天空の土木作業

鉄道模型レイアウトの制作記録

クモヤ90

2013-05-25 | 車両【国鉄・JR】
製品化発表の時には「こんなものがKATOから出るのか、どんな人が買うのだろうか」と驚きましたが、実車に関しては全く思い出も興味もない車両でした。
関西でクモヤ90と言えば、高槻電車区の職員輸送が有名ですが、クモヤ90による運行は1987年に廃止されているようで、撮影した事はありませんし、見た記憶もありません。
唯一、間近で見たのは、いつ頃か忘れましたが、大阪駅の環状内回りホームに「スーパーくろしお」の381系を何両か牽引して入線してきた事があり、それが最初で最後でした。

そんなクモヤ90ですが、電車数両を繋いでコトコト走る姿もいいなということで、まんまと2両、衝動買いしました。「どんな人が買うのだろうか」って、こんな人も大勢購入しているでしょう。



KATOの電車を買うのは久しぶりだったのですが、先ず驚いたのはトレーラー車の台車が従来のピンやビスではなく、床板に直接はめ込む方式に変わっていた事でした。これだけで部品点数が下がるのですから、良い事なのでしょう。
製品は片方がボディマウント密連カプラー、片方が台車マウントアーノルドカプラーですので、後者をカプラーポケットごとニッパーで切断し、トミックスのJC6329をゴム系接着剤で取り付けました。
台車はピン・ビス方式から直に取り付ける方式に変わっていたのですが、カプラーポケットを切断する際、繁雑に行うと台車側の受けの部分が破損する恐れがあり、そうすると取り付けられなくなってしまいますので、少しずつ慎重に刃を入れました。



続いて動力車も同様にTNカプラーへ変更します。
動力台車を外してまた驚いたのですが、従来のシャフトはモーター側と台車側が同様に丸型だったのに変わり、モーター側は角型になっていました。理由はわかりません。
画像では判りにくいですが、右側が角型になっています。

反対側の台車を外した時、おや?と違和感が湧きました。シャフトが入っていなかったのです。
クモヤ90は他形式と連結して運転するケースが多いので、あえて車輪を滑らせるようにゴムタイヤが取り付けられていませんが、これと同じような理由で片側の台車だけを駆動するようにしたのか、でもそれならば片側の台車にギアは要らないのでは?、など、いろいろ考えましたが、不安だったのでホビーセンターカトーに電話すると、エラーであることが判りました。



丁寧に対応頂いたのですが、ホビーセンターではどうする事もできないので、お客様サービス係りまで連絡してほしいとの事でした。ただ、この日は連休前の土曜日で、サービス係りの営業時間まで3日間待たなければなりません。こうなると、どうも気持ちが覚めてしまい、残念です。
気を取り直して3日後にサービス係りへ電話し、シャフトを送ってもらう事になりました。



その2日後、車両が15両くらい入っているのではないかと見紛う大きさの段ボール箱が届きました。
お詫びにオマケでも入れてくれたのかな、などと厚かましい期待を抱いて箱を開けますと、そんな大きさの箱に大量の緩衝材が詰まっていて、真ん中に爪楊枝の半分ほどしかない大きさのシャフトが1本、ビニール袋に入れられて鎮座していました。メール便や郵送でもいいようなものなのに、このオーバーな梱包に暫く唖然としていました。



気を取り直し、シャフトを取り付けて小加工を続けます。
動力車にJC6329・TNカプラーを取り付けようとしたのですが、動力台車と干渉し、安易に取り付ける事が出来ませんでした。
動力台車を削ってみたのですが、ギアボックスまで到達してもまだ干渉しそうだったので、JC6329を諦め、従来から発売されている板バネ方式のTNカプラーに変更しました。
そして、板バネとそれを固定する部分をカットし、ゴム系接着剤で固定しています。バネが無い為、カプラーが中央で固定されないのは欠点です。

差し込み看板は使えるものが見当たらず、プリンターで「回送」と打ち出してそれを貼りつけましたが、綺麗ではありません。
関西では「回送」ではなく「回」の方がしっくりくるのでしょうか。
最後に、銀河モデルの「N100乗務員ステップ 旧国用BK」を取り付けました。
最近では銀河のパーツも塗装済みのものが販売されているようで、ひと手間省けて嬉しいです。



面白いハプニングがあったクモヤ90ですが、113系や103系など、適当は車両を連結して遊んでみたいと思います。

14系 「あかつき」「彗星」

2013-05-24 | 車両【国鉄・JR】
私が小学生から中学生の頃はバリバリの「撮り鉄」でした。
まだまだブルートレインも多く、大阪駅で駅撮りしていても被写体には困らなかったのですが、文字通り「ブルー」の「トレイン」ばかりの中、強烈な個性を発揮していたのが「あかつき」に連結されたレガートシートで、派手な塗装と奇抜な妻面は格好の被写体でした。
この頃発売されたビデオ「トミックスモデルワールド」に、このレガートシートが登場したので、てっきり新商品かと思い期待したのですが、よく見ると下の方に参考品である旨のテロップがあってがっかりしたのを覚えています。
2000年3月に、倉敷から三ノ宮までレガートシートに乗りました。山陽本線を「客車特急の座席車」で駆け抜ける貴重な体験に興奮しました。

