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旅行記、世相独言

What is 牛鞭?? -台北-(異文化体験11 世界貿易センターの旅4)

2011年01月29日 09時14分30秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)


What is 牛鞭?? -台北-  1988.11.21~23

 寒いソウルから中正国際空港に降り立つと初夏を思わせる陽気である。国交のない国だけにガイドが車内で両替を始める。環亜大飯店にチェックインしたのは午後9時頃。ロビーは混雑しており、最上階に近い1234室に入るとメイドが2人やって来てお茶のサービス。5元しか小銭がなく、そのまま渡すと「シェイ・シェイ」と言って去って行った。2人も来るな!

  夜の環亜大飯店

 翌朝、WTCを訪問し、お昼は新永楽レストランで石鍋料理。大阪の北新地・圓石の石鍋料理とはタレに卵を使う以外寸分違わない。階下の土産売場では鳥龍茶の飲み方教室を無料実演。商魂たくましい中国人である。

 アジアの昇竜、台湾経済の中心 活気ある台北WTC

 市の南端に位置する中山記念堂を訪ねる。故蒋介石総統の偉業を称えて建造された記念堂は、兵士に守られた坐像が悠然と市内を見下ろしている。奈良の大仏殿を思わせる国家劇場、国立音楽ホールの2つの巨大な建造物があたかも蒋介石総統を守護するかのように左右に配置され、広大な空間が演出されている。

 

 中山記念堂の蒋介石が見下ろす巨大空間

 市内は、人とバイクと車でごった返している。特にバイクは2人乗りも含めてまるで蜂の群れが移動するかのように、壮絶な音と共に渋滞する車の間をすり抜けて行く。ビルの建設ラッシュで新旧の建物が入り乱れ、落ち着きのない、しかしよく言えば活気のある街の景観である。

 ←龍山寺と御籤→ 

 龍山寺は台北最古の中国寺廟。と言っても1738年の建立で、極彩色の精巧な龍の彫刻が山門の屋根を飾っている。大勢の信者でごった返している寺の周辺は、何故か不気味さが漂う。台北で最もスリ、かっぱらいが多いのがこの周辺とか。

 鹿の角(鹿茸)は先の方ほど上等品(高価)

 日も暮れかけて、樺慶川菜餐廟に向かう。その途中、薬屋さんで某社のW氏が鹿の角を買いたいと言う。強精剤として有名な鹿の角(鹿茸 (ろくじょう))は先の方から、上台、中台、下台と呼ばれ、本場でも高価な代物。上の部分(角の先)ほど上等品とされ1パック2万円、中台は1万円、下台は7~8千円とのこと。中台をW氏とF氏が購入されたが、さてその効き目は如何に?

     
       樺慶川菜餐廟での「牛鞭料理」と錦糸パンは絶品(ただし、要予約)

 大阪ガスが強火力コンロ「チャオ」のPRで起用した「荘賢三」氏の親類が経営する樺慶川菜餐廟は、その名の通り四川料理の店。大阪北新地・圓石のK社長が既に予約してくれている。珍しい料理ばかりで皆さん大いに楽しんでいる。その中でも圧巻は「牛鞭」のあめ炊き。兎に角滅多に口にすることが出来ない代物とか。ヌルッとして柔らかい歯ごたえ。お手伝いしている当店の娘さんに「これは何?」と聞くと、顔を真っ赤にして奥に消える。牛のペニスが正解だそうな。錦糸パンと共に絶品であった。

 この日の晩は有志で麗星大酒店(Beautiful Star Club)に繰り出す手筈であったが、皆さん昨夜のソウルですっかりお疲れのご様子。鹿の角を買ったW氏がどこかでルートを見つけて、翌朝すっきり顔。

 
 中華人民共和国の故宮博物館を凌駕する中国5千年の至宝をおさめる台北・故宮博物館  

 翌午前中、国立故宮博物館を訪ねる。国民党軍と共産党軍の内乱の中、中国国内を大遠征して当地に落ち着いた中国5千年の歴史が息づく62万点の芸術品の数々。1/3ずつ、ある期間毎に展示されているという。足がだるくなる程、広大な故宮を精力的に観て廻る。清代の象牙の彫刻「多層球」は感動ものであった!

