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旅行記、世相独言

清貧の聖者フランチェスコの街 -アッシジ-(異文化体験28 イタリア満喫の旅8)

2013年03月16日 11時22分00秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

清貧の聖者フランチェスコの街 -アッシジ- 1996.05.03

  JALユーロ・エクスプレスのバス、赤色のバスもある

 この時期、「JAL Euro Express」と車体にカラフルに書き込まれたJALのバスがヨーロッパアルプス周辺の主要都市やイタリア国内の主要都市を結んで運行されている。 フィレンツェからウンブリア州アッシジを経由してローマに至るルートもあり、しかもアッシジでミニ見学コース付きとか。
 有楽町JALプラザの推奨を素直に受け入れ、フィレンツェからバスの乗客となる。


        
(左)オリーブの丘の上に広がる城壁に囲まれた小さな街 アッシジ (右)城壁から見下ろすウンブリア州の緑豊かな景観  


 アッシジは12から13世紀の清貧の聖者サン・フランチェスコの町として有名。緑の平野を周囲に見下ろすオリーブの丘の上に広がる小さな街である。フランチェスコは本名ジョバンニ。1182年に豪商の息子として生まれながら、放蕩生活を送り1202年コレストラーダの戦いで捕虜となり、1204年聖フランチェスコ回心。1226年44歳で没する。カトリック教会は直ちにアッシジにフランチェスコ教会を建立することを決定し、1230年に下堂が、1253年に上堂が完成した。

 サン・フランチェスコ聖堂(Wikipedia、assisiより)

 下堂にチマプーエによる「聖母子と聖フランチェスコ」等、上堂にジョットによるフランチェスコの生涯の28場面が描かれ、「泉の奇跡」「小鳥への説教」等が有名である。

 ジョット作「泉の奇跡」  同じく「小鳥への説教」

 震災崩壊前のフランチェスコ生涯28場面の様子

 しかし、我々が訪ねた翌1997年9月26日,2度に渡る直下型大地震に見舞われ、死者12名,負傷者120名,損壊家屋9万件以上という大被害を被った。サン・フランチェスコ教会も祭壇上部の天井が崩れ落ち,修道士2人と美術監督局職員2人が,下敷きとなって亡くなった。更に、チマブーエの天井画が失われ,ジョットのフレスコ画に亀裂が入る等、文化遺産も多大な被害を被った。
 長い期間をかけてこの貴重な歴史・文化遺産が修復され、今日再び見ることが出来ることは喜ばしいことである。


         
(左)街の中心となるコムーネ広場        (右)コムーネ広場の紀元前1世紀建造のミネルヴァ神殿

 街の中心はコムーネ広場。この広場の向いには,6本の美しいコリント式円柱を有する起源前1世紀に建てられた小さなミネルヴァ神殿が建っている。16世紀にキリスト教教会に転用された。

 「明日が年に一度のお祭り」と、うれしそうな子供達

 街の入口サンピエトロ門広場に戻る最中、礼服の子供達と出会う。明日が年1回のお祭りの日だと言う。皆、楽しそうだ。

 かつて外敵から街を守ってきた城門

 さあ、バスは最後の宿泊地となる夕刻のローマに向け出発!! 


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