ベートーベンと政治都市と大食いドイツ人 -ボン- 1981.1.26~27
雪景色の西ドイツの首都「ボン」
西ドイツの首都ボン(参考:第2次大戦後、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の暫定首都(1949-90)で、憲法上はベルリン)は、20数km北西のケルンと飛行場を共有し、ツインシテイとでも言おう町である。もはや雪の跡の見られないライン河に面したこの町は、清潔、簡素な人口30万人ほどの政治都市である。
ケルンとボンが共有する飛行場(Wikipediaより)
近代的な役所の建物の入り口には、カービン銃をぶら下げた兵士が我々一行を待ち構えている。しかし、モスクワの飛行場と違ってあまり圧迫感を感じさせないのは、西側の国であるという安心感からであろうか。
中央官庁の近代的なビル
ドイツ人は戦争のことを忘れようとしない。テレビの深夜放送は必ず第二次世界大戦に関係する映画が、しかもモノクロ映画が放映されているし、フランクフルトのバスツアーでもこの場所は世界大戦の際にどうこうしたという解説が耳障りな位出て来る。
また、ドイツ人は日本人に対し親切であると言う。同盟国として戦ったというのがその理由のようだが、真偽の程は分からない。確かに、テレビの深夜放送で戦争映画に次いで多いのが日本の古い映画で、滞在中も七人の侍やその他の時代劇映画が多数放映されていた。
ボンで生まれ育ったベートーベン
偉大なる作曲家「ベートーベン」が生まれ、育ったのがこの町である。1770年に生まれ、ハイドンに才能を認められウィーンに移る1792年までこの町で過ごした。一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であったとか。今でも旧市街にはBeethoven Hausがあるが、残念ながらお昼時に訪ねるとクローズドであった。
真冬のさなかでは名曲の旋律もなかなか頭に浮かんでこない。やはり音楽は春、もしくは暖かい部屋の中のものなのだろうか。
(左)表通りの生家 (右)裏庭から見た生家
私が宿泊した「Hotel am Tulpenfeld」は、近代的なアメリカンスタイルのホテル。またしても食事の話で恐縮だが、夕食時のこと。ドイツと言えばソーセージに代表される豚料理。メインデイッシュにポークチョップ+ソーセージのような1品を注文した。ポテトや野菜がたっぷりのお皿に日本の2割増くらいの大きさの肉とソーセージが出てきた。これはグッドチョイスをしたと白ワインと共に舌鼓を打ちながら皆と歓談。
(左)アメリカンスタイルの「Hotel am Tulpenfeld」 (右)メインディッシュのイメージ写真
さてさて、適度にお腹も仕上がり、ではデザートを何にと思案を始めたその時、ウエイターがやってきて、なんと今平らげたものと同じボリュームの肉類を横に置いてあるホットプレートの蓋をあけて私のお皿に当然と言わんばかりの顔でサーブするではないか。
メインデイッシュのお代わりなんぞわしゃ頼んだ覚えはないぞと言っても、そ知らぬ顔でさあ食えとばかり、お化けのようなポテトまでサーブしようとする。
慌ててノーサンキューを連発しても、肉は既にお皿にでっかと腰を降ろしている。
もう豚料理は誰が何と言ってもお断り。海鮮料理に対するこの旅での熱き想いが、この時から急速に高まって来るのである。
ボン~エッセン 列車の切符
さて、次なる目的地は石炭産業のメッカ・エッセン。インターシティ(特急列車)での移動である。日本の新幹線よりはゆったりと、かつ振動も少ないようだ。エッセンでも海鮮料理は食べることは出来ないだろうなあ。
雪景色の西ドイツの首都「ボン」
西ドイツの首都ボン(参考:第2次大戦後、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の暫定首都(1949-90)で、憲法上はベルリン)は、20数km北西のケルンと飛行場を共有し、ツインシテイとでも言おう町である。もはや雪の跡の見られないライン河に面したこの町は、清潔、簡素な人口30万人ほどの政治都市である。
ケルンとボンが共有する飛行場(Wikipediaより)
近代的な役所の建物の入り口には、カービン銃をぶら下げた兵士が我々一行を待ち構えている。しかし、モスクワの飛行場と違ってあまり圧迫感を感じさせないのは、西側の国であるという安心感からであろうか。
中央官庁の近代的なビル
ドイツ人は戦争のことを忘れようとしない。テレビの深夜放送は必ず第二次世界大戦に関係する映画が、しかもモノクロ映画が放映されているし、フランクフルトのバスツアーでもこの場所は世界大戦の際にどうこうしたという解説が耳障りな位出て来る。
また、ドイツ人は日本人に対し親切であると言う。同盟国として戦ったというのがその理由のようだが、真偽の程は分からない。確かに、テレビの深夜放送で戦争映画に次いで多いのが日本の古い映画で、滞在中も七人の侍やその他の時代劇映画が多数放映されていた。
ボンで生まれ育ったベートーベン
偉大なる作曲家「ベートーベン」が生まれ、育ったのがこの町である。1770年に生まれ、ハイドンに才能を認められウィーンに移る1792年までこの町で過ごした。一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であったとか。今でも旧市街にはBeethoven Hausがあるが、残念ながらお昼時に訪ねるとクローズドであった。
真冬のさなかでは名曲の旋律もなかなか頭に浮かんでこない。やはり音楽は春、もしくは暖かい部屋の中のものなのだろうか。
(左)表通りの生家 (右)裏庭から見た生家
私が宿泊した「Hotel am Tulpenfeld」は、近代的なアメリカンスタイルのホテル。またしても食事の話で恐縮だが、夕食時のこと。ドイツと言えばソーセージに代表される豚料理。メインデイッシュにポークチョップ+ソーセージのような1品を注文した。ポテトや野菜がたっぷりのお皿に日本の2割増くらいの大きさの肉とソーセージが出てきた。これはグッドチョイスをしたと白ワインと共に舌鼓を打ちながら皆と歓談。
(左)アメリカンスタイルの「Hotel am Tulpenfeld」 (右)メインディッシュのイメージ写真
さてさて、適度にお腹も仕上がり、ではデザートを何にと思案を始めたその時、ウエイターがやってきて、なんと今平らげたものと同じボリュームの肉類を横に置いてあるホットプレートの蓋をあけて私のお皿に当然と言わんばかりの顔でサーブするではないか。
メインデイッシュのお代わりなんぞわしゃ頼んだ覚えはないぞと言っても、そ知らぬ顔でさあ食えとばかり、お化けのようなポテトまでサーブしようとする。
慌ててノーサンキューを連発しても、肉は既にお皿にでっかと腰を降ろしている。
もう豚料理は誰が何と言ってもお断り。海鮮料理に対するこの旅での熱き想いが、この時から急速に高まって来るのである。
ボン~エッセン 列車の切符
さて、次なる目的地は石炭産業のメッカ・エッセン。インターシティ(特急列車)での移動である。日本の新幹線よりはゆったりと、かつ振動も少ないようだ。エッセンでも海鮮料理は食べることは出来ないだろうなあ。