天空の土木作業

鉄道模型レイアウトの制作記録

キハ181系 急行「シュプール白馬栂池」

2011-10-26 | 車両【国鉄・JR】
私が初めて「シュプール」号に乗務したのは、1994年1月の9510M「シュプール妙高志賀」でした。これは「日着シュプール」と呼ばれるもので、3時ごろに信州地方を出発し、その日の夜に関西圏に帰ってくるものでした。毎日運転ではなく、日曜日か連休最終日に設定されていました。その年にやはり日着の9512レ(これはノーマル14系×12連の素晴らしい編成美)、9502Dに乗務しましたが、夜行乗務はなかなか巡ってきませんでした。それは、夜行列車として毎日運転されている列車には自動販売機が付いていて、その取り扱い講習を受けなければならなかったのですが、機会が無かったためです。
しかし、金曜日発の設定には、日着と対になるように夜行があり、これらの中には自動販売機が無いものがありました。そして3月にようやく巡ってきたのが、9517D急行「シュプール白馬栂池」です。
93年の4月から乗務していましたが、3月の改正で「日本海1・4号」の乗務は函館から金沢に縮小されており、夜行を通しで乗務するのは初めてでした。とても嬉しく、張り切っていたのを覚えています。
その年はまだ国鉄色のキハ181系でした。富山駅に5時ごろ到着し、そこでホットコーヒーを仕入れますが、富山駅の中線での運転停車なのでホームがありません。そこでドアコックを解放し、線路を降りてホームへポットをもらいにいっていました。今では考えられないような事ですが、これが正規の業務だったのです。
糸魚川あたりから朝の営業を行いますが、一面銀世界の大糸線をのんびり走るキハ181での仕事は格別でした。
毎日運転の客車列車は白馬まで行きますが、この列車は南小谷まででした。南小谷で向かいのホームに「リゾートゆう」を使用したJR東日本のシュプール号が停車していましたが、同じシュプール号でこうも違うものかと、一夜を過ごしたオンボロ181系を見て苦笑したものです。
帰りはこの9517Dが大糸線の臨時普通列車となり、そのまま乗車して糸魚川まで行き、そこから4026Mで大阪までのコースでした。
シュプール号晩年は客車ではなく、新色(はまかぜ色)のキハ181が毎日運転の「シュプール白馬栂池」に充当されましたが、その時は乗務区間が姫路→京都間に短縮されていて、ほとんど乗りませんでした。

キハ181系はトミックスのロングセラーで、2000年ごろにTNカプラー対応のリニューアルがされました。特急「はくと」にしようと5両編成を持っていて、ATS-P改造の屋根パーツも購入していましたが、改造はしていませんでした。
はまかぜ色も発売され、シュプール号に1本欲しいなと思っていましたが、その後、KATOから国鉄色が新製品として発売され、これはひょっとして…と待っていると、有難いことにKATOからもはまかぜ色が発売され、しかもATS-P改造後の姿になっていました。



ただ残念だったのは、何故か6両編成で発売されたことと、ヘッドマークに「シュプール」が含まれなかったことです。
通常「はまかぜ」は4両で運転されていましたが、最長列車は7両でした。シュプール号も7両でした。なぜ6両なのか、わかりません。
中間車1両を別に調達し、ジオマトリックスの「シュプール白馬栂池」のシールを貼りました。ヘッドマークはペンギンモデルのものです。号車札、種別サボも適当なものを貼り付けています。



クーラーには墨入れをしました。中間車はラジエータに囲まれているので、上部のみ墨入れをしました。乗務員ドアにも流し込んでメリハリを付けていますが、気動車ですから本格的にヨゴシもしてみたいです。


わかりにくですが、右が墨入れしたものです。

ウレタンは手持ちのものを使用するつもりが、意外に7両のものが無く、余っていた11両ウレタンで7両+4両に分かれていた189系「あずさ」ニューカラーセットをひと箱に纏め、そこから捻出した7両ウレタンを使用しました。


