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旅行記、世相独言

カードのサインにはご用心 -ダラス-(異文化体験10 地下空間の旅6)

2010年12月28日 18時03分25秒 | 異文化体験_北米
(クリックで写真は拡大します)

カードのサインにはご用心! -ダラス-  1988.3.22~23

 ニューヨークからテネシー州メンフィス経由ダラスに向かう。メンフィスへの機内での事。隣の二人連れの若いビジネスマンがしきりと話し掛けてくる。AMEXに勤める彼は、出張帰りだそうな。気さくな米国人は、日本人と違って何だかんだと話好き。広い米国では何よりも情報交換が大切で、野村證券をマークしているという彼、メンフィスにシャープが進出し、綿製品や農業立国から脱皮しようとしていると解説してくれる。「大変楽しかった、ありがとう!」と言って別れるのは、気持ちの良いものである。

   
(左)広大なダラス・フォートワース空港     (右)会議に便利な米国本土の東西中間点

      
(左)東西交流の中心地として沢山の巨大マートが立地している  (右)その内部

 広大なダラス空港からダウンタウンに向かう空港通りの両脇に、立派な沢山のマートが立地している。ダウンタウンのホテルも会議の開催が多いようだ。国内で5時間の時差を持つ米国では、日帰りの会議が出来るのは中央部に位置するテキサス州辺りということになるらしい。さしずめ日本で言えば名古屋か、浜松という位置関係か。


  
(左)トリニティリバーから見たダラスの街     (右)ダラス・カウボーイのチアガールズ

 かつてカウボーイが活躍した西部の町は東西の交易の中心地として、またテキサコを代表とする石油の中心地として栄えたが、最近は少し景気が良くないようだ。それでも、空港に近いラスコリナスには広大なハイテクタウンを建設中であり、米国の底力を感じずにはいられない。

    
(左)ラスコリナスの案内標識        (右)開発が進むラスコリナスの街

 ウィリアムズ・スクウェアのムスタング(半野生馬)のモニュメント

  
 ラスコリナスは別として、いかにも人工の街という感じを払拭できないダラスであるが、夏の日中は軽く40℃を超えるとかでカナダとは逆の意味で地下通路、スカイウェイの建設が盛んである。コンクリート文化の象徴のような人影の薄い高層ビルが林立する地上と違って、地下には商店街が連なり人の賑わいもあり温か味が感じられる。

    
(左)暑さ対策のスカイウェイが  (右)地表の人通りは少ないが、地下街は賑わっている

 ダラスと言えば誰もが思い起こすのが記念すべきテレビの日米衛星中継の日に飛び込んできたあの忌まわしい映像、J.F.ケネデイ大統領暗殺事件が、この街で起こったとは思えないほど静かな街である。

 狙撃元の「The Texas School Book Depository」
                ビル左側面6階2つ目の窓から凶弾が発射された


 ダラス商工会議所での最後の公式日程を終え、空港へのバスの待ち時間にビル1階にオープンしているBROOKS BROTHERSをのぞくと、手頃なネクタイが目に映る。2本ほど選んで、おばさんの店員に渡すとクレジットカードのサインを求められる。何気なく見ると購入品と違う明細、どうも同じ団の別の人と取り違えたようだ。

 サインする時は、必ず明細書をチェックしないと! 帰ってから一騒動ということにならないよう、ご注意!


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世界買い出し考 -ニューヨーク- (異文化体験10 地下空間の旅5)

2010年12月24日 23時27分04秒 | 異文化体験_北米
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世界買い出し考 -ニューヨーク-  1988.3.19~22


   
(左)バッテリーパークシティから見たスタッテン島(遠くに自由の女神像)(右)ビルの間に世界貿易センタービルが。

 ニューヨークを訪ねる日本の様々な調査団が必ず一度は訪問するのがバッテリーパークシティ。我々の調査団も御多分にもれずご当地に向かう。が、しかしである。はからずも同じ建設省の住宅局調査団とN.Y. Port Authority(港湾局)で鉢合わせになるというN.Y. Port Authority(港湾局)には誠にもってお恥かしい事態が出現してしまった。まさに縦割り行政のなせるわざで、事務局の事前調整のまずさが露呈した次第。

ロングアイランド鉄道車庫の上にデッキを張って空間利用計画

 もうひとつの調査対象はロングアイランド鉄道車庫の上部空間の開発計画調査である。さすがにここでは住宅局との鉢合わせはなかったが。

 
 
