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旅行記、世相独言

行ってきました、郡上八幡と下呂温泉 2024年6月6~7日 (その2 下呂温泉)

2024年06月16日 11時41分33秒 | 異文化体験_日本
 郡上八幡から下呂への道は、国道256号線。道中いくつもの鍾乳洞や急カーブが連続する山越えを経て長寿の町和良を通り、部分開通した濃飛横断自動車道のささゆりトンネル(無料)を経て下呂の町に至る1時間程のドライブ。
郡上八幡ICから下呂温泉への道

 下呂の地名の由来は、続日本記776年10月の条に当地を下留(しものとまり)と名つくとあり、これが音読されゲルとなり現在の下呂となったらしい。
 日本三名泉の一つ下呂温泉は、1974年に温泉の集中管理システムを導入し、12本の源泉を一括管理し、pH9.4、送湯55℃(源泉最高井戸80.2℃)のアルカリ性単純温泉を組合加盟宿に供給しているとのこと。よく耳にする「アルカリ性単純温泉」とは、溶存物質量が1000㎎/kg未満で、湧出時の泉温が25℃以上、かつpHが8.5以上のものをいう。
1974年導入ご自慢の集中管理システム

 今回の宿は、温泉街を見下ろす高台にある「ホテルくさかべアルメリア」。この宿の売りは総檜造りの24時間利用可能な8階展望露天風呂。下呂の街を取り囲む山々と以前泊まった小川屋はじめ飛騨川沿いに広がる温泉街が一望できる。山の斜面に沿った建築のため上層階へは2台のケーブルカーや吹き抜けの斜面階段を利用する。
 
 温泉街から見るホテルの遠景     展望露天風呂(ホテルHPより)
 
  本館 階層移動のケーブルカー   本館客室(ホテルHPより)
 夕食は、最近は体重を意識してバイキング料理を避け、極力会席料理を選択している。今宵の会席メインは、飛騨ステーキの朴葉味噌焼き。昼食と被ってしまったが、翌朝食時にはご当地グルメのけいちゃんを食することが出来た。食後、夏季に行う花火の試射があるというので楽しみにしたが、文字通り試射であった。
    
バイキングを避けて会席料理を選択     夏本番に向け花火の試射

 到着後すぐ、そして夜、翌早朝、そして朝食後と都合4回温泉を味わい、10時にチェックアウト。下呂大橋を渡り観光交流センター湯めぐり館近くの市営駐車場に車を預け、1時間程温泉街を散策する。
 下呂温泉街のMAP

 観光交流センター前に銅像が設置されている。芭蕉か?と思ったが帰宅後調べると室町時代の禅僧で詩人万里集九(ばんりしゅうく)の像で、彼と江戸期の儒学者林羅山(はやしらざん)が、有馬、草津、下呂が日本三名泉と名付けたようだ。大正15年から続く外湯白鷺乃湯に日本三名泉発祥碑がある。
 
観光交流センター前の万里集九像  外湯白鷺乃湯入口の三名泉発祥の地碑

 また、人気のスポットとして平成22年に誕生した加恵瑠(かえる)神社は、「げろ」にちなんだカエルの鳴き声と「無事帰る」などの語呂合わせをしたもので、お賽銭を入れるとカエルがお告げをしゃべる、ユーモアたっぷりの神社。その隣の下呂発温泉博物館では全国の温泉の様々な特性等を知ることが出来る。

 加恵瑠(かえる)神社        下呂発温泉博物館

 駐車場に戻り、1時間1分300円の駐車料金を払い、中央道(中津川IC)は、数か所工事渋滞が懸念されたため、往路と同じ道で帰阪した。
 湯めぐり手形(1枚1300円)で手形加盟館3ケ所のお湯や8ケ所ある足湯の利用、温泉寺や下呂温泉合掌村など、時間があれば、まだまだ楽しめる下呂温泉です。


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行ってきました、郡上八幡と下呂温泉 (2024年6月6日~7日)(その1郡上八幡)

2024年06月14日 21時35分07秒 | 異文化体験_日本
 梅雨時期になると、一斉に始まるのが高速道路の集中工事。この日も尾張一宮付近で6km1時間の渋滞情報。養老SAのコンシェルジュのお薦めで、養老JCTで東海環状自動車道に入り大垣西ICで降りて、大垣市内、岐阜市内を抜け
岐阜各務原ICで東海北陸自動車道に入り郡上八幡ICに行くことにした。
 阪和自動車道岸和田和泉IC近くの自宅を7時に出て、郡上八幡に着いたのは11時半頃。
名神→東海環状→一般道→東海北陸道

郡上八幡市の概略地図

 郡上八幡と言えば、400年の歴史を持つ夏の郡上踊りが有名。今年も7~9月にかけて開催予定で、なかでも旧盆の四日間は徹夜踊りで大層賑わうとか。
 戦国末期に起源を持つ郡上八幡城の城下町として発展してきた郡上八幡は、水の町としても有名、町のシンボルの吉田川の清流を取り込んだ水路が町の人々の生活を支え、旧庁舎わきの「いがわこみち」には大きな鯉が放たれ、宗祇水や橋本町の「やなか水のこみち」、街中の水船のあるポケットパーク等も整備されている。
今年の郡上踊り日程

郡上八幡城の解説

旧庁舎わきの「いがわこみち」

 郡上八幡城は、明治期一旦取り壊された後、1933年町のシンボルとして木造の模擬天守が再建され、城下町からその天守を仰ぎ見ることが出来る。また、清流吉田川には、この時期アユ釣りの太公望が大勢押し寄せている。
市街地から見る郡上八幡城

