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旅行記、世相独言

カナダカップのザ・ベルフリー -バーミンガム-(異文化体験24 LNG-11の旅4)

2012年07月28日 00時46分09秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

カナダカップのザ・ベルフリー -バーミンガム- 1995.7.7

 ナショナル・ゴルフ・センター「ザ・ベルフリー」

 LNG-11の会議が無事終了し、7日からポスト・コングレス・ツアーが始まった。
大きな国際会議では、会議が終了すると会議出席者のために様々なツアーが用意される。
我々は、これとは別にプライベートな週末ツアーを計画していた。それがゴルフ。

 ゴルフ場のロゴマークとカナダカップ開催年

 翌朝、早速T氏と共に一番楽しみにしていたナショラル・ゴルフ・センター「ザ・ベルフリー(The Belfry)」に出発。ここはVIPの宿泊場所として下見しただけに期待が大きい。
 「ザ・ベルフリー」にはいくつかのコースがあるが、今日我々がまわるのは、1985、1989、1993年にカナダ・カップ(欧州と米国が夫々の威信をかけて行うゴルフ対抗戦、1927年UK対USAの隔年試合がその始まり)が開催されたチャンピオンズ・コース「ブラバゾン(Brabazon)」。
(このブログ日記を記載したプレイ後の2002年にも開催されている)

 「ブラバゾン」のコース写真

 今日は、クラブ・メンバーのトーナメントがあるようで、その前に特別にまわらせてもらうのでもたもた出来ない。

   
 ストロークセイバー(日本で言うスコアカード)、各ホール案内が一体化した立派なブック調  

 17番(Par5 559Y)と18番(Par4 442Y)のガイド


 所々に池を配したフラットな美しい林間コース、距離7177ヤード、パー72の手ごわいコースである。二人乗りのカートでコース内自由に入ることが出来るが、ホールとホールのつなぎが良く分からず、もたつくこともしばしば。
 何とか、後の組に迷惑をかけることなく終了。スコアはまずまずながら、それよりも本場の名門ゴルフ場でのプレイは良い思い出となった。

 
                       後ろの組を気にしながらの記念撮影

 クラブハウスは、重厚な歴史を感じさせる木造建築で、メンバーのための憩いの場、空間という感じがひしひしと伝わってくる。バー・コーナーやレストラン、ミーティングルームやホテル等、大人のための施設が整っている。

    
(左)ザ・ベルフリーのロゴ入りベレー帽  (右)ゴルフ場、LNG-11(展示ノベルティ)のロゴ入りボール

 記念にゴルフ場のロゴマークの入ったベレー帽とボールを購入。
 バーミンガムから帰国するT氏とここで別れ、小生はスタッフ達の待つロンドンへバスで移動。
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中世のテーマパーク -チェスター-(異文化体験24 LNG-11の旅3)

2012年07月21日 12時57分26秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

中世のテーマパーク -チェスター-  1995.7.4

      
(左)「チェスター」の案内書             (右)「チェスターの街(絵葉書)」

 私の右腕のOマネジャーはかつて英国留学の経験者。彼のお薦めで「チェスター」というリバプールに近い街を、パリで荷物が飛行機に乗り遅れたT氏と共に訪れることになった。車で約1時間半のドライブである。

 商売柄セントラルヒーティングや厨房等の資料図書は即購入

 今から1900年ほど前、古代ローマ人がウェールズ人制圧のためにディー川周辺の砂岩質台地に砦を築き、要塞都市としてスタートしたチェスターには、イングランド最大の円形劇場等、今も多くの遺跡が残されている。驚くことにハイポ・コーストと呼ばれる床下暖房が復元されており、これはローマ時代の基本的なセントラル・ヒーテイング・システムであったとか。

 城壁で囲まれた旧市街、その入口の一つ

 ローマ人撤退後、アングロ・サクソン人が侵攻し、教会や競馬場(最古の競馬場の一つと言われている)、更には港も栄え始めた。中世のチェスターは1175年に初のロイヤル・チャーター(王の勅許)を受けアイルランドとの貿易権が認められ、沿岸貿易が発達すると共に、王位継承者がチェスター伯となる習慣が根づく等、その後の発展の基礎が築かれた。

 「チェスター」の市街略図(旧市街は750×500mの狭い空間)

 チューダー朝、アチュアート朝、ジョージ朝、ヴィクトリア朝、そして現代に続く歴史の中で様々な建築様式の建物が、その伝統を今に伝えている。チェスターはコンサベーション・オフィサー(建物保護を担当する役職)を英国で初めて設けた街でもある。

 
(左)チューダー様式の綺麗な建物とロウズと呼ばれる連結歩行モール (右)典型的な建築様式(案内書より)

 中世にタイムスリップしたかのような白壁に黒い木枠の美しい建物が連なる街並みは、まるでテーマパークに迷い込んだような錯覚を受ける。最初に訪れたチェスター大聖堂は、時々の信仰の中心地として幾度か建替えられ、現在の大聖堂は1250年に着工し250年余の歳月を費やして建てられた重厚な教会である。

        
(左)1250年に着工、250年を経て完成した現チェスター大聖堂   (右)大聖堂の案内書

 賑やかなストリートは、中世の外観を持つ近代的ショッピング・モール「ロウズ」がのびており、バラエティ豊かな店やレストラン、居酒屋が軒を連ねている。一見分かり難いが2階部分が連なっているため車や雨を気にせずにショッピングや食事を楽しめる。
 簡単な昼食を取ろうと「ロウズ」をうろうろとレストランを探すが、いずこも満席でやっとの思いでありつけた次第。

 街の中心部「ザ・クロス」での布告のデモンストレーション

 街の中心部の四つ角「ザ・クロス」は、何世紀にもわたって商業と行政の中心であり、布告を触れ回る役人のオフィスを復元し、当時の衣装を着た役人が大きな声で実際にデモンストレーションをやっている。

      
(左)イーストゲート・ストリートを跨ぐ「イーストゲート・クロック」 (右)クロックの拡大

 イーストゲート・ストリートを跨ぐ橋の上には、今や街の象徴ともなったイーストゲート・クロックが目を引き付ける。ヴィクトリア女王即位60周年を記念して1899年に設置された時計である。

 旧市街地は南北750m、東西500m程度の小さな街であるが、多くの観光客で賑わっている。午後3時頃、名残惜しくバーミンガムに向けて車を走らせる。

 今夕はシェルのレセプションが待っている。
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第11回国際LNG会議 ダイアナ妃とショット -バーミンガム-(異文化体験24 LNG-11の旅2)

2012年07月14日 14時51分54秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

第11回国際LNG会議 ダイアナ妃とショット -バーミンガム-  1995.7.1~7.7

 「LNG-11」の会場 バーミンガム国際会議場

 7月3日第11回国際LNG会議、通称LNG-11がバーミンガム国際会議場で始まった。
 開会式場は9時半から2200名収容のシンフォニーホール。公用語は英語と仏語だが日本からの出席者が多いので日本語同時通訳が許されている。
 初日の基調講演は、プルタミナの総裁、シェルの会長。期間中、日本からの論文は34、うち都市ガス業界から16が採用。
 開会式後、展示会場ではVIPによる巡回が始まり、JGAブースにもブリティッシュガスの会長やIGU会長等が来訪、JGA会長が出迎える。

 
(左)併設展示会のオープニング JGAブースへもVIPが      (右)展示会場設営責任の I 嬢

 LNG会議における日本の主要テーマは、LNG契約の硬直性を緩和させることにある。価格は原油と連動し、契約はTake or Pay(契約量の引取り義務)条項で縛られている現在の取引形態を、今後の需要拡大が見込まれる中もっと弾力あるものにし、それによってLNG市場の活性化、拡大を図ろうと主張しているが、産ガス国は液化基地、供給システム等PJ投資の規模が大きいだけにリスクをミニマム化したいという強い思いがある。

 
(左)オープニング・レセプション招待状       (右)ウェストン・パーク会場の概略図

 
(左)会場内で供される飲食物メニュー         (右)広大な邸宅と庭園を開放してのレセプション
 
 初日の夕刻19時半から開催国主催の開会レセプションが、郊外のウェストン・パークで開催される。バーミンガム郊外には数多くの元貴族の豪華な大邸宅が一般公開されており、ウェストン・パークもその一つ。広大な邸宅と庭を開放してのレセプション、カクテルグラスを手に庭園で談笑する者、博物館のような邸宅内を見て廻る者等々、夜遅くまで賑わう。


           
(左)シェルのお土産、UOBの博物館のガイドブック (右)英国王室チャールズ皇太子とダイアナ妃?? 
 
 翌4日はシェル主催のプライベート・レセプション。展示ブースの日本人コンパニオンにも声をかけて繰り出す。チャールズ皇太子、ダイアナ妃も出席(実はそっくりさん)して、我々と記念撮影。最後は打ち上げ花火まで登場。真下から見上げると煤がちらちら落ちてきて目に入るわ、白いドレスのご夫人はあわてて逃げ惑うわで大変!


 
(左)フェァウェル・レセプション招待状    (右)国際会議場のキャナルサイド、産業革命時の世界への窓口

 6日は早いものでフェアウェル・レセプション。国際会議場のキャナル・サイドでオーストラリアガス協会の主催により午後5時半からの開始。会議が滞りなく終了したので、参加者は一様にほっとした明るい陽気な笑顔。

 
(左)大混雑のレセプション会場           (右)ディキシーランドジャズバンドも繰り出して

 ガス・ド・フランスのM副社長と歓談
 
 国際会議場周辺の運河は産業革命最中の18世紀に完成したもの。当時世界中に向けこの運河を通じて製品が運び出されたようだ。今はウォーターフロントとして再開発され都会のオアシスとなっている。
 真昼のような明るさの下、デキシーランドジャズの楽団も繰り出し、運河周辺は大混雑。ガス・ド・フランスの副社長やIGU会長等とも談笑し、午後7時頃今度は我々自身の打上げ会場に移動する。

 展示会場のコンパニオンさん達

 今度は日本食のお店で展示関係者の慰労会。会期中の様々な面白い出来事に花が咲く。 一番の話題はスタッフのS君が英国人コンパニオン(実はモデル)のきわどいポートレートを秘かに貰っており、英語の喋れない彼が何故?と要領の良い彼に羨望の質問が集中。小生の隣に座ったコンパニオンの一人N嬢はロンドン留学中の小柄な美人。結構真面目な人生論を交わす。

 JGA若手スタッフは明日ロンドンの一日観光をして明後日帰国する予定。ロンドンでもコンパニオン達と一緒に!と色々計画しているようだ。

 皆さん、ご苦労様でした!
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ハート・オブ・イングランド -バーミンガム近郊-(異文化体験24 LNG‐11の旅)

2012年07月07日 17時52分38秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

ハート・オブ・イングランド -ストラッドフォード・アポン・エイボン- 1995.7.1~7.2

 バーミンガムの「ハイアットリージェンシーホテル」

 成田からパリ経由で英国バーミンガムに着陸したのは、午後7時半。

 案の定、空港バゲージカウンターでトラブルが発生。一部の乗客がパリ・ドゴール空港で自分の荷物が積み残されて離陸してしまったのを機窓から見ており、当然荷物が出てこない。
 そんな中の一人に今回同行のT氏も含まれていた。結局、明日の便で顧客宿泊ホテルまで届けることで決着。機内用の洗面具セットを受け取りホテルにチェック・インしたのは午後9時過ぎ。

 今回の宿舎はLNG-11(第11回液化天然ガス会議)が開催される国際会議場に隣接するハイアット・リージェンシー・ホテルである。

 
(左)ブリティッシュ・エア・ウェイズで貰った案内書    (右)バーミンガム市内地図


 翌朝、荷物のまだ来ないT氏と共に、チャーター車で「ハート・オブ・イングランド(イングランド心臓部)」の小旅行に出る。

 ロイヤル・シェイクスピア劇場画廊のシェイクスピア肖像(1564-1616)

 まずは、シェークスピア生誕の地「ストラッドフォード・アポン・エイボン」に向け山のない田園風景の中を1時間のドライブ。
 シェイクスピアの家族はこの地方の旧家で、父母共にアーデンの森に小規模な土地を持つ農民層の出身である。この地で生れロンドンで活躍し晩年を名士としてこの地で過ごしたシェイクスピアは、劇「お気に召すまま」の中で、「俗塵を遠く離れたここでの我々の日々は、樹木に言葉を聞き、せせらぎに書物を見出し、小石に神の教えを読み取り、森羅万象に善を発見する」とアーデンのの森に設定された公爵の言葉に、彼自身の真情の吐露が読み取れる。

 
(左)ヘンリーストリートにある生家  (右)19C半ばに描かれた生家「不朽の天才ここに生まる」とある

 多くの人で賑わうエイボン川に面して建つロイヤル・シェークスピア劇場、ヘンリー・ストリートの生家、ギルド・チャペルとシェイクスピアが学んだグラマースクール、古いチューダー風の木骨造りの家々が16世紀の街並みをそのままに当時の暮らしを偲ばせる。

 
(左)ロイヤル・シェークスピア・カンパニーの前で(後が劇場)      (右)シェークスピア像を背景に

 
(左)大勢の人で賑わうエイボン川沿いの公園 (右)左側ギルドチャペルと右側ファルコン・ホテル 手前はニュー・プレースの庭

 
 ハイストリート沿いのレストランで昼食をとり、次なる目的地「Warwick Castle」(ウォリック城)に向かう。

 
(左)イングランド一と言われる中世の名城「ウォリック城」       (右)入場チケット

 
(左)楽しめる城壁を巡るコース        (右)お城の塔から見るエイボン川と広大な田園風景

 エイボン河岸に広がる壮大な敷地にイングランド一の中世の城として名高いウォリック城にも、沢山の観光客が訪れて、城壁を巡るコースに人の列が出来ている。
 ステート・アパートメントには「1890年代の王室の週末パーティ」と銘打ったマダム・タッソーの蝋人形の展示があり、豪華な室内を垣間見ることが出来る。
 城塞の塔の上からは、エイボン川と広大な田園風景が広がっている。

 英国政府観光庁(BTA)日本事務所作成のパンフ(逆バーミンガム?)

 夕刻前、バーミンガムに戻り、国際会議場での展示ブースの作業状況をチェックする。今回もCC社の I 嬢がJGA(日本ガス協会)ブースの制作を担当してくれている。
 明日から始まるLNG-11の日本展示ブースの目玉は、実在する小規模LNGガス化工場の模型と関連技術である。

 夕刻、国際会議場の食堂に展示関係者や会議の日本語同時通訳等が一堂に会し、夫々の役割分担、ブース来訪者への接客マニュアル等の確認を行う。ロンドン在住の日本人女性コンパニオン2名、英国人女性コンパニオン3名、それに日本からの各社やJGAの説明要員達が各展示コーナーに張り付く。

 準備万端、滞りなく終了。明日の開会式を待つのみ!
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