(左)海から見たマンハッタン、バッテリーパーク (右)新しく開発されたSouth Street Seaport

 ニューヨークを離れる日は、出発時間までバスでショッピングツアー。小生はこれをパスして当社のN.Y.事務所に足を運び、昼前まで歓談して駐在のT君と一緒にウォーターフロントの見学に行く。スタッテン島へのフェリーで自由の女神を横目に、海からマンハッタンの水際開発を見学し、フルトン魚市場近くのPIER17で昼食。日本でも最近はウォーターフロントの開発が盛んだが、水際空間は何故か人の気持ちを和らげ、開放的にしてくれる。ここSouth Street Seaportには様々なお店が出店している。インテリアグッズの店でライティングで羽根の色がなんとも美しい綺麗な蝶々の標本を購入。

  
(左)South Street SeaportのPIER17     (右)羽根の色が綺麗な蝶々の標本

 PIER17を後にして、サックス・フィフス・アベニューで母親の土産探しをしてトランプタワー近くまで来ると、どこかで見たバスが停まっている。我が調査団のバスである。


 これから空港に向かうと言うので、ここでT君と別れて車中の人となる。バスの中は皆さん、お土産物の山である。ある人はティファニーに入って、「ショウウィンドウのここからあそこまでの商品を全部くれ!」と言って買物をした勇者もいたようだ。きれいなリボンのついた数々のブランド名を誇示した紙袋が車内を独占している。
初めての海外旅行の人も多く、自由時間が豊富で、しかも上級管理職クラスの多い今回の調査団は、正に買出し旅行の一面も有している。

  
(左)5番街の「Tiffany本店」       (右)バスの中、座席にはこの袋や箱が満杯状態

 しかし、何故こうもブランド製品に憧れるのであろうか、成金大国日本の旅行者は、ここアメリカに来てもヨーロッパブランドを追い求め、欧米の区別さえつかない人もいる。
 もっともほとんどが家族や会社の女性からの頼まれもののようだが、空港の待合所で買ったばかりの綺麗な包みを破いて、新品のバッグの中にこれまた新品のバッグやその他の戦利品を何重にも押し込む様は、米国人にどのように映っているのであろうか?





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氷の滝とミュージカルと-ナイアガラ&ニューヨーク-(異文化体験10 地下空間の旅4)

2010年12月19日 15時46分00秒 | 異文化体験_北米
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氷の滝とミュージカル -ナイアガラ&ニューヨーク-  1988.3.19~22


 2度目のナイアガラ。3年前の2月も雪化粧した巨大な氷と化した滝の姿に感動したが、凍結した白い滝ではなく、水煙を高々とあげ霧の乙女号で滝壺近くまで行けるナイアガラもまた見たいものである。

 
(左)3年前1985年2月のナイアガラ       (右)今回のナイアガラ

 アメリカ滝の真正面に位置するメイプルリーフ・フォックスヘッドというホテルの部屋からカクテル光線に映し出されたアメリカ、カナダ滝が幻想的に浮かんで見える。夜の間に雪が更に降って朝は一面の銀世界。快晴の青空に白銀の世界と凍りついた滝から湧き出る水煙のコントラストが実に美しい。

   
(左)夜はライトアップされ、ホテルの部屋からも見ることが出来る。(右)スカイロン・タワー

 
       3年前より1ケ月ほど春に近い分、氷結の度合いは小さい。

 前回よりは春に近い分だけ滝と滝壷の氷も溶け、流れも活発化している。スカイロンタワーで昼食をとりながら、滝の360度の表情を余す所なく見物し、バッファロー経由でニューヨーク・グランドセントラル駅に近接するハイアット・リジェンシーホテルにチェックインする。

  
(左)手前から順にグランドセントラル駅、ハイアット、クライスラービル。(右)ロビーはきんきらきん

 ハイアットと言えばキンキラキンの高級ホテルである。今宵は世界貿易センタービル最上階の「Windows on the world」での食事、明日の夜はレストラン「サントリー」での久々の和食の後、ミュージカル「CATS」と予定が組まれている。

 
  ニューヨークの象徴的ツインビル「世界貿易センタービル」最上階のレストラン「windows on the world」

 ミュージカル「CATS」は、米国では1982年10月にブロードウェイのウインター・シアター・ガーデンでデビューし、1997年6月まで実に6138回も同じチームで演じられた最長公演ミュージカルである。(ブロードウェイでは、結局2000年9月まで実に7485回も上演されたようだ)。