ウレタン捻出の為に詰め込まれた189系

様々な車輛がスキーヤーを満載して大糸線を走りましたが、この新色のキハ181系が、最後の「シュプール白馬栂池」号となりました。
そして今では、このキハ181系も保存車のみになってしまいました。


京阪 2000系

2011-10-26 | 車両【私鉄】
毎年秋に事業者特注版鉄道コレクションが発売されますが、今まで購入したことは無く、今年の南海1000系が初めてでした。
京阪は昨年、1900系が発売され、どの発売個所でも大いに行列が出来たそうですが、無加工では編成にならないので購入しませんでした。



今年は2000系。地味な形式ですが、4両で編成になります。主力2600系のベースでもありますし、宇治線では80年代初めまで走っていましたので、今手持ちの形式と並べてもまあ楽しいかなと(もちろん、昇圧で改修工事がなされているので共存はありません)、1編成購入することにしました。
南海・阪神・阪急の発売が「始発から」であったのに対し、京阪は「9時から」でした。
その日は10時から守口市で仕事があったので、9時半には守口市駅を出なければなりません。去年の行列のことはいろいろ聞いていたので、7時半から守口市で並びました。この時点で50名ほどが既に並んでいました。凄いですね。

無事購入し、中身を見ることも無くその足で仕事に行き、夜にようやく開封しましたが、とても好印象です。特に幌のあたりはよく表現されていると思います。



車番は京都方から2025-2136-2141-2030にしました。インレタはグリーンマックスの京阪2400系のものを使用しています。
ひと文字ずつ切りだし、一旦セロテープに貼り付けてから転写しました。1両に3か所、12文字を4両で48回この作業をしますが、さすがに何日かにわけて作業しました。



前面には「中書島」の看板を貼り付けますが、一度厚手のシールに貼って、サボ受けのモールドを削ってから貼っています。
パンタグラフはトミックスの「0206 PT4212S-AM」を取り付けました。



2000系は2600系に改造されていきましたので、同じブックケースに纏めてみました。



緑のツートンカラーがずらりと収まった姿が何とも言えません。

2000系・2200系・2400系・2600系・新3000系・5000系・8030系と小加工し、とりあえず京阪シリーズは小休止です。
発売されていて欲しいのは8000系の旧色ですが、なかなか出会えません。
1900系の3扉車や、前面幌を付けた2600系、完成品で6000系が出て欲しいと思っています。

札幌 急行「はまなす」

2011-10-25 | 日記
札幌へ一泊二日の出張に行ってきました。
食事会がすすきので19時半から。当然二次会三次会とありますが、人数が多いのでひょっとすれば抜けられるかなと、淡い期待を持っていました。
食事は甘い刺身に馬肉の煮物と、お酒が進むものばかり。宴会は途中から全員飲ませ、飲まされでヘベレケになっていきます。私も酔いに任せてグデングデンになるのがいつものパターンですが、今夜は目的があるので気をしっかり持ち続けていました。最後の方に出てきた毛ガニは、皆さんあまりに酔いすぎで誰も手をつけていなかったので、遠慮なくかき集め、8人前は食べたかと思います。

そして21時半に食事会が終わりました。飲み過ぎたので一旦ホテルに戻る、としてタクシーに乗り込み、札幌駅に向かいます。目的は22時発、急行「はまなす」号です。




駅前が混んでいたので少し前で乗り捨て、駅まで猛ダッシュしました。ホームに上がると14系の発電機の音が響き渡り、煤の臭いがします。最後の客車急行となった「はまなす」との、およそ20年振りの再会です。
すぐに発車の時刻だったので、最後尾で一枚写真をとり、乗車すると程なくドアが閉まりました。客車列車に乗車すること自体が久しぶりですから、この時点で興奮はピークに達します。



駅を過ぎるとハイケンスのセレナーデが流れ、アナウンスが入りました。14系座席車に腰をおろし、ストッパーの無い簡易リクライニングシートを下ろします。少し落ち着きました。




