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旅行記、世相独言

エンターテイメントの国 - ロサンジェルス - (異文化体験3 コージェネの旅1)

2010年02月25日 09時01分27秒 | 異文化体験_北米
 (異文化体験3 「コージェネの旅」は、主に米国・南カリフォルニアを巡る旅。コージェネレーションとは熱と電気を必要とする場所に設備を設置するエネルギー効率の高いエネルギー供給方式、その先進国米国の実態調査が今回の目的。ロス、シスコ、シカゴ、クリーブランド、サンディエゴ&ティファナ等6回の連載旅ログです。(私のブログでは原則、写真はクリックで拡大します))


オックスナード、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ミルウォーキー、シカゴ、クリーブランド、サンディエゴ、ティファナと巡ります。



エンターテイメントの国 -ロサンジェルス- 1982.10.20~24

 サンタモニカ、マリブ、聞き慣れた海岸を左に見ながら北進する。ロスからオックスナードへのドライブ。下水処理場でのコージェネレーション視察がその目的である。太陽一杯の西海岸。さりとて時差からくる眠さには勝てない。初日のスケジュールは夢うつつのうちに終わりそう。ロスの泊まりはキンキラキンのハイアットリジェンシーホテル。

 
(左)早朝のマリブの海岸               (右)ロスの宿舎「ハイアット・リージェンシー・ホテル」


 ホテルでの国際会議を終えると楽しい週末である。同じ会社の現地研修中の3氏、NY駐在のO氏、そして私の5人に米国人ビジター2人が加わり、2組に分かれて「BROOKSIDE GOLF COURSES」でのコンペが始まった。

 「BROOKSIDE GOLF COURSES」のスコアカード

 ローズボールで有名なアメリカンフットボール場に隣接する全長6,977ヤードのパブリックコースである。陽も西に傾きかけた最終18番ホールは446ヤード、パー4。途中に池がありK氏のボールが池端の柳の下あたりでロスト状態となった。皆で必死に探すが見当たらない。それまで良いスコアでラウンドしていたK氏はなかなかロスト宣言しない。
 明るいうちにラウンドしないと、と焦る気持ちが後続組をして痺れを切れさせ、お構いなしにテイーショットを始める。結局このホールは、第2打以降7人で一緒にグリーンを攻めることとなった。
 薄暗いグリーン上に7人が入り乱れてのパター合戦。陽気なアメリカ人もキャッキャ言いつつ、何とか日没前に全員カップイン。我々が最終組で良かった良かった。

 この日はK氏邸でO君の奥さんのお世話で旧交を温め大いに騒いだ。日頃賑やかな階上に住む中国人家族もこの日ばかりは圧倒された由。酩酊運転ではあったが、無事ホテルに戻る。


 ディズニーランド入場券(入場料12ドル≒3000円ほど)

 翌日は楽しみにしていた「ディズニーランド」。さすがにエンターテイメントの国。従業員が徹底的にお客を楽しませることに徹している様には感心させられる。どんなに長い行列が出来ても必ず少しづつ行列が動くことは、人間心理の盲点をついた素晴らしいソフトである。

  
   (左)シンデレラ城を背景に           (右)アドベンチャーワールド「MARK TWAIN」号

また、ADULT PASSPORTを購入すれば、終日全ての催しや乗物にも通用するのはいちいち財布と相談することもなく、日本にはないシステムである。子供以上に大人も楽しめる場所、それがデイズニーランド。そんな気がする。

 チャイニーズシアター前「ナタリーウッド」の手型・足型


 夕食はビバリーヒルズ界隈にあるプライムリブの店「LAWRY'S」。ハロウィンが近づいているためか、食前酒を飲ませるカウンター横のディスコでは、胸元の大きく開いたドレスに身を包んだ女性達がスカートの裾を翻しながらガンガン踊っている。結構混んでいて、予約はしてあるものの席がなかなか空かない。待つこと30分。

  
  (左)Lawry'sのロゴ       (中)プライムリブを目の前でカット 

 自席の目の前でプライムリブをカットしてくれる。大きさが数種類あってこの店の1938年創業時からのThe Lawry Cutという名物カットをオーダー。その後の2時間はこの300gのプライム・リブに悪戦苦闘の連続。サラダは名物ポテトと野菜類。目の前でドレッシングを演出よろしく大きなジェスチュアーでコンデイショニングしてくれる。