市内を流れる吉田川の鮎釣り太公望達

 昼食時、旧庁舎記念館が観光案内や土産物店、食堂等で活用されており、食事でもしようと訪れると、中から中国からの若い女性ツアー客が出てきて、なんと12時で食堂は閉鎖! どういうこと?
 職員に食事処を聞くと前の橋(新橋)を渡った北町にお食事処が沢山あるというので、そちらへ。ご当地グルメの一番人気は「けいちゃん」らしい。鶏肉とキャベツ等の野菜を郡上味噌等で味付けした一品。
旧庁舎記念館

ご当地グルメ「けいちゃん」

 橋を渡ってすぐの「新橋亭」で、けいちゃんよりそそられた飛騨牛朴葉味噌定食を注文。味噌が焦げ付かないように飛騨牛と絡めて美味しくいただく。入れ違いに今度は中国からの男性ツアー客が到来。
お食事処「新橋亭」

飛騨牛朴葉味噌定食

主要なメニュー一覧

 食後は、北町のまちなみ交流館、郡上八幡博覧館、殿町通りから見るお城、宗祇水、宮ケ瀬橋を渡って南町のやなか水のこみち等、風情のある街を40分ほど散策。旧庁舎記念館の駐車場に戻り、1時間40分ほどの駐車料金250円を支払って、下呂温泉へ。
郡上踊りが体験できる郡上八幡博覧館

宗祇水
生活と密着した水場

やなか水のこみち

次回は、「下呂温泉」です。


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秋吉台・萩・津和野、60年ぶりの旅(その5)安野光雅美術館を訪ねて

2023年11月09日 23時06分28秒 | 異文化体験_日本
秋吉台・萩・津和野、60年ぶりの旅

(その5)安野光雅美術館を訪ねて

2023.10.12-14

 萩・津和野を中心に一人旅をしたのはおよそ60年前のこと。当時、山陰の小京都と宣伝されていた津和野は印象深い街であった。60年ぶりの再訪、大いに楽しみだ!
(写真等はクリックで拡大します)

初日 :大阪‐新山口‐角島大橋‐元乃隅神社‐長門湯本温泉
二日目:長門湯本温泉‐秋吉台‐萩
三日目:萩‐津和野‐瑠璃光寺‐新山口‐大阪

            

【2023年10月14日(三日目最終日)】
《津和野 安野光雅氏とその美術館》
 安野光雅氏は、大正15年(1926年、昭和元年)3月20日、島根県津和野町の今市通りで生まれ、1950年美術教員として上京、1961年画家として独立。1968年文章がない絵本「ふしぎなえ」で絵本界にデビュー、以降独創性豊かな数々の作品を発表。2012年文化功労者に選出、2020年12月24日没。
 代表作:ふしぎなえ、ABCの本、天動説の絵本、旅の絵本シリーズ、繪本平家物語、繪本シェイクスピア劇場、御所の花、野の花と小人たち、など。
    
津和野町立安野光雅美術館      入館チケット(800円)       案内書

        
              安野光雅氏の紹介と代表的な作品例

 私が氏の作品に興味を持ったのが、旅の絵本シリーズの優しい絵。旅の絵本シリーズに描かれた景色が、私の50度に及ぶ海外渡航で目の当たりにした景色と同調し、大いに癒されるのである。
 津和野の美術館訪問時に開催されていたのが、第1展示室に「安野光雅の日本探訪」。旅好きな氏が安曇野、津和野をはじめ日本の原風景をスケッチした作品をメインに、ちくま文学の森や宮沢賢治全集の装丁等が展示されている。第2展示室は「あいうえおの本」が展示。
    
  アトリエスペースの再現        館内紹介         現在の展示作品一覧(一部例)

  
日本探訪展示の一例(美術館HPより 左:安曇野八坂村の秋 右:津和野機関車)  カナリア王子

 これらの作品を見ていると、安野氏の頭の片隅に津和野が日本遺産の源となった「津和野百系図」があり、氏もまた日本国中を旅しながら日本の原風景百系図とでもいうべき作品群を描いたのではなかろうかと思わせる。

 おりしも同時期、大阪あべのハルカス美術館で安野光雅展(2023.9.16-11.12)を開催していたので、多くの作品が大阪に行っており、少し心配していたのだが、ゆっくり鑑賞の出来る心地よい大きな空間の展示棟と懐かしさを覚える木造校舎の学習棟等に驚くほどの膨大な氏の作品や書物が展示されており、その精力的な活動に驚かされた。

  
玄関ホール・ロビー・売店    旅の絵本シリーズⅥデンマーク編   ロビー展示の「おおきなもののすきなおうさま」    

 氏の作品を一つ買って帰ろうと思い、膨大な作品群から、旅の絵本シリーズⅥ デンマーク編を選んだ。市庁舎前噴水、ストロイエ、オーデンセ、アンデルセン、チボり、ホテル・ダングレテール、ジョージジェンセン、ロイヤルコペンハーゲン、ニューハウン、レストラン・フィスク、人魚姫等々、デンマークは私にとってイタリアに次いで思い出深い地である。この旅の絵本シリーズは、世界各国語版で出版され好評を博しているようだ。


          
                 あべのハルカス美術館での安野光雅展

 あべのハルカス美術館で開催されている「安野光雅展」は、帰阪後の10月27日に訪れた。氏の生前に企画され、コロナ禍のため本年開催となってしまったが、この展示会を見ることなく2020年12月に他界されたのは残念なことである。

