天空の土木作業

鉄道模型レイアウトの制作記録

ヤードセクション1

2022-05-11 | レイアウト
実に4年4か月ぶりのレイアウト工事です。
新事業を立ち上げてから大変多忙な毎日を過ごしまして、そのうちにコロナ禍となり、仕事も生活スタイルも一変してしまいました。
レイアウトも放ったらかしの状態が続いていたのですが、私にとっては思い出の多い車両が次々と発売されたのと、従業員の子供さんたちを集めての運転会を開催することになったのを機会に、重い腰をようやく上げた次第です。

先ずはレールの清掃から始めます。
案の定、機関車をレールの上においてもピクリともしません。
TOMIXのレールクリーナーである程度拭いて、今回ばかりは集電向上剤であるアルケの「LOCO」を使用しました。
この製品は一長一短あるようで、ネット上にも様々なことが書かれていますが、もう手に負えない状況でしたのでとりあえず周回運転ができるまでは機関車の車輪に塗っては走行させストップ、また逆走させ機関車に塗ってはストップするまで走行を繰り返し、ようやく周回運転が出来るようになってからTOMIXのマルチレールクリーニングカーにレールクリーナーを注入して何十週も走らせ、また手拭きもしてようやくスムーズな運転が出来るようになりました。
部屋の掃除に2時間、上下本線と非電化線を運転できる状態にするまでにかかった時間は8時間。メンテナンスの大切さを思い知らされました。

運転会は通電不良もなく、子供さんたちも大変喜んで頂いたようで、頑張って掃除した甲斐がありました。
しかし、何度か脱線する箇所もあったり、作動しないポイントレールがありましたので、この修復からレイアウト着工再開といたしました。



先ずは、上下本線から駅の1番線・電留線に向かう箇所です。TOMIXの完全選択式ポイントのお陰で、ギャップを設けることなく上下線から一つの線路に向かう配線が可能となったので、喜んで取り入れたのですが、本線の勾配を緩くすることを優先させたためにポイントとクロスレール部分がやや勾配区間になってしまい、しかも前後にカーブがあることから脱線が起こるのだと思います。
そこで、この部分を平坦にすることにしました。その結果、本線の勾配がややきつくなってしましましたが、標準的な車両は1モーターで問題なく走行できたので良しとします。また、脱線も皆無になりました。
画像の直線方向が本線、分岐側が1番線と電留線です。



子供たちが様々な車両を持ち込んでくれたお陰で、不良箇所をピックアップ出来て助かりました。
このレイアウトには駅に上り専用の中線と10両対応の電留線、非電化線に7両対応の側線、レイアウトの片隅に4両対応の留置線が3本ありますが、ポイントがきちんと動作しないこともあり、みな車両を交換するときはその都度ケースに出し入れしていました。編成単位で留置できるヤードがあればスムーズに運転できるし、ヤードに好みの車両が並ぶ姿はカッコいいだろうなと妄想が広がります。
ある日、家電量販店の模型売り場でTOMIXの「車両基地レールセット」が売られているのを見て、背の高い入換信号、抜けた階段の洗浄台が写ったパッケージをみて妄想が大爆発。思い切ってレイアウトを拡張し、ヤードを作成することにしました。
そう遠くないうちに撤去しなければならないレイアウトですので、拡張よりも完成を急いで走行動画を撮影したいのですが、一旦気持ちに火が付きますと抑えられません。
拡張部分のベースを新調することになりますが、そうなると非電化線の一部もやり替えなければならず、すでにバラストも撒いている状態の線路をノミで削り出す作業からスタートです。
また、ヤードへの出入りをどうするかというのも課題でした。非電化線のレールから分岐すれば楽だったのですが、そうなると駅の有効長の関係から7両編成までしか入ることが出来ず、また、上下線から一旦非電化線に入れてヤードに入れるとう2段階の手間では、ゲストの方は躊躇するのではないかと思いました。
上下線と非電化線、そして機関区とを全てに直結している機関車留置線があり、ここは補機の待機所としていましたが、これを延長する形でヤードに繋げようと思いました。これで、どの線路からもヤードと繋がり、一発で出し入れが可能です。



