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旅行記、世相独言

必見!オスティア・アンティカ ― ローマ ― (異文化体験28 イタリア満喫の旅10)

2013年03月31日 11時01分27秒 | 異文化体験_西欧
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必見! オスティア・アンティカ ― ローマ ― 96.05.05

 今回のイタリア旅行を締め括るナポリ・ポンペイ見物がバス運転手組合のストで出来なくなった。急遽旅行ガイド本と相談して決めたのが「オスティア遺跡」の見物。情報が少なくどんな所か全く見当がつかないが、何か面白そうだ!。

 ローマ・テルミニ駅から地下鉄B線でマグリアーナへ、ここでオスティア・リド線に乗り換えオスティア・アンティカ駅で下車。所要時間は約1時間。

 全くの田舎駅、降りる人もなく寂しい限りだが、地図を頼りに駅からまっすぐ伸びる道を歩くこと約5分、遺跡らしき場所に着く。特に入口といった感じのものはなくそのまま古代遺跡の中に迷い込むことになった。案内板も順路表示もなく、ただただ想像を膨らませてこの古代遺跡を自分なりに捉える必要がある。

 
(左)乗降客も少ないオスティア・アンティカ駅  (右)駅から徒歩5分、いつの間にか古代都市に。

 オスティアは、古代ローマ帝国の首都ローマの外港都市として紀元前6世紀から紀元5世紀まで繁栄を続けた町。最盛期には10万人が居住したと言われている。
 テヴェレ川の河口、ティレニア海に面した商業港で、必要に応じて上流30kmのローマに物資や人を運んだようだ。発掘面積はローマ帝政期の町の1/3、約34haに及び、公衆浴場10、家屋密集地区162、うち数階建てマンション66、製粉所2、劇場1、大きな独立家屋22、その他多くの倉庫、神殿、飲食店などが陽光を浴びることになった。

 かつてローマの外港として栄えたオスティアの町


 最初に目にしたのは白と黒のモザイクが敷き詰められた広場。同業組合のフォーラムという名前がついている。ここは古代オスティアの国際商業都市としての性格が色濃く出ている。
 かつては中心部に神殿があり、その周りに地中海沿岸諸国の各種業界の代表が駐在事務所を開設していたようだ。白と黒のモザイクで自店の取扱品目等を描き、それが看板の役割を果たしていた。回船問屋の船、升に入った小麦、象牙商の象、決闘用の猛獣供給商人等々、見て回るのが結構面白い。

 同業組合のフォーラム(いろんな看板モザイクがあって面白い)

 オスティアの劇場は、アウグストゥス帝時代の紀元12年の建造で紀元196年に3500名収容に改造されたという記録がある。

 3500人収容の劇場(夏にはオペラやコンサートが演じられる)

 レストランと思しき建物は、通りに面してカウンターがあり、背後の柱にはメニューの一種と思われる料理が描かれている。二階建てのようで二階にはバルコニーがあって夕涼みが出来るようだ。

 ポンペイにも浴場の前にこんな居酒屋や食堂があったなあ

 レストラン近くの通路には、紀元前4世紀の城塞の壁画が展示されている。日本の高松塚古墳の壁画の扱いを思えば、何とも気の毒な扱いである。

 元は赤い極彩色の壁画、退色しているが高松塚級

 赤煉瓦の肌がむき出しの一際大きな建物は、雑草の茂る広場に面して階段が設けられ、オスティアの公共広場とカピトリウム(神殿)のようだ。古代は全て大理石板の化粧がなされて、階段上の大きな祭室には神々の巨像が立っていたという。

  後方は公共広場とカピトリウム(神殿)

 沢山あった公共浴場の一つ、ブティコススの公共浴場。その温湯室の2つの大理石の湯舟の間に海神たちを主題にした立派な2000年前の床モザイクが残っている。 

 見事なモザイクが残ったブティコススの公共浴場

 オスティア遺跡の中で、高さの点で特徴のある総合建物がある。「戦車の御者の家」「7賢人の公共浴場」「礼拝堂」等々からなるこの大きな3階建ての建物、全ての用事をこの一区画で済ませられそうである。それにしても2000年前に高層建物があったとは、驚きである。