 この展示会では、氏の様々な活動・作品が一堂に展示されている。第1章:ふしぎの世界(ふしぎなえ等)、第2章:科学のおはなし(天動説の絵本)、第3章:空想と旅の風景(旅の絵本Ⅵ)、第4勝:物語の世界(繪本三國志)、第5勝:懐かしの風景、第6勝:本と芝居のポスター等々。
 旅の絵本シリーズでは「Ⅵデンマーク編」が紹介されている。恐らく氏が初めて渡欧された国がデンマークで、相当印象深かったのであろう。かく言う私も先述の通り思い出深い国である。
 展示会の売店で、「絵のある自伝」という文庫本を買った。安野氏の沢山の挿絵がある自伝で、これからゆっくり読ませてもらおう。
  
   デンマーク・コペンハーゲンのニューハウン(左:作品 右:実写)     文庫本:絵のある自伝

 最後に、あべのハルカスで撮影が許された作品(「第1章:もりのえほん」より)をご覧いただいて、この絵に隠れている動物たちを捜してみて下さい。あなたはいくら見つけることが出来ましたか?(クリックして下さい)
  
(左:うま、おおかみ2匹、くま2匹、らいおん、はと、さかな、人の顔2つ、まほうつかい)
(中:ハゲコウ(コウノトリの一種)、こぶうし、まんとひひ、たぬき、こぐま、らま、きりん、ぺりかん、きたきつね)
(右)はと、だちょう、がちょう、おしどり、ぺんぎん、からす、ねこ)

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秋吉台・萩・津和野、60年ぶりの旅(その4)津和野探訪

2023年11月08日 23時18分42秒 | 異文化体験_日本
秋吉台・萩・津和野、60年ぶりの旅

(その4)津和野探訪

2023.10.12-14

 萩・津和野を中心に一人旅をしたのはおよそ60年前のこと。当時、山陰の小京都と宣伝されていた津和野は印象深い街であった。60年ぶりの再訪、大いに楽しみだ!

初日 :大阪‐新山口‐角島大橋‐元乃隅神社‐長門湯本温泉
二日目:長門湯本温泉‐秋吉台‐萩
三日目:萩‐津和野‐瑠璃光寺‐新山口‐大阪

             今回の旅の周遊地
(写真等はクリックで拡大します)

【2023年10月14日(三日目最終日)】
《津和野探訪》
             津和野観光地図

 萩観光ホテルを10時前に出て、津和野に着いたのは11時過ぎ。山口線を走ったSLが鎮座する新装なった津和野駅。その駅前の駐車場(500円/日)に車を入れると、津和野町日本遺産センターに立ち寄ると駐車料が無料になると言うので早速本町通りの日本遺産センターへ。
        
   駅前展示の山口線を走ったSL            津和野観光案内書

 津和野百景図や鷺舞等の町の文化を紹介する展示コーナーがあり、入館料400円を払うと駐車料500円が無料に、かつ町の商店で使える500円クーポンが貰える。夫婦だと800円が1500円に化ける。
            
      津和野町日本遺産センター              センター内展示内容

 津和野百景図は、吉見、坂崎、亀井三家が築いた津和野の街と文化を、元藩士栗本里治が廃藩後に亀井氏の依頼で江戸時代の藩内の様子を100枚の絵と解説でまとめたもの。平成27年第1号日本遺産(全国で18件)に認定されている。
およそ1時間弱、津和野百景図、鷺舞、鏑流馬、津和野踊り、夜神楽等の津和野にまつわる文化を勉強して、本町通りを散策。
  
 津和野百景図とは   ユネスコ無形文化遺産{風流踊り」一つ「鷺舞」  黒覆面に白鉢巻きの津和野踊り    


 津和野名物「源氏巻」のお店に寄って早速クーポンで試食・購入。このお菓子、吉良上野介や忠臣蔵とも関係があるそうな。
           
                  本町通り竹風軒の津和野銘菓「源氏巻」

本町通りの先が殿町通り。役場「津和野庁舎」や藩校「養老館」等があり、掘割には60年前同様大きな鯉が泳いでいる。この日は駅伝マラソンを開催しており、庁舎の前が襷の受渡場所のようで人だかりが。
  
  古くからの店が多い本町通り             掘割に鯉が泳ぐ風景で有名な殿町通り

 この町が生んだ著名人となると、坂崎出羽守、西周、森鴎外、そして安野光雅(1926-2020)。
 森鴎外の墓   安野光雅美術館

今回の旅の主たる目的の一つが「安野光雅美術館」の訪問である。詳しくは、次回「津和野安野光雅氏とその美術館」に譲ることに。

 学生時代は国民宿舎青野山荘に泊まって終日街を歩き周り、蒙古の襲来に備えて吉見氏が築いた津和野城址から正面の青野山(908m)や眼下の津和野市街を眺めたりしたのだが、ぼつぼつ津和野を離れる時間となった。
   
60年前国民宿舎青野山荘で教示された名所 標高362mにある山城(三本松城とも) 城跡から見る津和野の街と青野山

 乙女峠のマリア聖堂だけ車で立ち寄ることに。駐車場所から急な坂を登らねばならない。
明治元年から始まった浦上四番崩れ(長崎の隠れキリシタンの一斉検挙)で捕らえられたキリスト教徒153名が当地に移送され、改宗拷問を受け37名が殉教したようだ。その際、一人の青年が聖母マリアに似た女性を見たとの話から、日本で唯一聖母マリア降臨の地として慰霊の乙女峠マリア聖堂が建てられたもの。
  
  乙女峠のマリア聖堂        日本で唯一聖母マリアの降臨の地と言われている     聖堂の中

 津和野の太皷谷稲荷神社を車窓に見ながら新山口までは山口市内の渋滞も考慮して2時間ほどと想定。途中、瑠璃光寺の国宝五重塔見物を時間調整に出発。残念ながら大内氏建立の五重塔は現在改修中であった。
         
