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旅行記、世相独言

ご一緒にクレムリン・ツアーへ ーモスクワ- (異文化体験47 ロマノフ王朝文化に浸る旅10) 

2015年10月15日 22時45分30秒 | 異文化体験_中・東欧
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ご一緒にクレムリン・ツアーへ  2015.07.12

 いよいよこの旅も最終日。クレムリン観光の後、帰国の途につく。朝から小雨が降ったりやんだりして、少し肌寒い。昨日不調だった腹具合もビオフェルミンのお蔭で復調したようだが、安全をきしてパンと紅茶のみの朝食で我慢。

 ホテルの部屋から見た景色 今朝は雨模様

 さあ、これからご一緒にクレムリンの鳥瞰図(A)と写真(B)を参照しながら、モスクワのクレムリンを見て行きましょう!

            
(左)クレムリンの鳥瞰図(A)               (右)同じ角度から見た写真(B)

 クレムリン観光は、クタフィア塔①から入るのだが、個人も団体も入場の順番待ちの列が出来る。我々が列の一番先頭だが、後から来た中国人の団体客が横にたむろする。時間きっかりにしか来ない係官はそんな事情は知らないので、後列の西洋人たちは文句を言っている。悲しいかな、同じ東洋人としか見えないのだろうが、恥ずべき行為。入場口から目下改修中の最高望楼のトロイツカヤ塔②への城壁を渡ると、そこはもうクレムリンの内部。

 左手前がクタフィア塔①、後の高い補修中の塔がトロイツカヤ塔②

 日曜日だというのに、お仕事なのか整然と係官たちが横断歩道を渡る。クレムリンの中は一応車道と歩道と広場等があるが、車も走らず広々とした空間にいい写真を撮ろうと観光客もついついばらけるのだが、要所要所に詰所と警備員がいて一端歩道から道路に足を下ろすと、すかさずピー、ピーと警告笛が鳴る。決まったコース以外は足を踏み入れるなということだろう。

           
(左)日曜日だというのにお仕事? ご苦労さま          (右)要所要所に警備員 歩道からはみ出るとすかさず警笛  

 まず最初に遭遇するのが「クレムリン大会宮殿③」。近代的建築でソ連時代は共産党大会等が開催され、なんと6000席という巨大ホールがある。ウラル大理石を使った建造物で、双頭の鷲とモスクワ市章が頭上に輝いている。

           
(左)6000人収容のホールを有するクレムリン大会宮殿③     (右)建物正面頭上の双頭の鷲とモスクワ市章

 プーチン大統領の執務室のある官邸⑤は、だまし絵状態で目下改修中とのこと。その対面あたりに「大砲の王様⑦」がある。16世紀に鋳造された口径890㎜の当時世界最大の大砲だが、一度も発射されたことがないとか。

           
(左)プーチン大統領の執務室⑤(目下だまし絵で補修中)         (右)大砲の王様⑦

 一際高い鐘楼を持つ建物は「イワン大帝の鐘楼アンサンブル⑫」で、1505年建造、改築等を繰り返し現在81mの高さとなっている。
 この建物の すぐ横には「鐘の王様⑧」がある。歴代の鐘楼の鐘が溶かされ大きさを増してきたようだが、この巨大な鐘は1735年に鋳造され、重量200トン以上、高さ6.14m、直径6.6mで、1737年の大火が原因でひび割れ11.5トンの破片が生じ、99年間放置されたが、1836年現在の台座に設置されたようだ。

          
(左)イワン大帝の鐘楼アンサンブル⑫    (中)重量200t以上の鐘の王様⑧     (右)鐘の王様の割れた破片

 さて、我々はいよいよ聖堂広場にやってきたぞ!