乗務コースは無かったのですが、9504M「シュプール妙高志賀」乗務時に大阪駅で降りないといけないのを寝過してしまい、神戸駅で飛び降りて上り「彗星」に便乗して大阪駅へ戻った、苦い思い出があります。今では信じられないような話ですね。

模型では、レガートシート車のみ単品でジェイアール西日本商事から発売されましたが、その頃はあまりこの車両に興味がありませんでした。その後、模型コレクションにシュプール号関係の車両が増えてきたので、レガートシートもシュプール号として運転された事があったことを思い出し、トミックスの「あかつき」セットを購入。1999年に運転された「シュプール妙高志賀」の編成として仕立てるつもりでした。しかし、レガートシートが連結されたシュプール号は、製品化されていない14系リゾート車(マイクロエースからは4両だけ製品化されていますが、これは登場時がタイプで不適合)も編成に入っていたので、結局「あかつき」として楽しむことにしました。
どうせならEF66に牽かれた姿にしたかったので、併結相手の「彗星」セットも揃え、基本セットだけで楽しめる閑散期の姿としました。



14系寝台車は「北陸」の時に小加工したので、それと同様にしました。
ただし、床がTNカプラー対応ではない時期の製品ですので、TNカプラーとトイレタンクはゴム系接着剤で直に取り付けました。いらないツメをニッパーで切り取り、固着するだけです。
今まではこの方法だと、接着剤がバネに回るので、TNカプラーと床をビスで止める必要があったのですが、TNカプラーが改良され、全体が蓋をされたような状態になったので、安易に接着剤を用いる事が出来るようになりました。



開放B寝台車には銀河モデルのハシゴを取り付けました。画像のように両面テープを貼り、パーツに沿ってカッターで切断すれば安易かと思います。



通路側には「N小屋」のカーテンシールを取り付けています。寝台側にも取り付けたほうが良いのでしょうが、せっかくのハシゴが見えなくなるので止めておきました。



個室車には「N小屋」の「あかつき・彗星・なは」シートを貼りつけました。いつものように両面テープを満遍なく貼り、カッターで切って貼りつけていきます。毎度の事ですが、ボディを被せると通路側はともかく、個室側はほとんど見えません。



それでも、窓から覗き込むと車内の様子がチラリと見え隠れするのは楽しいもので、ついついこの加工はやってしまいます。



オハネフの車掌室を再現するパーツが入っていましたのでそれも使用します。お世辞にもシャープではないパーツですが、丁寧にバリを取って固着し、シートを貼るとなかなか見栄えが良くなります。昔のメーカーなら「用工夫」とか書いただけで済ませていたであろうこんなパーツまで付属するなんて、有難い時代です。


パッと見ただけではわかりませんが、覗き込むとニヤリとしてしまう車掌室になりました。

「あかつき」と「彗星」が併結する側のオハネフは、ボディマウントナックルカプラーにしました。これは、KATO製のED76に牽引させたいのと、ただ単に「試しにやってみたかった」為です。



どんなパーツを用意したらいいのかわかりませんでしたが、とりあえずAssyパーツで適当なものを購入し、切った貼ったの現物合わせで着地点を探しました。
私が選んだのは「5160-1C3 スハネフ14前面用カプラーセット」のカプラーポケットと、「5170‐2C3 オハネフ24増結前面カプラーセット」のカプラーを組み合わせ、突起物を切り落とした「Z05-1919 オハネフ24あけぼのジャンパ栓」にくっつけて、はんだごてで熱接するという方法です。



そして、これをゴム系接着剤で取り付けました。

もちろん、モデルは14系ですからジャンパ栓やエアホースの数と位置は異なりますが、製品のスカスカした連結面とは違い、雰囲気はよく出ていると思います。


左がトミックスのパーツとTNカプラー、真ん中がKAKOのパーツとナックルカプラーです。

性能ですが、R280は問題なく通過するものの、R280のS字カーブでは車輪が浮き上がってしまいました。あまり過酷なレイアウトでは走行できないようです。



彗星の最後尾につくオハネフは、トミックスのEF66と連結させるためにTNカプラーとしましたが、これも床がTNカプラー非対応のため、ツメの部分はニッパーで切り取り、さらに床の端も2mm程カットして、トミックスのジャンパ栓パーツとTNカプラーをゴム系接着剤で取り付けました。
今まで敬遠していたゴム系接着剤ですが、使い勝手がわかってくると非常に便利で、今回も大変重宝しました。

行先表示サボはペンギンモデルのものを使用しましたが、少し大きめに印刷されていたので、ギリギリのところでカットして貼り付けています。号車札もペンギンモデルのものを使いました。平成12年から17年までの、「あかつき」が京都寄りに連結された姿とし、実車通り3・4・8号車は欠車としています。

銀河モデルのシールに、オハネフに貼り付ける「架線注意」のものがあったのでこれも使用しました。いいアクセントだと思います。また、ドア上の等級表示も、銀河のステッカーを使用しています。

