この映画は、実はお友達に親切にも試写会に誘っていただき、公開前に見られる幸運に預かったにもかかわらず今まで感想を書けませんでした。でもまだまだ全国上映中、今日は映画館で2度目を見て来たのでやっと書けますよ~
注意*小ネタバレあり
書けなかった理由はふたつあります。
①冒頭でウトウトしてしまった。申し訳ないけれど私は本当によく映画の最初に寝ます。たぶん、ストーリーのイントロ部分はまだ物語に心が入ってなくて台詞が脳にまで届かない。逃した部分は5分くらいかと思うのですが。
②この映画がすっごく怖かったんです!寝てわからない部分があったせいで恐怖が何倍にもなってしまったのかも。見た日の夜、ドランのマイケルが頭から離れなくて眠れなくなってしまいました。こんな体験は初めてでした。
何が怖かったかって、
像のシーン。
独房のような精神病等の病室。
その壁のペンキが濡れたような質感。
マイケルのキャラクター。
ブルース・グリーンウッドのグリーン院長の台詞に、医者として不本意な結果を招いた理由は「僕は医者に向かないことを患者に気づかれた」と言うのがあります。観客はグリーン院長の視点でこの映画を見るので、多少なりとも皆そう思うようにできてはいるのですが、私も話相手の土俵に引きずり込まれて話がわけわからなくなる体験があるので、その傾向が強いのです。
しかし、本日2度目にラストを知った上で臨み、前回逃したイントロもしっかり見て、映画全体の構成がよ~くわかりました。その結果、怖さもずいぶん減って細部まで見えてよかったです。
公式HPの「監督の言葉」に次の文章があります。
「愛情を知らずに育った孤独な彼が、皮肉にも、愛を育む土台をも作ることになる。僕は思う。これこそが、この映画に秘められた美である(略)」
看護士長でグリーン院長の元奥さんのスーザン。初見では地味な人に見えたのに、今日見たらとても美しい女性でした。元々美人なのでしょうが、内面の輝きが見える人に女優さんが演じていたと思います。心も暖かいけれど、同時にプロフェッショナルな看護士として適切な仕事をこなすので、マイケルがあの日に彼女を遠ざけた理由もよくわかりました。
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ココがわからないと、グリーン院長の感情につていけなくて、監督の言葉にもピンと来ないです。
初見ではなぜわからなかったのだろう。私が見落とした5分間にその鍵でもあったのか。
像のシーン
ここは、直感では、マイケルは撃たれて倒れた像に自分を重ねてると思いました。実の父に殺されたのは自分だとマイケルは思っていたのじゃないかと。
今日改めて見ると、母がマイケルを妊娠したのはアフリカ旅行中で、7歳で会いに行った時もアフリカだから、父という人は象牙を捕ることを職業にしていたと思われる。だけどもしかしてハンティングの趣味が高じて象牙を売ることにしただけなの?というのは、もし父が楽しみで像を殺していたとすると、恋のアバンチュールで母と楽しんだ結果の子供がマイケルだから、やはり父にとっては同じ楽しみの対象=像、結果=マイケル、ということでマイケルは像と同じことになる。
グリーン院長の姪エイミー
もしかしたら、あの子はダウン症の子供だったのでしょうか?顔の表情とハッピーな言動でおや?と思いましたが、思い過ごしかもしれません。マイケルといい友達になれそうだったのに・・・
でもなぜクリスマスにグリーン院長が姪っ子を預かっているのかがわからなかったです。最初娘かと思ったくらい懐いてました。院長も自分の亡くした娘を重ねているように可愛がってました。
2度目に見てもやはりマイケルは怖かったです。グザヴィエ・ドランの演技がすごいのであろうなあ。憎らしいのに、親の愛を知らない可哀想な子ということで憎んではいけないという大人の心境も見透かしているのでしょう。
若い時のベン・ウィショーが演じてくれていたらどうなっていたかなあ。
ところでカナダの冬というのは厳しそうですね。街が雪に埋もれてきれい(いや、街なんてあったのかしら?)。病院の建物がアールデコで素敵でした。