 まずは、⑨のウスペンスキー(生神女就寝祭)大聖堂。ロシア国家主教座聖堂で、即位式や戴冠式等、国家の最重要式典が行われている。1326年最初の石灰石造りの聖堂が建立され、1475年にイワン3世の命で現大聖堂が建てられた。イコンに代表されるロシア美術の名品や工芸品が集められたが、ソ連時代には聖堂は閉鎖され、蒐集品の多くは武器庫に、イコンの多くはトレチャコフ美術館に移されている。

            
(左)ロシア国家主教座聖堂のウスペンスキー大聖堂⑨      (右)南正面玄関、17世紀の聖母子フレスコ画 

                      
(左)(中左)大聖堂の解説書(英語版、日本語版なし)   (中右)イコンであふれた聖堂内部 (右)イワン雷帝の祈祷所

 この広場には、1505年に建立され全大公とピヨートル以前の皇帝たちを埋葬しているアルハンゲリスキー(首天使)大聖堂⑬、1485年にモスクワ公やツァーリたちの私有教会として建立されたブラゴヴェシェンスキー(生神女福音祭)大聖堂⑪等々がある。

           
(左)アルハンゲリスキー大聖堂⑬                (右)ブラゴヴェシェンスキー大聖堂⑪

 次に、ここも是非見てみたいが見学不可の大クレムリン宮殿⑱の前を通って、最後に見学するのは、ロシア最古の博物館・国立武器庫⑰.武器庫というから戦闘武器の博物館かと思っていたが、見事な美術工芸博物館であった。

        
(左)右手の白い建物 国立武器庫⑰       (中)様々な王冠          (右)イースター・エッグの一つ 

 国立武器庫は、1485年に国有財産収蔵庫が建てられ、当初は式典用・戦闘用武器製作が中心であったが、18世紀に工房機能が停止し、19世紀初めに武器庫は博物館となった。4-20世紀初頭の国内外の工芸美術の最大のコレクションを誇っている。世界的名声を得ている様々なイースター・エッグには、私も釘付けとなった。更に、今回見学していないが武器庫半地下にあるダイヤモンド・フォンドは、宝石芸術の傑作が多数あるようだ。

      
(左)武器庫見学後、振り返ると大クレムリン宮殿⑱ (中)ボロウィツカヤ塔⑯の外から見た城壁 (右)クレムリンの星

さて、以上でクレムリン・ツアーは終了だが、武器庫を出ると青い空が一面に広がり、大クレムリン宮殿から武器庫に至る石畳を清掃車が走っている。ボロウィツカヤ塔⑯からクレムリンを離れ、ドモジェドヴォ国際空港に向かう。その道中でランチ会場に立ち寄るようだ。

               
(左)クレムリン解説書    (中)詳細解説書(クレムリン内で販売)  (右)イワン3世時のクレムリン(Wikipediaより)

           
(左・右)違う角度(赤の広場)から見たクレムリン(鳥瞰図と写真は対応しています)  手前はグム百貨店

 ランチ会場は、道路サイドのボリソフスキーというボーリング、ビリヤード、レストランの複合施設。メインはシャシリクという肉の串焼き料理、デザートはブリヌィというロシア版クレープのメニュー。久々にしっかりとした食事を取った。


(左)ランチで立ち寄ったボリソフスキー          (中)スープ            (右)シャシリク(串焼き肉)半分既に胃袋に

           
(左)デザートのブリヌィ(ロシア版クレープ)             (右)ベテラン添乗員のS嬢と 

 ドモジェドヴォ国際空港は、近代的な新しい空港だが、空港への道路整備と空港での車両交通整理が追い付いていないようで、渋滞と大混雑となっている。残っているルーブルでお土産のチョコレートを買い、空港のクラブ・ラウンジで出発までのひと時を過ごす。

           
(左)ラウンジから見たドモジェドヴォ国際空港           (右)クラブ・ラウンジの内部

 定刻に成田に到着し、すぐさまリムジンバスで羽田に移動する。快適なロシアから暑い湿度の大きい日本、すぐにじわっと汗が噴き出る。羽田のサクラ・ラウンジで2時間弱の時間調整。いい天気で富士山が遠望できる。また、機内から富士の全容も間近に捉えることが出来た。大阪市内上空を順調に下降し、いつものようにそのまま伊丹空港に着陸するものと思っていたら、何故か伊丹空港の南側から西側(六甲の山側)に回り込んで着陸した。機内には沢山の私服CAが乗っており、ちょっとしたらパイロットの非日常訓練だったのかも。それが証拠に後続の機は通常ルートで着陸している。

  
(左)羽田さくらラウンジから見た富士山   (中)機内から見た富士山  (右)伊丹へのアプローチがいつもと違う(右手に伊丹空港)
 
 ロシアの旅も無事終了。予想以上に見どころのある旅であった。
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ロシアの新婚さんと赤の広場 -モスクワー (異文化体験47 ロマノフ王朝文化に浸る旅9)

2015年10月08日 19時16分33秒 | 異文化体験_中・東欧
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ロシアの新婚さんと赤の広場  2015.07.11

 5時半のモーニングコールがあったのか、なかったのか、定かでないが、気が付けば6時半。大慌てで6時50分ロビー集合に間に合わせる。昨夜、配られた朝食を空港へのバスの中で食するが、お腹の具合に不安要素が発生。

 サンクトペテルブルグの新しいプルコヴォ空港からモスクワ・シェレメーチエヴォ国際空港へは、9時25分発のエアロフロートSU007便で。ONE WORLDサービスを期待したがエアロフロートは加盟していない。

    
(左)新しい明るいプルコヴォ空港     (中)ロシア土産の民芸品ショウウィンドウ     (右)エアロ・フロート機

 お腹の具合は、徐々に切迫感を増してきた。モスクワ到着後、荷物が出てくるまでの間トイレに駆け込む。絶対数が少なく、かつさほど綺麗なトイレではない。バスに乗り込み、次は市内の昼食レストランまで我慢、我慢。

 ランチ会場への道中、モスクワ川中州に建つピヨートル大帝記念碑

 昼食レストランは、Easyという比較的若者好みのレストラン。到着するや早速トイレに駆け込む。ランチメニューは、前菜にサリャーンカという具沢山スープ、メインが魚料理で食後はジャム入りロシアンティー。しかし、ここは誘惑を断ち切ってランチをパス!。一人カウンターに座って熱い紅茶を貰う。添乗員のS嬢やお店の店員もケーキでもどう?と気にかけてくれるが、ここは我慢、我慢。

  
(左)ランチ会場「Easy」の名刺   (中)具沢山スープのサリャーカ(残念、食べれず)   (右)お店の雰囲気


 午後は、今日のハイライト「赤の広場」。
 モスクワ・オリンピックのマラソン中継で赤の広場やクレムリンの空撮が印象的で、一度見てみたいと思っていたのが実現した。

              
(左)クレムリンと赤の広場の鳥瞰図             (右)赤の広場の空撮写真(参考)


 ロシア語名「「クラスナヤ広場」。「クラスナヤ」は、ロシア語で「赤い」の意、一方古代スラヴ語では「美しい」の意。どちらか言うと「美しい広場」が原義に近いとか。
 1493年、モスクワ大公国のイヴァン3世が、居城のクレムリン前の市街地を広場として整備させたのが起源と言われており、1991年クレムリンと共に世界文化遺産として登録されている。

            
(左)1801年 Fedor_Alekseev作 ロブノエ・メストが強調されている   (右)現在の広場(聖ワシリー大聖堂から見た広場)

 バスを降りると、広場に向かって緩やかな登り傾斜の石畳が続く。長さは695m、平均道幅は130m、面積は7万3,000㎡で、天安門広場ほど広くはない。様々な国家行事が行われる広場で、この日は撤去されていたがクレムリン側には行事スタンドが配置される。
コの字型の広場は、南西側(左手)にクレムリン (明日行きます)の城壁と城壁に近接するレーニン廟 (レーニンの遺体が保存展示)、北東側(右手)にグム百貨店、北西端(一番奥正面)に国立歴史博物館ヴァスクレセンスキー門 、南東端(右手前)に葱坊主屋根で有名な聖ワシリイ大聖堂 (対モンゴル戦勝記念でイヴァン雷帝が1560年に建設)と処刑場・布告台だったロブノエ・メスト (ステンカ・ラージンもここで処刑)がある。

  
(左)広場への登り石畳              (中)南西側 クレムリンの城壁        (右)城壁に沿って建つレーニン廟

            
(左)北西側 国立歴史博物館 右隣に広場入口ヴァスクレセンスキー門   (右)カザンの聖母聖堂

  
(左)北東側 グム百貨店(3階建て、3つのアーケード)  (中)グム百貨店の内部    (右)歴史博物館側から広場を見ると

          
(左)南東側 聖ワシリー大聖堂(ポクロフスキー聖堂) (中)ロブノエ・メスト  (右)対ポーランド軍解放英雄の像 

 午後の広場は多くの観光客で賑わっており、特にグム百貨店は私のイメージを一新させるほど明るく、楽しいショッピングアーケードを形成している。ここ、グム百貨店でもトイレを拝借、半ドア(ドア下部がオープン)タイプのドアはソ連時代の名残??。ビオフェルミンのお蔭で、少し切迫感がやわらいできた。

 土曜日とあってか、広場には挙式前後の新婚さんが多数みられる。ここ、赤の広場はモスクワで結婚式を挙げたロシア人カップルが、挙式後に 訪れる定番地の一つのようだ。
 広場で出会った新婚カップルの話によると、最初に結婚宮殿に行って結婚証明書にサインし、ここ赤の広場や雀が丘、戦勝記念公園など市内数ケ所を大型リムジン車でまわり、記念撮影をして、レストランやカフェあるいは自宅で披露宴を行うのが一般的だそうな。

  
(左)広場で出会った新婚さん         (中)百貨店内部でも記念撮影         (右)大型リムジンで市内名所を巡る

 赤の広場を後にして向かったのは、新婚さんの言っていた雀が丘。モスクワの街を見下ろす名所のようだが、木々が邪魔をして眺望はいまいち。ここにはモスクワのセブン・シスターズの一つの建物を持つモスクワ大学がある。
セブン・シスターズとは、スターリンが米国の摩天楼に負けじと建設させたスターリン・クラシック様式と呼ばれるビル群で市内に7つある。ソ連時代は官僚や市民のアパートメントとして利用されたが、現在は様々に転用されている。モスクワ大学のそれはその中でも最大級で1953年完成、236mある。

        
(左)雀が丘に建つモスクワ大学(セブンシスターズの一つ)(中)市内に建つ外務省もその一つ (右)雀が丘からの眺望はいまいち

 次に向かったのは、ノヴォデヴィチ修道院という女子修道院。クレムリンの出城の役割を担い城壁に囲まれている。この修道院に隣接する墓地にフルシチョフ、グロムイコ、エリツィン、チェーホフ、ゴーゴリ等著名人が眠っている。

 市内各所でよく見かけるのが、レンタル自転車のステーション。修道院前の公園にもステーションがある。ネット予約し、最初30分まで無料、以降課金のようだ。日本より進んでいますね。

            
(左)ノヴォデヴィチ修道院(クレムリンの出城、城壁に囲まれている)   (右)レンタル自転車のステーション

 滞在中、一日に一度は雨が降らないと気が済まないらしく、この後の夕食時にタイミングよく雷雨があった。今夕は「スヴォロフ」というお店でキエフ風カツレツをメインとする食事。お腹と相談して外の衣は食べずに中のお肉だけを食べていると、事情をご存知ない人は、どうしたの?と質問攻め。何とかお腹は回復基調になったようだ。

            
(左)レストラン「スヴォロフ」                    (右)前菜のサラダ?

            
(左)メインのキエフ風カツレツ(ナイフを入れると肉汁が)   (右)ロシアンティーとマロージナェ(アイスクリーム)
 
 モスクワでの宿舎は、コスモスという2000室近い部屋を持つ巨大ホテル。様々な人種が宿泊しており、私の部屋の近隣のインド人はパンツ1枚で廊下を闊歩している。ホテルロビーでフェンシングの世界大会のポスターが提示してあったが、帰国後太田選手の優勝を知る。部屋のバスタブに湯栓がないので、湯に浸かることが出来ない。どうもこのホテルでは部屋の湯栓は全て撤去されており、シャワーのみでの利用となっている。

            
(左)ホテル「コスモス」の名刺                  (右)2000室近くある巨大ホテル

            
(左)ホテルのロビーも広い                    (右)部屋(設備はいまいち)

            
(左)翌日から開催される世界フェンシング大会のポスター  (右)こんなショーもやってるそうです

 明日はいよいよこの度の最終日。クレムリンの探訪だ。完治を願いビオフェルミンを飲んでGood NIght。
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