  ウィンターガーデン・シアター・チケット

   
(左)公演ガイドブック     (右)キャッツの一シーン

 世界的に大ヒットしているこのミュージカル、明日の夜が大いに楽しみだ。



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巨大地下通路計画 -トロント-(異文化体験10 地下空間の旅3)

2010年12月12日 10時09分50秒 | 異文化体験_北米
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巨大地下通路計画 -トロント-  1988.3.18~19

 オンタリオ湖に面した美しい街トロント

 早朝のモンレアール(モントリオール)を弁当持ちで出発、エアカナダでトロントまで1時間のフライト。イートンセンター近くの市の出張事務所で地下街の説明を受けた後、現地見学に出発する。

 巨大ショッピングモール「イートンセンター」

 イートンセンターを拠点とする地下街は、天井がガラス張りの地上3階、地下2階の巨大吹抜け空間を構成し、一大ショッピングセンターとなっている。金曜日の午前であるが、沢山の市民で賑わい、カナダ最大の人口300万都市の活気が伝わってくる。
 迷路のような地下街は、ビルの地下と連繋し道路の地下を潜り抜けオンタリオ湖近くのユニオン駅まで伸びている。ユニオン駅は「暴走特急」というパニック映画で、暴走機関車が駅に突っ込むシーンのモデルとなった駅。映画のラストシーンが目に浮かぶ。

ユニオン駅


 モンレアール同様、かくの如き地下街が何故発達するのか? 厳しい冬を迎えるこの地の人にとって、外気に触れることなく厳冬期の生活を楽しむニーズは非常に高い。
 当初、ユニオン駅でごく僅かの区間出来た地下通路が、あっという間に市の中心部に広がっていったようだが、ランダムな通路形成は意味がないので、市がマスタープランを作成し、ビルオーナーがそれに協力するという形で今日も少しずつ延長を延ばしている。

 アメーバー状に延長を拡大する地下通路

 ビルオーナーも地下通路を確保することは、それだけビルの付加価値を高めることになり、ビルとビルを結ぶ道路横断の通路は、両ビルオーナーと市が夫々1/3ずつ負担している。地下通路で人の通行が確保されると、通路の片側あるいは両側に自然と商店が貼り付き更に人が集まるという好循環を繰り返している。

 中華レストラン「Lichee Garden」で昼食 

 巨大ショッピングセンターは、自然光を取り入れた明るく楽しい空間を構成している。各店は日本人の異常なまでの高級ブランド指向という傾向も見られず、国産ブランドを大切にし、台湾や韓国で作られていようが良いものは受け入れる土壌が先進国としての誇りの中で息づいている。
 地下街視察ツアーは「Lichee Garden」という中華レストランでの昼食をはさんで、これでもか!これでもか!と夕刻まで続いた。


「Royal York Hotel」

 今宵の宿舎は英国王室御用達の「Royal York Hotel」。そのホテルのレストランでの魚料理。1400室近い客室と10数種類のレストランを有する格調高いホテルである。それにしても何を食っているのか分からない薄暗い蝋燭の明かりの中での食事であった。

 食後は昨夜の話を聞きつけた連中も加わって、タクシー2台に分乗しての5$遊び。今宵も5$紙幣が乱れ飛んだが、最後に呼んだ可愛い黒人の女の子。皆、目を皿にして凝視したが、教訓!暗がりでは黒人の女の子を呼ぶべからず!

  
(左)トロント・シティホール  (右)トロントのランドマークタワー「CNタワー553m」

 翌朝はナイアガラ出発までバスによる市内観光ツアー。N設計のO氏と私はこれをパスして街をぶらつくことに。まだまだ寒いトロント、高層ビルが林立する間をビル風が吹きまくる。シティホールまで歩くともう我慢の限界。結局イートンセンターに潜り込むことになった。
 地下空間はなるほど生活必需品であることを実感した次第。しかし、おかげで553mの世界一のCNタワーに上る機会を逸してしまった。ああ、残念、無念!