一難去ってまた一難。次は非電化線の外側に延長線を敷くスペースがないことがわかりました。現在、非電化線が通っている個所を延長線に、その内側に新たに非電化線を敷くことで解決を試みますが、非電化線は半径R280とこのレイアウトではきつめのカーブになりました。一口にヤードを作ると決めたおかげで予想以上の大工事となりました。加えて、動作不良のポイントレールも交換し、その周辺の線路も敷きなおしています。
次の画像左ですが、一番手前のY字ポイント右手が補機の待機場所になっていたものを、そのまま延長してヤードとの接続に使ったということになります。
右の画像では、左へ伸びていた機関車留置線の跡がくっきり残っていますね。



真新しいボードに線路を引くというのは本当に楽しい時間です。少しでも有効長が長くなるように、製品とは違う配線にすることにしました。
また、洗浄線も追加してみたいと思います。
自分一人で楽しむレイアウトでしたらここまでの手間は掛けなかったかもしれませんが、また数か月後に子供たちを招待すると約束していますし、実はこのヤード作成の直後、旧友2名との運転会もあり、そこでお披露目したくて頑張れたというのもあります。やはり、反応がありますと嬉しいものです。



数年間放置してしまったレイアウト。いざ作業を再開しますと、その間に進んでしまった老眼との戦いに苦戦を強いられ、また、進化しているパーツや線路バリエーションに驚き、時間がいくらあっても足りません。
やる気のある時こそ一気に作業して、そして、これからは線路メンテナンスを定期的にしようと思っております。

165・167系宮原電車区 急行「ちくま」

2022-03-13 | 車両【国鉄・JR】
年に一度、3家族合同で長野へスキーに行くのが私にとって一大イベントでした。
大抵は新幹線と特急「しなの」の組み合わせなのですが、指定席が取れなかった時は急行「ちくま」での移動もありました。
14系寝台、12系の夜行、165・167系の夜行、昼行と乗っています。大学に入ってからは383系でもお世話になりました。
この165・167系は「ちくま」「くろよん」だけでなく、「ホリデー号」や「国境スキー号」、修学旅行臨としても幅広く使用されており、関西人には馴染みの車両だったと思います。
「国境スキー号」はヘッドマーク付きで運転されていました。撮影した記憶があります。「ホリデー号」は、たしか「伊吹ホリデー号」だったと思います。米原より東へ乗り入れるので、「ちくま」で実績のあるこの編成が使用されたと記憶しています。これは、下り列車に偶然乗ったことがあります。また、私が高校2年生の時に行った修学旅行が関ヶ原の大雪で何時間もバスに缶詰め状態となったため、翌年は列車での移動に変更になったのですが、車両はこの編成でした。後輩たちが羨ましくて大阪駅の発車を見に行ったなんて思いでもあります。
TOMIXからこのセットの発売を知ったときは、まあなんと関西に住む私たち世代に狙い撃ちをした商品なんだととても驚き、もの凄く嬉しかったです。



コロナ禍で仕事の環境もガラッと変わり、また、この2年ほどで老眼がだいぶ進行してしまったこともあって、模型を手にするのは久しぶりです。
パーツがぎっしり入っていますね。先ず目につくのが空気配管付きのTNカプラーです。これ、むちゃくちゃ引き締まるじゃないですか。銀河モデルからパーツが発売されていますが、なかなかここまでやろうと思いませんので、完成品で標準装備されているのはとてもありがたいです。

説明書通り、タイフォンの取り付けから始めます。ネットで画像や動画を見まくりまして、両端の先頭車のタイフォンの形状を確認できたのは、K5編成とK6編成だけでした。
K6編成のクハ165-51がスリットタイプ、その他がおわん型のカバーです。
編成の両端にバリエーションを出そうと、西側をK6編成、東側をK5編成とし、タイフォンの形状とクハの形式の違いを両端にみられる組成としました。
タイフォンパーツの取り付けも私にはかなり難しく、爪楊枝にゴム系接着剤を塗って「とりもち」のような状態にしてパーツをくっつけて差し込みました。