      瑠璃光寺の国宝五重塔(改修中で残念)        大内弘世公の像

 新山口返車は17時過ぎ。18時11分ののぞみまで構内の三代目網元魚鮮水産で「おいでませ御膳」の夕食。郷土料理の瓦そばがついている。そういえば長門温泉の夕食にも瓦そばがあった。熱した瓦で温めた茶そばをつゆにつけていただく。
         
     新山口駅の構内にある三代目網元魚鮮水産        おいでませ御膳

 石州(島根)、三州(愛知)、淡路(兵庫)が瓦の三大産地。特に石州瓦は来待という釉薬を使用する赤褐色の瓦で、新幹線から見る村々の屋根が赤褐色に統一され美しい景観を見せている。
 3日間、良い天気に恵まれたが、夜の大阪は雨。60年を遡った旅であった。

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秋吉台・萩・津和野、60年ぶりの旅(その3)萩

2023年11月05日 23時34分15秒 | 異文化体験_日本
秋吉台・萩・津和野、60年ぶりの旅

(その3) 萩

2023.10.12-14

(写真はクリックで拡大します)

 萩・津和野を中心に一人旅をしたのはおよそ60年前のこと。当時、山陰の小京都と宣伝されていた津和野は印象深い街であった。60年ぶりの再訪、大いに楽しみだ!
初日 :大阪‐新山口‐角島大橋‐元乃隅神社‐長門湯本温泉
二日目:長門湯本温泉‐秋吉台‐萩
三日目:萩‐津和野‐瑠璃光寺‐新山口‐大阪

 今回の旅程図  萩主要部の地図

【二日目 2023年10月13日】
《萩》

 観るところの多い萩、まず最初に訪れたのは、萩城址。指月城とも言われる萩城は、関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元が指月山に築いた城。1874年に解体され、今は石切り場の跡や志都岐山神社、花江茶亭などがあり、桜の名所でもある。
         
    萩城を築いた毛利輝元像       よく目にする萩(指月)城址
         
    今回は歩いていないが武家屋敷跡の夏ミカン   60年前に泊まった指月ユースホステル

 次に訪れたのが、旧萩藩校の明倫学舎。藩校明倫館正門の南門の隣に本館から4号館まで学舎が建っており、本館は無料(観光インフォメーションセンターと明倫館の歴史)、2号館は有料で幕末ミュージアムと世界遺産ビジターセンターで構成されている。
日本近代化の原点が萩(長州藩)にあり、工学教育の先駆者吉田松陰と明治の工業化に重要な役割を演じた長州ファイブ(井上薫、山尾庸三、遠藤謹助、井上勝、伊藤博文)らの業績が詳細に展示されている。「長州ファイブ」とは、1863年にイギリスに密航留学した先述の5人をさし、映画化もされている。
     
            旧萩藩校明倫館(本館:無料、2号館:大人300円)

 井上馨は大阪造幣寮建設を指揮、初代の外務大臣、山尾庸三は工部省の設立、東京帝大工学部の開祖、遠藤謹助は大阪の初代造幣局長、井上勝は鉄道頭として新橋横浜間の鉄道開通に尽力、伊藤博文はファイブ唯一の松下村塾門人、初代工部卿、鉄鋼業中心に工業国家日本の礎を築き、初代総理大臣、といづれも明治新政府等で活躍した。
    
長州FIVEの面々       日本近代化の原点「萩」の紹介冊子    藩校明倫館の正門「南門」       

 最後に訪れたのが、観光客で賑わい整備が進む松陰神社。松下村塾と吉田松陰幽因の旧宅には多くの観光客が説明を受けるなど、賑わっている。吉田松陰誕生地と墓所の近くに歌人吉井勇が昭和30年に萩に来て詠んだ歌碑がある。
  
       松陰神社         吉田松陰幽因の旧宅        松陰が過ごした3畳半の部屋

  
以前展示されていた松陰江戸送りの駕籠       松下村塾         お馴染みの塾生たちの写真

  
(左)松陰、両親への永訣の一首「親思うこころにまさる親ごころ きょうの音ずれ何ときくらん」
(中)萩を見下ろす高台の吉田松陰の墓
(右)吉田家歴代墓所前の歌人吉井勇の歌碑「萩に来て ふとおもへらく いまの世を 救はむと起つ 松陰は誰」

 明治維新の原動力となった立役者たちを訪れ、整備が進む萩の街だが、一方で萩藩三代藩主毛利吉就が建立した毛利氏菩提寺の黄檗山東光寺は、人影少なく寺の傷みも目に付き、松陰神社とは大いに対照的であった。
    
1691年萩藩三代藩主毛利吉就建立の毛利氏廟所東光寺 解説書 NHK大河ドラマ「太閤記」タイトルの鬼瓦(右から2番目)

        
           東光寺 毛利氏正統廟所 甲子殉難烈士墓所(1864年禁門の変) 

 今宵の宿は、萩市街の北方、海に突き出た笠山の中腹にある萩観光ホテル。市内からここに至る191号線沿いに世界遺産「萩反射炉」「恵美須の鼻造船所跡」がある。

《萩温泉郷 萩観光ホテル》
 萩で掘削された8つの泉質がある萩温泉郷。萩観光ホテルは、そのうちの一つ「はぎ温泉(カルシウム・ナトリウム-塩化物冷鉱泉)」の宿。笠山からの眺めは最高で、露天風呂には運が良ければタヌキの親子が遊びにやってくると言う。
          
        笠山中腹の萩観光ホテル          部屋からの眺め(ミニ函館のような)

宿泊プランは、「お二人様限定3特典付き大切な人と特別な日を・萩恋紀行」。
個室での河豚と鮑を中心の会席に大満足。夜は会席、朝はバイキング形式が多い最近の旅館だが、朝食も個室で和朝食が提供されたのはうれしい。残念ながら4回露天風呂に入ったがタヌキ親子との遭遇はなかった。
        