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5ドル紙幣が飛ぶように・・-モントリオール-(異文化体験10 地下空間の旅2)

2010年12月07日 22時37分19秒 | 異文化体験_北米
(写真はクリックで拡大します)


5ドル紙幣が飛ぶように -モントリオール-  1988.3.16~18

 モン・ロワイヤル公園からの眺望

 「モン レアール」、これが地元での呼び名。カナダで仏語を公用語とするモントリオールは、このためにカナダ最大の都市から第2番目の都市に転落。Bank of Montrealの本社までトロントに移ってしまったとか。今回の建設省地下空間利用の調査団は、小生にとって初めて建設業界の人とのお付合いである。この業界、技術的には日本が先進国なので、専らデザイン等ソフト面での興味が強く、写真、ビデオを撮りまくる旅となった。日本で地名学を勉強したジルという仏系カナダ人がガイドしてくれる。

    
(左)1976年のオリンピックスタジアム        (右)サン・ジョゼフ礼拝堂

 モントリオールは、高層ビルが林立する外見的には米国的な雰囲気と、どこか欧州的な街の雰囲気とが融合する何とも奇妙な近代都市である。今回の宿舎は「クィーン・エリザベス」。1969年、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが1742号室で「Bed in」し、同年6月1日に"Give Peace a Chance"を収録したホテルとして有名である。
 Le Caveauというフランス料理屋での夕食は、ジルの日本の地名の由来に関する話題で彼の一人舞台であった。

 
(左)今回の宿舎「クィーン・エリザベス」  (右)1969年ジョン・レノン&オノ・ヨーコの泊まった部屋

    
(左)ノートルダム聖堂のステンドグラス      (右)レストラン「Le Caveau」

 翌日は、市の地下街建設のヒアリングを午前中に終え、午後は交通局のおじさんの案内で現場視察。ヨーロッパ的街づくりの一面は、セントジェームズ教会の下の地下街建設に如実に現れている。古い歴史を持つこの教会の下を地下街が通る計画に教会は反対したが市とのネゴシエーションの末、教会を現状姿どおりに残すため何本もの杭で下支えして工事を行い、教会の裏の超高層ビルは教会との美観的調和を重視して、教会の尖塔を模した設計となっている。

     
  地下街建設現場:セント・ジェームズ教会を現場有姿で持ち上げ、その下を開削している

 交通局のおじさん、仕事熱心は大いに結構なのだが、地下鉄を乗り継いで良く似た地下街や地下通路をこれでもか、これでもかと見せてくれる。日本のようなターミナル中心の商業主義的地下街と異なり、彼等の考え方は「ネットワーク化」が根本にある。
 地下鉄と地下街、地下通路のネットワークでどこへでも自由に行けるようにしようと考え、年々ネットワーク網は拡大している。(参考:現在では全長33キロ)とても1日では廻りきれない。1時に出発して5時半まで地下街を団体でうろうろ、おまけに皆が写真をバシャバシャ。市民には我々一行がどのように映ったのであろうか?
 ちなみに、市内観光で「地下街探訪ツアー(85カナダドル)」なるコースがあるようだ。

   
(左)市の事務所で、女性スタッフと    (右)巨大ショッピングセンター「イートン・センター」


 
 中央駅で解散となり、夕刻7時の食事まで自由行動。最大のデパートEATONSや地下商店街を訪ねる。ファッションはここカナダでも東南アジア製品がほとんどで、余程の高級品でない限りカナダ製を見つけるのは難しい。特に若い世代のファッションはカナダブランドのものでもNICS製と考えてよい。NICS製品に対する考え方を改める必要があるようだ。

  
(左)結構この手の店が多い街(参考写真)    (右)5ドル紙幣がこんな感じ(参考写真)

 食事後のナイトライフは、数名でストリップに行こう!ということになった。本ツアーで初めて会った者同士が打解けるにはこれが一番速い。
 ここでは日本と違って舞台がない。4$程度のドリンク付きの入場料を払うと、各席に下着姿の女の子を呼んでのショウの開始となる。1曲5$が相場らしい。女の子はスポンサーに向かって踊りながら徐々に下着を取り、目に前で形の良い裸体を商売道具の小さな踏み台に乗って見せるのである。

 我々のような数名の団体さんは明るく陽気にやっているが、一人で来ている現地の常連さんは全裸の女の子と目と目で視姦しあう怪しげな雰囲気。あの子が良い、いやあの子にしよう、と5$紙幣が瞬く間に消えてゆく。若い女の子が多く、明るくさっぱりしているのが良い。明日の夜のために5$紙幣を集めておかなくては。
 だって、チップのお釣りという訳にはいかないもの!