ジャンパ栓、ホースの取り付けもとても大変でした。強くつまむと形が変わってしまいますし、弱いと取付穴にうまくはまりません。
加えてこの老眼。1回目の作業はほろ酔いで行っていたので、その日は諦めて、翌日、裸眼に拡大鏡を使い、何とか取り付けることが出来ました。
苦労はしますが、このパーツがあるとゴチャゴチャ感が増してたまらないですね。
中間に来る先頭車にホースを取り付けると走行に支障が出ると説明書にありますが、R280のS字カーブを難なく走行できたので、気にせず取り付けました。



シールは、美軌模型さんの「ちくま・みのり」という、接点が一時期だけ長野でありましたという組み合わせが面白い製品を使用しました。
キハ54系のステッカーもこの模型屋さんの製品を使用したと思うのですが、とても魅力的な商品展開をされています。ただ、今年に入って店主さんが入院されているようで、買い物が出来ない状態が続いているのが気になります。
「ちくま」のシールは、客車向けに作成されているようで、12系、14系、20系に対応していますが、ここから12系向けのものを使用します。
本当は「ちくま」「くろよん」に仕立てたかったのですが、「くろよん」のシールはどうやら製品化はされていないようです。
また、「ちくま」の行先サボも見つかりませんでした。ネットの画像や動画を見ていますと、国鉄時代には青地に白文字の「大阪行き」というものがあり、これなら客車用のサボで代用できないかと思いましたが、やっぱり私の世代だと白地のほうがしっくりきますので、やめておきました。
白地のサボでも「大阪ー長野」だったり「急行ちくま 大阪(中央線経由)」というものや、単に「大阪行き」だったり、いろいろあったようです。
鳳車輛製造さんから、しなの鉄道でリバイバル運転された「松本【急行ちくま】長野」というサボのシールは発売されているのですが、この、真ん中が赤い文字のタイプで実際の「ちくま」に使用されているのは見つけることが出来ませんでした。
KATOの165系東海地区セットで余った、文字がはっきり見えない(私の老眼で)サボシールを貼りましたが、号車札や種別サボに比べ色合いが薄かったので、メリハリをつけるためにレボリューションファクトリーの「急行アルプス」のシールを使用しました。真ん中に赤く列車名があって、起点と終点で挟むサボが「ちくま」にあったかどうかはわかりませんが、いつか使えそうなものを見つけたら貼りなおすとして割り切っています。



先頭車に幌を取り付けると、ケースから出し入れするときにグンニャリ曲がってしまいましたので、カッターでウレタンを削りました。
説明書を読み続けていると、空気配管の一部を切り取るとあります。せっかくのパーツを切り取るのも勿体ないですし、どの車両のどの部分を切り取るかもわかりません。
本やネットの画像を見ていても自信が持てないでいたのですが、Youtubeで「みやこ模型」さんのズバリこの商品を組み立てる説明動画があり、そこに「モハの1・3位側(東京を向いて右側)を切り取る」とありました。欲しい情報がこうしてネットでわかる、本当にありがたいものです。東海道線上での海側を切り取るということですね。
写真が暗くてよくわかりませんが、加工してみると変化があって面白いものですが、パーツにせよシールにせよ、加えていく足し算の作業なのに対し、削っていく引き算の作業は、何だか違和感があります。
銀河モデルのパーツを取り付けていた世代ですから、今の贅沢な時代に馴染んでいないということなのでしょう。



最後のインレタの転写です。JRマークを貼り付けると、印象がまるで変ってきます。今の製品は所属表記やATS表記なんてものまで付いているのですね。驚きました。
加工し終わりあらためて眺めますと、サボなんかはかなりいい加減なものですが、単調な湘南色もステッカーとインレタでずいぶんメリハリがつき、思い出深い編成だけにかなり愛着がわくものとなりました。
2年間のブランクがありますが、これを弾みに溜まりに溜まった車両たちを加工していきたいと思います。