   時々タヌキの親子がやってくると言う露天風呂    萩恋紀行のお品書き

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秋吉台・萩・津和野、60年ぶりの旅(その2)秋芳洞、秋吉台

2023年11月03日 11時36分09秒 | 異文化体験_日本
秋吉台・萩・津和野、60年ぶりの旅

(その2 秋芳洞、秋吉台)

2023.10.12-14

(写真はクリックで拡大します)

 萩・津和野を中心に一人旅をしたのはおよそ60年前のこと。当時、山陰の小京都と宣伝されていた津和野は印象深い街であった。60年ぶりの再訪、大いに楽しみだ!
初日 :大阪‐新山口‐角島大橋‐元乃隅神社‐長門湯本温泉
二日目:長門湯本温泉‐秋吉台‐萩
三日目:萩‐津和野‐瑠璃光寺‐新山口‐大阪

             今回の周遊場所

【2023年10月13日(二日目)】
《秋吉台・秋芳洞》
 宿を午前9時に出発。長門から国道316号線で南下、美祢線おふく駅の手前から31号に入り40分ほどのドライブで秋吉台に。秋吉台観光交流センターに寄って、効率的かつ高齢者にとって楽な観光方法を聴取。結果、3ケ所ある秋芳洞案内所(正面入口、黒谷入口、エレベータ入口)のうち、エレベータ入口から入って洞内見物し、その後この入口に近いカルスト展望台、ジオパークセンターに寄って、カルストロードを経て萩に向かうのがいいのではと言うことに。
        
      秋芳洞の案内図      エレベータ入口(自家用車、高齢者にはおすすめ、大人1300円)

 日本3大鍾乳洞は、龍泉洞、龍河洞、秋芳洞。学生時代に制覇したのだが、その頃は「あきよしどう」と言わず「しゅうほうどう」と言ってたように思うんだが。
 日本最大の鍾乳洞の洞内観光コースは約1km、高低差40m、洞内温度はおよそ17℃と一定。他の鍾乳洞に比べとにかく広い。圧巻は百枚皿、千町田、千畳敷、そして黄金柱。 エレベータで一気に地下80mの洞内に降りて、まず百枚皿まで下り、引き返して黒谷支洞の五月雨御殿まで登り、およそ45分ほどで再びエレベータで地上に。
           
           洞内富士                百枚皿
         
黒谷支洞入口の黄金柱(右:S42年3月18日の入場券)           巌窟王 
  
    クラゲの滝登り          マリア観音       前回は秋芳洞正面入口から

 60年前は正面入り口から出入りした。既に黒谷支洞も発見されていたが、観光ルートになっていたかどうか定かでない。この黒谷支洞にも見るべきものが多い。つくづく思うが足腰元気なうちに旅行・観光はしたいものだ。

 秋吉台は面積4502haの国定公園。3億5千年前南方の海で誕生したサンゴ礁が約8000万年の時を経て現在のカルスト地形を生んだと聞いてもピンとこない。
    
              ジオパークセンターで入手した資料より抜粋

 秋吉台には、3つの巨大洞窟がある。秋吉台の北部から順に、地下を流れる川の最上流に景清洞、上流に大正洞、そして南部の下流の秋芳洞。下流ほど多くの炭酸カルシウムを含むので秋芳洞には鍾乳石が豊富に見られるようだ。
秋吉台の地下資源として約2億年前に石炭(無煙炭)が、約1億年間には奈良の大仏にも使われた銅など、炭田や鉱山跡がこの地域に残っている。

           カルスト展望台からの眺望

 カルスト展望台から広大な秋吉台が一望できるが、60年前の写真と比較しても草原の中の石灰石の露出が少ない。おそらく、山焼きからの経過時間の差によるものと介錯する。展望台のすぐ隣には、Mine秋吉台ジオパークセンターKarstar(カルスター)があり、資料や軽飲食(ソフトクリームが美味しい)を入手できる。先日、ブラタモリが当地を訪れ、収録し、10月21日に放映されるとの情報も得られた。
           
カルストロードからの眺め  石灰石の露出は季節の差(左:今回10月 右:60年前の3月)

 ここから萩まで秋吉台カルストロードを車窓に楽しみながら快適ドライブ。数年前に行った四国カルストを思い出す。およそ45分ほどで萩に到着。

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秋吉台・萩・津和野、60年ぶりの旅(その1)角島大橋、元乃隅神社、長門湯本温泉

2023年10月31日 16時20分39秒 | 異文化体験_日本
秋吉台・萩・津和野、60年ぶりの旅

(その1)角島大橋、元乃隅神社、長門湯本温泉

2023.10.12-14

 萩・津和野を中心に一人旅をしたのはおよそ60年前のこと。当時、山陰の小京都と宣伝されていた津和野は印象深い街であった。60年ぶりの再訪、大いに楽しみだ!

初日 :大阪‐新山口‐角島大橋‐元乃隅神社‐長門湯本温泉
二日目:長門湯本温泉‐秋吉台‐萩
三日目:萩‐津和野‐瑠璃光寺‐新山口‐大阪

(写真等はクリックすると拡大します)        
               今回の旅程図

【2023年10月12日(初日)】
《角島大橋》
 新大阪から新幹線で西に向かって走るのはずいぶん久しぶりだ。新大阪8時41分発ののぞみ3号は10時33分新山口に到着。駅構内の駅レンタカー西日本に予約したSクラスレンタカーは、トヨタのVITZ。すでに10万kmほど走っているが、車体はきれいだ。

 新山口駅を11時に出発し、小郡IC‐美祢ICを経て角島大橋に着いたのは12時過ぎ。下関市に位置し全長1780mの離島架橋で、2000年11月の開通。開通当時は通行料が無料の離島架橋だったが、その後沖縄等により長い橋が出現している。鳩島を迂回する形で架けられた橋は紺碧の海に映える絶景として近年山口県の絶景ポイントとなっている。
 角島には灯台があり日本海の絶景を楽しむことが出来るようだが、時間の関係で島に渡ってすぐの公園で持参のサンドイッチで昼食を取り、元乃隅神社へ。

      車内から見た景色       角島側の公演から見た大橋       陸地側から見た大橋

《元乃隅神社》
 角島大橋から国道191号線で日本海沿いに東進、元乃隅神社へは神社近くの落石対策工事のため長門古市駅辺りからのアプローチルートが指定されている。(20230904~202404末頃)

 元乃隅神社は、昭和30年地域の網元の岡村斉氏の枕元に現れた白狐のお告げにより建立されたという。昭和62年から10年かけて奉納された123基の朱塗りの鳥居が、龍宮の潮吹きから100m以上にわたって高台に延びる姿は、紺碧の海を借景に圧巻である。
参道出口のひときわ大きな鳥居の上部には、高さ6mの賽銭箱が設置されており、お賽銭を放り投げて入れば願いが叶うといわれている。しかし、風が強いので命中させるのは難しく、なかなか入らないので1円玉でやる人が多く軽い貨幣は風で余計に流され、入った時は大喜び。

神社では白狐の御朱印がもらえる 10年かけて奉納された123基の朱塗りの鳥居   高さ6mの賽銭箱 

 龍宮の潮吹きをこの目で見るのはやや危険な場所まで行かねばならない。吹き上がる潮に太陽光があたると一瞬虹色の潮が風に流されて見える。写真で撮るとレンズに潮がついてうまく撮れない。
社務所では、可愛い白狐の御朱印がいただけるのだが、今回は御朱印帳を持参するのを忘れた。なお、この神社は個人の所有物だそうな。
        
      鳥居を降りた先に龍宮の潮吹き      龍宮の潮吹きの虹(土庄雄平氏撮影を拝借)

《長門湯本温泉 湯本観光ホテル西京》
 長門湯本温泉は、およそ600年前に発見された無色透明のアルカリ性単純温泉。音信川沿いの「立ち寄り湯 恩湯」を中心に界 長門や大谷山荘等の温泉街が広がっている。
 午後3時過ぎ、今宵の宿「湯本観光ホテル西京」に到着。音信川の支流大寧寺川のほとりに立地する地域最大のお宿である。庭園付きの離れの部屋に通され、早速温泉に。
             温泉の中心の立ち寄り湯恩湯


 今宵の宿「湯本観光ホテル西京」      西京亭の部屋            部屋は庭付きの離れ

内容わからずのまま予約した夕食は、シェアスタイルでお料理を楽しむお二人会席プラン。要は夫婦A,Bでお品書きが微妙に異なる会席を適当にシェアして楽しめということらしい。山口県は下関~長門市~萩市にかけて「山口いか街道」としてブランド化されており、「河豚(ふぐ)」と共に海鮮物の宝庫。メニューにも生かされている。

シェアスタイルで楽しむお二人会席プランのお品書き  夫婦Aのお品書き      夫婦Bのお品書き

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金沢ミニ観光と朱鷺の台カントリークラブの旅

2023年10月19日 16時42分45秒 | 異文化体験_日本
金沢ミニ観光と朱鷺の台カントリークラブの旅

2023.10.03-05

(写真等はクリックで拡大します)
 東京単身赴任時の仲間が3人いる。彼らとは在京時も帰阪後も、ゴルフ、麻雀、温泉(GMS)三点セットの旅を続けている。コロナで永らく中断したこの旅を再開させることにした。残念ながら一人は家庭の事情で今回不参加だが、3人での2泊3日の今回の旅の行先は、金沢のミニ観光と羽咋の朱鷺の台CCでのゴルフとなった。

 大阪8時42分発の特急サンダーバードは、いきなり京阪間の高架橋に車が接触した事故で、30分の遅れで発車。このため金沢観光予定が30分短くなった。
北陸新幹線が来年金沢から敦賀まで延伸され、サンダーバードが敦賀止まりの運転になると言う。大阪金沢間が2時間半から20分ほど短縮されるようだが、値段が高くなって、かつ敦賀で乗り換えを強要される。 年寄りの旅にとってはえらい迷惑な話だ。
      
  金沢駅名物の鼓門・もてなしドーム        300年近い歴史を持つ近江町市場

 金沢駅名物の鼓門・もてなしドーム(谷口吉郎氏作)を出て、まっすぐ歩くと近江町市場に行きつく。列車の遅れで丁度お昼時。市場内は欧米からの観光客等でごった返している。1721年前田家の御膳所として設けられ300年近い歴史を持つ市場には180を超える店舗が並んでいる。すぐにありつきたい昼食だが、各飲食店の前には待ち行列が。
比較的列の少ない「市場屋」というおでんと海鮮料理がメインの店で、海鮮丼(2200円ほど)をいただくことに。
      
  おでんと海鮮料理がメインの市場屋          市場屋の海鮮丼(2200円ほど) 
  
 市場屋の前の歴歴という寿司屋もお薦めとか(この日は休店)

 金沢には過去数度来ている我々、今回は金沢21世紀美術館を初訪問。妹島和世+西沢立衛/SANAAの手による金沢21世紀美術館は、館内が有料の展覧会ゾーンと無料の交流ゾーンに分かれ、年間255万人の来場(40%が金沢市民)を有している。