The Lawry Cut(1938年から続くカット、約300g)
 
 何から何までエンターテイメントの国、それがアメリカ。


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ドーバー海峡は戦争? - パリ - (異文化体験2 アルコールの旅8)

2010年02月21日 10時31分24秒 | 異文化体験_西欧
ドーバー海峡は戦争? -パリ-   1981.2.5~7

  
1時間弱のフライトで夕食が出る ロンドンーパリ間のサービス合戦 (右)空港リムジンバスのチケット

 1時間弱のフライトで、夕食を済ませるのは至難の業である。ヒースローを飛び立ったブリティッシュ・エア機は直ちにスモーキングサインを出し、ベルトサインを解除する。飛行機はまだ上昇中である。直ちにスチュアデスが夕食のお皿を気ぜわしく配り始める。DC10ともなれば乗客も多いが、いやはや機内は何事が起こったのかと思わせる慌しさ。ドル箱路線ゆえにエア・フランスとのサービス合戦もすさまじいという。飛行機が下降を始める頃に「Tea? Coffee?」とスチュアデスの声。ドーバー海峡の上空はまさに戦争である。


 「美紀」のカード

 パリを訪れる日本の著名人が良く利用する日本料理屋に「美紀」というお店がある。今日も二谷英明氏と入替わりに客となる。シャンゼリゼから少しセーヌ側に入った所にこの店があるが、ロンドン同様とても手の出る料金ではない。高いということと高級ということは、同じことを意味するのであろうか。(ちなみにこの旅では200ドルが946フラン、20ポンドが222フラン、ということで1フランは45円ほど)



 パリの夜、3大ショーの一つクレイジーホース

 食事も終わり、お茶が出る頃にクレイジーホースに何とか入れそうという。いささかお酒に眠さが誘われてきだしたが、これを見ずしてなんとしょうとばかり、タクシーに乗り込む。パリの3大ショーと言えば、リド、ムーランルージュ、そしてクレイジーホース。一番露出度が高いのがムーランルージュと言われている。

 リド、ムーランルージュに比べ露出度は高い

 やや後方の席であるが、パリジェンヌのショーをビール片手に目を凝らして見ていたが、気付いた時にはおじさんのマジックショーの真最中。ん? パリジェンヌはどうなった?と思いきや、拍手喝采のうちにフィナーレ。では、ぼつぼつ帰りますか、と皆が席を立つ。
 う~ん、致し方ない。パリの夜は居眠りの間に過ぎ去ってしまったのである。



 ホテルアスターはこまごました路地裏にある4星ホテル。フロントでチェックイン中の母親の隣に16,7歳と思しきパリジェンヌが何をするでもなく寄り添っている。ノーブラの白いセーター、短いスカートからすんなり伸びた足、かわいい顔にどことなく生意気なしぐさが宿泊客の男性の目をひきつける。キイを取る時に「ボンソア、マドマゼール」と私の精一杯のフランス語ににっこり笑顔で応える。帰国の日のエア・フランスのバスの中でも一緒になったが、その時にももう一度笑顔で応えてくれた。他愛のないものである。小生、時に36歳。

(左)ホテルアスター (右)シェ・クレマンエリゼ

 パリ最後の夜。異文化体験初の旅行の最後の夜でもある。メタノール燃料調査がテーマの旅であったが、現地参加の商社マンが抜け、4名での食事となる。シャンゼリゼに面したフランス料理店でエスカルゴ、オイスター、知る限りのフランス食材を並べ立てるが余り盛り上がらない最後の晩餐となった。

 
        (左)夜のエトワール凱旋門          (右)凱旋門の床の献花

 観光時間もなかったので、食後シャンゼリゼを北上し、凱旋門を見物する。赤々と燃える戦死者を弔う炎の周りに豪華な花束が置かれている。真冬のパリの夜、凱旋門を照らし出すライトもどことなく寂しげな光で、この旅の終わりと共にフェードアウト。



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大阪の田舎者 - ロンドン - (異文化体験2 アルコールの旅7)

2010年02月16日 00時43分08秒 | 異文化体験_西欧
(このブログでは写真は原則クリックすると拡大します)

大阪の田舎者 -ロンドン-  1981.2.3~5




 「Here We are!」ムスタングを軽快に運転している英国人運転手が車を停める。ピカデリー広場に面したピカデリーホテル。板張りの廊下、板張りの床に絨毯敷きの部屋、やや腰高のツイベッドと大きなバスルーム。初めてのヨーロピアンスタイルのホテルである。