   
                  (左・右)「戦車の御者の家」3階建ての立派な建築

 何時間いても興味深く、面白い古代都市巡り。自由にどこにでも入っていけて、自由に触れることが出来る。それだけに古代の匂いがぐっと身近なものに感じられる。空想や想像が止まることなく駆け巡る。
是非、是非お薦めの古代遺跡である。

  
                     EDIZIONI STORTI刊、坂本鉄男著「オスティアの遺跡」より

 ここオスティアに博物館があることが帰る直前に分かったが、時既に遅し。立ち寄って解説書だけを買ってオスティアを後にする。
(本ブログに書いた解説は、購入したEDIZIONI STORTI刊、坂本鉄男著「オスティアの遺跡」から一部抜粋した)


 ローマに戻って、今夕は我々の「最後の晩餐」である。今回の旅の二人の思い出深い料理は期せずして一致し、フィオレンティーナ!と決まった。ホテルで教えて貰った近くのトスカーナ料理店で再び1kgのTボーンステーキにトライする。

  最後の晩餐は、トスカーナ料理フィオレンティーナで。

 グループ旅行では味わえない、手作りの自分達の時間スケールとペースで旅行した12日間の旅、女房殿にとって忘れられない旅になったようだ。

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ローマの休日 -ローマ-(異文化体験28 イタリア満喫の旅9)

2013年03月23日 23時51分10秒 | 異文化体験_西欧
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ローマの休日 -ローマ- 96.05.04

 アッシジを出たバスは夕刻ローマに到着。ホテル・エクセルシオールにチェックイン後、まだまだ明るいローマの街を散策する。ホテル前のヴェネト通りを南下し、バルバリーニ広場からスペイン広場に向かう。この広場の階段には西日を浴びて、大勢の人たちがローマの休日の一場面を連想しているかのように坐っている。広場前の賑やかなコンドッテイ通り、コルソ通りを経て、トレヴィの泉に出る。

    
(左)いつも人だまりの絶えないスペイン広場             (右)トレヴィの泉
 
 さすがにお腹も空いてきたのでこの辺りのトラッテリアで夕食を済ませ、再び薄暮のホテルまで戻る。ホテルの前は映画でも有名な「カフェ・ド・パリ」。「お茶でもして部屋に戻ろう」とVia V. Venetoに面したテラス席でローマの最初の夜のひと時を過ごす。

 ホテル向いの「カフェ・ド・パリ」でお茶

 さあ、明日はゆっくりローマ見物をしよう!

 12年前、初めてローマを訪れた時の事を思い出す。その歴史的建造物に目を奪われ、足の痛みもなんのその、男二人で早朝から夜遅くまでひたすらローマの街を歩き回って史跡めぐりをしたことを思い出す。
 ヨーロッパの都市は、その旧市街地を中心に徒歩でゆっくり観光できる点で車社会のアメリカの都市とは大きく異なる。今回は、わが女房殿にそこまでのスタミナは期待出来そうにない。

       
(左)ヴァティカン市国 サン・ピエトロ広場(Wikipedia)    (右)ヴァティカンにおけるミケランジェロとラファエロ
 
 まずは、ホテルに近い地下鉄A線バルベリーニ駅から終点のオッタビアーノ駅へ。カトリックの総本山ヴァティカン市国見物に出かける。
 エジプトから運ばれた巨大オベリスクを中心とする円形広場の半円形の回廊は、284本のドーリア式円柱と140人の聖人像で飾られている。サン・ピエトロ寺院は4世紀に聖ペテロの墓上に建てられたバシリカが始まりで、ミケランジェロらが再建に取り組み完成を見たのは1626年。
 入口右側にミケランジェロ作「ピエタ」がある。屋上クーポラへは330段の階段がテラスに通じているが、今は有難いことにエレベータが利用出来て、サン・ピエトロ広場を一望できる。