 和らかな歌声で我々を魅了したバスガイドさん

 大石板の上で各自が取った肉を焼いてくれるモンゴル風焼肉の昼食後、可愛い小柄なバスガイドの「雨夜花」の歌声と共に台北を去る。


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妓生パーティ いろは -ソウル-(異文化体験11 世界貿易センターの旅3)

2011年01月21日 13時05分25秒 | 異文化体験_アジア
(写真はいずれもイメージ写真です)


妓生パーティ いろは -ソウル-  1988.11.20~21

 

 暖かいオンドルの床に座布団が人数分座椅子と共に並べてある。上座、下座は日本と同様。まずはおつまみでビール等を飲んでいると、下座の横のテーブルに豪華なメニューの数々が次から次へと運び込まれ、チマチョゴリ姿の女性達もご入場。これ以上載せ切れないという程の料理の数々が出揃ったところで、全員席を立って、その間に大テーブルが運び込まれる。実はこの時に命運が分かれるのである。各自の席に再度座ると、その隣にチマチョゴリの女性達が一人ずつ座ることになる。
 妓生(きしょう、キーセン)とは、朝鮮国に於いて諸外国からの使者や高官の歓待や宮中内の宴会などで楽技を披露するために準備された女性の事だそうな。

  

 小生の右隣に座り接待してくれるのはSさんという23歳の現代韓国娘。豆腐、蟹、海老、天ぷら、野菜、チジミ、その他様々な一品料理を適当な大きさにして口に運んでくれる。飲み物はビールから焼酎、ウイスキーとなり、彼女達の酒豪ぶりが徐々に分かってくる。ストレートで何杯でもお付合い。それでいて顔色一つ変えるわけでもなく、とことん付き合えば間違いなくこちらが先にダウンするであろう。



 喫煙は彼女達の多くはするそうであるが、お母さんやお客さんの前では喫煙は禁じられているようである。それでも、酔いに任せて煙草を口元に持っていってやると、内緒でと言って吸うのも可愛いものである。

  
                  いろいろな色鮮やかなチマチョゴリ

 これは何?、どんな字を書くの?と、何だかんだ言ってる内に徐々に打解けてくる。自然と身体も寄せ合ってくるというもの。原色に染め上げた色艶やかなチマチョゴリに目も虚ろ。若い世代は日本語を解しないと聞いてはいても、そこは男と女、世界中どこに行っても同じ事。そのうち、ギターを持ったお兄さんがやって来て、カラオケとなる。歌う者、踊るカップル。適度に盛り上がったところで、全員でサークルダンス。その代表歌手がSさん。軽快なリズムの歌に合わせて全員で踊りまくると、お開きも間近。

 「皆さん、どうされますか?」とホスト氏が聞く。一瞬、座が静まり返る。肩のマッサージでもしてもらえばとホスト氏。Sさんが小生に「どうしますか?」とたどたどしい日本語で聞いてくる。「皆さん、相談中」と言うと納得。
 彼女達はこの店に場所代を払って身を置かせて貰い、今日のようなパーティがあるとホステスとしてお客の接待をして収入を維持しているのである。夫々の取り分は分からないが3万円程度だそうな。

 同行のF氏が、小生の相手を痛く気に入っていたようで、旅行中のみならず、帰阪してからも会う度に「貴方の相手はよろしおましたなあ!」と妬まれること、しきり。



 ちなみに、ソウルのキーセン・ハウスでは「清雲閣」「大苑閣」「三清閣」の「3閣」が有名であり、伝統的なキーセン・ハウスで唯一残っていた「梧珍庵」も、2010年に閉店。また2004年には、韓国議会はすべての売春施設を閉鎖し、売春行為を違法とする法改正を実施、これにより妓生は大韓民国では廃止された。


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大いなる躍動感 -ソウル-(異文化体験11 世界貿易センターの旅2)

