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悪材料が目白押しの中、世界的な株高を演出する「大きな力」の正体
松元 浩 2020/06/05 06:00
株式市場が連日上昇している。ナスダック総合指数は2月につけた史上最高値が目前に迫り、日経平均株価も当面戻らないと思われた200日移動平均線を上回った。株価上昇の原動力になっているのは、なんといっても売却した株式を買い戻す動きだ。投資家のポジションの偏りを示すS&P500先物のオープン・インタレスト(未決済建玉)は、足下で依然ネット・ショート(売り越し)であり、筆者を含めた多くの投資家の買い戻しが、今しばらくは続くだろう。
それにしても、この株価の動きは強い。
非常事態宣言が解除されたばかりの東京だが、新規感染者数が再び増加傾向にあり、都が独自に東京アラートを発動するなど、感染第二波の懸念は現実となっている。海外を見ても、中国政府の香港への介入を可能にする国家安全法の成立や、米国の黒人暴行死事件に対する連日の抗議デモなど、過熱感が見られる相場の腰を折るには、十分な悪材料が目白押しだ。
それにもかかわらず、日経平均株価が2万2000円台を一気に回復した株式相場の動きを見ると、単に買い戻しだけでは説明できない、何か「大きな力」の存在を感じる。その正体とは何か。
戦時下に匹敵する
深刻な財政状況
目下、景気を支えているのは各国の大規模な財政政策だ。日本政府は5月27日、コロナ禍で苦境に陥った企業を支援するため、第二次補正予算案を閣議決定した。第一次補正と合わせた事業規模は225兆円に達し、リーマン時の経済対策を上回る。新型コロナウイルスとの長い闘いを乗り切るためには、止むを得ない支出だろう。
しかし、その財源は借金に頼らざるを得ない。新規国債発行額は、今年度の補正予算編成に伴う83.5兆円に加え、当初予算で見込んだ63.5兆円の税収下振れ分を考慮すると、100兆円規模になると思われる。その結果、国債残高は1000兆円を超える見通しで、GDP比で見た公的債務残高は、太平洋戦争末期に匹敵する深刻な事態となる。
米国でも非常時の政策が取られている。トランプ政権はコロナ対策として総額3兆ドル規模の経済対策を打ち出し、国債発行が急増している。その結果、米連邦政府の債務残高は25兆ドル(約2700兆円)の大台を突破し、過去最大となった。これに対して、クドロー米国家経済会議委員長は4月6日、その財源として「戦時国債」の発行を検討していると米CNBCテレビに語っている。
放置できない政府債務
その清算方法とは
戦時下にも匹敵する規模にまで膨張した政府債務を、そのまま放置しておけるとは思えない。いずれは管理可能な水準へとソフトランディングしなければならないはずだが、それにはどのような方法があるのだろう。それを考える上で、『政府債務の清算(The Liquidation of Government Debt)(2015年)』というIMFの研究論文は示唆に富む。それによれば、巨額の政府債務を抱えた国家が対GDPの債務比率を低下させる方法は、4つに大別されると言う。
1つ目は、経済成長による債務の返済だ。クリントン政権下の米国が、インターネットの情報革命に乗って高い経済成長を実現し、財政赤字の削減に成功したのが好例だ。理想的な債務削減方法であり、安倍政権が目指すところでもある。しかし、少子高齢化という構造問題を抱える日本では、よほどのことがない限り実現は難しいだろう。
2つ目は、増税や歳出カットなどの緊縮財政による債務の圧縮だ。デフレを覚悟で緊縮的な財政運営を行っているドイツが代表例で、債務返済の王道と言える。しかし、消費税を10%へと引き上げただけで大幅に景気が落ち込んだことを考えれば、今の日本がさらなる増税に耐えられるとは思えない。
3つ目は、債務減免やデフォルトによる債務不履行だ。世界では過去1年だけでもアルゼンチン、ベネズエラ、レバノンが(テクニカルを含めた)デフォルト状態に陥っており、いずれも通貨暴落や社会不安など悲惨な結末を迎えている。当然ながら、外貨準備高で中国と1、2位を争う日本が、債務不履行という選択肢を取ることなどあり得ない。
