2022年9月、静岡県牧之原市の認定こども園で、当時3歳の女の子が通園バスの車内に置き去りにされ、重度の熱中症で亡くなった事件の裁判
今回の裁判で千奈ちゃんの両親は「被害者参加制度」を利用して審理に臨み、父親は意見陳述で「過去の判例よりも重い、実刑判決が2人に下されることを望みます」と述べていました。
会見で父親は、元園長に実刑判決が言い渡されたことについて「実刑ということばを聞いたときにほっとしましたし、妻と手を握り合いました。執行猶予が付くだろうと、正直期待していなかったので、驚きました」と述べました。
会見で父親は、元園長に実刑判決が言い渡されたことについて「実刑ということばを聞いたときにほっとしましたし、妻と手を握り合いました。執行猶予が付くだろうと、正直期待していなかったので、驚きました」と述べました。
いまは刑事被害者が法廷で傍聴、審理に参加できるようになっているのだが、中にはよくコメントを出す被害者は、ある場合には「被告を死刑に処して欲しい」とか、ある場合には「高齢者であっても、ちゃんと罪に向き合って欲しい」。今回は「執行猶予ではなくて、実刑に処して欲しい」といっていた。
それはつまり、加害者への恨みもあるのだが、そういうのを堂々と公言させるような今の裁判制度、メディアや被害者弁護が薄っぺらい感じがするのと、例え被害者であっても悔しいのはそうだが、「加害者がどうなって欲しいのか」と軽はずみな質問に対しても、「私は法学者ではないから分からない」というべきでね。
あるいは実刑にして欲しいというのは、今の裁判制度が甘っちょろくて、何でもかんでも執行猶予に終わるのであるなら、それは加害者への恨みではなくて、裁判制度の劣化に対して、堂々と声をあげるのが筋なのだがね。被害者としては、裁判所に厳しくしてもらうために、そこを批判しないという、涙を流す裁判長(情けないが)の顔色伺っているだけで、何だ自分の都合だけで、物言っているだけなんだ。
刑事被害に遭遇するのは、あってはならないことなのであるが、そのとたんに「復習してやる」根性なのは、またちょっと違うものとも思う。
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