「サフィール踊り子」 相模線205系500番台

2021-12-30 | 日記
東京出張、久々に一泊します。夜はディズニーリゾートに来ている友人と合流するため、新浦安に宿を取りました。これがなかなかのトレインビュー。車種は少ないですが、たまに特急も来ますので楽しいです。
翌朝はホームで特急の通過を見ることも出来ました。

 

二日目は町田市で行われる研修会に向かいます。この町田という行き先をみて研修会への参加を決めた、という訳ではありませんが、引退する205系に一度乗ってみたかったので、どうせならと絡めることにしました。そうなると欲が止まらず、あれこれ乗りながら浦安から町田を目指します。
まず、乗ってみたかった『サフィール踊り子』で西を目指します。この列車に乗るためには様々な予習が必要でした。食堂車を利用するには『サフィールPay』というサイトで注文と決済が必要なようで、説明に従い言われるがままに打ち込みました。

 

ホームに上がると、既に入線していました。平日にも関わらず、座席車はほぼ満席で、個室車はあまり乗ってない印象です。一番先頭の『プレミアムグリーン車』、1964年に151系『パーラーカー』が東海道線から引退して以来の、座席1+1配置車両になりましょうか。車内に入っての撮影はお止めくださいとの放送がありましたので、デッキ扉が開いたときにチラッと眺めただけですが、豪華さ、特別感が溢れかえっています。そうでなくてもこの列車は全車グリーン車、特別が過ぎます。全車グリーン車という編成が東海道線を走るのは、14系『サロンエクスプレス東京』を使用した特急『サロンエクスプレス踊り子』以来かと思います。えらいものを東日本は誕生させました。

  

東京駅を出発し、私が着席する最後尾車へと移動します。デッキ、トイレや水回りも清潔感があっていいですね。ホテルの一角を感じさせる、個室車を通ります。通路ですが天窓が開放的です。私があちこち繁々と眺めていると、初老のグループがシャッターを押して欲しいと尋ねてこられたので、私もお願いして個室を撮影させて頂きました。良い意味で昭和の応接間、といったイメージを持ちましたが、とても上質な雰囲気です。こんな非現実的な空間に入れば、誰しもがハッピーな感覚に陥ります。家族や友人たちと、こんな個室でワイワイ食事してみたいものです。

 

4号車のカフェテリアは準備の真っ只中で、ここは後でじっくり観察するとして行き過ぎようとしましたが、車両プレートに『サシE261』とあって驚きました。国内の新製食堂車といえば、九州の『つばめ』に連結されたサハシ787、『カシオペア』のマシE26形を除いてはクルーズトレインくらいかなと思っていましたので、令和の時代に『シ』を体感できるとは思ってもみませんでしたし、東日本の本気度も見えてきます。
嗚呼、特別な車に乗ってるんだなぁという付加価値余韻を体に染み渡らせて、グリーン車の座席に身を沈めました。

 

まわりはいわゆるフルムーン需要でほぼ満席です。旅行会社のツアーもあるみたいですが、各々駅弁を広げてのんびり車窓を眺める様などは、かつて熱海がハネムーンの聖地として定まっていたころを思い起こさせるといえば言い過ぎかもしれませんし、今70代の方々からすれば新婚旅行といえば宮崎行きの『ことぶき号』に乗った方もいらっしゃいますでしょうか。そういえば『ことぶき号』もサフィールと同じくオールロザですね。しかしながら、長い月日を経てこうしてご夫婦で思いでの地を巡り渡るなんてめちゃくちゃロマンチックですし、憧れます。皆さん思い思いに、西を目指されているのでしょう。
最後尾の車両に着席し、サフィールのシートを満喫します。いつまででも乗っていたい、くつろげるシートです。フットレストを上げたり、シートを倒して遊んでるうちに、もう食堂車の予約時間になりました。
いくつか予約できる時間帯があるようですが、早い時間しか空きがありませんでしたので、横浜駅到着前に着席しました。Web予約していたメニューがパスタとニョッキでしたので、 複数利用と思われたようで、4人がけのボックスシートに案内されました。一人なのでカウンターでもいいですよといいましたが、この時間帯は空いているとのことでゆったり使わせて頂きました。

