天空の土木作業

鉄道模型レイアウトの制作記録

「雷鳥」の羽根を紡ぐ旅② 華

2017-08-21 | 日記
「雷鳥」の羽根を紡ぐ旅 183系800番台はこちらです。
http://blog.goo.ne.jp/spur4722m/preview?eid=bfa6c55a8fd42970f6d188b02cddbc7c&&t=558904918599a8479426ff?0.6432814600550523

8月、お盆も過ぎて世間が日常に戻りつつある時の出張。臨時の「のぞみ」に乗るべく京都駅ホームへ向かいます。喫煙コーナーのある車両から乗り込み、一服して指定された座席にて睡眠と決め込んでいたのですが、やってきたのは喫煙コーナーのない700系。まだ走っているのですね。驚きました。
15号車でたばこをたしなみながらハイボールを流し込み、検札に来た車掌さんに「名古屋までに自分の席に帰りますね」と告げたところ、「この席が空いていれば変わりますか?」とのこと。車内で座席変更をすることが出来るようになっていました。今まででしたら「本来の切符をお持ちの方が来たら変わってくださいね」というお約束のフレーズでしたのに、これには大変驚きました。座席変更に甘えて東京まで、のぞみ号での座席喫煙を満喫しました。



東京、千葉での仕事を終えて19日の土曜日、この日は千葉県の館山をスタートし、昼過ぎに町田へ向かう旅程です。
当初は路線バス『なのはな号』で東京まで行き、ビッグサイトで行われている国際鉄道模型コンベンションを見てから町田へ向かうという予定でしたが、パラパラと臨時列車情報を見ていると、川崎から奥多摩まで、お座敷電車『華』を使用した臨時快速『お座敷みたけ清流号』が運転されるのを知りました。
『華』といえば485系。そして全車両が、乗務していた特急『雷鳥』に使用されていた経歴を持ちます。先の改正で485系定期運用は無くなりましたので、後々悔いが残らないよう、模型ショーを諦めてこちらに乗る方向で調整しました。
しかし、三日前の時点で満席。これは諦めないといけないかなと思いましたが、当日キャンセルもあるかと思い、余裕をもって始発の「なのはな号」の時間までに館山に着きました。



なのはな号の始発は5時発。東京着は7時前です。駅を見てみますと、209系が入線していました。こんな朝早くに始発があるんだと時刻表を見ますと、千葉乗り換えで7時過ぎに東京へ着くことがわかりましたので、それならば鉄道で行こうと、209系に乗り込みました。発車して間もなくトイレへ。209系にトイレが設置されるなど、新製配置される甲種輸送を撮影していた中学生の時の私に想像できるはずもありません。あれから四半世紀も経ってしまいました。

先頭車のボックスシートに腰を下ろしましたが、硬いシートと背もたれの角度に体が馴染まず、ロングシートの端に移りました。前夜、かなりお酒を飲んで一時間ほど仮眠していただけでしたので、直ぐに爆睡。蘇我で一度目が覚めただけで、千葉までぐっすり休みました。同一ホームで乗り換えた総武線快速も東京まで爆睡。体カチコチになりながら、品川で下車しました。
品川駅のみどりの窓口で列車名を告げると、3席だけ空席があるとのこと。賭けてみて良かったです。グリーン車指定席の料金は980円。意外に安く、驚きました。
この時点で川崎の発車まで一時間半ありましたので、京急2100形で川崎までいき、12年前に住んでいた辺りをブラブラして川崎駅に向かいました。



電光掲示板に『お座敷みたけ清流』の文字。駅員さんの放送も頻繁に流れます。撮影のマニアもたくさん、ホームを走り回ります。日常の中に、何とも言えない違和感が漂います。発車10分ほど前に、お座敷電車『華』がミュージックホーンを鳴らして入線してきました。ホームか一気に賑やかになります。
『華』は6両編成。1両1両、じっくり見て回ろうと思いましたが、いちいち靴を脱いで行かないといけないので、さらりとデッキを見て回り、記録して指定された1号車に乗り込みました。