 
(左)ピカデリーサーカスに位置するピカデリーホテル (右)ホテルカード

 ピカデリー広場には、キャノン、ビクター、サンヨー、フジフィルム・・・、経済大国に移行しつつある日本の企業広告ネオンがやたらと目立つ。一方でオイルマネーがロンドンに流れ込み、沢山のアラブ人も目に付く。ロンドンの物価上昇は彼等のせいだと言う。
50ドル出して戻ってくるのは20ポンド。1ポンドは約500円という勘定。愛煙家の小生、免税タバコがなくなって街でタバコを買うと、な、なんと1ポンド! 1箱500円のタバコじゃ、禁煙しようかな?

 
(左)ロンドン一の繁華街ピカデリー広場を埋め尽くす日本の企業広告 (右)たばこ1箱に1ポンドとは・・・


 今夕はサントリー直営店で和食ということになった。日本食は何故かくも高価な、一般人にはとても手の出ないものになったのか。しかし、久々に胃袋が緊張することなく食事を終えることが出来た。

 食後、ロンドンの社交場を訪ねる。着席すると美女が数人同席する。私の隣にはシシリーから来たという黒髪の小柄なグラマー美女が、やや甘酸っぱい強烈な香水を匂わせ座る。東京・銀座に友達が働いていると言う。大阪?どこ、それ?。ああ!田舎なのかなあ、大阪は。胸元の大きく開いたドレスからのぞく豊かな胸の隆起が、この夜の寝つきを悪くさせた。

 
     (左)これぞロンドン 国会議事堂         (右)ロイヤルホースガード
 
(左)トラファルガー広場のネルソン提督像の四隅に座すライオン像(某百貨店と関係)(右)広場全景


 「Hello, I'll take your picture.」にこにこしながら握手を求め、自分のカメラで私の写真を撮ってあげると背広を着た一見トルコ人風の男が近づいて来た。
 「それなら俺のカメラで撮ってくれ」という間に、何枚かの写真を撮り終えた男が、ここに住所を書けとノートを開く。沢山の日本人の名前と住所、中には米国人のもある。後で送ってやるとその男は言う。「どうもおかしいぞ」と気付いた時には、イタ公らしき若者が後ろに立っている。一枚10ポンド、五枚撮ったから50ポンドよこせと言う。「ノウ、サンキュー」私はそこを離れようとしたが、二人がしつこく付きまとい、「ペイ ミー(払え!)、ペイ ミー(払え!)」と声高にわめく。
「じゃかましい!アホか!」と思わず大阪弁で叫び返す。幸いポケットに5ポンド紙幣があったのを思い出し、「ギブ ユー(くれてやる!)」と男に渡し、後も見ずに足早に離れた。イタ公の「ペイ ミー」が続いていたが、追って来る様子もなくホッとする反面、腹立たしさが込上げてくる。

 ああ、大阪の田舎者の巻である。

 
(左)パブ「シャーロック・ホームズ」左右の入口が入る人種を分ける (右)シャーロックホームズ・コレクション

 シャーロックホームズ。ロンドンを代表するツーリスト向けのパブである。ホームズ先生の遺品を展示し、1階の入口は左右にブルジョア階級と労働階級の入口が夫々あり、もっとも入ってしまえば混浴のお風呂と一緒で差別はないのだから英国的である。二日目の夜は、ここの2階のレストランで食事となった。階下の賑わいとは程遠く階上席はほぼ貸切状態。デカンターに入ったハウスワインが嫌なことを忘れさせてくれた。
(ちなみにシャーロックホームズのHPは、http://www.sherlockholmespub.com/index.php)


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水の都とフリーセックス - ストックホルム - (異文化体験2 アルコールの旅6)

2010年02月11日 17時38分53秒 | 異文化体験_北欧
(このブログでは写真は原則クリックで拡大します)

