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旅行記、世相独言

宮古島紀行 その2

2014年03月27日 14時22分10秒 | 異文化体験_日本
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ゴルフと津波石、来間島と三線ライブ 2014.2.28~3.02

 二日目。我々のホテルにはサービス施設が何もない。朝食はリゾートのメインホテル「ブリーズベイ・マリーナ」に行ってのバイキングとなる。早朝にもかかわらず団体客で朝食会場は早くもごった返している。

 東平安名崎(手前がゴルフ場、その先の細長い半島の突端に灯台がある)

<オーシャンリンクス宮古島>
 今日のゴルフ場「オーシャンリンクス宮古島」は、ほぼ島の東南端に位置している。スタート時刻は8時44分。東平安名崎(ひがしへんなざき)の岬に向かって断崖上に整備されたゴルフ場であるが海越え等のホールはない。
 今日はフロントティを使用(OUT3040、IN2958、計5998ヤード)と少し短め。天気は曇り時々晴れ、気温は20度弱と絶好のゴルフ日和。
 スコアはOUTが少し悪く48-43の91.スループレイで13時に上がって、入浴後レストランで昼食。昨夜ステーキを食べたにもかかわらず何故か全員とんかつ定食。

        
(左)オーシャンリンクス宮古島(HPより)                      (中・右)スコアカード

           
(左)3番名物の絶景ロングホール 快心のティショット、残り280ヤード、さてセカンドは? (右)断崖絶壁の上のホールが続く

午後の観光は、昨日の島の北側とは反対側の南側を中心に。

<東平安名崎、平安名崎灯台>
 まず最初に訪れたのは、東平安名崎。島の南東に長さ2km、最大幅160m、高さ海抜20mでのびる半島で、隆起サンゴ礁の石灰岩で成り立っている。宮古島を代表する観光地のようで、沢山の観光バスも来ている。

      
(左)灯台入場チケットの写真                        (右)公園となっている東平安名崎

 半島の先端に高さ25mの平安名崎灯台がある。200円で98段の階段を上がって上まで行ける。灯台の上では東シナ海と太平洋が雄大な眺望で出迎えてくれる。
 半島の北東側、東シナ海に広がるサンゴ礁の海に沢山の巨岩が点在している。津波石だそうな。1771年(江戸中期)宮古島を襲った大津波等によって打ち上げられた巨石がごろごろ。この津波で2548人の犠牲者が出たとか。

     
 (左・右)灯台の上から撮影。津波によって打ち上げられた巨石がごろごろ、東シナ海と太平洋が一望できる

     
 (左・右)灯台の上から撮影。サンゴ礁の打ち寄せる波。公園はトライアスロンの自転車コースともなっている。

 半島の公園内には様々な植物も観察できる。この時期、ハマウドが群生し、ハマオモトや屋久島以南で自生するテッポウユリ等も観察できる。
         
(左)ブロッコリーのようなハマウドの群生と平安名崎灯台        (右)屋久島以南で自生するテッポウユリ

<来間島、竜宮城展望台>
 次に向かったのは、本島南西部と橋で結ばれた来間島(くりまじま)。驚いたことに来間島憲法がある。島の環境維持のためのゴミに関する取り決めである。竜宮城展望台からは対岸の前浜ビーチ、左手に建設中の伊良部大橋等がエメラルドグリーンの海越しに展望出来る。

        
(左)竜宮城展望台から見た来間島大橋                (右)展望台左手遠く建設中の伊良部大橋がかすんで見える

<南風屋台村と三線ライブ>
 ホテルに戻って小休止後、今夕は「琉球の風アイランドマーケット」の「南風屋台村」での食事と、琉球ステージライブ(無料)を楽しむ。今宵のライブはジョルジュ?さんの三線ライブ。熱のこもった1時間のライブであった。

