私が初めて「シュプール」号に乗務したのは、1994年1月の9510M「シュプール妙高志賀」でした。これは「日着シュプール」と呼ばれるもので、3時ごろに信州地方を出発し、その日の夜に関西圏に帰ってくるものでした。毎日運転ではなく、日曜日か連休最終日に設定されていました。その年にやはり日着の9512レ(これはノーマル14系×12連の素晴らしい編成美)、9502Dに乗務しましたが、夜行乗務はなかなか巡ってきませんでした。それは、夜行列車として毎日運転されている列車には自動販売機が付いていて、その取り扱い講習を受けなければならなかったのですが、機会が無かったためです。
しかし、金曜日発の設定には、日着と対になるように夜行があり、これらの中には自動販売機が無いものがありました。そして3月にようやく巡ってきたのが、9517D急行「シュプール白馬栂池」です。
93年の4月から乗務していましたが、3月の改正で「日本海1・4号」の乗務は函館から金沢に縮小されており、夜行を通しで乗務するのは初めてでした。とても嬉しく、張り切っていたのを覚えています。
その年はまだ国鉄色のキハ181系でした。富山駅に5時ごろ到着し、そこでホットコーヒーを仕入れますが、富山駅の中線での運転停車なのでホームがありません。そこでドアコックを解放し、線路を降りてホームへポットをもらいにいっていました。今では考えられないような事ですが、これが正規の業務だったのです。
糸魚川あたりから朝の営業を行いますが、一面銀世界の大糸線をのんびり走るキハ181での仕事は格別でした。
毎日運転の客車列車は白馬まで行きますが、この列車は南小谷まででした。南小谷で向かいのホームに「リゾートゆう」を使用したJR東日本のシュプール号が停車していましたが、同じシュプール号でこうも違うものかと、一夜を過ごしたオンボロ181系を見て苦笑したものです。
帰りはこの9517Dが大糸線の臨時普通列車となり、そのまま乗車して糸魚川まで行き、そこから4026Mで大阪までのコースでした。
シュプール号晩年は客車ではなく、新色(はまかぜ色)のキハ181が毎日運転の「シュプール白馬栂池」に充当されましたが、その時は乗務区間が姫路→京都間に短縮されていて、ほとんど乗りませんでした。
キハ181系はトミックスのロングセラーで、2000年ごろにTNカプラー対応のリニューアルがされました。特急「はくと」にしようと5両編成を持っていて、ATS-P改造の屋根パーツも購入していましたが、改造はしていませんでした。
はまかぜ色も発売され、シュプール号に1本欲しいなと思っていましたが、その後、KATOから国鉄色が新製品として発売され、これはひょっとして…と待っていると、有難いことにKATOからもはまかぜ色が発売され、しかもATS-P改造後の姿になっていました。
ただ残念だったのは、何故か6両編成で発売されたことと、ヘッドマークに「シュプール」が含まれなかったことです。
通常「はまかぜ」は4両で運転されていましたが、最長列車は7両でした。シュプール号も7両でした。なぜ6両なのか、わかりません。
中間車1両を別に調達し、ジオマトリックスの「シュプール白馬栂池」のシールを貼りました。ヘッドマークはペンギンモデルのものです。号車札、種別サボも適当なものを貼り付けています。
クーラーには墨入れをしました。中間車はラジエータに囲まれているので、上部のみ墨入れをしました。乗務員ドアにも流し込んでメリハリを付けていますが、気動車ですから本格的にヨゴシもしてみたいです。
わかりにくですが、右が墨入れしたものです。
ウレタンは手持ちのものを使用するつもりが、意外に7両のものが無く、余っていた11両ウレタンで7両+4両に分かれていた189系「あずさ」ニューカラーセットをひと箱に纏め、そこから捻出した7両ウレタンを使用しました。
ウレタン捻出の為に詰め込まれた189系
様々な車輛がスキーヤーを満載して大糸線を走りましたが、この新色のキハ181系が、最後の「シュプール白馬栂池」号となりました。
そして今では、このキハ181系も保存車のみになってしまいました。
しかし、金曜日発の設定には、日着と対になるように夜行があり、これらの中には自動販売機が無いものがありました。そして3月にようやく巡ってきたのが、9517D急行「シュプール白馬栂池」です。
93年の4月から乗務していましたが、3月の改正で「日本海1・4号」の乗務は函館から金沢に縮小されており、夜行を通しで乗務するのは初めてでした。とても嬉しく、張り切っていたのを覚えています。
その年はまだ国鉄色のキハ181系でした。富山駅に5時ごろ到着し、そこでホットコーヒーを仕入れますが、富山駅の中線での運転停車なのでホームがありません。そこでドアコックを解放し、線路を降りてホームへポットをもらいにいっていました。今では考えられないような事ですが、これが正規の業務だったのです。
糸魚川あたりから朝の営業を行いますが、一面銀世界の大糸線をのんびり走るキハ181での仕事は格別でした。
毎日運転の客車列車は白馬まで行きますが、この列車は南小谷まででした。南小谷で向かいのホームに「リゾートゆう」を使用したJR東日本のシュプール号が停車していましたが、同じシュプール号でこうも違うものかと、一夜を過ごしたオンボロ181系を見て苦笑したものです。
帰りはこの9517Dが大糸線の臨時普通列車となり、そのまま乗車して糸魚川まで行き、そこから4026Mで大阪までのコースでした。
シュプール号晩年は客車ではなく、新色(はまかぜ色)のキハ181が毎日運転の「シュプール白馬栂池」に充当されましたが、その時は乗務区間が姫路→京都間に短縮されていて、ほとんど乗りませんでした。
キハ181系はトミックスのロングセラーで、2000年ごろにTNカプラー対応のリニューアルがされました。特急「はくと」にしようと5両編成を持っていて、ATS-P改造の屋根パーツも購入していましたが、改造はしていませんでした。
はまかぜ色も発売され、シュプール号に1本欲しいなと思っていましたが、その後、KATOから国鉄色が新製品として発売され、これはひょっとして…と待っていると、有難いことにKATOからもはまかぜ色が発売され、しかもATS-P改造後の姿になっていました。
ただ残念だったのは、何故か6両編成で発売されたことと、ヘッドマークに「シュプール」が含まれなかったことです。
通常「はまかぜ」は4両で運転されていましたが、最長列車は7両でした。シュプール号も7両でした。なぜ6両なのか、わかりません。
中間車1両を別に調達し、ジオマトリックスの「シュプール白馬栂池」のシールを貼りました。ヘッドマークはペンギンモデルのものです。号車札、種別サボも適当なものを貼り付けています。
クーラーには墨入れをしました。中間車はラジエータに囲まれているので、上部のみ墨入れをしました。乗務員ドアにも流し込んでメリハリを付けていますが、気動車ですから本格的にヨゴシもしてみたいです。
わかりにくですが、右が墨入れしたものです。
ウレタンは手持ちのものを使用するつもりが、意外に7両のものが無く、余っていた11両ウレタンで7両+4両に分かれていた189系「あずさ」ニューカラーセットをひと箱に纏め、そこから捻出した7両ウレタンを使用しました。
ウレタン捻出の為に詰め込まれた189系
様々な車輛がスキーヤーを満載して大糸線を走りましたが、この新色のキハ181系が、最後の「シュプール白馬栂池」号となりました。
そして今では、このキハ181系も保存車のみになってしまいました。