 

そういえば、デビュー当時は『ヌードルバー』として走り出したと記憶していますが、今年の4月から形態を変えられたようです。ラーメンを食べるより、今のメニューのほうがサフィールには似合っていると思います。
まずいただいたのは『静岡産3種のキノコとトリュフ塩のラグー』、白ワインを合わせます。生のキノコを食べるんですね、麺がモッチモチで美味しかったです。次に『じゃがいもニョッキのトマトソース』、これは別に静岡や伊豆に因んだものではないようですが、私がニョッキに目がないもので注文しました。伊豆の海を見ながらグラスを傾けるってのが人気の利用法なのでしょうが、普段の街中を非日常空間から眺めるのもオツなものです。
Webサイトを見ていますと、このメニューを監修されている本多哲也シェフが渡りガニのカレーについて思い入れを書いていましたので、無性に食べたくなりました。スタッフの方に、カウンターでもいいので今からでも食べられないか聞いてみたところ、この席で提供可能とのことで、赤ワインと共にお願いしました。渡りガニは殻ごとバリバリ頂きます。これも実に美味しいです。しかし、年配の方の利用が多いなか、そういう方々にはちょっと食べにくいのかなとも思いました。二本目のワインも飲みきって、大満足で席を立ちます。実に三人前を平らげてしまいました。あらかじめスマホでオーダーしていたおやつを受け取り、ご機嫌で自席に戻ります。



購入したおやつは、さすがにお腹いっぱいで後日自宅で食べましたが、どれも伊豆や静岡に由縁のあるものだそうで、『しおかつおスナック』はしっかり出汁の味がついていてビールにぴったり。『伊豆柑橘ラスク』はほろ苦いピールがアクセントになっていて、あとを引く美味しさです。
自席にて食堂車で購入したコーヒーと焼菓子をいただいているうちに、あっという間に下車駅の伊東に着いてしまいました。いつかまた、次は是非個室で終点までたっぷり乗りたいと思わせる、素晴らしい特急でした。

 

ここで折り返して本来の目的地、町田市へ向かいます。ユニークなポスターが上りホームを教えてくれていました。いいセンスですね。『サフィール』の後を追って『リゾート21』がやってきました。いつの間にか、ド派手なカラーリングになっています。登場時の左右で異なるあの配色がカッコいいと思いますが、登場から36年経っても伊豆急の顔として走っているのは嬉しいです。
続いて上りホームには、元東急車が入ってきました。モーター車に運転台をくっつけたり、車内にトイレやクロスシートを付けたりと、見た目以上に大改造をしているこの編成。これも一度、乗ってみたいです。伊豆急線だけで、楽しみが膨れ上がりましたね。

 

次に乗るのはE257系です。『あずさ』『かいじ』から華麗な転身をしました。このあたりはJR東日本は本当に上手ですね。熱海で連結、解放を行う運用のある『踊り子』にはもってこいの車両です。
カラーリングが変わって印象も大きく変わりました。車内も青が基調となり、別の車に乗っているようです。所どころにベテラン車両の貫禄というか、くたびれたところはありますが、コンセントをシートに設置してくれていたり、十分な車内サービスだと思います。



車掌さんがやってきて、検札かなと思えばアンケートでした。往路の『サフィール』でもあったようですが、私が食堂車にいるうちに終わっていたようです。車内でのアンケートは昔からありますが、紙と鉛筆が常でしたのに、今ではQRコードを見せられて各々のスマホで回答するんですね。『サフィール』の食堂車予約でも感じましたが、スマホがないと食事も買い物も楽しめない世の中になってきています。あらかじめ「予習」をしてから旅行しないと、最大限のサービスを受けることができないという訳ですが、もし、このシステムを知らずに乗車してせっかくの旅行でガッカリするような人がたくさんいらっしゃれば悲しいです。様々な人が利用する鉄道だからこそ、そのあたりの救済措置は考えていて頂きたいと思います。
小田原で降りるつもりがウトウトしてしまい、大船で飛び降りました。急いで精算し、時刻を確認します。相模線の乗車時間を少なくすれば何とかなりそうです。さすがにサフィールで飲み過ぎました。

