sptakaのブツブツDiary

sptakaさんは、毎日ブツブツ発言しています。

4月4日(水)沖縄戦に介入する文部省

2007-04-04 00:55:53 | ブツブツ日記
 NOVA英国美人教師のナンパ
 なんだかこのニュース、すっごく面白い、気になる。
 フランス映画「個人教授」は、確かナタリードロン主演のちょっとエッチな映画だった。私が中学生のときの映画だ。アメリカの学生がパリに留学した。そこでセクシーな女に出会う。フランス語が分からない、教えてくれ。女は教えて、ついに肉体関係の個人教授もする。明らかに女は年上で、そのうちに本当の男がフェラーリに乗って女を迎えに来る。学生はジレンマに陥るという青春映画ともいえるのだが、三流映画でもある。しかし中学生の私は興味津々と見た。ということは、憧れた。
 日本が五輪で勝てないことに、外人女をナンパするくらいじゃないと、メダルは取れないといわれた。レスリングチームなどは、きっと今でも外国試合のときには「現地の女を買いにいこう」と皆で出かけるはずだ。そのくらいじゃないと、大男レスリングに勝てない。格闘技らしい。
 だがしかし、大半のひ弱な五輪選手は、簡単にいえば、外国の試合に行って、自分で持っていった握り飯くって負けて帰ってくるだけで、何のための五輪か。参加することに意義があるなら、これじゃ参加もしていないといわれた。
 ところがこの事件のように、最近は外人女NOVA教師を町でナンパして、デートのような英会話個人レッスンを頼む男がいて、多分性的な変質狂かと思われるが、しかし本当に日本人が外人女を町でナンパできるようになったとしたら、大和男児は少しは大人になったのかと、良きに解釈したら間違いか。
 それはあくまで本当のNOVAの教師であり、本当のレッスンだった場合。しかしこの事件どこまで本当か怪しいのは、彼女は英語のレッスンだけだったのか?どうして男の家に付いていった?ホステスの店外デートや同伴はいくらでもあるが、NOVAのそれはどうなっているのか? 同僚は第一報のときに、ヘルスの女だろうと言い出した。
 語学習得の場合は、90%以上は、恋愛の相手、いや同棲の相手からである。松田聖子しかり、ノーベルの小柴のおっさんしかり、湯川れい子しかり。違うのは、鳥飼久美子だけだ。文法しらなくて、会話が上手な連中というのは、必ずそうである。今のゆとり世代は日本語の文法知らない、同じことだ。国内でそれが簡単にできるのであれば、時代は便利になった。
 いや話は大きく間違えて、ただの変質狂の強姦事件だとすれば、こんなストーカーはイギリスには五万といるのに、日本でそんなアホに引っかかったとは、彼女も不用意だった。
 ただ仕事柄、この男はどこで今何をしているんだ、自殺する勇気があるのか、そして馬鹿な親は、今日また新しい本人写真提供したのはいいとしても、殺された被害者遺族は平気でテレビの前で、犯人を死刑にしてくださいと、法治国家への越権行為をしゃべるくせに、(豪憲君の父親その他)、この親は今でも自宅籠城してマスコミに会わないというのは、未だに解せない。どちらもゆとり親子の間違いである。





学問勉強というのは、その道の学者が研究して、正当に評価した者が学ぶべきである。敗戦間近の沖縄で、上陸した米兵に強姦されるくらいなら、自殺しろと、煽動したのは間違いなく日本軍部であり、それはヒロヒトのことだ。そういう教科書を文部省が検定から外すというのだから、文部官僚ごときが、「私が日本の歴史を監修している」とは、おごっている。しかし日本はそういう国だ。
 道州制というのが、少数意見になっている。アメリカの州のように、日本を8個くらいに分けようというのだが、本来根本の道州制というのは、北海道は独立しましょうということなのだ。九州も、四国も、東北地方も、皆独立する。そいうことは、そこに自主性があって、九州では沖縄はヒロヒトに壊滅させられたとならうし、関東ではそれはウソだと習うということだ。
 ところが日本の道州制のインチキは、税法上それが格安になるという、国の政策の中での「田舎切捨て」がこの制度に当たっている。普通は切り捨てられても、結構ですと、そこに民族の自主性とプライドがあるのだが、日本は単一民族に付き、しかも全員が乞食体質になっているわけで、それは勘弁してくれと泣きつくのがせいぜい。
まあ下からの草の根運動は日本には何事にも根付かずに、上からの悪代官の指図じゃなきゃ何もできないということの見本である。
 いい加減に官僚のひも付きは辞めたらどうだと思うのだが、辞められない。栃木の渡辺ミッチーの息子が、公務員天下り禁止令を発令しようとしているのだが、抵抗勢力の役人の反対にあっている。残念ながら多分負けてしまうのだが、ミッチー息子が、厚生省の役人に殺されるくらいになったら、こいつを政治家として認めよう。どうせ二世だ。八百屋魚屋じゃないんだから、政治家二世など信用できないが。