電車にはない独特の振動、ゆるやかな加速、静かな車内、早々と寝支度をする人、晩酌を始める人…夜汽車の雰囲気を満喫です。
新札幌を出てから、一番前に向けて車内を歩きます。自由席は4割程度の乗車率で、指定席はよく空いていました。寝台は半分以上、上段もよく埋まっていて、なかなか高い乗車率だと思います。カーペットカーはほぼ満席で驚きました。




前回の「はまなす」への乗車は、中学2年生の時に友人4人で青森から札幌まででした。大阪から青春18切符で普通・快速を乗り継ぎ、ようやく乗り込んだ急行のリクライニングシートだったので、4人ともすぐに爆睡し、目覚めたら札幌だったので、はまなす車内での思い出は皆無です。しかし、札幌駅に降り立った時の凍てつく寒さは、今でも覚えています。

当時はカーペットカーなど当然連結していませんでしたし、指定席も自由席も同じ車内でしたが、今では重厚な椅子にミニラウンジを付けた「ドリームカー」となっています。これらの車両に乗ることも見ることも初めてでしたので、とても嬉しかったです。
女性専用席まで設定されていて、時代の流れを感じました。全車禁煙になっているのも、時代ですね。




24系の500番台、14系と、はまなすはとてもバリエーション豊かな編成で、7両で収まることから、模型向きな編成だと思います。一時期はドラえもんのステッカーがこれでもかというくらい貼り付けられていて私は興醒めしましたが、今ではエンブレムやドリーム・のびのびのステッカーだけでオーソドックスなものに戻り、機会があればコレクションに加えたいなと思います。

36分の乗車で、あっという間に千歳に到着しました。ここで降ります。
力強く発車するDD51、そしてブルーの客車を最後まで見送ります。
いつも客車列車に乗った後は「これが最後の客車乗車になるかもしれない」と感慨深くなるのですが、急行はまなすに乗車するのも、恐らく最後でしょう。去りゆくテールランプをしっかりと目に焼き付けます。



千歳からは721系に揺られて札幌まで戻ります。年に1度は北海道に行っていると思いますが、荷物が多いこともあって、いつも利用するのは721系「エアポート」の指定席でしたので、普通車に乗るのは久しぶりでした。
3扉転換クロスシートでデッキがあり、デッキ部分の取っ手やドアに何となく国鉄テイストを感じて、大好きな車両です。
はまなすでは興奮していて忘れていましたが、さっきまで無茶飲みしていたのを思い出したのか急に酔っぱらってきて、札幌まではほとんど寝ていました。



この後は札沼線に乗る予定でしたが、頭も痛くなってきたのでホテルに戻ろうかと悩んでしました。それでもせっかくなのでホームに上がると、思いがけない車輛が停まっていました。711系です。



年に一度は北海道に来ていると書きましたが、JRを利用するのはほとんどが小樽―札幌―新千歳空港の間だけなので、まさか711系に出会えるとは思っていませんでした。酔いも頭痛も何処へやら、夢中でシャッターを切り、車両を観察します。厳しい北の寒さと雪に耐え抜いてきた貫禄があり、重厚感たっぷりの車です。
711系は宮沢模型の新塗装車を持っています。発売された頃は学生でお金が無く、食費を切り詰めてようやく買った思い出の品です。あちこち共用部品ですし、屋根上のヘッドライトも点灯しませんが、当時はこれでガンガン遊んでいました。時間が出来たら久しぶりに取り出そうと思います。



まさかの711系に気を良くして、当初のお目当てを忘れそうですが、札沼線の方も大当たりで、お目当てのキハ141が停車していました。
札沼線は来年、一部区間で電化開業が決まっており、キハ141系の処遇が気になりますが、恐らく廃車でしょう。
51系客車を改造し、その面影が随所に残っているところと、軽快な塗装で好きな車両です。銘わぁくすからキットが出ていますが、いつかプラ完成品が出るかなと思い、買っていません。
妻面に残る客車の表情を見て、中学生の時に小樽で見たレッドトレインを懐かしみました。
程無く発車。3次会に合流するため、次の桑園で泣く泣く下車し、タクシーですすきのへ戻りました。
キハ143は電化後も残るという話しを聞きましたので、札沼線には早いうちに再訪したいと思います。

