり走る。このコントラストも東武の魅力の一つです。



亀戸から総武緩行線、総武快速線と乗り継ぎ、横浜まで出て京急に乗りました。
蕎麦を食べること同様、ほんの少しでも京急に乗ることも、東京に来た時の「儀式」みたいなものです。
川崎で打ち合わせを終え、再び京急に乗って鎌田へ。工事は日に日に進んでいるようです。完成が楽しみです。



最後に新橋で友人と飲み、最終の「のぞみ」で帰りました。
金沢→長岡→大宮→栃木→春日部→北千住→とうきょうスカイツリー→曳舟→亀戸→錦糸町→横浜→京急川崎→京急鎌田→新橋→品川→新大阪と巡った、これもまた鉄分たっぷりの一日でした。

金沢

2012-06-24 | 日記
金沢へ出張してきました。
6月19日のお昼過ぎ出発組が3名で、仕事の都合により私だけ夜出発となりました。
しかし、この日は台風4号が日本列島接近。運行に支障はないかと、朝からニュースやらホームページやらを入念にチェックし続けます。

すると、10時30分の時点で、大阪駅13時42分発の特急「サンダーバード23号(4023M)」から最終まで、ウヤ(運転取りやめ)の発表がありました。すぐに先発組に連絡し、12時42分発の21号(4021M)に乗るよう伝えました。案の定、彼らが持っていた指定席券は4023M。3人とも仕事を変更してすぐに大阪駅へ向かったので、無事4021Mに間に合ったそうです。鉄道マニアはごく稀に世の中の役に立つことがあります。
私は当日の金沢入りを諦めて、ホテルをキャンセルしました。

翌20日。台風一過の晴天とはいきませんが、雨も降らずの天候になりました。早朝から事務所に入り、一通り仕事を済ませます。
乗車するには大阪駅9時42分発のサンダーバード11号(4011M)。金沢駅13時半の集合でしたので、これに乗って1時間前に到着して、金沢駅にあるとても美味しいと評判の回転寿司を食べようという目論みです。金沢駅の回転寿司が美味しいという話は以前から聞いていて、北陸に行った際は何としても食べたいと思っていました。

ところが、こんな時に限って仕事の電話がジャンジャン掛かってきます。結局ギリギリになって会社を出て、京橋駅到着9時30分の京阪準急に乗り込みました。当然、みどりの窓口で悠長に切符を買う時間はありません。しかし、suicaで入場すれば後々精算がややこしくなります。京橋駅で取り合えず160円の切符を買って環状線ホームに駆け上がり、9時32分発の大阪方面行環状線に何とか間に合いました。
大阪までの所要時間は7分なので、これで4011Mの発車3分前に到着します。小走りで11番線へ行けば間に合うでしょう。やれやれと思っていると、放送が流れてきました。

『只今、塚本駅で人身事故が発生し、JR神戸線は運転を見合わせております。詳しくは駅係員までお尋ね下さい。』振替輸送の案内も無いところをみると、どうやら事故発生からあまり時間が経っていないようです。塚本駅、というと、宮原からの回送列車も通過するので、何らかの影響があるかとも思いました。逆に、少し位遅れてくれたほうが、乗り遅れる心配も無いと思っていました。
車内から大阪駅の東海道線を見ると、車内が空の西明石行き普通が入線待ちをしていました。早速よくわからない状況になっています。
大阪駅に到着し、一番端の環状線ホームから、一番端の11番線まで走りました。ホームに上がる前に目に飛び込んできた電光掲示板には『遅れ4分』とあり、ここで一安心。ゆっくりとホームに上がりました。


※画像左の掲示板は、電車線が30分の遅れと出ています。

4分の遅れとあった電光掲示板ですが、そのうち『5分』『6分』と遅れが増えて行き、入線して来る気配すらありません。9番線には物凄い混雑の新快速が入ってきました。外線快速、福知山線の列車と2分毎にどんどん入線してきます。どうやら上り線は開通して間もないようです。ですからまだまだつっかえている様です。

