昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

Cuando Caliente SHIZUOKA#33

2006年03月16日 | Weblog
 最近、私の主張するところは中国の横暴を許すな!媚中派無能政治家を粛清せよ!ということに尽きるのであるが、今日(3月16日)の静岡新聞「ひろば」欄に私的に感銘を受ける投稿があるので、写し取っておこう。

 南米との友好浜松を拠点に:(浜松市在住、会社員62歳男性の寄稿)

 戦後間もない頃、静岡県からもブラジルへの移民があった。全ての国を受け入れた度量の大きいブラジルだが、今はその二世、三世が日本を「第二の故郷」としている。
 「少子化」は経済、社会保障、いや国全体の衰弱に影響を及ぼすが、浜松市はそれに一つの解決策を得ているようだ。外国人との共生である。未来の新しい行き方として注目され、そのモデル地区としても日本でも注目される存在だろう。
 外国人市民は昨年三万人を突破したというが、行政も医療、教育などあらゆる生活機関を補充してきた。一番危惧されるのは外国人犯罪。市民や在住の人たちにとっても厄介だろう。言語、風習の差異、生活への不安もあり、市の行政だけでは限界もある。国政にも働きをかけ「特区」の申請や「領事館」の創設は望むところだ。
 浜松先導の「外国人集住都市会議」は心強い。そのノウハウを提供し、他の県の協力を仰ぎうる。浜松が日本の中心にあって、南米との友好の拠点になり、特にブラジル、ペルーの外国人学校には期待するところがある。やがてバイリンガルな子供が双方の架け橋となり、遠州の「希望の星」に成長していくなら素晴らしい。(全文)

 とにかく南米の人たちは「太陽の子」とでも言うべき「明るさ」をもっている。彼らの「ネアカ」な性格に触れ、どちらかと言えば「無表情」であることが国民性である我々日本人は「救われる気持ち」になることも多かろうと思う。しかし、その分、ポルトガルやエスパーニャのいい加減な気質も持ち合わせているので、一緒に仕事をする人は、慣れるまでに大変であろう。

 静岡県にもブラジルなどの南米の国へ集団で移民した歴史があるとは、今日この方のこの文章を読んで初めて知ったのである。私は、学生時代に紀伊半島の或る村が村ごとブラジルへ移民したケースがあって、今でもブラジル村という地名が残っているというようなことを聞いたことがある。

 とにかく、地方のショッピングセンターなどでも、ポルトガル語や中国語などを頻繁に耳にする時代に我々は生かされているのだから、「日本国民としての軸足」をしっかり定めて、外国人と仲良く共生して行く覚悟を決めなければならないと思う今日この頃である。