 

折り返して茅ヶ崎へ。いよいよ乗り納めとなる205系500番台に乗車です。列車は既に入線していて、記念のヘッドマークがついており、10名ほどの方が撮影していました。
車内に入りますと、懐かしい205系のシートが並びます。前面の印象が随分違いますが、走行音、乗り心地もやはり205系です。単線区間を走行する205系、というのは関西では奈良線での実績がありますが、それ以外であまり乗った記憶がありませんので、新鮮です。
この500番台、かつてグリーンマックスからキットが発売されました。買おうかどうしようか物凄く悩んだ思い出があります。結局買えなかったのですが、4両編成で単線で楽しめますから、模型にはもってこいの編成だと思います。
行き違い時間に写真を撮影したりして、最後の205系500番台を記録します。相模線は学生時代に全線乗り通しているはずですが、全く記録も思い出もありません。もう少し乗りたいところでしたが、踊り子号を乗り過ごしたこともあり、厚木駅で下車しました。2007年の春改正で使用が停止された旧ホームがそのまま残っていて不思議な雰囲気です。何だか別世界へ連れて行ってくれる列車が密かに発着しているような、時が止まっているかのようなホームです。構内踏切を廃止するだけのために新たにホームを新設したのでしょうか、このあたりJR東日本は大胆です。

 

その後は小田急に乗り換えて目的地に向かい、用事を済ませて小田急『EXE』で新宿へ向かいました。
車内では大船駅で大急ぎで購入した大船軒の「湘南チョイス」というお弁当を広げます。お酒のアテにぴったりのおかず、押し寿司が詰めあわされていて、とても美味しかったです。
『EXE』で弁当に舌包みを打ちながら、サフィール踊り子、踊り子、そして205系500番台のことを思い返します。どの列車ももっと長く乗りたいと思える、充実した旅程となりました。

 

2020年 ささやかな鉄分補給②

2021-01-02 | 日記
今まで停滞していた行事ごとがgo toトラベルキャンペーンにより一気に回りはじめ、飲み会こそ無いものの、秋は移動が増えました。これが年末の第3波につながるわけですから、決して褒められたものではないのですが、決済に印鑑を押したり、議決は一定以上の出席者が必要だったりと、今の社会システムでは致し方ないところもあるように思います。
11月の東京出張では、一番安いプランで千葉の浦安にあるホテルを選びました。ディズニーリゾートと提携しているホテルです。要は、ディズニーランド、ディズニーシーが入場人数を制限しているので、周辺のホテルに宿泊者が集まらず、値段が安くなっているのでしょう。
現地1日目はうまく予定がまわらず、午後にかなりまとまった時間が空いてしまいました。半年間、鉄分補給していなかったわけですから、無性に旅気分が恋しくなり、当てもなく上野から特急『草津』に乗ることにしました。そうと決まれば、上野駅高架の常磐線ホームにあるコーヒーショップで煙草を嗜みましょう。ここは北千住に住んでいた時によく利用していました。しかし、このコロナ禍のドタバタの中で、煙草が吸える店も激減しましたので、入り口で確認いたしますと、電子煙草のみOKに変わっていました。実は、9月から私も23年吸い続けていた紙煙草を辞めて電子煙草に替えていましたので、こんなところで計らずも恩恵にあやかることが出来ました。

 

コーヒーと煙草を楽しみ、適当な弁当を買って行き当たりばったりの小旅行の始まりです。
特急『草津』は、イメージからすると大人の温泉旅行客が多いのかなと思っていましたが、意外と若いカップルもたくさん乗っていて驚きました。これもgo toトラベルの影響かも知れません。
ハイボールを飲みながら、次の予定と照らし合わせて旅程を組みます。秩父鉄道の東側に乗ったことがありませんでしたので、熊谷から羽生に向かうことにしました。
そうと決まりましたら、ゆっくり651系を満喫します。相変わらず素晴らしい加速、街中を切り裂くような走りっぷりです。9ヶ月振りの651系ですが、鉄分補給がなかった半年間の空白を埋めるには十分すぎる在来線特急の雰囲気でした。