たった2時間弱のミニトリップでしたが、非常に充実した、貴重な時間を過ごすことが出来ました。

京阪 5000系

2011-10-19 | 車両【私鉄】
昔は5000系が来ると嬉しくて、ラッシュ時ドアや椅子の昇降する仕組みを見て珍しがっていました。
7連ではせっかくの5ドアも威力を発揮できないだろうと、ひと編成をバラして電装解除し、他に組み込んで8連にして急行運用に徹するべきだ、なんて話しを友人と真面目に議論していました。生意気な小学生です。



そんな5000系ですが、いざ通勤で利用すると、5ドアの時は椅子が少なくて座れないですし、3ドアの時はシートピッチが中途半端でギュウギュウ詰めだったり、変に隙間が開いて気まずかったり、もう一つな感じがします。
それでもインパクトがある車であることは確かで、模型でも銀のラッシュ用ドアや特異な表情の前面、屋根の形は、他の京阪車に紛れていても目立つ存在です。30年ほど前にエンドウから発売されていたようで、幼少期、模型誌のレイアウトにその5000系が停まっている写真を見たことがあったのですが、中古販売も含め実際に売っているのは見たことがありませんでした。遊々倶楽部からエッチングキットも発売されましたが、これは高くて買えませんでした。そんな5000系が今ではプラで、安価に買えるのは嬉しい限りです。



8030系同様、カプラーはポケットにそのままカトーカプラーを取り付けています。クーラーに墨入れをし、各車の大阪よりにグリーンマックスの優先座席ステッカーと、車椅子のステッカー、京都から2両目に弱冷房車ステッカーを貼り付けています。
実車はひと編成を残して新塗装になりましたが、やはり見慣れた緑のツートーンカラーがいいですね。最近はモジュール運転会を行っていませんが、次に開催する時には駅もヤードも京阪だらけにして遊びたいと思います。


京阪 8030系

2011-10-19 | 車両【私鉄】
守口市にあった曾祖母の家の近くに公園があり、そこの滑り台に上がると京阪電車がよく見えました。当時のダイヤでは、特急が守口市駅の京都よりですれ違っていて、3000系同士の離合が15分毎に繰り広げられていました。当時の特急は京橋ー七条間はノンストップ。いつも「見ているだけ」な、憧れの存在でした。



そんな3000系もいつの間にかあと1編成。中之島線の開業とともに8030系に改番されています。
マイクロエースからは3000系7両セット、ダブルデッカー組み込みの8両セットが発売されましたが、どちらも印象より淡い黄色で、買わずにいました。そして、8030系が発売されたのですが、こちらは一転して濃いオレンジ。これもなかなか私の見た目とは違う気もしますが、「雨の日の夜なんかはこんな感じに見えないこともない」というこじ付けの主観で自分を納得させ、京阪コレクションの1つにと購入しました。

いつものようにカプラーを交換しようとすると、アダプターパーツが入っていませんでした。アダプターパーツは予備がありましたので、それを使おうとしましたが、試しに一両、カプラーポケットにそのままカトーカプラーを入れてみました。すると…ちょうど良い連結間隔になりました。
今まで2200系、2600系や、京急車にも行ってきたアダプターパーツとカプラーポケットの切断作業が、ひょっとするととても無駄だったのかもしれない、そう思うと気が滅入りそうですが、たまたま8030系がぴったりだったんだろうと思いこむことにしました。これからは1両ずつ実験して、連結間隔が空いているようなら加工するようにします。



シールはグリーンマックス製。8030系は優先座席ステッカーが片側3枚なので、目立つ存在です。
車椅子、弱冷房車シールも貼ります。

大井川鉄道や富山地方鉄道で第二の人生を歩む車両もいますが、京阪本線でも末長い活躍を願っています。