4つ目は、政府と中央銀行が連携して、民間部門の利潤を公的部門に移転させる方法だ。米国では第二次大戦後の1951年、財務省と連邦準備制度理事会(FRB)がアコード(協定)を結び、政府がインフレ政策をとる一方で、FRBは市中銀行が保有する米国債を転売不可の低利回り国債へと強制的に転換させる政策を取った。それにより米国は債務比率を低下させることに成功したのだが、今日の政府・日銀のアコードは、これと同様の効果を狙ったものと考えられる。
株価を押し上げる大きな力の正体
シニョレッジという禁断の果実
日本銀行が2013年に異次元金融緩和を開始して7年が経つが、これまでのところ、資産買入によるマネーサプライの大量供給を通じた、2%の物価目標は達成できていない。しかし、コロナ禍で各国が抱え込んだ巨額の公的債務の削減方法があるとすれば、4つ目のインフレ政策以外に考えられない。そして当局がその気になれば、貨幣価値を希薄化させてインフレを起こす方法などいくらでもある。その1つが「債務の貨幣化(debt monetization)」政策だ。
この政策の肝は、日銀が購入する国債を半永久的に償還させない措置をとることで、国債の負債性をなくし、政府に通貨発行益(シニョレッジ)と同様の利益を付与する点にある。シニョレッジとは貨幣が誕生した時代から存在する領主の特権的利益で、印刷機さえあればいくらでも通貨を発行して支払いができるという、打ち出の小槌のようなものだ。ただし副作用も強い。徳川5代将軍・綱吉の時代に行われた元禄の改鋳や、戦時中に旧日本軍が発行した軍票が強烈なインフレをもたらした史実を思い浮かべれば、その通貨価値の破壊力は容易に想像できよう。
本稿で申し上げたことは、あくまで筆者の仮説(妄想?)に過ぎない。しかし一連の状況を考えると、このシナリオが現実のものとなる確率は、決して低くないように思われる。株式市場を動かし始めた大きな力とは、本格的なインフレ政策が近づいていることを察知した超長期の投資家達が、いち早く現預金や債券から、株式や金へと資産を移動させ始めたからではないだろうか。
(ピクテ投信投資顧問 エグゼクティブ・ディレクター グローバル資産運用部長 松元 浩)
悪材料が目白押しの中、世界的な株高を演出する「大きな力」の正体
松元 浩 2020/06/05 06:00
株式市場が連日上昇している。ナスダック総合指数は2月につけた史上最高値が目前に迫り、日経平均株価も当面戻らないと思われた200日移動平均線を上回った。株価上昇の原動力になっているのは、なんといっても売却した株式を買い戻す動きだ。投資家のポジションの偏りを示すS&P500先物のオープン・インタレスト(未決済建玉)は、足下で依然ネット・ショート(売り越し)であり、筆者を含めた多くの投資家の買い戻しが、今しばらくは続くだろう。
それにしても、この株価の動きは強い。
非常事態宣言が解除されたばかりの東京だが、新規感染者数が再び増加傾向にあり、都が独自に東京アラートを発動するなど、感染第二波の懸念は現実となっている。海外を見ても、中国政府の香港への介入を可能にする国家安全法の成立や、米国の黒人暴行死事件に対する連日の抗議デモなど、過熱感が見られる相場の腰を折るには、十分な悪材料が目白押しだ。
それにもかかわらず、日経平均株価が2万2000円台を一気に回復した株式相場の動きを見ると、単に買い戻しだけでは説明できない、何か「大きな力」の存在を感じる。その正体とは何か。
戦時下に匹敵する
深刻な財政状況
目下、景気を支えているのは各国の大規模な財政政策だ。日本政府は5月27日、コロナ禍で苦境に陥った企業を支援するため、第二次補正予算案を閣議決定した。第一次補正と合わせた事業規模は225兆円に達し、リーマン時の経済対策を上回る。新型コロナウイルスとの長い闘いを乗り切るためには、止むを得ない支出だろう。
しかし、その財源は借金に頼らざるを得ない。新規国債発行額は、今年度の補正予算編成に伴う83.5兆円に加え、当初予算で見込んだ63.5兆円の税収下振れ分を考慮すると、100兆円規模になると思われる。その結果、国債残高は1000兆円を超える見通しで、GDP比で見た公的債務残高は、太平洋戦争末期に匹敵する深刻な事態となる。