水の都とフリーセックス -ストックホルム-   1981.1.31~2.3

 真冬のストックホルム


 スウェーデンが歴史上に登場するのはバイキングの時代(西暦1000年頃)とか。首都ストックホルムが建設されたのは1252年というから中世都市の一つと言える。
13からなる島を橋で一つ一つネットワーク化し、バルト海に面したメーラレン湖をはじめ多くの湖に広がるこの都市は、北欧のベニスと呼ばれている。特に太陽が冬の低い角度にある時間帯は、湖畔のこの街の建物を見るのが最も美しい時である。
 また朝日が湖面に反射し、その反射光が中世の湖畔の建物と大小様々なヨットを照らし出す様は、冬の薄暗い雰囲気の中でスポットライトを浴びた舞台俳優の様に似ている。

 1560年のストックホルム

 
                          朝日に映えるストックホルムの街

 
                          夕方・薄暮のストックホルムの街


 冬の日曜日の早朝、私はそのような風景を水鳥達と一緒に堪能した。潮が動き、氷塊が流れ、その上に羽を休める水鳥達は、人の接近を拒まずまるで日曜日を楽しんでいるかのように見える。

1→4→3→2散歩ルート 海辺の水鳥たちの餌場 

 休日の朝は美術館めぐり。国立美術館に足を向けるとドレスデンの陶磁器展をやっていた。スウェーデンでドイツの焼き物を見るのも如何なものかと思いつつも、寒さには勝てず中に入る。


(左)国立美術館(DRESDEN ROMANTIKの特別展) (右)狭い石畳の路の両側にお店が続く旧市街(Gamla Stan)
 
 Gamla Stan(ガムラ・スタン)と呼ばれる旧市街には、13世紀頃からの建物がそのままの家並みを残している。迷路のような石畳の狭い路地の両側には古い陶人形のお店が並んでいる。路地はいつしか広場に通じて、そこが王宮だと言う。

あどけない顔の近衛兵が家族の前で緊張顔の交替式

 太鼓の音に導かれて歩を進めると、3階建ての王宮の中庭では、近衛兵の交替式が進行中である。10代のまだあどけない顔をした近衛兵が家族の見守る中、緊張した顔で儀式に臨んでいる。スウェーデン国王はこの環状の王宮の中で生活しており、一人で車を運転して出掛けることもあるという。(テロによって国王が新市街で亡くなったのはこの数年後のことである)
 

 フリーセックスがスウェーデンの代名詞になったのは、いつ頃のことであろうか。期待と興味が先行してこの街を歩き回ったが、むしろ三島由紀夫がいうように「スウェーデン娘は人形のように美し過ぎて味気がない」というのが実感である。ツーリストにとってこの町は、何かを拒絶するような気配すら感じられる。

 
            シェラトンホテル・ストックホルム(左:海から、右:ホテル前の橋から)

 ホテルで週末の夜に開催されたディスコ・パーティ、良家の子女を目当てにホテルの入口には着飾った娘達で溢れている。ベルボーイ達が彼女らのもぐり入場に目を光らせている。興味があってパーティ会場に行ってみたものの、同行した米国人もためらった程の打ち解け難さ。
 好きになった同士が簡単にセックスまで発展するのは何もこの国だけでなく、欧米先進国では当たり前になってきている。どうも、ヒッピーがこの国に流れ込んで、ある種の集団形成がなされ、その中でのフリーセックスがこの国の代名詞になったのではなかろうか。
 ある説によるとフリーセックスとは、開放的にセックスについて話し合うという70年代の学校での性教育改革が、なんと日本では自由にセックスが出来ると誤って伝わったようである。

「Fem Sma Hus」 

 地元で有名な面白いレストランがあった。名前を「Fem Sma Hus」という。「Five Small House 五つの小さな家」という意味だそうな。5軒の家の地下をぶち抜いて作られたレストランで、1969年の開業。1694年当時、このブロックでとても有名な専売違法酒場があり、その店の夫人の名前を冠した"Kalvfilé Anna Lindberg"というフィレステーキがこの店の創業時からの名物料理。

 長らく海外で食事していると麺類が欲しくなるもの。幸い中華料理は何処の国に行っても食することが出来る。ワンタン麺が食べたくなって、とある中華料理屋に入った。亭主曰く、「ワンタンはあるがワンタン麺はない」と。然らば、ワンタンとヌードルを注文し、それを一緒にして頂戴!と言うと特注のワンタン麺が出てきた。しかし、料金はなんとワンタンの2倍。「明日からメニューに加えるときっと売れるよ!」と店主を指導。
でも2倍じゃねえ????


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スープがメインディッシュ -コペンハーゲン- (異文化体験2 アルコールの旅5)

2010年02月07日 13時20分23秒 | 異文化体験_北欧
スープがメインディッシュ -コペンハーゲン-   1981.1.29~31

 
(左)コペンハーゲンの街並み(Wikipediaより)(右)ホテルで貰ったシティマップ(真ん中にチボリ公園、市庁舎)


 ドイツを北上し、待望の海に面した北欧の入り口、人魚の像でも有名なデンマーク。
エッセンの木賃宿と異なりこの町では、高級ホテルのシェラトン・コペンハーゲン(今は名前が変わっている)。

←小さな人魚の像 シェラトンホテル→



 首都コペンハーゲンは北欧美人のメッカ。髪の毛がやわらかそうな金髪美人が目に付く。メキシコ湾流の影響か、寒さは予想以上に穏やかである。有名な海獣の像のある市庁舎前の広場から東にのびる市内随一の繁華街ストロイエには、防寒具に身を包んだ人達がゆっくりと買物をすませると、今度は足早に帰り道に着く。

 (左)市庁舎前にて (右)チボリ公園前にて
 

 
(左)ストロイエの賑わい          (右)いかにも北欧! 暖かいセーター
  

 お土産に買って帰った独特の北欧模様のニットセーター、ロイヤルコペンハーゲンの磁器、ジョージ・ジェンセンの銀製品等の店が、北欧の街のアイデンテイテイを盛り上げる。とあるインナーウエアーの店を覗くと、男性同伴の女性達がいろいろと品定めをしている。中には男性客も。意を決して中に入ると、落ち着かないものの楽しくもあり、また恥かしくもあり。


 豚に明け暮れたドイツから、海の幸が味わえるこの街に来ての夕食は、もちろん魚料理。「KROGs FISKE RESTAURANT、この名を告げると運転手が連れて行ってくれる」とホテルで薦められる。「でも高いぞ!」との付言。
 まずは食前酒をとブラディマリー。何はともあれ暖かいスープが欲しいものだとメニューとの格闘が始まる。デンマーク語のメニューなんぞ分かるはずもなく、スペルの感覚から決めた。よし、これだ!

 誰でも知っている有名レストラン


 でも二人以上で頼んでくださいと小さな字で書いてある。いささかメニュー疲れした同行者と同調し、人数分をオーダー。ウエイター氏曰く。「ベリーグッド」。何がベリーグッドか分からないが、「メインデイッシュは・・・」、と言おうとするとこのウエイター氏、怪訝な顔をしてスープが終わってからにしろと言う。

 ひとまず当面の大仕事を終え、パンをちぎりながらこの街談義。それにしてもスープが遅い。「まだなの?」「間もなく」の問答が数回行われた後、何を思ったか、かのウエイター氏、我々のテーブルの上にバケツを運んで置くではないか。??と思いきや、各人のお皿にバケツの中身をサーブし始める。赤っぽい魚、大きな海老、貝、・・・、なんとブイヤベースのお化けではないか。

 それからの2時間、我々4人はこのバケツと大いにストラッグルすることになった。結局少し残してギブアップ。「さてメインデイッシュに行きますか?」とウエイター氏のジョークに、「メインデイッシュはアイスクリーム」とこちらもジョークで返す。

 Krogs store bouillabaisse - fisk - skaldyr 375,-


  夜のメインストリートは賑やかなもの。突如聞こえるサイレン。我々のすぐ前で商店街に乗り込んできたパトカーが急停車。車から飛び出した警官がバンの車の荷台扉を開けると数匹の警察犬が勢いよく飛び出し、一目散に映画館のある地下街へ。あっという間の出来事に一体何事が?と見ていると、チェーンを持った若者達、金髪のかわいい、それでいてちょっと生意気そうな娘達が疾風の如く犬に追われて逃げ惑う。
 最期は全員御用となったようだが、冬の北欧の深夜の大捕り物、罪状はコソ泥だとか。


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ミシェルと黒い雪の町 - エッセン - (異文化体験2 アルコールの旅4)

2010年02月03日 00時19分21秒 | 異文化体験_西欧
ミシェルと黒い雪の町 -エッセン-   1981.1.27~29

 「ミスターゼコー!」 こう呼ばれて初めて、そう!私は今ドイツにいるんだという実感が込み上げる。街の繁華街から歩いて5分とかからない「Hotel Central」のおやじは私に大きな木製のぼんぼりのついたキイを手渡す。