ここで、『華』の車を見てみます。
◆1号車 クロ484-4 元クハ481-28
85年に向日町に来てお座敷グリーン車「だんらん」を連結した「雷鳥」号として活躍。
しかし翌年には新潟に転換され、上沼垂色になり、ここでも「雷鳥」として活躍しました。

◆2号車 モロ484-7 元モハ484-251 3号車 モロ485-5 元モハ485-149
この2両はユニットとして、同じ人生を歩んでいます。
73年、向日町に新製配置され、山陽、北陸を駆け巡ります。
食堂車廃止後はモノクラス10連に組み込まれて活躍。86年に上沼垂へ転籍しました。

◆4号車 モロ484-6 元モハ484-87 5号車 モロ485-4 元モハ485-87
この2両も251・149と同じで、生まれが1年早いだけです。
「華」改造前は上沼垂でT-1編成として活躍しました。

◆6号車 クロ485-2 元クハ481-21
82年に向日町にやってきています。85年からは「だんらん」組込み編成の先頭車を勤め、「雷鳥」号として活躍。
86年に上沼垂に転籍し、再び「雷鳥」運用に入っていました。

と、いうわけで、「華」の車両は全車「雷鳥」として活躍していた時期があったことがわかります。



各デッキにはジュースクーラーがあり、団体臨時列車での活躍が伺えます。カラオケも各車にあり、いわゆる『ジョイフルトレイン』の標準といった設備です。運転台の後ろはささやかな眺望サロンですが、十分でしょう。各車両にフリースペースがあるのも、往年のジョイフルトレインでの標準設備、といったところでしょうか。
通路の窓沿いに設置された、腰も掛けられる物入れは、乗客の方に重宝されていました。
靴箱がやや小さい、少ない気もしますが、後から調べると他に収納できたところがあったそうです。この靴箱に、灰皿が置かれていました。団体利用の時は喫煙可能なのでしょうか。私はたばこを吸いますので、こんな列車に乗ってお酒を飲みながら一服なんて想像したらたまらなくなります。
お座敷というインパクトが強すぎて、古さがあまり感じられないのですが、トイレはさすがにくたびれた雰囲気でした。



乗客は一般6割、マニア4割ほどといった感じでした。マニアが車内をうろうろしているので辟易しかけましたが、家族連れがいることが救いでした。川崎を出たときはマニアが多かったですが、停車駅を重ねるごとに一般客が乗ってきます。確かに、マニアは始発から乗りますものね。
家族連れの子供達も、老夫婦のグループもハイカーも、車内に入って広がる非日常の光景に歓声をあげています。お座敷電車はテンションが上がりますね。私も崎陽軒の弁当を広げ、お座敷電車を満喫します。



『お座敷みたけ清流号』は、7分前を走る先行列車を追い抜くどころか、差を縮めることもなく、トロトロ運転。南武線内の停車駅ごとに乗客を拾っていきます、
分倍河原の次は拝島です。立川には停まらないという放送が頻繁に流れます。上りは立川に停まるのに、どういうことかなと思っていました。ここから法被を纏った青梅市役所観光課の職員が乗り込んできて、車掌の車内放送ののちに放送を始めました。そして地元をPRしたパンフレットを配布し始めます。ナップサックタイプのビニール袋に、パンフレットが沢山入っていました。



立川は乗務員交代のための停車で、中央線6番線と南武線7番線の間の中線に停車しました。なるほど、だから下りは通過扱いなんだと納得します。
立川から青梅連絡線を通って西立川へ。草木が迫るカーブ続きの単線路線をお座敷電車で抜けるのは興奮します。
ここでようやく車掌が車内を巡回します。車掌も1両1両、靴を脱いで持って歩いているようで、なかなか大変そうでした。時間の都合で拝島にて下車します。
特急雷鳥の足跡を辿るつもりでしたが、内装があまりにも違い、485系らしさを感じることは出来ませんでした。しかし、こうして元雷鳥の車が、たくさんの方に愛されて走り続けているのはとても嬉しいことです。
最後の485系、末永く走り続けて欲しいと切に願います。