昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

日本語知らずの日本人

2005年03月27日 | Weblog
「日本語の起源は韓国語」であるとか、果ては「剣道の起源は韓国」だとか、まあ実に騒ぞうしい。
此処は、言論自由の国だから、何を言ってくれても結構でありますが、「実は貴方方、日本
人になりたいとでも思っているの?」と逆に、こちらからお伺いしたい位のものであります。

 其れは、さておき、このあたりで、「日本語の本質」について、考えてみるのも一興でありま
しょう。学校で習わなかったことをね。
 英語で、I live in Tokyo、中国語で、我住在東京、と言ったならば、私は東京に住んでいる
という意味が伝わりますが、日本語で、私は東京に住む、と言っても、本来の意味は伝わらず、
せいぜい、東京に住むつもり、或いは、住む予定である程度の意味しか持ち得ませんね。
 日本語の住むという動詞には、動詞本来が持つべき、状態を表わす性質が、ありません。従っ
て、日本人は、「住む」に「いる」という状態を表現する動詞を重ねて、本来の意味にします。
 国語の授業で、この根源的重要事項を分かるように、教えないから困りものです。

 ところで、What are you doing?、或いは、你在干什么?、あなたは(今)何をしていますか
?、という動作を表わす、進行形については、不思議と納得できて、違和感がないですね。
 なぜそうなんでしょうか?。
 それは、英語にしろ中国語にしろ、動作を表わす動詞が進行形を作ったとき、日本語で、
「動詞」+「いる」という表現と重なるため、安心するのだと思います。

 また、運動という単語の品詞は?と聞かれたとして、日本人なら名詞と答え、中国人なら名
詞と動詞だと言うでありましょう。また、studyなどと言う英語にしても、英国人には、動詞で
もあり動詞でもある、日本人は、これもまた名詞として、受け入れるのである。私達は高をくく
って居るのである。外国のどんな言葉でも「する」を付けて動詞にしてしまうし、骨格をがっち
り守る、助詞も持っている。今時、日本人が、純血などと思っている人も居ないだろうが、雑種
としての純血さと力強さなら、日本語のなかに強く現れていると思います。

 大航海時代に、鎖国などせずに海外に、漕ぎ出していたなら、アルファベットにも負けない、
簡単な、かな文字と言う表記方法と、簡単な発音形態とが相まって、一大言語圏を構築できたの
ではないかと思います。現地語を取り込みながら。