 金沢21世紀美術館  この日の展示は「It knows:When Forms Become Mind」 幽霊の形・形の幽霊

訪問時の展示は、6つの展示室に「It knows:When Forms Become Mind(それは知っている:形が精神になるとき 4月8日~11月5日)」をテーマとする形と精神の関係作品が展示されている。(入館料:360円 65歳以上料金)
また、レアンドロ・エルリッピによる「スイミングプール」等の常設展示もある。
美術館の周囲の緑地には、多くの中学生たちが写生の課外授業に取り組んで、観光客ともども賑わい空間を形成していた。
      
   幽霊の形・形の幽霊              関わり合い
       
     熱と重量                  泣き笑いの知性
      
   常設展示スイミングプール            美術館周辺では課外授業も

金沢から羽咋までは特急能登かがり火号で約30分。今回のお宿は「休暇村能登千里浜」に2連泊。休暇村はQ会員になると一般料金より1000円安く泊まれ、2連泊プランは2泊4食付きで税込み22000円(夕食は日替わり「なぎさ」)とお得である。宿舎からゴルフ場までは車で10分ほどの距離。
      
 羽咋の休暇村能登千里浜        標準のなぎさ会席(2連泊2泊4食付き22000円)

      
 朱鷺の台カントリークラブのクラブハウス      眉丈台と能州台の36ホール

朱鷺の台CCは、過去関西プロやミズノオープン等が開催されていた名門コース。グリーンの中にバンカーを有するゴルフ場としても有名である。初日にプレイするのは眉丈台コース。カートにはすでに宅配で送ったバッグがセットされており、すぐに出てくれと言う。カート列4列の左から2列目は眉丈台INコースのようで、そのままINコースへ。名物ホールは17番のショートホール。白杭(フロントティ)から周ったが、後期高齢者には少し長く感じられ、整備された早いグリーンにいささかてこずったINコースだった。
      
    眉丈台コースのスコアカード        フロントティからは6130ヤード
  
OUT17番の名物ショートホール グリーンの中にバンカー(クリックで拡大) 2オン2パットのボギー

マスター室に戻ると係員が、お客さんらは初めてなの?と言う。我々はOUTスタートだったようだ。それならカート列の左端に停めておくべき。列にコース名もOUT/INの表示のない単なる5本線では、初めての顧客に分かるわけがない。スループレイだが、30分ほど待ち時間があるので、レストランで少量カレー。OUTコースはINコースより100Yほど短く少し易しく感じられた。

翌日、天気予報が悪天候を予報した通り、前日と打って変わった雨と風、特に風速10m程度の風が予想され、能州台コースはキャンセルすることにした。遠来の客にキャンセルフィーは不要とのこと。
このグループの旅は、いつも車がメインの旅。今回は高齢となり、かつ距離もそこそこあるので電車とタクシーを選択。この悪天候では観光もいまいちなので、残念ながら早めに帰阪することにした。
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行ってきました,朝倉家一乗谷,越前三国温泉,越前市紫ゆかりの館 (2)三国温泉と紫ゆかりの館

2023年07月20日 00時13分02秒 | 異文化体験_日本
行ってきました、朝倉家一乗谷、越前三国温泉、越前市紫ゆかりの館

(その2)三国温泉と紫ゆかりの館

2023年7月6-7日

(写真はクリックで拡大します)

 コロナ禍が少し収まり、ラッキーにも梅雨間の晴れ間が拝める7月初旬、過去幾度となく近くを素通りしていた「朝倉氏ゆかりの一乗谷」を訪れました。その日の宿舎は全国旅行支援を利用して越前三国温泉、翌日は来年の大河ドラマ主人公ゆかりの武生「紫式部と国府資料館」を訪問、ちょうど600kmのドライブでした。

【越前三国温泉 休暇村越前三国】
 7月、ほとんどの都道府県で全国旅行支援制度が予算終了の中、有難いことに「休暇村越前三国」はまだ使えるとのこと。コロナ禍の間は関西近隣の休暇村シリーズにはこの制度と共に随分お世話になった。芦原温泉の先、東尋坊のすぐ横に位置するこの施設が今回の宿舎。海の幸を中心としたブッフェ料理、Na・Ca塩化物泉の荒磯温泉、おりしも七夕前夜で星空も期待したが、薄雲がかかり残念。

          
      三国温泉の休暇村越前三国(左建物正面、右部屋からの日本海)

   
        今の季節は湊町宝魚ブッフェの夕食 朝食の一押しは幻の漁師飯「鯛まま」

一人16000円の料金が、会員割引、全国旅行支援、オフピーク時割引、溜まっていた会員ポイント等を利用して10000円ほどに。更に福井県からお得クーポン&60歳以上クーポン計3000円を頂戴したので、お土産を買いに東尋坊のお店にまで足を延ばした。

          
七夕前夜の夕暮れは、残念ながら薄曇りでこんな夕日  たくさんのクーポンを貰って翌朝東尋坊までお土産を買いに

【紫式部と国府資料館 紫ゆかりの館】
 紫式部が生涯で唯一、都を離れて暮らしたまち、それが越前国府、現在の越前市武生。
京で生まれ育った紫式部が、父藤原為時の越前国府への下向時に共にして、およそ1年半ほど越前の国で暮らした。この時紫式部は23歳、京で親子ほど歳の違う藤原宣孝との縁談が持ち上がっており、気持ちの整理のために下向を共にしたとも言われている。館では紫式部が越前国府で過ごした日々と、 京都に遺してきた婚約者・宣孝との 遠距離恋愛の中で紡がれた恋の和歌を、 壁面・床面スクリーンいっぱいに広がる、雅で美しい映像で紹介している。
宣孝が越前に漂着した宋人を春には越前に見に行き、あなたに会いたいとよこした手紙に対して、「春なれど 白嶺のみゆき いや積もり 解くべきほどの いつとなきかな」(春になりましたが、こちらの白山の雪はいよいよ降り積もって、解けることなんかいつのことかわかりません(私の心もいつ解けるかわかりません))と答えて詠んだ歌だそうな。