トイレ窓は、水性塗料の艶消しホワイトを塗りました。これも、ブルーの車体には映えるものです。

以上で「あかつき」「彗星」の加工を終えました。購入から実に5年の年月が過ぎていたようです。11両編成をEF66に牽引させたり、4両のミニブルートレインをED76に牽引させたりと、なかなか遊べる編成ですが、何れは当初の目的通り「シュプール妙高志賀」としてEF64‐1000牽引で走らせたいものです。

水島臨海鉄道 貸切イベント

2013-05-14 | 日記
5月12日(日)に行われた、私が所属する同好会主催の水島臨海鉄道キハ20貸切イベントに参加しました。

数ヵ月前にキハ20を貸し切りたい旨を電話すると、担当者の方は大変親切に、そして熱心に企画を組んでいただきました。
何でも、その方はもともと吹田機関区で働かれていた事もあるそうで、当時から機関区の撮影会などでも企画運営をされていたらしく、我々の趣旨も十分に理解していただきました。

岡山には前日の夜に入ります。
実は翌週に岡山出張があり、接待できるような料理屋もこの機会に探そうという魂胆です。
いろいろ調べ、岡山駅東口から歩いて10分程の所にある「庄や」さんに落ち着き、同様に前夜から岡山入りしている参加者らと前夜祭を行いました。
「岡山名物」というとフルーツが真っ先に思い浮かび、酒飲みにはままかりの酢漬けくらいしか無いものかと思っていましたが、このお店では日生で捕れた新鮮な魚、特に穴子料理が充実していて、かなり満足しました。いい収穫でした。



翌朝、岡山から倉敷まで在来線で向かい、水島臨海鉄道倉敷市駅に向かいます。
115系、117系、213系といろいろ来る岡山駅。ほんの少し前までは何時間居ても飽きない程、多種多様の国鉄型車両がやってくる駅でしたが、現在ではその多くが経費削減から黄色一色に塗装されているため、どうもカメラを向ける事ができません。
日本の鉄道はシステム・メカニズム・デザインのどれも素晴らしいと思っていますが、先人たちの編み出したデザイン、そしてデザインに適合した秀逸なカラーリングを完全に無視したこれらの塗装は、いくら合理的であっても見ていて悲しくなります。

そんな真っ黄色の115系で倉敷市まで行き、ここから水島臨海鉄道に乗って水島駅まで向かいました。
倉敷市を起点として貸切列車のダイヤを組んでもらえば良かったのですが、水島臨海鉄道は車庫が終点・三菱自工前駅のさらに先にあり、そうなると回送で片道運転して営業列車で1往復し、最後に回送で戻る為、2往復して頂く事になります。
さすがにそれは勘弁してほしいとのことでしたので、我々がほぼ2往復するということになりました。

また、休日でも貨物列車の設定があり、行き違い設備の関係からこの時間しか臨時の筋が組めず、比較的早い時間帯にイベントを行う事にもなりました。



水島駅で暫く待っていると、高架線を国鉄色のキハ20系2連が入線してきました。
全員が乗車し、10時11分、倉敷市に向けて発車しました。



定期列車と並行のスジで倉敷市に向かう為、全ての駅に停車しながら歩みを進めます。
たった20名の団体にも関わらず、2両編成で運転しているのは、やはり「万が一」の事態に備えての事なのだそうで、定期列車で運転する時も必ず2両編成なのだそうです。昭和35年生まれの車ですから、もう50以上年も走っている訳で、1両が走行不能になっても大丈夫なように万全の態勢を敷いているのです。



ドア扱いが容易なように、客用ドアの各所にドアスイッチがあるのが印象的でした。
扇風機に残るJNRマークや、テーブル下に残る栓抜きにも、国鉄時代での活躍を垣間見る事が出来ます。
速度はさほど出ていませんが、エンジンも軽快な音に思えました。

倉敷市には10時34分に到着し、6分の折り返しで水島方面へ向かいます。
列車は11時07分に終点の三菱自工前駅に到着。そして、さらに奥の倉敷ターミナルまで向かいます。



倉敷ターミナルで見学と撮影を小一時間行いました。
外見をじっくりと観察するのはここからです。
隣には水島色のキハ20を停めていただき、さらにヘッドライトまで点灯していただきました。我々のツボをよく御存じです。



2002年、赤穂線開業50周年記念列車としてJR西日本に貸し出され、それを機に国鉄色へ塗り替えられたキハ20系ですが、やがてもう1両が国鉄色になり、水島色と共に2両ずつとなりました。
これらは2週間交代で運用に入っているとのことです。



楽しい時間はすぐに過ぎ去り、12時05分に倉敷ターミナルを後にしました。
今回も貴重な経験の連続で、お腹一杯に鉄分を吸収する事が出来て大満足です。
水島臨海鉄道から渡ったひたちなか海浜鉄道のキハ20系と共に、末永く元気な姿を見せて欲しいのと共に、欲張りを言えばもう一度JR線でその雄姿を見てみたいとも思いました。