 

熊谷で乗り換え、秩父鉄道の羽生方面に向かいます。ひと昔前なら旧101系だったんでしょうが、今は旧東急車です。ラッピング車やら何やらいるようでよくわかりませんが、なかなか馴染んでいるように思います。新天地にきて早10年、秩父鉄道も様変わりしました。ちなみに、私が乗車したのはジオパーク号というのだそうです。
羽生からは東武線に乗ります。ちょうど『リバティ』の試運転車が走ってきました。300系、350系が引退する噂もありますが、野田線特急の増発もありますので、去就が気になるところです、
羽生から久喜まで普通列車で移動し、特急『りょうもう』号に乗りましてようやく先ほど上野駅で購入した駅弁を広げました。大船軒の『湘南の玉手箱』というお弁当を、埼玉県で食べるのも乙なものです。おかずがたくさん入っていて、酒のアテにもなり満足しました。北千住で『りょうもう』を下車し、その後は仕事で西新井、新橋と渡り、浦安に戻りました。

 

2日目は夕方まで何もなかったのですが、この日は夕方からディズニーシーが貸し切り営業とのことで、その影響で夕方までしか利用できないシーのチケットを購入することができました。せっかくなので仕事を忘れてディズニーシーでお酒を飲みます。浦安で営業し、夕方から一人、シーでお酒を飲んでいたのを思い出します。ぶらぶら散歩してますと、高架線を乗り物が通過していきました。「ディズニーシー・エレクトリックレールウェイ」というのだそうです。遊園地の乗り物、といっては失礼ですが、第三軌条方式の立派な電車です。びっくりしました、さすがディズニーです。このアトラクションのスポンサーは株式会社タカラトミーなんだそうです。そういえば、プラレールからディズニー関連の車両がたくさん発売されています。もう40年くらい前ですが、TOMIXから「東京ディズニーランド ウエスタンリバーレールロードセット」というディズニーランドで走っていた汽車と客車が発売されていました。ネット販売されているものを見ますと、中古で20万円、未使用品は37万円の値が付いています。せっかくタカラトミーがスポンサーなのですから、この電車も鉄コレなんかで出してくれたら、レイアウト作りに幅が広がると思いますがどうでしょうか。
意外なところで鉄分補給をすることができました。

 

数日後、子供たちを連れて能勢の妙見山へ行ってきました。能勢電鉄で行くつもりでしたが、妙見口駅からケーブルカーの黒川駅まで徒歩で20分ほどかかるのを知り、子供連れであることから車で行くことにしました。北摂に住んでいながら、駅がこんなに離れているとは知りませんでした。ケーブルカーで上がり、リフトに乗って山頂へ。お詣りをすませリフトで降りますと、お楽しみの「シグナス森林鉄道」です。
本物の鉄道会社、能勢電鉄が運行しているのがこのバッテリーカーで、本格的な第三軌条方式電車がディズニーシーという対比がおかしいものです。大人300円で乗る価値があるかどうかは一般の方にはわかりませんが、歴とした能勢電鉄平野工場制作のバッテリーカーに揺られるのも一興です。駅を出て直ぐに、ラックレール区間もあります。機関車の床下を見ますと、ピニオンが付いています。こんなところでラック&ピニオン方式に出会えるとは思いませんでした。

 

行く先々でちょっとずつ鉄分補給ができた1週間となりました。

2020年 ささやかな鉄分補給①

2021-01-01 | 日記
この記事は2021年の元日に書いています。
私にとっても2020年は激動の年となってしまいました。特に事業の縮小をせざるを得なかったのは痛恨でした。
当然、趣味に時間を割くことも出来ず、出張もほとんどなくなり、模型からはかなり離れてしまいました。
そんな中でも、多少は移動することもありましたので、それらを日記帳代わりにまとめてみます。