      
(左)ミケランジェロ 最後の審判       (右)システィーナ礼拝堂 天井画

 ヴァティカン宮殿1階のシスティーナ礼拝堂にはミケランジェロの大作が、また2階にはラファエロの世界が待ち受けている。数年かけて修復された「最後の審判」他の壁画は実に色彩豊かで見る者を感動の世界に引きずり込む。
 
 悲しいかな、ヴァティカンではカメラが電池切れになって、写真が撮れず。その分、しっかり瞼に焼き付けた次第である。


 次は、オッタビアーノ駅からテルミニ駅乗換、B線のチルコ・マッシモ駅へ。217年に完成し1600人収容のカラカラ浴場に行く。残念ながら期待とは裏腹に廃墟同然の姿に幻滅。

       
(左)カラカラ浴場                       (右)Bonechi社刊 名鑑ローマ

 再び地下鉄で1駅戻ってコロッセオ駅へ。駅近くのピッツェリアで昼食後、まずは収容5万人以上、紀元80年に建造され「コロッセオが滅びる時、ローマは滅び、その時世界も滅びる」と言われた巨大円形闘技場「コロッセオ」。様々な死闘が繰り広げられたアリーナは、後世の建築資材として持ち去られ、猛獣の檻等の下部構造を直接見ることが出来る。

        
(左)コロッセオからフォロ・ロマーノ周辺         (右)コロッセオにて

 お昼になるとさすがに暑い。ジェラートを買って、頬張りながらコンスタンティヌス帝の凱旋門からフォロ・ロマーノを散策する。自らがローマ時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る。様々な建築物のかつての姿、そこに営まれたであろう社会生活、空想はとどまる所を知らない。そんな古代ローマを再現・描写した本も売られていて、空想の手助けとなる。

    
(左)フォロ・ロマーノ                     (右)ローマ 重ねて見る昨日と今日

 想像を掻き立てるフォロ・ロマーノにて

 気がつくとヴェネツィア広場近くまで来てしまった。ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世記念堂が間近に見える。かなり歩いたので足にぼつぼつだるさを感じるようになってきたが、まだまだこれからと女房殿をせきたてる。南下して今度は、パラティーノの丘近く、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の「真実の口」に向かう。幸い2組のカップルがいたのでお互いの写真を撮り合う。

 映画「ローマの休日」で有名になった「真実の口」

 映画「ベンハー」で強烈な印象が焼き付いている古代戦車競技が行われた競技場チルコ・マッシモは真実の口からすぐ近く。夕暮れ時にはライトアップされ古代ロマンが味わえる所だそうだが、まだ少し時間は早く、さすがに競技場を歩く足取りはもはや限界に近く、とりあえずホテルに戻ることに。

 古代戦車競技場「チルコ・マッシモ」

 ホテルに戻るとフロントでメッセージを受け取る。明日はナポリ・ポンペイに行く現地ツアーを申し込んでいるが不吉な予感。
 電話をすると全国のバス運転手組合が明日一斉にストを決行するので、イタリア中のバスが動かないとのこと。ポンペイは是非女房殿に見せてやりたい所ではあるが、列車でとなるとナポリ乗り継ぎで3時間少々かかるようだ。

 検討の結果、イタリア最後の日は、かつてローマの外港であった「オスティア・アンティカ」を訪ねることにした。

 
 (左)今宵はカンツォーネを聴きながらの夕食         (右)ローマでのホテル「エクセルシオール}

 さて、さて、今夕はカンツォーネ・ナイト。ホテルで教えて貰った美味しいレストランでカンツォーネの歌声に足の疲れも幾分かは癒された次第である。しかし、まあ、よく歩いたこと。

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清貧の聖者フランチェスコの街 -アッシジ-(異文化体験28 イタリア満喫の旅8)

2013年03月16日 11時22分00秒 | 異文化体験_西欧
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清貧の聖者フランチェスコの街 -アッシジ- 1996.05.03

