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きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

行く春を丹波の人と惜しみける

2007年04月22日 | Weblog
 行く春を近江の人と惜しみける・・・これは松尾芭蕉三部作の猿蓑のうちの有名な一句である。

 ときあたかも桜も散りなむという時節に、わが師『芭蕉先生』時に御歳、五十路ばかりであったろうか、愛弟子の『去来』を伴い滋賀唐津より遊覧船に風雅を楽しむ旦那衆と共に湖上に漕ぎ出し読んだ句とされる。

 時節柄、琵琶湖は春霞にむせび、何も見えないのだから、興ざめだったにも拘らず、丹波の人を酒の肴としたのだ。・・・・この船に無粋な丹波の住人が乗り組んでいたら、京風の風雅は味わえなかっただろうよ・・・そうは思わないか愛弟子『去来よ!?』と仰せになった。去来も、『幽玄』に生きた西行様なら、きっと霧の彼方に散りゆく桜の哀れさを心眼で捉えられたことでありましょう・・・・我が師よ誠に以って風雅とは左様なものに御座れば、現実主義者の丹波の人が乗り会っていなくてよう御座りましたな!。・・・・と、当時の文化人もまた田舎者に対しては排他的であった。文化人なりの度量の狭さがあったのだ。

 これでは、丹波の人が余りにも哀れであるから、私なりの同情にあふれた解説をしよう。

 実は松尾芭蕉先生、酒が大好きであった。丹波と言えば杜氏の故郷である。彼らの酒造りの技のお陰で、京都伏見などは酒造りの里として今日に至るまで、日本国中に名を馳せたのである。そして、酒造りは冬場に仕込まれて、その仕事を終えた丹波の杜氏が琵琶湖周辺で、これからの農作業(稲作り)を前に、体を休め琵琶湖周辺に身を寄せていた。

 彼らには、行く春を惜しむというよりこれからの米作りへの意欲に満ちあふれていて当然である。それを、不労所得階級は『無粋』と表現することが当時の文化人のたしなみだったのである。・・・・この解説は、不肖『songzhao』の曲解であるからして、受験生に参考にしてもらったら困ります。

 静岡の鄙びた里村の酒好き人が思ふやふ、『行く春を丹波の人と惜しみける』・・・・伏見稲荷の雀の串焼きを食いてえよう~!。