ターナー展を見て以来、気になっていた画家の人物像が見たくて行って参りました。
ティモシー・スポールは、夫によれば、夫の母が好きだった番組に出ていた、とか英語圏ではなんとなく皆知っている俳優のようですが、私を含めた一般的な日本人には「ハリー・ポッターの狡くて小物のネズミ男」なのが何とも。
しかしそのネズミ男、変な外見なんだけれども憎めない愛嬌があって、そこがターナーさんにぴったりでした。
ターナーさんと言えば、原題は「Mr. TURNER」で「ターナーさん」なんですよね。ふだん邦題に余計な飾りはいらないと思う私ですら、「直訳はまずいよな」と思わせたタイトルでした(笑)。
パンフレットによれば、監督はこの映画を事実のエピソードを繋いで作ったとのことです。監督自身も、ターナーという名前が有名なのに、画家その人についてはあまり知られていないので興味を持ったとのこと。
それで、同じ目的で見る人がかなり満足できる作品になったのかもしれません。
ターナーの生きた、時代、見たもの、おかれた環境、人となりなどなど。
出身がコベントガーデンの床屋の息子だったことは知られていますけれど、まあ、その粗野な労働者階級のすべてを成功後にも持ち続けたところが、頑固者というかイギリス人だなあと感心しました。
晩年は、若い時の成功ほど世間はターナーを認めなくなるのですが、それでも擁護した批評家ラスキンが真反対の、金持ちのお坊ちゃんで花輪くんのような浮世離れした人だったのもおもしろかったです。こう、お互いに歩み寄らないのに共存して、ターナーはラスキンを心情では受け入れなかったようですが現実は大分助けられたでしょう。
画家が傑作を描くにあたって見た風景を見られるのも映画のおもしろいところですが、それだけでなく、ターナーのいる旅先の風景、ボートが浮かぶ水面なども、ターナー色をしている世界がデジタル映像処理によって再現されています。CGはアベンジャーズみたいな活劇だけでなく、時間軸を遡る映像にも貢献しているのだなあと技術の進歩がありがたいです。
上の写真はロイヤル・アカデミー会員の集合写真で、ターナーやコンスタブルなど含め偉い人達のようですけど私には誰が誰だか・・・
それでもロイヤル・アカデミーの展示シーンは、今、私達が見られるような展示室でかつてこういう光景があったのか、と、日本からはるばる美術館に行くと、その部屋の広さと多さに「脚が疲れた~、もう絵も死ぬ程見て頭に入らない~」となる必要もなく余裕で鑑賞できるのもよかった(笑)。
もともとは、イギリスの威風堂々さかげんが好きな好きなので、多くの人が訪れた盛大なターナーの公葬は、監督が「ターナーのエッセンスではない」と映画には出て来なかったことが残念でなりません。それはわかるんですけれども、晩年世間から干されていたターナーの葬儀に多くの人が集まって来るなんて、「おみおくりの作法」みたいでいいなあと。