米国でも非常時の政策が取られている。トランプ政権はコロナ対策として総額3兆ドル規模の経済対策を打ち出し、国債発行が急増している。その結果、米連邦政府の債務残高は25兆ドル(約2700兆円)の大台を突破し、過去最大となった。これに対して、クドロー米国家経済会議委員長は4月6日、その財源として「戦時国債」の発行を検討していると米CNBCテレビに語っている。
放置できない政府債務
その清算方法とは
戦時下にも匹敵する規模にまで膨張した政府債務を、そのまま放置しておけるとは思えない。いずれは管理可能な水準へとソフトランディングしなければならないはずだが、それにはどのような方法があるのだろう。それを考える上で、『政府債務の清算(The Liquidation of Government Debt)(2015年)』というIMFの研究論文は示唆に富む。それによれば、巨額の政府債務を抱えた国家が対GDPの債務比率を低下させる方法は、4つに大別されると言う。
1つ目は、経済成長による債務の返済だ。クリントン政権下の米国が、インターネットの情報革命に乗って高い経済成長を実現し、財政赤字の削減に成功したのが好例だ。理想的な債務削減方法であり、安倍政権が目指すところでもある。しかし、少子高齢化という構造問題を抱える日本では、よほどのことがない限り実現は難しいだろう。
2つ目は、増税や歳出カットなどの緊縮財政による債務の圧縮だ。デフレを覚悟で緊縮的な財政運営を行っているドイツが代表例で、債務返済の王道と言える。しかし、消費税を10%へと引き上げただけで大幅に景気が落ち込んだことを考えれば、今の日本がさらなる増税に耐えられるとは思えない。
3つ目は、債務減免やデフォルトによる債務不履行だ。世界では過去1年だけでもアルゼンチン、ベネズエラ、レバノンが(テクニカルを含めた)デフォルト状態に陥っており、いずれも通貨暴落や社会不安など悲惨な結末を迎えている。当然ながら、外貨準備高で中国と1、2位を争う日本が、債務不履行という選択肢を取ることなどあり得ない。
4つ目は、政府と中央銀行が連携して、民間部門の利潤を公的部門に移転させる方法だ。米国では第二次大戦後の1951年、財務省と連邦準備制度理事会(FRB)がアコード(協定)を結び、政府がインフレ政策をとる一方で、FRBは市中銀行が保有する米国債を転売不可の低利回り国債へと強制的に転換させる政策を取った。それにより米国は債務比率を低下させることに成功したのだが、今日の政府・日銀のアコードは、これと同様の効果を狙ったものと考えられる。
株価を押し上げる大きな力の正体
シニョレッジという禁断の果実
日本銀行が2013年に異次元金融緩和を開始して7年が経つが、これまでのところ、資産買入によるマネーサプライの大量供給を通じた、2%の物価目標は達成できていない。しかし、コロナ禍で各国が抱え込んだ巨額の公的債務の削減方法があるとすれば、4つ目のインフレ政策以外に考えられない。そして当局がその気になれば、貨幣価値を希薄化させてインフレを起こす方法などいくらでもある。その1つが「債務の貨幣化(debt monetization)」政策だ。
この政策の肝は、日銀が購入する国債を半永久的に償還させない措置をとることで、国債の負債性をなくし、政府に通貨発行益(シニョレッジ)と同様の利益を付与する点にある。シニョレッジとは貨幣が誕生した時代から存在する領主の特権的利益で、印刷機さえあればいくらでも通貨を発行して支払いができるという、打ち出の小槌のようなものだ。ただし副作用も強い。徳川5代将軍・綱吉の時代に行われた元禄の改鋳や、戦時中に旧日本軍が発行した軍票が強烈なインフレをもたらした史実を思い浮かべれば、その通貨価値の破壊力は容易に想像できよう。
本稿で申し上げたことは、あくまで筆者の仮説(妄想?)に過ぎない。しかし一連の状況を考えると、このシナリオが現実のものとなる確率は、決して低くないように思われる。株式市場を動かし始めた大きな力とは、本格的なインフレ政策が近づいていることを察知した超長期の投資家達が、いち早く現預金や債券から、株式や金へと資産を移動させ始めたからではないだろうか。
(ピクテ投信投資顧問 エグゼクティブ・ディレクター グローバル資産運用部長 松元 浩)