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旅行記、世相独言

2013 和泉の国ジャズストリート

2013年09月30日 01時05分54秒 | イベント
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2013 和泉の国ジャズストリート  2013.09.28-29

 第8回目を迎えた今年の「和泉の国ジャズストリート」。
 何故か、この日は例年いい天気に恵まれ、今年も秋空の下、泉北高速鉄道「和泉中央駅」周辺の11会場で楽しいライブが繰り広げられています。

 今年の前夜祭は、9月28日(土)和泉シティプラザの弥生の風ホールで「かまやつ・ばんばんJOINTライブ」(かまやつひろし&ばんばひろふみ)で幕開け、夕刻より和泉中央駅会場で8組のライブ演奏が行われました。

   
 前夜祭 和泉中央駅会場  (左)JSP          (右)おとめPJ

 翌29日(日)は、エコール・いずみ アムゼ広場で開会式が行われ、駅周辺の11会場でストリートライブが20時頃まで繰り広げられました。
今回の参加は、105バンド、670名のミュージシャンでした。

   
 アムゼ広場(左)開会式での南池田中学校ブラスバンド  (右)Annamed Jazz楽団 

   
 和泉シティプラザ会場 (左)THE EHGINES      (右)サウス・ユニオン

      
 和泉シティプラザ会場 (左)STREET NO CHASER  (右)swing con clave

   
 アムゼ広場会場 (左)TONE BASS QUARTET     (右)La Festa Wind Orchestra

中央駅会場 Early Bird

 残念なことに、例年会場としてきた私の住む緑ヶ丘の自治会館、およびその前の象さん公園が会場から消えました。もっとも、今回は緑ヶ丘小学校の運動会と重なり、緑ヶ丘の住民は子供たちの応援で大忙しでした。かく言う私も孫の応援で、ストリート会場と小学校を行ったり来たりの一日でした。
 また、FB友達のAnnamed Jazz 楽団のOさん、Tさん、更にEarly BirdのUさんにもお会い出来て楽しい一日でした。

 恒例のジャズストリートが終わると、今度は泉州路は山の手のだんじり祭り(10月12-13日)で盛り上がります。秋の夜長、窓から練習中のお囃子が毎夜飛び込んできます。
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ガスだけに完全燃焼! -済州島-(異文化体験35 完全燃焼の旅)

2013年09月22日 15時00分47秒 | 異文化体験_アジア
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ガスだけに完全燃焼! -済州島(韓国)- 00.10.09~10.11


  済州島観光マップ

 業界のゴルフ好き人間達と一緒に二度目の済州島である。大韓航空にて9時半関空を飛び立ち、11時15分済州島着。

 早速Cheju Country Club (済州CC) に直行する。幸いお天気は上々、簡単な昼食後、第1ラウンドのティ・オフ。ゴルフ好きばかりが集まっているので、今日、明日、明後日2泊3日で3ラウンドすることになっている。初日は、何とかまあまあのスコアでまわることが出来た。

  済州カントリークラブ

 今夕はまたまた韓国宴席。食事のお世話は、釜山でホテル勤務の経験があり、済州島に来て家を建て両親を呼び寄せるのが夢と言う30歳位の健気なお姐さんである。面倒見の良い世話焼き女房になりそうな女性。
 食後、島の南端に位置する新羅ホテルまでバスに揺られること約50分。チェックイン手続きを済ませ、全員プールサイドの屋台で2次会。前回、釜山のぼったくり屋台での大失敗があっただけに、ここはホテルの屋台なので安心である。海鮮うどん等で満腹状態になり、11時頃各自部屋に戻る。

       
(左)済州新羅ホテル                      (右)新羅ホテルのプールサイド

    
                                  (左・右)ホテルの部屋からの眺望


 翌日も天気は上々。今日は島の南西に位置するChung Mun Beach Golf Club (中文GC) でのプレイ。8時24分スタート。けなげに少し早めに行って練習しようと努力するも結果は報われず、昨日よりスコアを落とす羽目に。

  中文(海岸)ゴルフクラブ

 一度ホテルに戻り、今夕は全員で以前に行った焼肉屋まで遠出する。山の中にある焼肉屋だが肉の質も良く、値段も安いことから遠方からの客も多い。
 食事中に「今夜はゆっくりしたいなあ!」とぼつぼつお疲れの出た者に、「明日のゴルフも皆同じ条件でせにゃいかん!」と、なんと最長老氏がえらく元気が良い。結局、早寝を許さず皆同条件で明日のプレイをすることに。

    
(左)焼肉の美味しさで人気の「光苑」                 (右)コスパは最高! 