  JALユーロ・エクスプレスのバス、赤色のバスもある

 この時期、「JAL Euro Express」と車体にカラフルに書き込まれたJALのバスがヨーロッパアルプス周辺の主要都市やイタリア国内の主要都市を結んで運行されている。 フィレンツェからウンブリア州アッシジを経由してローマに至るルートもあり、しかもアッシジでミニ見学コース付きとか。
 有楽町JALプラザの推奨を素直に受け入れ、フィレンツェからバスの乗客となる。


        
(左)オリーブの丘の上に広がる城壁に囲まれた小さな街 アッシジ (右)城壁から見下ろすウンブリア州の緑豊かな景観  


 アッシジは12から13世紀の清貧の聖者サン・フランチェスコの町として有名。緑の平野を周囲に見下ろすオリーブの丘の上に広がる小さな街である。フランチェスコは本名ジョバンニ。1182年に豪商の息子として生まれながら、放蕩生活を送り1202年コレストラーダの戦いで捕虜となり、1204年聖フランチェスコ回心。1226年44歳で没する。カトリック教会は直ちにアッシジにフランチェスコ教会を建立することを決定し、1230年に下堂が、1253年に上堂が完成した。

 サン・フランチェスコ聖堂(Wikipedia、assisiより)

 下堂にチマプーエによる「聖母子と聖フランチェスコ」等、上堂にジョットによるフランチェスコの生涯の28場面が描かれ、「泉の奇跡」「小鳥への説教」等が有名である。

 ジョット作「泉の奇跡」  同じく「小鳥への説教」

 震災崩壊前のフランチェスコ生涯28場面の様子

 しかし、我々が訪ねた翌1997年9月26日,2度に渡る直下型大地震に見舞われ、死者12名,負傷者120名,損壊家屋9万件以上という大被害を被った。サン・フランチェスコ教会も祭壇上部の天井が崩れ落ち,修道士2人と美術監督局職員2人が,下敷きとなって亡くなった。更に、チマブーエの天井画が失われ,ジョットのフレスコ画に亀裂が入る等、文化遺産も多大な被害を被った。
 長い期間をかけてこの貴重な歴史・文化遺産が修復され、今日再び見ることが出来ることは喜ばしいことである。


         
(左)街の中心となるコムーネ広場        (右)コムーネ広場の紀元前1世紀建造のミネルヴァ神殿

 街の中心はコムーネ広場。この広場の向いには,6本の美しいコリント式円柱を有する起源前1世紀に建てられた小さなミネルヴァ神殿が建っている。16世紀にキリスト教教会に転用された。

 「明日が年に一度のお祭り」と、うれしそうな子供達

 街の入口サンピエトロ門広場に戻る最中、礼服の子供達と出会う。明日が年1回のお祭りの日だと言う。皆、楽しそうだ。

 かつて外敵から街を守ってきた城門

 さあ、バスは最後の宿泊地となる夕刻のローマに向け出発!! 

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クワトロチェントの匂いとフィオレンティーナ -フィレンツェ ―(異文化体験28 イタリア満喫の旅7)

2013年03月02日 23時58分59秒 | 異文化体験_西欧
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クワトロチェントの匂いとフィオレンティーナ -フィレンツェ ― 1996.05.02

         
(左)サンジョバンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂とフィレンツェの色(ベコッチ出版社 フィレンツェより)
(右)ベコッチ出版社 「フィレンツェ」

 ウフィッツィ美術館の開館は午前9時。8時半には既に長い列が出来ている。ドイツから来たというご夫人が我々の前に並んでいる。早く開ければいいのにねえ、とお喋りしながら開館を待つ。
 ジォット、ボッティチェリ、ラファエロ、ダ・ヴィンチ、ティツィアーノ、ミケランジェロ等々、華のクワトロチェント(1400年代)を演出した巨匠達の作品が待っている。

