今朝7時のニュースでは東京も数センチの積雪があったとのこと。
孫娘(2歳)も喜んでいるかな……と思いながら。
今年はうるう年。
今日は一日得した気分です。
ニワトリの話を少しします。
昨日の2羽の雛は、今日も元気に母鶏のお腹の中から時々出ては餌を啄(つい)ばんでいます。
最初の頃に書きましたが、私は子どもの頃から鳥類が大好きでした。
しかしその頃はいわゆる野鳥や小鳥や鳩の類であって、ニワトリは眼中になかった。
小学生の頃は毎日、姉がプレゼントしてくれた保育社の「鳥類図鑑」というものを
飽かず眺めていて、載っていた鳥類の姿と名前は全部覚えました。
巻末に「ニワトリの飼育法」と「十姉妹の飼育法」が載っていて、父に頼んで
十姉妹を買ってもらったのは小学4年生の時。それ以来中学3年の時まで毎年孵化して
友人たちや姪へあげていました。その番(つがい)は私が家を離れてその後父が面倒見て
いてくれましたが確かその数年後に寿命を全うしました。
(その頃には私はサッカーに夢中で十姉妹のことは頭になかった……)
子どもの頃はニワトリとはなんとカッコ悪い鳥だろうと思っていましたが、年月が流れ、
四十歳の頃になって「ニワトリを飼ってみよう……」と。
変われば変わるものですね。
福島県養鶏試験場へ問い合わせて、当時養鶏試験場で力を入れていた“クロスPブラウン”
という、いわゆる“赤玉”を産むニワトリの初生雛を5羽育てたのが始まりです。
(養鶏試験場は規模縮小のため、養鶏分場となり、またクロスPブラウンも居なくなって
しまいました。それを知った確か5年前、寂しく思いました)
その後、チャボとウコッケイ。
そしてアローカナと会津地鶏も加わりました。
現在はクロスPブラウンの代わりに岐阜県後藤孵卵場の純国産鶏“もみじ”という
ニワトリです。
ニワトリの雛の孵化も楽しみに飼っている方はご存知ですが、雄(♂)と雌(♀)はほぼ半々に
産まれてきます。そして雌は卵を産むので重宝がられますが、雄の場合は……。
ヒヨコ鑑定士なら肛門の形で♂♀を見分けることができますが、普通の人はできません。
それで春に孵化したものを夏→秋と育てます。
夏の頃には、尻尾の形と鶏冠の形、そして足の色、形などでほぼ分かってくるのですが、
間違えることもたびたびです。
それとやっぱりこの成長盛りの可愛い雛を処分するのは可哀想……、という心情も働き、
秋になって、さて困った!となります。(私の場合)
3年前までは友人の親父さんが引き受けてくれましたが、他界。
その後処分に困り、4号棟鶏舎(もみじ)と5号棟鶏舎(メイちゃんのヤギ小屋の後ろ、もみじ)
へ若いアローカナの♂を入れました。雌たちも雄もお互いに喜んでいます。
しかし……。
私の個人的な考えですが、やはりニワトリ飼いは最後まで自分で育てた(飼った)ニワトリたちの
面倒を、つまり最後は肉として、自分でみなくてはならないのではないか……。
そう思い始めてもう随分たちます。
本を読んだり、ネット検索で調べたり。
友人へそのことを話すと(もっともずっと以前から酒の席では話していましたが)、
「手伝ってもいいぞ」と。
友人は前述の親父さんの息子で、子どもの頃から当たり前のこととして見ていた。
(今から四、五十年くらい前までは当たり前のことでした)
もう一人の友人は「俺はダメ。絶対ダメ、ダメ、ダメ」
では、全部段取りできて食べる段になって参加する、と。
(ただし鶏皮は食べれない、と)
妻は。
ほとんど話したことはなかったけれど、ずっと以前は「そこまですることはないんじゃないの……」。
今はどうだろう……。
もっとも実際にするのはまだ数年先のことです。
(できないかも知れません)
今日のメイちゃん&ルンルン。
ルンルン、今朝ドッグランでオシッコした後、あっという間に柵を乗り越えて2号棟鶏舎へ入って
行きました。「こら!ルン、戻れ!」と大声で言うと私の顔を見て立ち止まりましたが、すぐに
鶏舎の中へジャンプ。私は急いで柵のドアを開けて行ったところ、母親のアローカナの雌はルンルンに
対して雛を守るために威嚇していました。母は強し、ですね。
メイちゃん。
なんとなく数日前から、もしかして?発情かな?と思っていましたが、やっぱり発情です。
陰部のピンク色と尻尾の毛のピンピン。そしてあまり鳴かないメイちゃんのダミ声「ンメエ~、ンメイ~」。
