Anchor

旅行記、世相独言

花伝抄と3月の嵐山

2018年03月24日 09時42分12秒 | 異文化体験_日本
(写真はクリックで拡大します)
花伝抄と3月の嵐山


 2018年3月8日、9日に嵐山を訪問しました。大阪から近畿道、名神高速道、京都南IC経由で、午後2時半ごろ嵐山駅の前に位置する「花伝抄」にチェックイン。

  
      「花伝抄」の玄関            アプローチの紅白の梅               館内施設案内

 あいにくの雨と寒さで、初日は「花伝抄」の温泉三昧。通された部屋は、京町屋タイプで、他に京モダン、京和風の3種類の部屋があるようです。私は作務衣に、女房は選んだ浴衣に着替えて、早速、花伝抄の湯めぐり開始。

            
                             京町屋の部屋

 湯めぐり小路というところに、5つの貸切湯屋(夢想の湯、霧の湯、絹の湯、竹庭の湯、茜の湯)があり、内湯や露天風呂となっています。貸切湯屋は沸かし湯で、温泉ではありません。我々夫婦は、露天のラジウム湯の茜の湯へ。赤レンガに囲まれた半露天風呂で雨がかかるので、ほどほどに大湯屋に移動。
 大湯屋「平安の湯」は、内湯が石造りの嵐山温泉(低張性弱アルカリ泉)で、露天風呂は薬湯(この日は備長炭湯)でした。うたせ湯、ミストサウナ、乾式サウナ等もありました。
 この「花伝抄」は、11月に行った出雲「佳雲」、2月に行った伊勢「伊久」、過去何度も行った白浜「海舟」等、共立メンテナンスが経営する宿舎で、湯上りにはアイスやヨーグルト、夜には夜食として夜泣き蕎麦等をサービスする共通のシステムで客をもてなしています。

            
           5つの貸切湯屋               大湯屋「平安の湯」(いずれも館内案内より)

 夕食は、5時半と8時の組に分かれますが、我々は5時半から美食小路「北山遊水」で会席料理の夕食をいただきました。お品書きに雛祭りと書かれた全11品の会席で、京都らしく5品の中から2品を選ぶお晩菜料理や7種のお替り自由の揚げたて天ぷら等が提供されています。
 半個室の食事処は結構大きく、利用客も今まで泊まった「海舟・佳雲・伊久」等と異なり、場所柄、時期柄のせいでしょうか、若い人達や海外の人たちが多いのにはびっくりでした。そんなにお安い旅館ではないのですが。
 食後は、ライトアップされた庭を見ながら想い出小路で、コーヒーやソフトドリンク、試食ベースの甘いものなどが自由に取ることが出来ます。

  
御食事処の美食小路「北山遊水」            雛祭り会席のスタート                お品書き

             
   想い出小路でソフトドリンクのフリードリンク             ライトアップされた中庭

 翌朝、雨は幸い上がりましたが、気温は上がらず肌寒い曇天の嵐山です。
 朝食は、ブッフェスタイルで地産地消の料理を楽しむことが出来ます。テーブルに2段重ねのお重と鯖味噌汁が出されますが、これは正直あまり大したものは入っていませんでした。特に私のように鯖アレルギーの人は要注意です。
 チェックアウトは、11時でしたので、都合4回の入浴を楽しみ、チェックアウト後、宿の駐車場に車を置いて、嵐山界隈を少し歩きました。チェックアウト時に、車で来た人は駐車代金千円を徴収されます。(多分、旅館の駐車場がそれほど広くなく、隣接する公営駐車場を利用する人は、千円の駐車場を払うため、公平上の扱いかと思います)

            
   朝食(味噌汁と2段重、あとはブッフュスタイル)           客層は近隣諸国の若い人達も多い 

 曇り空に冷たい風が吹き抜ける渡月橋ですが、海外からの和装の若い女性や家族連れで結構賑わっています。天龍寺から竹林の道を抜け、野宮神社までを散策し、宿に戻って京都縦貫道への近道を聞いて帰阪しました。

  
   寒々とした渡月橋                天龍寺                  天龍寺の池で見つけたサギの一種?

