ナポリの再生(その1) (南イタリアの休日2) 2017.07.14
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ポンペイからナポリに戻り車窓からの市内観光。王宮からサンタ・ルチア周辺は様々な工事やインフラ整備がなされ、随分楽し気な空間になっている。以前訪問時のウンベルト1世のガッレリア周辺は退廃的な雰囲気であったが、今は気軽に歩ける街に変貌している。
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Napoli市街地図 サンタルチア方面に向かう(道路左手はトラムの工事が)
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ヌォーヴォ城(中央入口アルフォンソ凱旋門) 左手王宮、奥がプレビシート広場 ウンベルトⅠ世ガレリア方面
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現在お化粧直し中のウンベルト1世ガレリア 閑散としていた21年前のガレリア 12世紀建造のかつての王の住居「卵城」
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サンタルチアの海岸通りに面した緑地帯の前の海岸で海水浴を楽しむ人々(砂浜に乏しい海岸ゆえテトラポッド上で日光浴)
ギリシア語の「ネアポリス」(新しいポリス)を語源とする「ナポリ」は、古代ギリシア人によって建設された植民市で、13世紀以降ナポリ王国の首都として南イタリアの政治・経済の中心地として栄えた。
元来、イタリアのイメージである輝く太陽に温暖な気候、人々の陽気さは、このナポリが元になっている。しかし、その裏側では反社会的勢力がはびこっており、ここナポリはマフィア・カモッラの影響が強い都市である。
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ENIの社章 現在のSNAMの社章
イタリア最大の企業集団ENIの傘下に私と同業のミラノを本拠とするSNAMという巨大なガス会社がある。現役時代、知人であるこの会社のCEOのL.M氏と会食した際、氏がやや複雑な表情で「この度、ENIの総裁を引き受けることになった。前任者がマフィアとの贈収賄の容疑で収監され、彼らの手によって獄中で殺された。」と打ち明けてくれた。昇進はおめでたい話なのだが。ここナポリもマフィアが関与するごみ問題や環境問題で一時都市機能が退廃し、その影響は今なお残っている。
そんなナポリではあるが、ポジリポの丘から見るナポリは、ヴェスビオやソレントの岬、カプリ島と共に、人々をして「ナポリを見てから死ね (vedi Napoli e poi muori)」と言わせしめる景色を提供している。
以前、ここに訪れた時、その景色もそこそこに屋台のネクタイ屋に群がる同行の男性たちがいた。何でもないネクタイなのだが、裏地を見ると当時日本では解禁されていないヘアヌードの女性のプリントが。日本人向けの新手の商売である。お土産に沢山買って帰った同行の士がいたのを思い出す。かく言う私も1本買って帰ったが、どこかにお蔵入りしている。
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ポジリポの丘から見たナポリ市街とヴェスビオとソレント半島(デジタル2枚連結) 21年前のアナログ写真
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世界3大夜景の一つと言われる夜景(借用写真) 2000年前の爆発で上部が吹っ飛んだヴェスビオ火山
夕食時である。ツアー初日の夕食は、海岸に近いCIROというレストランでのナポリピッツァの代表格、トマト(赤)とバジル(緑)とモッツアレラ(白)のシンプルピッツァ「マルゲリータ」とサラダ、カプリ風ケーキ。最初は美味しいがその大きさが邪魔をして、完食者は若い人達。
マルゲリータは、統一イタリア王国のマルゲリータ王妃が1889年ナポリ来訪の折、ブランディという店がイタリアの三色旗を模して前述の材料で生地を飾って捧げたことに由来する。
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サンタルチアのレストランCIRO(18時開店、それまで近くのスーパーで時間つぶし)
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27人分のピッツアを1枚1枚焼いています 直径30cm級のピッツア・マルゲリータ(過ぎたるは及ばざるがごとし)
今宵のホテルは、市の中心から5kmほど離れた自動車会社が集まる企業団地に位置する何故か「AMERICAN PARK HOTEL」。口コミでは悪評高きホテルだったが、それほどでもなく、湯船につかって早々に就寝。
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トリップ・アドバイザーの酷評で覚悟していたホテルだが、バスタブもあり、お湯も出て一安心。それにしても食事を何とか・・・
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