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4月3日(火)地震火事は日本の花

2007-04-03 12:44:59 | ブツブツ日記

 火事と喧嘩は江戸の華といわれたのは江戸時代のこと。火事は花だった。ならば震災も日本の花じゃないかと思うわけだ。能登は地震で被災したのだが、このときばかりと粗大ゴミを無料で持っていってくれるボランティアが全国から集まってきた。ゴミと出されたテレビなど、40年前の代物である。あんなテレビ今でも見ていたんだと思うのだが。
 日本は災害に頼って、町を復興させてきた。山形の酒田という町は、35年位前に町中が焼ける大火があったのだが、その後見る間に当時は原宿のような綺麗な町になっていた。あれは今頃シャッター通りになっているとしたら、田舎は間抜けだといっておく。
 戦後の日本もそうだ。火事か戦災がないと、町は綺麗にならない。だから木造家屋歴史は、敵を攻め落とすのは焼き討ちであって、焼かれたら新しい町が作りやすい。日本の歴史の根っこにはそれがある。
 ならば、戦災被災というのは、街のリフレッシュであって、世界の地震国に住んでいて、地震の悪口いうな。あれはあり難い恵である。そして法隆寺その他は、釘を使わずに、ほぞとかすがいだけで、地震に耐え得る木造建築を完成させたんじゃなかったけか。
 明治の軍部体制も、けっきょく敗戦によって、民主国家にさせられたというのが、歴史の実情である。駅前がシャッター街のスラムになっていると文句をいっても、それを合理的に解決できる術を我々は持たない。だからヤクザが地上げをしたいときには、火をつけたり、トラックで突っ込んで建物壊して地上げをする。六本木ヒルズにしても、そうしてどうにかやっと地上げができた。東京ですらその始末なのだから、田舎で合法的に駅前再開発などは無理なことだ。ミッドタウンも、防衛庁跡地という利権の中で出来上がった町に過ぎない。
 神風特攻隊の神頼みというのは、神が大地震起こしてくれて、全土崩壊すれば、また日本は中国を出し抜く高度成長の時代に戻れるという望み理屈である。21世紀にもなって、その程度の頭しか持ち合わせていないこと嘆くことしきり。

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4月1日(日)ゆとりの親子馬鹿

2007-04-02 01:52:07 | ブツブツ日記
 まさか国際問題に発展するとは思えなかったが、市川のNOVA美人姉ちゃん殺人事件は、何だか問題が大きくなった。姉ちゃんの親は、駐日大使館を通してコメントを発表することになった。「犯人は許されない、逮捕に協力してくれ」
 一番協力するべきは誰だ?親だ。
 ゆとりの息子と馬鹿両親は、両親所有のマンションに馬鹿息子を住まわせていたわけで、この親出てきて、何かしゃべれと思うのだが、自宅に籠城して出てこない。
 36年前の浅間山荘事件では、犯人の親が出てきて「どうか息子、自首してくれ」とやったものだ。浪花節が逮捕につながったという、いい時代だったのかもしれない。革命家と称していても、実の親に「自首しろ」と促されると、出てくるものがいた。所詮当時の革命とはお遊びでもあった。しかしこういうことは、ある意味の秩序でもある。
 しかも父親が外科医だ。手術で人の命を救うといっている。そのアホ息子が、他人の命を粗末にした。最近の外科医というのは、その程度か?呆れる。母親は歯科医だ。こんなものはさらにお下劣。
 今回はもっとお遊び殺人である。せめて親は自分の立場を明らかにするべきなのだ、今回は。
「親に責任はないが、馬鹿息子を育てて申し訳ない」
 と言えるかどうか。どうせ言えない。何も言えないからと、永久に人前に出ないというのは、親としての責任放棄だと思えてくる。高校の担任も居留守を使った。ゆとり教育というのは、すべての責任放棄である。自分が生きていることに責任がないというのは、山谷のホームレスと一緒で、この馬鹿親にして、馬鹿息子。
 まあ取り逃がした警察というのも、およそお粗末なゆとり警察なのだが。しかしこんな事件が長々と尾を引くというのも、何か不自然なのだが。


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