  
          竹林の道(心斎橋筋並みの人通り)                      野宮神社の苔庭

            
                       各店舗も趣向を凝らしたアピール

  
渡月橋の下で、微動もせず寒くないのか?        和装姿の女性たちが多い        蕾固く春はもう少し先か?     
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

修二会(しゅにえ) 古都奈良の「お水取り」

2018年03月09日 22時13分04秒 | 異文化体験_日本
(写真はクリックで拡大します)

修二会(しゅにえ)  東大寺二月堂のお水取り

練行衆たちの十一面悔過行
         
2018.03.06

 古都奈良の通称「お水取り」「お松明」と呼ばれる春を告げる行事は、正式には修二会と言うが、3月1日から14日まで東大寺二月堂で行われる。

      
    東大寺二月堂への指標             お松明を待つ二月堂(まだ周辺照明は照らされている)

 修二会は、東大寺の開山「良弁僧正」の高弟「実忠和尚」が、「兜率天(とそってん)」で天人たちが十一面観音の悔過(けか)を行ずる様子を見て、これを人間界でも行いたいと願い、天平勝宝4年(752年)から始まり、今年で実に1265回目となる。

 修二会の本行は、二月堂の本尊十一面観音に、11人の練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる精進潔斎した行者が過去の罪を懺悔し、その功徳により仏法興隆、天下泰平、万民豊楽、五穀豊穣などを祈願するもので、練行衆が登廊を昇る際にお松明が清めと明かりとして焚かれ、童子が松明をかざして練行衆を堂内に送り込んだ後、その松明を廊下に持出し火を振り回すのが習わしとなり、今日多くの観光客を呼び込む行事となっている。
 連日10本のお松明が上堂するが、3月12日は一回り大きな籠松明を含め11本のお松明が上堂することもあり、TV等のニュースで取り上げられる。

      
                上堂の廊下を駆け抜けるお松明の踊る炎

 「お水取り」が済むと春到来と昔から言われるが、この「お水取り」は3月12日後夜の咒師(しゅし)作法の中で、13日午前1時に5人の練行衆と共に閼伽井屋(あかいや、別名若狭井)に向かい、香水を汲み、内陣に運び込んで須弥壇下の香水壺に蓄えご本尊に供える行事。
 この水は若狭の遠敷明神が参集に遅れたお詫びに、二月堂本尊に献じたと伝えられ、若狭の神宮寺ではこの井戸に送水する「お水送り」の行事が行われている。

  
         上堂の廊下を駆け抜けるお松明の乱舞する炎                左手から新たなお松明が。計10本のお松明

 行ったのは3月6日。初夜上堂(松明上堂)を見ようと数千人の人々が集まっている。
 照明に照らし出された二月堂が、午後七時に一斉に消灯され、お松明と共に練行衆の登廊が始まる。登廊が終わるといよいよ童子によるお松明の炎の乱舞が始まる。
 童子の経験がお松明の炎、火の粉の乱舞を左右する。10本のお松明による20分ほどの炎の乱舞が終わると、多くの観客が引き上げるが、二月堂内で行われている作法を垣間見ることも出来る。東西南北四つの局口から堂内に入り、内陣から聞こえる声明(しょうみょう)の調べや練行衆の動きの気配を感ずることが出来る。また、お松明の燃え滓に功徳があると信ずる人達は、燃え滓集めに精を出している。
 午前11時50分にから始まる六時の行法(日中・日没・初夜・半夜・後夜・晨朝)が終わるのが、午前零時40分頃。

  
左:出番待のお松明(根っこ有「さだまさし氏」奉納の竹) 中:12日の一際大きい籠松明(60kg)   右:通常の松明(40kg)