       
           紫ゆかりの館(紫式部と国府資料館)の案内書

      
           案内書の内容と資料館の外観

  
     館内展示の一部(御簾の中の式部や下向時の様子は、越前和紙で作られている)

結局、京に戻った紫式部は、25歳で宣孝と結婚し一女をもうけるが、3年間の結婚生活は宣孝の死で終わる。
その時に詠んだ歌が、「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」
(連れ添った人が亡くなり,火葬され煙になってしまった夕暮れから、塩竈の浦という名所の名前がとても身近に感じられるのです。)

           
    紫支部公園の案内書(3000坪の本格的な寝殿造り庭園で、池のほとりには総檜造りの釣殿も)

その後は、家長との関係、源氏物語の執筆と展開していくのだが、来年の大河ドラマ「ひかる君へ」でどのように紹介されるか、紫ゆかりの館のお隣には平安時代の庭園を再現した寝殿造庭園まで整備され、黄金の紫式部像が待ち構えている。地元は沢山の観光客の訪問に大いに期待を寄せている。

       
     朱塗りの橋の向こうに黄金の式部像が(文化勲章受章者の圓鍔勝三氏作)




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行ってきました,一乗谷,三国温泉,紫ゆかりの館 (1)日本のポンペイ「一乗谷」

2023年07月18日 22時35分03秒 | 異文化体験_日本
行ってきました、朝倉家一乗谷、越前三国温泉、越前市紫ゆかりの館

その1,日本のポンペイ「一乗谷」

2023年7月6~7日


 コロナ禍が少し収まり、ラッキーにも梅雨間の晴れ間が拝める7月初旬、過去幾度となく近くを素通りしていた「朝倉氏ゆかりの一乗谷」を訪れました。その日の宿舎は全国旅行支援を利用して越前三国温泉、翌日は来年の大河ドラマ主人公ゆかりの武生「紫式部と国府資料館」を訪問、ちょうど600kmのドライブでした。
(写真は、クリックで拡大します)

【一乗谷朝倉氏遺跡】

              

 越前一乗谷は、1400年代から1500年代、朝倉孝景、氏影、貞影、孝景、義景の5代当主のもと約100年間、戦国時代に大いに栄えた城下町だが、1573年信長の侵攻を受け朝倉氏は滅亡。侵攻により木造の城下町全体が遺跡となり、一夜にして街の姿を変えたポンペイ同様、日本のポンペイともいえる遺跡である。過去多くの観光客が、450年前の往時の生活に思いを馳せながら巡った遺跡からは2343点もの重要文化財が出土している。

        
             2022年秋に開設された一乗谷朝倉氏遺跡博物館

 そんな一乗谷の入り口近くに2022年秋、実に立派な「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」が開館した。従前は城下町遺跡の散策だけであったが、博物館の完成で出土品を中心に往時の様々な資料や遺構を見物し、また体験等を通じてより深く一乗谷の生活を知ることが出来る。
入館料は大人700円、復原町並とセットは820円。我々夫婦で1640円払おうとすると、係の女性から70歳以上ですかと尋ねられ、それだとお二人で720円ですと案内されビックリ。館内で様々な資料を入手することが出来る。

        
       館内2F展示風景(往時の街並みも再現され数多くの出土品が見て取れる)

       
           
 一口に一乗谷と言っても、朝倉義景ら当主は平時は山麓の城下町に住んでおり、朝倉氏の本城「一乗谷城」は標高473mの一条城山に築かれた城山で、大小複数の曲輪から成り立っている。一条谷城での戦闘記録は残っておらず、なかったと考えられている。麓から約1時間の登山で行くことが可能だが、山城まで行く人は少ないようだ。

 一条谷城へは1時間程の登山、多くの曲輪跡があるようだ 

 一乗谷朝倉氏遺跡約278haの谷地形城下町は、大きく4つの地区に分けられる。
◉下城戸地区(町の内外を区切る巨石を積み上げた土塁石垣があり、町の玄関口)
◉寺院・町屋地区(八地谷川沿いの道路沿いに職人の町家群、山裾に寺町が帯状に連続)
◉武家屋敷地区(川の南側に家臣名に由来する地名が続く地区、戦国城下町を体験できる復原町並もこの中にある)
◉当主館地区(川の北側に越前国の政治・文化の中心であった朝倉館を核とする当主一族の館・寺院跡が集積している。朝倉館入り口の唐門が有名)


      一乗谷の四つの地区(ハンドブックの裏の印は五代当主義景の花押と家紋)

 とりわけ武家屋敷地区の「復原町並」は多くの観光客に親しまれてきた。全国でも6例しかない国の三重指定(特別史跡、特別名勝、重要文化財)を受けた遺跡は、およそ50年以上続く発掘・保存に基づくもの。

        
                 復原町並でもらった案内書

        
        復元されたまちなみ         武家屋敷(屋外雪隠の穴解明に手間どったとか)

        
         武家屋敷の内部          路地裏の休憩所(風鈴の音に癒される)  

       
     復原町並から見た当主館地区          朝倉(当主)館への橋と唐門

       
        朝倉館の礎石跡            五代当主義景公の墓所 

資料館で手に入る一乗谷ハンドブックを手に、あるいは定時ガイド(10時、12時、14時 500円/人)を利用して散策されることをお勧めする。新たに出来た遺跡博物館から周遊バスも出ているが、運行は事前に調べること。

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