 最終日は、Dynasty Country Club (ダイナスティCC) という島の南東に位置するゴルフ場でのプレイ。スタートは8時42分。3連荘の最終プレイ、起床は6時ながら、さすがに運動過多に足腰が重い。今までで一番長い距離を有するゴルフ場とあって、スコアも疲れに比例して悪くなる一方。小生のみならず全員スコアを落としているのでひとまず安心。

  ダイナスティ・カントリークラブ

 済州島の新羅ホテルは、国賓級のVIPも泊る格式あるホテルである。前回来た時は免税店もあったが、1年半ほどの間に免税店は市内に移動したようだ。新羅ホテルの隣にロッテグループが巨大なホテルを建設し、こちらも結構賑わっている。
 市内の免税店で、過去イタリア出張していた頃にお気に入りの愛用靴となったモレスキーの靴を発見!。何がお気に入りかと言うと「デザインとその軽さ」。お気に入りの思わぬ買い物に大満足。韓国海苔とキムチという定番のお土産と共に帰国の途に。

 新羅ホテル隣にオープンしたロッテホテル

 空港内のレストランで出発までのひと時休憩するが、全員疲れ切った様子で口も重くなる。

 今回の旅行は我が業界で企画したが、某業界のゴルフ好き氏曰く「さすが、ガスだけに完全燃焼!! まいった!まいった!」。


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中秋の名月の日に開催される采女(うねめ)祭

2013年09月20日 11時27分51秒 | 異文化体験_日本
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中秋の名月の日に開催される采女祭 -奈良・猿沢池-  13.09.19

 今年の中秋の名月

 2013年の中秋の名月の日、9月19日に奈良・猿沢池の畔にある采女神社の采女祭が開催されました。
 福島県郡山市にも采女伝説に基づく采女祭があり、お互い交流をしているそうです。

 春日野奈良観光の解説では、奈良の采女伝説は、昔大変美しかった采女(人名ではなく職名、天皇の日常の世話をする女官)が奈良の帝に寵愛を受けていたが、いつしか帝は心変わりをしてしまい、采女は嘆いて猿沢池に身を投げ自らの命を絶った。
 そこで人々は采女の霊を慰めるため、猿沢池のほとりに社を建てたが、身を投げた池を見るにしのびず一夜にして後ろ向きになったそうです。

    
(左)午後5時JR奈良駅前をスタート花扇奉納行列 (右)牛舎に乗せられた花扇

     
(左)御所車の十二単姿の花扇使      (中)福島県郡山市のミスうねめ     (右)ミス奈良
 
 奈良の采女祭は、まず午後5時にJR奈良駅前から猿沢池の采女神社に向け、花扇奉納行列がスタートします。
 秋の七草で飾られた高さ2mほどの花扇を牛車に乗せ、お稚児行列、御所車に乗った十二単姿の花扇使、天平衣装姿のミスうねめ(福島県郡山市から参加)や地元ミス奈良などが往時を偲ばせる姿で三条通を進みます。

  
(左)猿沢池のほとりにある采女神社で花扇奉納神事 (右)人であるれかえった池を照らす中秋の名月

  
(左)2艘の船が雅楽の調べと共にゆっくりと池を周遊する (右)花扇や花扇使、稚児達の乗る龍頭の管絃船

  
(左)水面を松明の煙が流れ、借景の興福寺の塔、中秋の名月と共に幻想的 (右)もう一つの鳳凰頭の管絃船

 采女神社で花扇奉納神事が行われた後、猿沢池では花扇と稚児や十二単衣の花扇使等が乗る艶やかな龍と鳳凰の形をした2艘の船が雅楽の調べと共に周遊し、更に水面を松明の煙がはうように流れ、池の向こう岸にはライトアップされた興福寺の塔、そして夜空には中秋の名月といった幻想的風景が、池を取り巻く人々の目を楽しませます。

 来年は9月8日の中秋の満月の日に開催されます。
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屋台でぼったくられの旅 -釜山―(異文化体験34 釜山の旅)

2013年09月16日 16時48分44秒 | 異文化体験_アジア
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屋台でぼったくられの旅 -釜山―  00.03.24~03.26


 昨年に引き続き、業界団体の懇親会は韓国への旅、ただし行き先は昨年の済州島から釜山に変更。12年ぶり、2度目の釜山である。
関空からのJAL便はお昼に着く便しかなく、また帰国も昼の便で、残念ながら現地での効率は極めて悪い。

    龍頭山公園と釜山タワー

 釜山は前回(12年前だが)来た時よりもはるかに交通事情が悪く、経済成長と共に活気に満ちている。あれほどあった風呂屋の煙突も少なくなり、住宅事情も改善されて屋内でのシャワー設備も普及したということなのだろうか。
暖かい晴天の中、国連墓地や竜頭山公園タワー等を観光後、釜山ロッテホテルにチェックイン。

 釜山ロッテホテル

 早めの夕食は韓国宴席。お世話をしてくれる女性は、3年間東京赤坂で働いていたという日本語がそこそこ喋れる女性。
食後、全員でカラオケに行くことに。済州島といい、釜山といい彼女達の手元にペイバックされる仕組みがきちっと出来上がっている。
カラオケの後は「屋台に行こう!」と誘われる。もう、お腹もお酒も十分であったが屋台にも興味があり、I君らと共にホテル横に並ぶ屋台のテントをくぐる。

 屋台村(イメージ写真)

 テント街は結構賑わっている。白い湯気がお客を誘い入れる。いか刺しや魚の刺身、温かい汁物を注文し焼酎を酌み交わす。
 それにしても彼女達の飲みっぷりは半端じゃない。勿論焼酎はストレート、あっという間に最初の焼酎が空になり、3本目の焼酎が空になったところで、「おい、もう帰るぞ!」と席を立つ。「もう、帰るの?」と不満げな彼女達を強引に急かせると、「お母さんにチップ込みで夫々1万円払って!」と平然と言う。何で1万円や!と思うものの、これは仕組まれたなと直感する。ここで揉めてもしようがない、明日はゴルフ、早くホテルに戻って暖かい風呂に入ろうと早々と退散。

 ロッテホテル正面玄関(屋台はこの横の路地)


 翌日は、都心から車で1時間ほど走った「トングゴルフ場(TONGDO)」での懇親コンペ。メートル表示の距離に少し戸惑いながらも、まあまあのスコアで競技を終える。ゴルフから戻って昨日のガイド嬢に電話を入れる。今夕は全員フリー、各人勝手に過ごしなさいとのこと。「何が食べたい?」というので、「今日は焼肉!」と言うとホテルから歩いて5分ほどの所にある焼肉屋に案内してくれた。今日の店は、ぼったくりではなさそうだ。結構うまい焼肉と冷麺を食し、ホテルの喫茶でショーの開演待ちをする。

 トングゴルフ場

 北コースのコース案内 


 ロッテホテル3階のシアターでは結構見ごたえのあるショーが連夜上演されていると聞き、今夜はそれを楽しむことにした。
ガイド嬢はまたまた屋台に行きたいと言うが、その手はもはや桑名の焼蛤。もっとも彼女達はお客の案内で何回もショーを見ていてつまらないのだろうが、お客さまはこちらである。席に案内されてしばらくするとI君らも入って来た。ガイド嬢たちの連絡網で劇場案内係に一緒の席でと言ったのだろう、同席となる。とにかく連絡網がしっかり出来ている。
 
 ショーは、韓国舞踊、中国雑技団、マジックショウ、それにセミヌードダンサーの西洋舞踏とごっちゃ煮の世界だが、最後の50人位の女性達からなる韓国古典打楽器のショーは圧巻であった。この間、ガイド嬢達はぺちゃくちゃと話をしている。そうこうするうちにショーが終演。また屋台に行こう!と言い出されてはかなわない。今夜はこれまで!と早々と部屋に退散である。

 ロッテホテル3階のシアターショー

 ちなみに、I君は昨夜の屋台の刺身があたったようで、昨夜から今日にかけて超特急状態で実に大変だったようだ。

 「屋台はいろんな面で要注意!」の釜山の旅であった。

注)釜山ロッテホテルのシアターショーは、2007年で閉演されています。
  また、ロッテホテル横の屋台には、ぼったくり屋台として有名な屋台があるそうです。ご注意を!


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故宮と鼎泰豊と理容店と -台北-(異文化体験33 歩け歩けの台北の旅2)

2013年09月08日 23時20分54秒 | 異文化体験_アジア
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故宮と鼎泰豊と理容店と -台北- 99.07.11


 朝食をホテル近くの道端屋台で済ませ、故宮へ向かおうとするが、行き方が分からない。大通りで若い女性を探して?道を尋ねるが、意思疎通がいまいち。要はここから直行出来るバスはなく、一旦台北駅まで行って北門から304番バスに乗りなさいということらしい。

        
(左)ホテル近くの大通りの屋台で朝食       (右)故宮博物院への行き方を若い女性に教えて貰う(バス停にて)



 故宮博物院全景

         
(左)故宮博物院 入場チケット                       (右)故宮博物院を背景に

 中国の歴代皇帝が収集した約70万点に及ぶ秘宝を収蔵する「故宮博物院」。その生い立ちは苦難の逃避行でもあった。
 蒋介石の国民政府は博物院の所蔵品・重要文物を戦火や日本軍から守るべく、1933年2月から5月までの間に1万3,427箱と64包に及ぶ所蔵品を北京から上海経由で南京市へ、1937年には再び運び出されて四川省の巴県・峨嵋山・楽山の3カ所に避難させた。
 第二次世界大戦後、所蔵品は重慶を経て再び南京・北京に戻されたが、国民党と共産党の内戦激化に伴い、1948年秋に国民党の中華民国政府は2,972箱に及ぶ所蔵品を精選して台北へ運んだ。
 台北市の國立故宮博物院の誕生である。従って、元々の秘宝類は台北、北京、南京の3ケ所に分散保存されている。

            
(左)博物院一番人気の「翠玉白菜」                (右)予想よりもはるかに小さい「肉形石」


 故宮博物院を堪能した我々は、「忠烈祠」に向かうバスに飛び乗った。うまく行けば1時間ごとに行われる衛兵の交代式が見れるかも。
 忠烈祠は、1969年に建造された辛亥革命や抗日戦争で亡くなった33万柱の英霊を祀っている。巨大な本殿は、北京紫禁城の「大和殿」を模したもの。その前でタイミングよく衛兵の交代式を見ることが出来たが、この衛兵達は兵役義務の若者から厳選されたエリート達だそうな。

      
                   (左・右) 「忠烈祠」衛兵の交代式



 再びバスで台北駅まで戻り、空腹を満たす。これからは、歩け!歩け!の市内観光。まずは広大な「二二八和平公園」を通り抜けて「中正記念堂」へ。蒋介石総統を偲び、11年の歳月を費やして完成させた巨大記念堂。

        
(左) 中正記念堂                          (右) 蒋介石総統の巨大ブロンズ像

  国立戯劇院と国立音楽庁


 25haという広大な敷地に青天白日を表わす青い瓦に白い大理石の壁を持つ高さ70mの記念堂がその威容を誇っている。内部にはここでも衛兵に守られた蒋介石総統の巨大ブロンズ像が圧巻である。記念堂の左右には黄色い屋根瓦の国家戯劇院と国家音楽庁の建物が調和を醸し出している。


 日本統治時代に7年の歳月を投じて完成した赤レンガの綺麗な総督府等、ぶらつく足にお疲れが。ホテルに戻ると今宵の相談が始まる。小生は明日帰国するが他の4人はもう2泊するので、今夕は小生がどうしても行きたい小籠包の「鼎泰豊」に行くことに。さすがにこれから歩いてとは誰も言わず、掟破りではあるがタクシーに分乗して鼎泰豊へ。

         
(左)小籠包の超有名店「鼎泰豊」常に行列が出来る         (右)「鼎泰豊」のお品書き

日曜日の夕刻、沢山の人垣が店の前に出来ている。20分ほど待って、ようやく2階の席に着くことが出来た。熱々の蒸篭で運ばれてきた数種類の小籠包は瞬く間に胃袋の中に。いつも屋台でしか食べない4人組は、「たまにはこんな夕食もええなあ!」と。


 食後は再びタクシーでホテル近くの龍山寺へ。夜でも熱心な信者が沢山お参りをしている。博打の神様も祭られているので、しっかりお参りをして華西街夜市をぶらつく。ここも多くの観光客で賑わっているが、若い世代は士林夜市が圧倒的に多い。とある果物屋で大量に新鮮な果物を購入してホテルに戻って酒盛りをするという。

 夜も賑わう龍山寺

 小生は最期の夜でもあり、歩き疲れた身体を癒しにマッサージに行きたいが、賛同者がいない。しからば、と以前行ったことのある足踏みマッサージ屋「帝國世界視廳理容名店」に単独行。日曜日の夜ということもあってか、お客はさほど多くない。温シップ付き120分全身マッサージコース(2000元)を選択。

 足踏みマッサージ(イメージ写真)

 担当は35歳前後の日本語堪能な小姐だが、指の力は強くて念入りなマッサージをしてくれる。
 この部屋には3ベッドあるがこの部屋のお客は小生だけ。日本語が堪能なだけに結構会話がはずむ。マッサージ、温シップが終わると今度は足踏みマッサージ。天井にぶら下がりながら適度な体重をかけて微妙につぼを刺激する。
 あっという間の2時間コースを終了し、ホテルに戻ると既に4人は夢の中。

 皆と一緒に遅めの朝食を取った後、台湾の温泉にでも行くかという4人組と別れて、タクシーで台北駅へ、さらにリムジンバスで空港へ。午後2時15分発のEG212便は午後5時50分に関西空港着。

 あの4人組は今頃温泉につかってまた屋台で夕飯でも食っているのかなあ?


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淡水と夜市 -台北-(異文化体験33 歩け歩けの台北の旅1)

2013年09月01日 22時32分11秒 | 異文化体験_アジア
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淡水と夜市 -台北- 99.07.10

 会社の同僚の一人が定年退職するので、その記念旅行も兼ねた同僚4名との台北旅行である。
小生にとっても貯まったマイルの消化が出来る良い機会なので、台北(空港)集合・解散ということで3度目の台北を楽しむ旅となった。

 フライトの時刻というのは不思議なもので、駐機場を離れた時が出発時刻。大きな空港では同時刻の出発便が多数あったりする。
小生の乗る日本アジア航空EG211便は10時20分関空発、12時台北着の便。他の4人が乗る便とは、15分程度しか発着時刻が違わないので、中正国際空港のリムジン乗り場で落ち合い、台北駅までリムジンバスで行くことにした。バスはおよそ1時間、110元(1元=3.7円程度)である。

 小生以外の同僚4名は過去何度か一緒にアジア圏を旅しており、「公共交通機関以外は一切使わない歩け歩けの屋台の旅」を実践してきているメンバーである。
 その片鱗が台北駅で早くも出た。リムジンバスを降りて、「さあ、これからホテルまで歩こう!」という次第。今回のホテルは格安ツアーの常宿で知られる「麒麟大飯店」。台北駅からは2km強の距離。

    
(左)今回の宿舎「麒麟大飯店」              (右)ホテルのシンボル「麒麟」の像が玄関前に

 ホテルにチェックインし、荷物を置いて、台湾のベニスと言われる「淡水」に行くことにした。ホテルで聞くと、ホテル近くの列車(火車)の駅「萬華火車站」から「台北火車站」に行き、MRT(台北捷運)淡水線に乗り換えるのが一番近道とのこと。

         
(左)MRT「淡水LINE」               (右)夕日の美しさを求めて淡水へ沢山の人出(Wikipediaより)

 台北駅から北へ22km、MRTで約40分、淡水駅に到着する。河口の町ではあるが、丘陵の斜面に街が広がるため駅を降りると曲がりくねった坂道を登っていく。両側にはいろんなお店が並び、夕日が川面を赤く染める夕暮れ時が素晴らしいようで、土曜日の夕刻ともなると大勢の市民で賑わっている。淡水名物に阿給という食べ物がある。肉や春雨を油揚げに詰めた蒸しもの料理で、中国語でアーゲイと読み、日本語の油揚げの発音に由来するという説がある。

  
(左)果物ジュースを売るお店        (中)淡水名物「阿給」のお店  (右)阿給=肉や春雨を油揚げに詰めた蒸しもの料理。

 ここ淡水には、1629年スペインが築いた赤レンガの「紅毛城」や同じく赤レンガの淡江中学等があり、エキゾチックな街でもある。時あたかも日本の大相撲中継が放映されており、店奥のTVに多くの人が見入っている。

         
                      (左右とも)1629年にスペインが築いた赤レンガの「紅毛城」


 お腹が空いてきた。夕日が川面を染める時間までは待てない。再びMRTに乗って夜市で賑わう士林駅に向かう。

          
(左)「士林観光夜市」の看板                      (右)Tシャツを買ったHANG TENの店

 士林は市街北部の学生街兼ベッドタウンの街。陽明戯院横の路地を入ると「士林夜市入口」の看板があるが、夜の帳が下り始めると「士林市場」を中心とする広大なエリアで台北最大の夜市が始まる。
 週末ともあって、路地という路地は人・人・人の波で身動きが取れない。高級品はないが、リーゾナブルな価格設定が購買意欲を刺激する。HANG TENの店でTシャツを数枚購入しただけで、あとはウィンドショッピングならぬ雰囲気ショッピング。
 とある屋台で空腹を思いっきり満たし、いつまでも雑踏で賑わう士林夜市を後にする。

         
(左)食べた料理の名は、その場限り、すぐに忘れる。でも美味かった!  (右)MRT「士林駅」で。ややお疲れ気味


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