  
  登廊から見る二月堂                上堂の廊下                     局口から本堂内部へ

           
  局口から入って内陣での行を聞きいる              六時の行法(3月6日の例)

           
上堂から見る夜の奈良市内(手前に大仏殿の屋根が)      お松明の燃え滓(御利益があるのでこぞって拾う人も)      


 春は、もうそこまで来ている。   「水取りや 籠りの僧の 沓の音」    芭蕉
                                            (参考:京都感動案内社 代表 小嶋一郎氏資料)


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関宿のお雛祭り

2018年03月01日 21時47分23秒 | 異文化体験_日本
(写真はクリックで拡大します)
関宿のお雛祭り

2018.02.09


              

 お伊勢参りの帰りに立ち寄った関宿。初めての訪問だ。車を「道の駅」関宿に置き、ここで関宿のイラスト案内図をゲット。道の駅前の地蔵院口交差点から10分ほど歩いて関宿街道筋の地蔵院(重文)に。この道は、明治23年に四日市‐草津間の関西鉄道開通時、関停車場への道として整備されたステンショ道と呼ばれている。

  
        「道の駅」関宿           イラスト案内図(道の駅に配備)   地蔵院口交差点の街道おんな唄の碑     

冬の平日、かつお昼時ということで、街道筋は人影がまばらである。「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ」という俗謡が伝えられている地蔵院。本堂、鐘楼、愛染堂が重文指定されている。

      
「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ」地蔵院        関宿の中心部イラスト  

関は古代三関の一つ「鈴鹿の関」に由来している。東海道53次の江戸から47番目の宿場町として栄え、今なおその面影を残す数少ない歴史的町並みは、昭和59年に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。東西約2kmにわたり、江戸期から明治にかけての古い町屋200軒ほどが残されている。
現在、街道筋は東西追分を東から「木崎の町並み」「中町の町並み」「新所の町並み」の3つの町並みで構成されている。

      
    地蔵院方面から見た新所の町並み               新所の旧田中家住宅

福蔵寺は、秀吉との後継争いに敗れ、知多半島で自害した信長の三男信孝の首を織田家旧家臣大塚長政がこの寺に持ち帰り、首塚を設け信孝の菩提寺としたようだ。また、この寺には関のお万の墓と記念碑もある。関の小万は、女の身で父の仇討ちをした仇討烈女として知られ、鈴鹿馬子唄にも謡われる。

      
      織田信孝の菩提寺・福蔵寺            福蔵寺境内の「関のお万」の墓と記念碑

関宿には様々な町屋の特徴が見られるが、時間の関係でゆっくり見て回ることが出来なかったが、「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、またも泊まるなら会津屋か」と謡われた玉屋の旅籠歴史資料館、また伝統的町屋を公開した関まちなみ資料館などが必見である。また、中町の百六里庭(江戸から百六里に由来)に眺関亭があり、二階から関宿の家並みが一望できる。

  
「㋰塗籠の格子が映える虫籠窓」の家          中町の家並み             関札場跡(後ろは郵便局)

  
家光時代から370年続く深川屋           深川屋銘菓「関の戸」              玉屋旅籠歴史資料館

                
 イラスト案内図に詳記されている家並みの特徴      百六里亭の眺関亭2階から見る関宿の家並み


当地に訪れたのが2月9日金曜日。町々に貼られたポスターによると、「亀山宿・関宿の東海道のおひなさま」なるイベントが、明日10日から3月4日まで開催されるようだ。このため、家々の戸内には綺麗に飾られた雛壇が見て取れる。残念ながらガラス戸越しの撮影だが、様々なお雛様を楽しむことが出来た。

      
                    お雛祭りのポスターと家々の雛段飾り

      
          一際立派な雛段飾り                    関宿のマンホールデザイン 

次回は、東海道五十三次の内、亀山宿・関宿をゆっくりと楽しみたいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする