こんにちは、銀林です。
虫がよく見られるようになりましたね。
(なんというひどい書き出し…)
でも思いません?笑
気にかけて見てみるとアリが列を作って
並んでいたり、コバエが群れ作って飛んで
いたり。季節の変化と共に絶えず環境が
変わり続けているのだなぁと感じます。
人間というのは大きな変化には敏感ですが
ゆっくりとした、小さな変化には比較的
鈍感ですよね。
焦点をあてて見てあげると普段気づかない
変化に気付けるものです。
私銀林にも今月、色々な変化がありました。
激動の4月とでも言えましょうか。
(今回のブログはそういった意味で大切な
回になります)
長くなりますが…しばしお付き合い下さい。
まずは前回のブログでも書かせていただき
ましたとおり、この度は約半年ぶりに試合に
出させてもらいました。
復帰戦でもあり自分の中では大きな位置付け
となった記録会でした。
そして!!なんと、
なんとなんと、
銀林もついに高校最後の年を迎えました。
青春を色鮮やかに飾る、高校3年生に。
いやぁ、なんとまぁ時が経つのが早いこと。
クラス替えもあり、最後という実感が全く
ないまま今に至ります。
同輩の部員も書いておりますが大きな試験も
控えているので多方面でエンジンをかけて
いかなければなりません。
大学のこともそろそろ見据えていかないと…
同時に純白ふわふわ(?)な高校1年生の
後輩も入学・入部してくれました。
きっと胸を高鳴らせていることでしょう、
懐かしい感覚が脳裏を横切りますね…
各々自己紹介がありましたとおり、
この早実新チームをどうぞよろしくお願い
いたします。
さて。
自分の中での一番大きな、変化、
あるいはターニングポイントとも言えるのが
総体支部予選に出させていただいたこと
です。
種目は800m。
事前に申し出ていませんでしたが、
経緯は怪我から復帰して、長い距離が積めて
いない中、800mの枠が余っていたので
怪我期間中の筋力トレーニングを活かし、
出させていただいた、ということです。
去年から薄々出てみたいとは思っていました。
出てみたいってそんな安易な気持ちでか?
そう思われるのも無理はありません。
結果も2'16"で予選敗退と散々です。
応援してくださった方々には結果という形で
恩返しできなかったことは一番悔しいです。
レース内容には悔いしか残らずもっと
こうすれば、ああすれば良かったと今でも
痛感します。
でも自分から立候補して、出たことに悔いは
ありません。
考えてみれば怪我をしていた半年前の
自分からしたら、まず走れるようになった
こと、ましてや公式戦の舞台に立てるとは
思ってもみなかったことです。
ぬっちだ君にも言われました、
まずこの舞台に立てたことがすごい
ことなんだよ、と。
復帰、そしてこの舞台に立つに際して
本当に多くの支えをいただきました。
チームメイトの先輩、同輩、後輩には
もちろん、当日頑張れと声をかけてくれた
他校の選手もいたり、家族には特に感謝
しています。
なんで走ることに対して、
そこまで特出した才能がない自分を
こんなにも支えてくれるのか。
自分にもし子供が出来て、
自分と同じような境遇にあったら。
大して速くないのに
レースに出ている自分の息子を見て、
何を感じるでしょうか。
多分、素直に応援出来ない気がします。
出来やしないのに…
って思う気がします。
それなのに、こんなにも純粋にサポート
してくれ、怪我の治療にも付き合って
もらったり、陰ながら応援してくれている
のを心から感じます。
ただただ、ありがとうの一言に尽きます。
総体支部予選に出させていただいて
改めて感じました。
こんなにも多くのサポートの上、
自分が競技に全う出来ているのだと。
あくまでも一個人の収穫です。
自分が大会に出たことは直結して、
誰かのためになるわけではありません。
だからこそ、
この舞台に立って自分が感じたことは
大切にしていくと共に、感じさせてくれた、
支えて下さった方々に感謝します。
「競技は一人では成り立たない。
勝者がいれば敗者がいる。
審査をしてくる人がいる。
観客がいる。
競う人がいて初めて、
支えて見てくれる、
応援してくれる人がいて初めて、
成り立つもの。」
トラック2周のレースが自分に
もたらしてくれた大切な財産です。
都大会には繋げられなかったので、
まずは都大会進出を果たしたメンバーに、
自分がもらった支え同様に、
サポートに徹したいです。
最後に、
実は部内に怪我で(というよりかは
先天的な病気でしょうか)競技を
続けられず、マネージャーという形で
サポートに回ってくれた子がいます。
走れる今を大切に。
当たり前のようで当たり前じゃない
その現実を大切に。
一瞬をも全力になれる選手になります。
最後までありがとうございました。
またよろしくお願いします!
虫がよく見られるようになりましたね。
(なんというひどい書き出し…)
でも思いません?笑
気にかけて見てみるとアリが列を作って
並んでいたり、コバエが群れ作って飛んで
いたり。季節の変化と共に絶えず環境が
変わり続けているのだなぁと感じます。
人間というのは大きな変化には敏感ですが
ゆっくりとした、小さな変化には比較的
鈍感ですよね。
焦点をあてて見てあげると普段気づかない
変化に気付けるものです。
私銀林にも今月、色々な変化がありました。
激動の4月とでも言えましょうか。
(今回のブログはそういった意味で大切な
回になります)
長くなりますが…しばしお付き合い下さい。
まずは前回のブログでも書かせていただき
ましたとおり、この度は約半年ぶりに試合に
出させてもらいました。
復帰戦でもあり自分の中では大きな位置付け
となった記録会でした。
そして!!なんと、
なんとなんと、
銀林もついに高校最後の年を迎えました。
青春を色鮮やかに飾る、高校3年生に。
いやぁ、なんとまぁ時が経つのが早いこと。
クラス替えもあり、最後という実感が全く
ないまま今に至ります。
同輩の部員も書いておりますが大きな試験も
控えているので多方面でエンジンをかけて
いかなければなりません。
大学のこともそろそろ見据えていかないと…
同時に純白ふわふわ(?)な高校1年生の
後輩も入学・入部してくれました。
きっと胸を高鳴らせていることでしょう、
懐かしい感覚が脳裏を横切りますね…
各々自己紹介がありましたとおり、
この早実新チームをどうぞよろしくお願い
いたします。
さて。
自分の中での一番大きな、変化、
あるいはターニングポイントとも言えるのが
総体支部予選に出させていただいたこと
です。
種目は800m。
事前に申し出ていませんでしたが、
経緯は怪我から復帰して、長い距離が積めて
いない中、800mの枠が余っていたので
怪我期間中の筋力トレーニングを活かし、
出させていただいた、ということです。
去年から薄々出てみたいとは思っていました。
出てみたいってそんな安易な気持ちでか?
そう思われるのも無理はありません。
結果も2'16"で予選敗退と散々です。
応援してくださった方々には結果という形で
恩返しできなかったことは一番悔しいです。
レース内容には悔いしか残らずもっと
こうすれば、ああすれば良かったと今でも
痛感します。
でも自分から立候補して、出たことに悔いは
ありません。
考えてみれば怪我をしていた半年前の
自分からしたら、まず走れるようになった
こと、ましてや公式戦の舞台に立てるとは
思ってもみなかったことです。
ぬっちだ君にも言われました、
まずこの舞台に立てたことがすごい
ことなんだよ、と。
復帰、そしてこの舞台に立つに際して
本当に多くの支えをいただきました。
チームメイトの先輩、同輩、後輩には
もちろん、当日頑張れと声をかけてくれた
他校の選手もいたり、家族には特に感謝
しています。
なんで走ることに対して、
そこまで特出した才能がない自分を
こんなにも支えてくれるのか。
自分にもし子供が出来て、
自分と同じような境遇にあったら。
大して速くないのに
レースに出ている自分の息子を見て、
何を感じるでしょうか。
多分、素直に応援出来ない気がします。
出来やしないのに…
って思う気がします。
それなのに、こんなにも純粋にサポート
してくれ、怪我の治療にも付き合って
もらったり、陰ながら応援してくれている
のを心から感じます。
ただただ、ありがとうの一言に尽きます。
総体支部予選に出させていただいて
改めて感じました。
こんなにも多くのサポートの上、
自分が競技に全う出来ているのだと。
あくまでも一個人の収穫です。
自分が大会に出たことは直結して、
誰かのためになるわけではありません。
だからこそ、
この舞台に立って自分が感じたことは
大切にしていくと共に、感じさせてくれた、
支えて下さった方々に感謝します。
「競技は一人では成り立たない。
勝者がいれば敗者がいる。
審査をしてくる人がいる。
観客がいる。
競う人がいて初めて、
支えて見てくれる、
応援してくれる人がいて初めて、
成り立つもの。」
トラック2周のレースが自分に
もたらしてくれた大切な財産です。
都大会には繋げられなかったので、
まずは都大会進出を果たしたメンバーに、
自分がもらった支え同様に、
サポートに徹したいです。
最後に、
実は部内に怪我で(というよりかは
先天的な病気でしょうか)競技を
続けられず、マネージャーという形で
サポートに回ってくれた子がいます。
走れる今を大切に。
当たり前のようで当たり前じゃない
その現実を大切に。
一瞬をも全力になれる選手になります。
最後までありがとうございました。
またよろしくお願いします!