9番線から9時18分に発車予定の特急「スーパーはくと2号」も入線してませんでしたので、これはまだ時間が掛かるだろうと、このタイミングで正規の切符を買う事にしました。
みどりの窓口で『北陸線長岡経由上越新幹線で東京を回って東海道新幹線で新大阪までの乗車券と、大阪から金沢までの特急券』と注文をしましたが、発券がとても遅かったです。隣の窓口の人と何やら確認したり、時刻表まで持ち出す始末。『山科から新大阪までは連続乗車券です』というと、やっと理解したみたいで、ようやく切符が出てきました。確かに、どこそこ経由や座席は何号車の何番だと難しい注文を付ける鉄道マニアもいます。しかし、今回発注した連続乗車券なんて、昔で言えば国内旅行取り扱い主任ですら知っている様な、運賃計算の基本中の基本です。窓口に座るプロであれば、その位の事は知っていて欲しいですし、仮に教えてもらっていなかったとしても、プロとして自ら勉強して欲しいものです。



ひょっとしたら4011Mはもう発車したのでは無いかと心配しまいたが、まだ入線すらしていませんでした。自由席の列は後続の、本来ならば10時12分発4013Mに乗るはずだった乗客も含まれ、だんだんと伸びてきています。10時4分、本来の発車時刻22分遅れでようやく入線し、結局25分遅れで大阪駅を発車しました。



2列車分の乗客を乗せて発車するのですから、さぞ混み合うかと思いましたが、4011Mは敦賀・武生に停まらない、いわゆる『かっ飛び』タイプなので、4013Mの乗客はホームで待ち続け、分散した結果、半分にも満たない乗車率で出発しました。
新大阪発車後も徐行を繰り返し、京都では前を走っていたスーパーはくと2号の回送発車待ちを喰らい、最終的に京都駅発車では40分遅れまで膨れ上がりました。

湖西線内でも先行列車を追い越すため、近江舞子、近江今津通過前はかなりノロノロ運転。敦賀駅通過の時点で、56分の遅れまで増幅していました。

この時点でお寿司は諦めました。長い会議、お腹が空くだろうと車内販売にお弁当を求めましたが、富山のます寿ししかないということでした。源の名物駅弁「ますの寿し」は、お土産で買って帰るには良いと思いますし美味しいのですが、車内で、しかも1人で食べるには、いささか抵抗があり、購入しませんでした。
賞味期限の長い「ますの寿し」は、破棄に(車内販売業界では残った弁当を「廃棄する」と言わず「破棄する」と言います)なることも無いので、経営的には良いのですが、こんな風に商売していたので信用をなくし、駅や百貨店で買い物をしてから乗車するお客様ばかりになって、今の状態があるわけで、この辺りがトータルでサービスを構築するJR九州と違うなと思います。
私が乗務していた頃は、この時間ですと新潟行き「雷鳥23号」になりますが、弁当は平日でも110個売っていました。今ではどのくらいの売上なのでしょうか。
それでも空腹には勝てないので、ホットコーヒーを買います。「ご一緒にドーナツはいかがですか?セットでプラス100円です」と言われ、素直に従いました。私の時代にはサンドウィッチの他に、ブームになる前の「マネケンワッフル」を積んでいましたが、当時は知名度が無く、全く売れませんでした。
「ドーナツです」といって渡されたのは、「黒糖ドーナツ棒」と書かれた何やら小さい箱。中を取り出すと、かりんとうみたいな物体が出てきました。熊本の駄菓子屋さんが製造する、沖縄産黒糖使用のお菓子だそうです。何か見たことあるような…と思いましたが、なでしこジャパンの選手も所属するINAC神戸のユニフォームに書かれていたお菓子でした。なでしこ効果で注文が殺到していた時期もあったそうです。確かに、美味しいですが、回転すしを諦め、普通のお弁当にすらありつけず、止む無く腹の足しとして食べるには、切ない甘さのお菓子でした。



列車はその後も遅れを回復する事なく、福井でちょうど一時間の遅れになり、最終的に金沢到着は70分の遅れとなりました。『特別急行』の面目もあったものではありません。少しでも遅れを回復しようと努力をした形跡もありません。今に始まった事ではありませんが、全くやる気の無いJR西日本に腹が立ちます。これが特急料金を払い戻す2時間の瀬戸際だったら頑張るクセに。

駅に降り立つと電話が掛かってきて、何と集合時間が30分遅れるとの事。これはラッキー!すぐに駅の高架下2階にある回転寿司『すし玉』さんに行きました。



貝柱・うに・イクラが一つの軍艦に乗った『北海』や、富山湾で取れたホタルイカなど、美味しく頂きます。平日は海老で出汁を取った味噌汁が無料でした。お手頃な価格で美味しいお寿司がたくさん食べれるのが、このお店の人気のようです。
昼食後のデザートとして黒糖ドーナツを頂きたかったものです。