2011年01月15日 17時52分42秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

大いなる躍動感 -ソウル-  1988.11.20~21

 釜山-ソウルを4時間で結ぶセマウル号

 釜山からソウルへはセマウル号で4時間の旅。日本で言えばさしずめ新幹線の旅。車窓に見える小高い丘は、いずれも農作に不向きな岩肌を剥き出しにし、貧しい韓国の農村の一面が覗える。

 
(左)林立する煙突 お風呂屋さんだそうな   (右)漢江と大韓生命63ビル

 田園風景を見飽きた頃、セマウル号は市街地の中に滑り込むように入って行く。林立する煙突、お風呂屋さんだそうである。およそ、100所帯に1軒ぐらいあるのではないかと思えるほど、もくもくと黒煙をあげている。大韓生命63ビルを左手に漢江を渡るとソウル駅も真近。日曜日とあって駅前広場の雑踏は大変なもの。RINNAIの大看板が一際目立つ所に建っている。欧米ならさしずめ日立やソニーといったところか。

 
 ソウル駅にて 右は日本統治時代に建設された京城駅(現ソウル駅) 

 オリンピックを終えたばかりのソウルの町は、それでも至る所でビル建設が進んでいる。4本の地下鉄が網の目状に張り巡らされ、国産中型車が走り回り、昔風の都心の家並みと郊外の高層住宅のコントラストは、何ら日本と変わりがない。
 しかし、車検のない車から吐き出される排気はロサンゼルス顔負けのスモッグとなり、有事の際は滑走路と化すコンクリート舗装の幹線道路は砂塵を巻き上げている。
 高層住宅のベランダは二重窓で、洗濯物を日本のように屋外に干す家は少ない。これも景観よりは防寒のためなのだろう。高層住宅の多くは現代、三星等の大企業の社宅であり、公共投資による住宅整備の遅れが目立つようだ。

 景福宮庭園 後の山を超えると北朝鮮 

 景福宮は、20世紀初頭まで500年にわたって栄えた朝鮮王朝の王宮。1592年の壬辰の乱で焼失し、1867年に再建された。10余棟の殿が再建されているがオンドルの煙突を地下利用し風下に整備する等、生活の智恵が生かされている。
 隣接する国立博物館は高麗の青磁、李朝の白磁のコレクションが圧巻である。一方、古代の埴輪等は奈良国立博物館からの借用であり、日本が略奪したものもあったのではと疑いたくなる。

 国立博物館入場券

 オリンピックで有名になったブランド物のコピー屋さん、意匠権に抵触するので我が国でも持込み禁止になり、そのためかどうか知らないが近々閉店するとかで、大安売り。500~1000円程度の偽ブランド財布を沢山買い込む。次の欧州出張から帰った時に配ると値打ちが全く違うのである。皮ジャンを2万円まで値切って購入。ホテル新羅の免税店で同行のS氏お勧めの濃縮高麗人参を買う。男性の特効薬だそうである。日本なら1瓶1万円が、5瓶で1万円。

  
(左)KWTC一体のビジネスセンター複合開発 (中)宿舎のインターコンチ (右)ホテルから見たオリンピックスタジアム
 
 夕暮れ迫る頃、漢江を渡って最近特に発展著しい江南地区のKWTCに向かう。世界貿易センター(WTC)、ホテル、シティエア・ターミナル(CAT)、ショッピングセンター等が整備された新しいビジネスセンターである。
 近くにオリンピックスタジアムやロッテワールドも立地している。ロッテグループが総力を挙げて取組むロッテワールドは都心型屋内レジャー施設として日本で関心を呼んでいるが、ここ韓国では意外とあまり評価は得ていない。生産活動に直接結び付かない第3次産業の社会的認知度が低いためである。

 
(左)建設途上のロッテワールド  (右)(参考写真)完成後のロッテワールド 

 いずれ近い将来、韓国は間違いなく先進国の仲間入りをするであろう。国民の勤勉さ、真面目さは、まさに一昔前の日本と同様である。徐々にいろんな規制が緩和され、国民の思考が多様化してきた時、この国は一体どのような道を歩むのであろうか。
 少なくとも日本以上に国際感覚は発達しており、多くのエリートが世界を相手に動く時、日本は彼等の数歩手前を何を拠り所に歩けるのか、熟考せねばなるまい。