 開館前のひととき 


           
(左)「ウフィッツイ」美術館総合ガイド本 (右)「ダヴィデ」ミケランジェロ(アカデミア美術館)(ベコッチ出版社フィレンツェより)
 
  
(左)ボッティチェッリ「ヴィーナスの誕生」(右)「荘厳の聖母」左チマプーエ、右ジョット(左右ともベコッチ出版社フィレンツェより)


 昨日ストで入館出来ず断腸の想いでフィレンツェを後にした沢山の美術愛好家の人々は、今頃どこを旅しているのであろうか。私にとって今回が3度目の美術館ではあるが、メディチ家の財力を結集したルネサンス美術の作品群は、ルーブルとは異なる迫力で私を迎える。川向こうのペッティ宮まで結ぶヴァザーリの廊下の一部を体験し、鑑賞に足が棒となった我々は屋上のカフェテラスで休息を取る。

     
(左)ヴァザーリの廊下とヴェッキオ橋      (右)美術館屋上のカフェテラスで休憩

 この街は街全体が美術館でもあり、辻々の建物の角に何気なく名画が通行人を見下ろしていたりする。もっとも、5年前に会った都市計画を担当する市の役人達は、掘れば出てくる地下遺跡や地上の文化遺跡に再開発が困難を極め交通網も整備出来ず、大いなる嘆きを漏らしていたのを思い出す。
 

 クワトロチェントの匂いを満喫した我々は、金銀細工の店が両側に並ぶアルノ川に架かるヴェッキオ橋を渡り、アルノ川左岸にあるペッティ宮殿に向かう。

 フィレンツェの商人ペッティが建てメディチ家に売却されたルネサンス宮殿で、宮殿内は今は総括的な美術館にもなっている。裏側には広大なイタリア式のボボリ庭園が広がって高台からはフィレンツェの街並みが一望できる。

  
(左)ペッティ宮殿        (右)フィレンツェの街並みを背景にボボリ庭園にて


 再び旧市街地に戻る途中に、レターセットのお店があった。品物はピンきりであるが、上品で比較的安いものがあったので購入し、帰国後少し畏まったお祝い等の祝辞に使っている。透かしの入った厚手の上質の紙を使っている。

カラフルな便箋  メーカーの刻印
 

 さて、トスカーナに来て食べると言えば、「Tボーンステーキ!」。
 Tボーンステーキ、Bistecca alla Fiorentina(ビステッカ・アラ・フィオレンティーナ)は、トスカーナ特産キアーナ牛を数ヶ月じっくり熟成させ、ゆっくり血抜きをし、表面を焼いて(中はほとんど生状態)供される。血抜きされているため、生臭さは感じられないステーキとか。 

 ホテルで美味しい所を聞くと、ここが穴場で一番!とホテルの近くの地元の肉料理店を教えてくれた。早速予約を入れて貰う。しかし、この「バルビーニ」(IL LATINIという店かも?)というレストラン、いつも開店前にお客が大勢待つから早めに行ってくれと言う。

   
(左)グランドホテル(現セントレジス・フローレンス・ホテル)     (右)夕食前、ロビーにて

 地図を頼りにお店に行くと確かに大勢の人が開店を待っている。開店と同時に皆自分達の席を確保しようと競って店員にアピールする。あまり予約は関係ないようだが、こちらもそれをアピールすると何とか席につけた。数列の長いテーブル席がすぐにお客で埋め尽くされる。

 「バルビーニ」(IL LATINIかも?)にて1kgのフィオレンティーナ

 お隣は米国からの老夫婦とスペインからの新婚さん。早速1kgのフィオレンティーナ(Tボーンステーキ)をオーダーする。かなりの代物だが、みんなとわいわいがやがや喋っているとお腹に納まった。さすがに老夫婦はライトメニューであったが、新婚さんも同じものを完食。ステーキ好きの我々夫婦、この夕食にはお店の雰囲気と共に大満足である。

 さあ、明日はアッシジ経由、ローマまでバスの旅である。
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