 
         「Hotel Central」の前で。裏にホテル所在地図を書いたホテルカード

 ポケットに到底入りそうもない大きな代物のキイを持って、人一人やっと通れる階段を3階まで上がり、日本円にして約4千円の宿代の部屋に入る。風呂もシャワーもトイレもない。共同シャワーが2階にあるという。ベッドサイドのランプは球切れ。ここに2泊するのかと思うと気が重くなる。でもおやじとおかみさんは精一杯のサービスで朝食の世話やいくら遅くなっても起きて待っていてくれたりと、今となっては忘れがたいホテルの一つである。


 ルール地方の中心地エッセンは、かつて繁栄を極めた鉄鋼業の財閥クルップ家の本拠地としてルール工業地帯を牽引し、ルアーガスやクルップコパース社等の石炭産業の中心的企業が本拠を構えている。エッセンには、ルール工業地帯最盛期の産業遺産として、市北部にツォルフェアアイン炭鉱業遺産群(第12立坑、コークス工場などの鉱業関連建造物群)が存在し、ユネスコ世界遺産にも登録されている。2010年の「欧州文化首都」に選ばれた背景にはこの炭鉱業遺産群の存在が大きいようだ。

      
(左)世界遺産「ツォルフェアアイン炭鉱業遺産群」の「関税同盟第12立坑」 (右)2010年「欧州文化首都」のロゴ

 クルップコパース社を訪問した時のこと。扉のないエレベーターが止まることなく上下動している。飛び乗れるスピードではあるが、初めての人間にはそのタイミングが難しい。そう!初めてエスカレーターに飛び乗る時と同じ気持ち。安全第一の日本なら許可されない代物だろう。

クルップコパース社本社 扉のないエレベーター


 早速街を探訪すべく、繁華街らしき方向に歩を進めると、雪もないのに靴がキュッ、キュッと鳴るではないか。足元を見るとまさに黒い雪がその正体。細かな石炭の粉が歩道、車道を問わず降り積もっている。空から降るでもなし、多分トラックか何かの輸送手段が原因?と勝手な憶測。この黒い雪も繁華街の中心近く来ると、いつの間にか消え失せて田舎の街に似つかわしくない沢山の人出である。

 ケットヴィーガー通り からくり人形時計 

 正午に人形達が踊り、大きな鐘の音を響かせるメインストリート「ケットヴィーガー通り」の人形時計の前には、沢山の市民が輪を作って5階建てのビルの屋上を今か今かと見上げている。内陸の寒い冬は、オーバーコート一つとっても実に実用的である。お国振りも反映し、更に自らの命を託するのだから当然と言えばそれまでだが、私もこの身にピッタシのベージュ色のコートがあったのでつい買ってしまった。(このコートは20年経った今でも愛用している。)その後の行程はこのやたらと重い、でも暖かそうなコートを持ち歩く体力のいる行程にとなった。ちなみにこの時期の為替レートは、1ドルが2ドイツマルク、1ドルが205円程度なので、およそ1ドイツマルクは100円程度。


 昼間のメインストリート「ケットヴィーガー通り」

 エッセンの夜はジェスチャーに終始する。

 とある飲み屋に入ると、一見剛のばあさんと可憐な娘と言った感じの二人がにっこり笑って我々を迎える。小さな店だが他に客はいない。水割りまでの注文は何とか済ませたが、さあそれからが大変。ドイツ語しか解しない親子とのコミュニケーションは、ただただジェスチャーのみ。私の学生時代のつたないドイツ語で「どこに住んでるの?」と尋ねたのが間違いのもと。この人はドイツ語が話せると勘違いし、矢継ぎ早のドイツ語が飛んでくる。こりゃ、あかん!とほうほうの体で退散。

 懲りもせず次に入ったのは、「ワールドキャバレー」といういかにも胡散臭そうなお店。我々3人客に3人のホステスが寄って来る。中でもミシェルという客あしらいの上手なホステスが姐御格でドイツ語しか解さない。あとの二人はチェコからの出稼ぎとか。ここでもコミュニケーションはとれず、それではと万国共通の歌を歌い、ストリップティーズの舞台の後は、ダンスに興ずる。スキンシップは適度なコミュニケーションの潤滑剤。身振り手振りで皆をさんざん笑わせたミシェルお姐さん。最後にばらした御歳は、なんと68歳!

 万歳!エッセン


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