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えべっさん 2011 -今宮戎-

2011年01月11日 23時31分35秒 | イベント
(写真はクリックで拡大します)

えべっさん 2011 -今宮戎-  

 十日戎 夜の境内風景(今宮戎HPより)

 「えべっさん」として関西で親しまれている十日戎。
 「えびす」とは七福神の一柱で、古来より漁業の神様として崇められてきた神様。
上町台地にある大阪・今宮戎神社は、昔は神社のすぐ西側まで海岸線が迫っており、漁業の神様が鎌倉~江戸時代にかけて徐々に商売の神様となり、商売繁盛にご利益のある福笹や熊手などが授与されている。

 
(左)沿道の熊手等の吉兆ものを販売する露店 (右)押すな押すなの参拝入口

 南海電車の今宮戎駅を降りると、「年のはじめのえべっさん、商売繁盛で笹持て来い!」と賑やかなお囃子が耳に入ってくる。人の流れに身を任せると自然と境内に入っていく。沿道両側には豪華な熊手やミニ熊手まで様々な熊手が売られている。
 今年は本えびすの10日が祝日ということもあって、境内は押すな押すなの人出で賑わっている。9日の宵えびす、10日の本えびす、11日の残り福を求める残りえびすの3日間で100万人以上の人出が予想されている。

 
(左)本殿参拝の列 後ろからお賽銭が!  (右)いろんな吉兆(縁起物)
 
 本殿に参拝し、本殿両側で配られている笹を受け取り、福娘達に様々な縁起物=吉兆をつけて貰うのだが、本殿に辿り着くのが大変で、後ろから投げられたお賽銭が頭をかすめて飛んでくることもしばしば。

 
                笹に吉兆をつける今年の福娘たち、中には異国の福娘も

 1点1500円前後の吉兆を数点つけて貰って5千円から1万円位を支払って「福笹」を持って帰る。福娘達はお揃いの着物の上に千早を着用し、頭には金の烏帽子を付けて奉仕している。「あの娘にしよう!」、「いや、こちらの娘に」と笹を貰った人々が吉兆を付けてもらう福娘を探すのも楽しいもの。今年は、そんな福娘の中に異国の福娘を発見。えべっさんも外国人から見ると興味深い行事なのだろう。

 我が家の今年の福娘さん

 例年、小生も東京の息子の会社のために御札を貰いに出かけるが、関東では十日戎の習慣はあまりなく、関西中心のイベントのようだ。
 金太郎飴の福飴もえびっさんにつきもの。今は紅白のねじり飴と金太郎飴の2種類が主に売られている。その横には大阪名物「粟おこし」も。

 えべっさんの飴と大阪名物粟おこし

 今宮戎神社と難波駅に至る電車のガード沿いには、びっしりと露店がつながっている。露店の種類も移り変わりがあって面白い。今年はTVの影響か、B級グルメグランプリシリーズの露店が目立った。


今回の「えべっさん2011」を評価下さい。

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蛸とカジノとオソオセヨ -釜山-(異文化体験11 世界貿易センターの旅1)

2011年01月07日 19時28分20秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

  今回の旅は、大阪市が南港の埋立地に建設を予定している世界貿易センタービルの予備調査の旅である。アジア・オセアニア地域、具体的にはソウル、台北、シンガポール、メルボルンの各世界貿易センター(WTC)を調査し、大阪の計画(WTC of Osaka)に活かそうというもの。7名の旅である。


蛸とカジノとオソオセヨ -釜山-  1988.11.19~20
 
 機窓に青い海と緑の島々の入り江が見え始めると、JL967便は右に大きく旋回し、高度を急速に下げる。洛東江を溯って金海国際空港に伊丹を離陸後1時間で着陸した。 軍の飛行場を兼ねるこの空港には、黒い機体の軍用機が滑走路の端々に見受けられる。入国管理も日本同様厳しく、VTRが個人使用であることの証明書を作成し、帰国時提示を求められる。
 明日、全前大統領の国会での国民謝罪が予定されている時期だけに、何か緊張感を感じる。

 竜頭山公園の釜山タワーと李 舜臣像(文禄・慶長の役時の朝鮮の将軍)

 一路、竜頭山(ヨンドゥサン)公園に向かうが、市街地の交差点のあちこちに数人の私服の若者がたむろしている。ガイドの説明によると軍人だそうで、町の治安維持に警察以上に軍部が介入する今日の韓国の姿を垣間見る一幕である。

 公園からの釜山港の景色

 海抜180mの竜頭山公園には、土曜日とあって沢山の市民が集い、チマチョゴリ姿の女性も多い。大学生と思われる若い女性数名が我々の方に「日本からですか?」と流暢な日本語で聞いて来る。日本語を勉強中とかで、同行のS氏が中でも一番可愛い子に丁寧に受け応えしている。
 118mの釜山タワー(BUSAN TOWER)から、人口350万人の市街地が一望出来る。天気が良ければ遠く対馬まで遠望出来るという。ちなみに写真撮影は禁止。

 国連軍兵士の墓地

 市の東20kmにある海雲台(ヘウンデ)リゾートまでの間に韓国動乱の際戦死した国連軍兵士の国連墓地がある。その隣に紫水晶(アメジスト)のお店があって、早速二人の同行者がお買物。

 
(左)海雲台リゾート  (右)この日が何とグランド・オープンのハイアット・リジェンシー・ホテル
 
 今回の旅の最初の宿泊ホテルは1.5kmにわたって砂浜が続く海雲台リゾートに位置している。しかも宿舎の「ハイアット・リジェンシー・ホテル」は、何と今日がグランドオープンの日。真新しいホテルのロビーは地元名士と綺麗に着飾った女性で混雑している。楽隊まで勢揃いし、テープカットを今や遅しと待ち構えている。

 名物の「蛸のぶつ切り」

 そんな光景を横目に腹が減った我々は、「清湖」という日本人向きの刺身のお店に行く。「蛸のぶつ切り」が名物。盛皿の上で、何やら未練がましく動く蛸の足を、タレにつけると益々足が動いて抵抗する。しこしこして美味しいが、残酷なこと。キムチの辛さに汗が身体の芯から湧き出てくる。いささか荒っぽい刺身の数々を葉野菜に巻き、香辛料をたっぷりつけて食う韓国風刺身。一味違った美味しさがある。

 ハイアットの隣のホテルのカジノ 

←ルーレット  カジノ入場税→

 食後は、隣のホテルのカジノに一攫千金を夢見てチャレンジ。外国人のみ入場可能。カードとルーレットがあり、カードは若い韓国娘がお相手。カードの出来ない小生はルーレットに挑戦。20,000ウオン(約8,000円)を元手にして、いざスタート。電光板が故障で数字の流れがいまいち分からない。一進一退で18倍まではゲットしたが、流れが変わるとあっという間に減っていくもの。40分程度のお遊びであった。

夜の海雲台(当時は砂浜に10mおきにアベック用テントが)
 
 カジノをそこそこに、白浜の続く海岸をそぞろ歩きする。生ものが苦手なK氏が腹が減ったと言うのでラーメン屋を探すが、海岸に隙間なく並んだ屋台にあるのはカップラーメンばかり。オソオセヨ!(いらっしゃい!)とあちこちから呼び込みの声。砂浜にはアベック専用の小さなテント小屋が適当な間隔で並び、蝋燭の灯りが作り出すシルエットが何やら怪しげなムードを醸し出している。深夜まで若いアベックで賑わうリゾート海岸からオープニングの興奮さめやらぬ新しいホテルに戻り、寂しい一人寝の釜山の夜を過ごす。


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上品な我が娘は男?-ロサンゼルス-(異文化体験10 地下空間の旅7)

2011年01月01日 01時51分29秒 | 異文化体験_北米
(写真はクリックで拡大します)