4回目の発情です。こういうこともあるのかな?……
孫娘(2歳)も喜んでいるかな……と思いながら。
今年はうるう年。
今日は一日得した気分です。
ニワトリの話を少しします。
昨日の2羽の雛は、今日も元気に母鶏のお腹の中から時々出ては餌を啄(つい)ばんでいます。
最初の頃に書きましたが、私は子どもの頃から鳥類が大好きでした。
しかしその頃はいわゆる野鳥や小鳥や鳩の類であって、ニワトリは眼中になかった。
小学生の頃は毎日、姉がプレゼントしてくれた保育社の「鳥類図鑑」というものを
飽かず眺めていて、載っていた鳥類の姿と名前は全部覚えました。
巻末に「ニワトリの飼育法」と「十姉妹の飼育法」が載っていて、父に頼んで
十姉妹を買ってもらったのは小学4年生の時。それ以来中学3年の時まで毎年孵化して
友人たちや姪へあげていました。その番(つがい)は私が家を離れてその後父が面倒見て
いてくれましたが確かその数年後に寿命を全うしました。
(その頃には私はサッカーに夢中で十姉妹のことは頭になかった……)
子どもの頃はニワトリとはなんとカッコ悪い鳥だろうと思っていましたが、年月が流れ、
四十歳の頃になって「ニワトリを飼ってみよう……」と。
変われば変わるものですね。
福島県養鶏試験場へ問い合わせて、当時養鶏試験場で力を入れていた“クロスPブラウン”
という、いわゆる“赤玉”を産むニワトリの初生雛を5羽育てたのが始まりです。
(養鶏試験場は規模縮小のため、養鶏分場となり、またクロスPブラウンも居なくなって
しまいました。それを知った確か5年前、寂しく思いました)
その後、チャボとウコッケイ。
そしてアローカナと会津地鶏も加わりました。
現在はクロスPブラウンの代わりに岐阜県後藤孵卵場の純国産鶏“もみじ”という
ニワトリです。
ニワトリの雛の孵化も楽しみに飼っている方はご存知ですが、雄(♂)と雌(♀)はほぼ半々に
産まれてきます。そして雌は卵を産むので重宝がられますが、雄の場合は……。
ヒヨコ鑑定士なら肛門の形で♂♀を見分けることができますが、普通の人はできません。
それで春に孵化したものを夏→秋と育てます。
夏の頃には、尻尾の形と鶏冠の形、そして足の色、形などでほぼ分かってくるのですが、
間違えることもたびたびです。
それとやっぱりこの成長盛りの可愛い雛を処分するのは可哀想……、という心情も働き、
秋になって、さて困った!となります。(私の場合)
3年前までは友人の親父さんが引き受けてくれましたが、他界。
その後処分に困り、4号棟鶏舎(もみじ)と5号棟鶏舎(メイちゃんのヤギ小屋の後ろ、もみじ)
へ若いアローカナの♂を入れました。雌たちも雄もお互いに喜んでいます。
しかし……。
私の個人的な考えですが、やはりニワトリ飼いは最後まで自分で育てた(飼った)ニワトリたちの
面倒を、つまり最後は肉として、自分でみなくてはならないのではないか……。
そう思い始めてもう随分たちます。
本を読んだり、ネット検索で調べたり。
友人へそのことを話すと(もっともずっと以前から酒の席では話していましたが)、
「手伝ってもいいぞ」と。
友人は前述の親父さんの息子で、子どもの頃から当たり前のこととして見ていた。
(今から四、五十年くらい前までは当たり前のことでした)
もう一人の友人は「俺はダメ。絶対ダメ、ダメ、ダメ」
では、全部段取りできて食べる段になって参加する、と。
(ただし鶏皮は食べれない、と)
妻は。
ほとんど話したことはなかったけれど、ずっと以前は「そこまですることはないんじゃないの……」。
今はどうだろう……。
もっとも実際にするのはまだ数年先のことです。
(できないかも知れません)
今日のメイちゃん&ルンルン。
ルンルン、今朝ドッグランでオシッコした後、あっという間に柵を乗り越えて2号棟鶏舎へ入って
行きました。「こら!ルン、戻れ!」と大声で言うと私の顔を見て立ち止まりましたが、すぐに
鶏舎の中へジャンプ。私は急いで柵のドアを開けて行ったところ、母親のアローカナの雌はルンルンに
対して雛を守るために威嚇していました。母は強し、ですね。
メイちゃん。
なんとなく数日前から、もしかして?発情かな?と思っていましたが、やっぱり発情です。
陰部のピンク色と尻尾の毛のピンピン。そしてあまり鳴かないメイちゃんのダミ声「ンメエ~、ンメイ~」。
4回目の発情です。こういうこともあるのかな?……