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8階は砂の海 -ミネアポリス-(異文化体験10 地下空間の旅01)

2010年12月01日 22時39分16秒 | 異文化体験_北米
 バブル経済真最中の日本。地価は暴騰し、都市計画上もっと密度を上げた空間利用を!と建設省が地下空間の利用調査を行うことになり、その調査団の一員としてアメリカ・カナダを旅することに。テーマは「地下空間の利用」。さてさて、どんな旅になることやら。


(写真はクリックで拡大します)


8階は砂の海 -ミネアポリス- 1988.3.14~16


 成田の滑走路の端に来て、出力一杯のエンジン音を響かせて今にも滑走を始めようとしかけた時、機長が「エンジン不調につきゲートに引き返す。しかし貴方達は幸せなことに代替機が2時間後に準備出来るのでしばらく待って欲しい」と機内アナウンス。もし、飛び立っていたらと思うとぞっとする。出発前日、S嬢がお守りを届けてくれたが、そのお陰かも。Sさん、有難う。

 ミネアポリス市庁舎の「ファーザー・オブ・ウォーター」像

 市長から「名誉市民」の称号が与えられる

 ミネソタ州ミネアポリスは、先週大雪が降り路上の至るところにその名残がある。ミネアポリス市庁舎の玄関ホールには、1904年に製作された古代の河の神を象った大理石の「ファーザー・オブ・ウォーター」という巨大彫像がある。その市庁舎を訪問すると、市長自ら出迎えて市の現状を説明の上、メンバー全員に「名誉市民」の称号を記した賞状を手渡して歓迎してくれる。日本国政府の便益供与依頼の賜物とは知りつつ感激である。
 デンバーからの飛行機で隣に座ったおじさんが、箸の持ち方や大阪周辺の事にやたらと詳しい。どうしてそんなに良く知ってるの?と尋ねると、ミネアポリスは大阪府茨木市と姉妹都市関係にあり、文化交流が大変盛んだと言う。

 
(左)1915年 セント・アンソニー滝周辺       (右)1988年 同じ場所

 ミシシッピ川唯一の滝であるセント・アンソニー滝の周囲に発展したこの街は、製材、製粉業からハイテック産業に衣替えの途上で、スリーエム、ハネウェル等の本社がある。地層構造が地下利用に適しているので、あるデベロッパーは大地下都市構想を市に提案しており、ミネソタ大学の鉱物学教室は自らの建物を地下利用している。エレベーターで8階に行ってくれと言うので、乗ってから8階のボタンを探すが3階までしかない。聞き違えたのかな?とよくよく見ると地下に8階がある。

     
(左)ミネソタ大学工学研究室 地下8階  (右)拡張工事現場 綺麗な砂の層

 工学研究室がごく普通の大学の研究室と同様に地下空間に並んでおり、学生が実験をしている。この階の拡張工事現場に行くと、どこかの海岸を思わせる一面の砂場である。石灰石の下に砂層が広がる地層構造のようで、地震のないこの地では地下都市建設が非常に安価に出来るのだそうだ。


 ミネアポリス名物ダウンタウンの「スカイウェイ」

 一方、地上ではダウンタウン中心に「スカイウェイ」が張り巡らされている。ミネアポリスのスカイウェイはダウンタウンの80ブロックにわたり、総延長は11kmにおよぶ大規模なもの。各ビルの2階を利用して道路を横断するカプセル様の道は、ビル内の公共スペースと連絡しており、冬の寒い時期でもコートなしで好きな所に行ける。1階の車道を通る車と2階のスカイウェイを通る人との歩車分離にもなっている。このスカイウェイ計画、まだ全ての建物には連絡されておらず、今後順次整備されるとのこと。

 ニコレットモール近辺 いまいち活気がない

 火曜日の夕刻、一人でスカイウェイ散策に出掛けると、せいぜい人口10数万人の都市(周辺を入れると40万人)のこと、人通りは少なく、百貨店も今ひとつ活気がない。メインストリートのニコレットモールに面した商店も空家が目立つ。市長が「市民が郊外に出て行くので、呼び戻し策を考えないといけない」と言っていたが、都心の地底都市はどうなることやら。

 街中には半地下住宅も見られる

 光を地底都市に伝達することも彼らにとっては重要な課題。反射鏡や光ファイバーを使って、様々な仕掛けを大学の地底教室で実験している。地下8階に反射鏡を利用した景色窓があり、そこに地上の景色を写している。何もそこまでしなくとも、と思うが、決してスカートの中を覗こうというのではありません。念のため。

 大学地下8階の景色窓(反射鏡を利用)


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