上品な我が娘は男? -ロサンゼルス-  1988.3.23~25

 グランドキャニオン組、自由行動組、バスツアー組等、最後の一日は数名ずつのグループに分かれての行動となった。小生はバスツアー組に入る。

 ビルトモアホテル 

 添乗員を含む5名を乗せた大型観光バスは、今回の宿舎ロサンゼルス・ビルトモアーホテルを10時に出発。午前中はショッピングで午後は珍しい所に行こうと車内で意見が一致。

  
(左)チャイニーズシアター前で(ソフィア・ローレンの手形上で)  (右)高級ブティックが軒を並べるロデオドライブ

 ハリウッドのチャイニーズシアター、ビバリーヒルズのロデオドライブと車を進める。欧州の一流ブランド店が立ち並ぶこの界隈。予算に合うような代物はなく、西海岸らしい店員の服装を見て歩くのも楽しみの一つ。超ミニにノーブラ・Tシャツで臍だしルックの黒人のかわいい店員を相手に時間つぶしをしていると、皆さん、奥さんや娘さんにと収穫品を両手に戻ってくる。


  
(左)家族ずれで賑わうレドンドビーチ (右)太公望が釣り糸を垂れる桟橋には沢山のシーフードのお店が。

 昼食はレドンド・ビーチへ蟹を食いに行こうと添乗員の提案で、快晴の汗ばむ陽気の海岸に移動。波の高い海岸付近は、母親に見守られながら水と戯れる子供達、上半身裸でスケートボードを楽しむ若者達、超ビキニで日光浴を楽しむ女性達、海に突出した木製のピアには両側から釣り糸をたれる太公望達と、様々な長閑な時間が流れている。

  
(左)韓国人の経営する「Pacific Fish Center」  (右)まずは貝のワイン蒸しから。
 
 ピアの両脇には採れたての蟹、魚、貝等を食わせる沢山のお店が並んでいる。韓国人の経営するお店の窓際の席に腰を降ろして、貝のワイン蒸し、鮫のフライ、水槽で指定した蟹のボイルを注文する。

 噂の上品なカモメ。雌なの?、それとも雄なの?

 ボリュームたっぷりの皿盛で注文品が来ると、沢山のカモメが窓際の手すりに集まって来て、催促を始める。その中に上品な感じのカモメがいて、H氏がこいつは俺の娘だと言って、あまり美味しくなかった鮫のフライを優先的に与える。入替わりに次から次にカモメが催促するので、我が娘も見分けがつかない。かなりいい加減なものだが、H氏はいや、こいつに間違いない!と自信たっぷり。しかし、他のカモメが餌を貰うと怒って相手を襲う様など見ると、どうみても娘じゃなく雄じゃないの、と疑問視する声も。

 我々のみならずカモメまで満腹になって、さあどうする、と皆で相談。まだ、会社の女の子に何か買わないと、と諸氏。それではメルローズ界隈に行こうと添乗員が提案。

 若者の街、メルローズ界隈

 ダウンタウン方面に車を走らせると、まるで異次元の世界に迷い込んだような気さえ起こさせる光景が目に飛び込んでくる。ニューウェーブかサイケデリックか知らないが、まさに若者だけが理解し合える世界が展開している。虹色に染めた髪、滅多やたらと鎖を巻きつけたファッション、ボディコンシャスな超ミニのスカート、パンツルック、大きなバストを誇示したタンクトップ姿、我々のような人種はお呼びでない雰囲気の街である。比較的おとなしいイタリアン・ファッションのお店に入って、タンクトップのTシャツ、ややミニのスカート、小生のための白いジャンパーを購入。やれやれ、これで買物も終わりだと思いきや、何の何の! バスは更に我々をDUTY FREE SHOPPERSに連れて行くのである。

 メルローズファッション(参考写真) 

 建設省の地下空間利用調査団は、ビルトモアホテル近くのステーキハウスで最後の晩餐会をもってお開きとなったが、正に一大買出しツアーでもあった。小さな日本がそのまま米国内を移動するこのような出張は、正直もう御免である。贅沢かな?



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