 

2月の東京出張では、初めてボーイング 787-8型機に乗りました。私は飛行機は疎いですが、羽田ー伊丹線は2014年に座席が変わってWi-Fiが付いた機種が飛び始めたと思います。それから5年で新たな機種が入るのですから、サイクルは短いのではないでしょうか。これまでの機種と違い、座席にマルーンの生地が入ることによってよりシックな印象を受けます。各席にモニターがあり、国際線に乗っているような気分です。様々なプログラムが入っていて、35分のフライトではとても見切れません。これなら新千歳くらいでも全く退屈せずに済みそうです。後で知ったのですが、例えば映画を見ていて途中で目的地に着いたのであれば、画面に出ている数字を次回フライトで入力するとその続きが見られるのだそうです。すごいですね。全シートにUSB電源プラグが着いています。
窓ガラスは透明度が5段階で選べるようになっています。飛行機の窓はカバーで閉めきるのが常ですが、これなら太陽の眩しさに合わせてぼんやり外の景色を眺めながらのフライトが楽しめますね。

 

2月の下旬には、3月いっぱいで閉園するみさき公園へ行ってきました。
高校の同級生がみさき公園でイルカの調教師になたっということで当時のクラスメイト大勢で押し掛けたことがありました。その後、社会人になってみさき公園とタイアップするイベントを開催したことがあり、暑い最中に何度か通ったのを覚えています。それ以来の来園なので15年振りくらいでしょうか。名残を惜しむ家族連れでとても混雑していました。
私と子供たちのお楽しみは園内にあった「わくわく電車ランド」です。

 

カットモデルながら迫力があります。車内、運転台とじっくり見て、触ることが出来ます。7000系はドアの開け閉めをすることが出来るので、子供たちはずっとこれで遊んでいました。
1両が旧塗装なのもいいですね。ラピートは実車ではなくモックアップですが、中でシュミレーターがあるので一番人気でした。
閉園後、これらがどこに行ったのか、解体されてしまったのかはわかりませんが、こうしてみさき公園で触れることが出来て良かったと思います。

 

ここから半年間とんで9月、go to トラベルキャンペーンの恩恵にあずかり、優秀社員の慰労会として城崎温泉に行ってきました。
帰路は私だけ先に帰らなくてはならず、大阪に1番先着となる「はまかぜ2号」で帰ることにしました。
城崎温泉駅に着きますと、放送が流れています。何でも、昨日日本海側を通過した台風の影響で、「はまかぜ2号」は豊岡発となり、豊岡までは先行の普通列車に乗れというものでした。
つまり、昨夜の鳥取行き「はまかぜ5号」が豊岡で運転打ち切りとなり、その折り返しである「はまかぜ2号」の鳥取~豊岡間が運休になっているのです。
少し余裕をもって宿のバスが駅についてくれたため、7分先行の普通列車に乗ることが出来ましたが、いつもどおりギリギリで行動していたら危ないところでした。
改札・ホームの電光掲示板を見ますと「特急運転休止・大阪」とあります。これだけ見たら、豊岡から運転していることがわからないのではと余計な心配をしてしまいます。
もう一つ、昨日運転を打ち切った車両を、朝のうちに回送するという選択はなかったのでしょうか。さすがに鳥取までとは言いませんが、余部鉄橋の手前、せめて香住まで送り込むということは不可能だったのでしょうか。
どうも、私が乗務していたころからJR西日本は「特急」を軽視しているような気がします。

 

何はともあれ、予定通り大阪に帰られることに安心しました。やってきた先行の普通列車に乗り込みますと、車内は高校生でいっぱいでした。
まさかこんなところで通学ラッシュに巻き込まれるとは思いませんでしたが、久しぶりのキハ47系も満喫できましたし良い経験になりました。
そこからこれも久しぶりのキハ189系に乗りましたが、ほとんど寝ていなかったこともあり、姫路のスイッチバックも気が付かないほど爆睡して起きれば大阪でした。