いろいろありましたが、結果的にはお寿司を満喫し、お腹いっぱいで仕事に向かいました。

伊豆急行

2012-06-18 | 日記
修善寺に行った目的の2つ目は、私が所属する同好会主催の「伊豆急100系貸切イベント」に参加するためでした。
前夜は鉄道話に花が咲き乱れ、深夜の就寝となりましたが、早朝に起床し、修善寺を立ちます。



伊豆箱根鉄道で三島まで出て東海道線で熱海へ。熱海から伊東線、伊豆急行に乗って伊豆高原駅へ向かいます。
徐々に参加者も集まってきます。



列車の乗車前に、車庫に案内していただきました。
ここで伊豆急100系の実車に纏わるお話しや、復活までのエピソードを伺いました。
伊豆急行さんの100系に対する熱い思いが感じ取れます。



庫の横を歩いて行ったところで、いよいよ伊豆急100系とご対面。思わず歓声をあげてしまいます。



記念撮影をした後は、これまでに使用された様々なヘッドマークを取り付けての記念撮影。このような準備までしていただいた伊豆急行さんに感謝です。




100系の隣には、ラッピングを外した8000系が停まっていました。これだけ見ると、まさに昔の東急8000系です。
このような姿をみられたのも貴重なことです。



車庫見学が終わり、再び伊豆高原駅へ。ホームで入線を待ちます。
この日はCS番組のロケがあるようで、取材クルーがいました。最近では実にマニアックな鉄道番組も放送されていて驚きます。
入線してきた100系は、荷物と私たちを乗せ、2分の停車で慌ただしくドアを閉めました。
10時16分、いよいよ発車です。



往路は無停車。伊豆熱川、伊豆稲取、河津の各駅は、特急も含めて全ての列車が停車するので、通過自体が貴重な体験となります。
車内の壁面広告のスペースには、100系復活までの修理工程を纏めた写真が展示され、中吊り広告は、伊豆急100系が現役の頃に実際に吊るされていた広告の復刻版が掲示されていました。意匠には「国鉄」の文字もあちらこちらに見受けられます。



お弁当が配られました。これも、伊豆急100系がデザインされた包み紙のもの。細かい演出が、イベントを大いに盛り上げます。



10時56分、40分の乗車で伊豆急下田に到着。ここではナント、国鉄色に復元された185系と並んでくれました。グリーンストライプとハワイアンブルーの共演、これぞ伊豆という光景です。



駅で時間があったので、しばし100系を観察します。
100系は冷房改造がなされ、この復活車にもクーラーキセが載っていますが、よく見ると中はスカスカ。キセだけ載せた、非冷房車です。



いろんな列車がやってきますが、リゾート21「ドルフィン号」との並びも実現しました。
ハワイアンブルー同士の共演です。伊豆にはこの色が似合います。



伊豆急下田を12時50分に発車。
帰路はいくつかの駅で退避をし、伊豆高原には13時33分に到着しました。

名車・伊豆急100系の復活すら驚きましたが、その列車に実際に乗ることが、しかも貸切イベントで実現し、さらに車庫見学まで付いて、大満足の旅程でした。

大阪へは沼津から373系の「ホームライナー」で浜松まで行き、そこから新幹線、名古屋から最終の近鉄甲特急で帰りました。



私鉄特急・JR東海の様々な車両・185系の快速・鉄道模型・車庫見学・100系貸切と、鉄分たっぷりで「お腹一杯」になった1泊2日の旅となりました。

修善寺 花月園

2012-06-15 | 日記
修善寺温泉へ行った目的の一つは、花月園さんでの模型走行です。

私は3度目の宿泊でした。


ユーロライナーとマニ44の「カートレインユーロ名古屋」です。
まだ何も加工していませんが、とりあえず走らせました。


こちらも無加工で、ナンバープレートすら取り付けていませんが「シュプール白馬栂池」です。
写真では見えませんが、後ろにDD16を連結してプッシュプルで走行しています。


最も最近加工した「北陸」編成です。
拙い画像ですが、ジャンパー栓などカプラー回りを賑やかにしたので、なかなかの迫力です。


その他にも、普段は長すぎて運転することの出来ない185系15両編成や、211系の15両編成を運転して楽しみました。
次回来る時にはHOゲージもひと編成くらい仕立てておきたいと思います。