         
(左)琉球の風アイランドマーケットの「南風屋台村」、気軽なフードコート  (右)日替わりのステージライブ、午後8時頃開演

いよいよ今日は、最終日。

<シギラベイカントリークラブ>
 最終日は、シギラベイカントリークラブINコースを7時51分のスタート。
 天気予報が的中しスタート直後から小雨からレインウェアが必要な本降りに変わった。レギュラーティでIN2989、OUT2941、計5930ヤードと短いものの、日本で唯一全ホールから海を望むことが出来るというだけに風の影響も強い。
 OUTコースに移る頃には少し雨も小降りとなり徐々に曇り空に変わってくれた。結局IN49、OUT45の94のラウンド。冷えた身体を湯船で温めたかったが当ゴルフ場にはシャワー設備のみでお風呂がない。
 帰りの便は宮古16時40分発のJTA。観光もほぼし尽したのでゴルフ場でゆっくり昼食をとる。

 全ホールから海が見えるシギラベイカントリー(HPより)

      
      (左・中)シギラベイカントリークラブのスコアカード                              (右)雨模様の練習グリーンのマガモたち

      
    (左)クラブハウス                   (中)6番ホール345ヤード                  (右)9番ホール360ヤード 珍しく全員パー 

 14時過ぎゴルフ場を後にし、レンタカーを戻して宮古空港へ。16時40分宮古発JTA564便で那覇へ、那覇18時05分発満席のJL2088便で無事寒い冬の大阪伊丹に帰着。
 2泊3日の宮古島への避寒旅行であった。
 
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宮古島紀行(その1)

2014年03月25日 17時56分19秒 | 異文化体験_日本
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エメラルドグリーンの海と温泉、そしてステーキ (宮古島紀行その1) 2014.2.28~3.02

 空港で数種類のガイドブックが手に入る

 ことのほか寒い今年の大阪を後に、JL2081便(伊丹9時10分発)からJTA559便(那覇12時25分発)に乗り換えて一路宮古島へ。宮古空港に13時30分の到着。

        
(左)宮古島は台湾台北と近接し、緯度的にも同じ           (右)宮古島空港で出迎えてくれる

 今回のゴルフ旅行は、会社の元同僚たちと昨年のグァム島ツアーに続く遠征ツアー。空港にほど近いトヨタレンタリースで大人4人にゴルフ4バッグが積載可能な予約バンに乗り込み、島の西北に位置する池間(いけま)島に向かう。

 宮古諸島は緯度的にはマイアミや台北とほぼ同じで、沖縄本島から南西に300km離れている。宮古島中心に8つの島(宮古、池間、来間、伊良部、下地、大神、多良間、水納)からなり、宮古本島と池間、来間の島は既に橋でつながっている。伊良部島&下地島とは架橋工事が進行中で来年竣工予定。宮古島市の人口は約5万5千人、面積は大阪市(222㎢)より若干小さい。

<西平安名崎>
 宮古本島の西平安名崎(にしへんなざき)から池間島に架かる池間大橋は、全長約1.5km、エメラルドグリーンの透き通った海に一段と映えている。池間島灯台まで車を走らせ、島側の橋の付け根の展望台に戻り景観を楽しむ。対岸の西平安名崎の3基の風力発電の羽根が心地よく回っている。遠くの伊良部島への架橋工事も遠望出来る。

      
(左・右)池間島に渡ってすぐの展望茶店の展望台からの眺望。吸い込まれそうなエメラルドグリーンの海と池間大橋(向こうが本島)

<島尻マングローブ林>
 次に訪れたのが、島尻マングローブ林。海水と淡水が混ざった汽水域の泥土に生育する植物群をマングローブというが、ここでは奥行1kmの入り江にヤエヤマヒルギ等の3科5種のヒルギ類が確認されている。遊歩道も整備されており、折しも干潮の干潟にはカニやアジサシ等の野鳥も観察できる。

      
(左)水の引いたマングローブに蟹やトビハゼの姿が           (中・右)遊歩道が整備された島尻マングローブ林

<砂山ビーチ>
 次の立ち寄り先は、砂山ビーチ。名の通り白い砂の山のビーチで、白い珊瑚の微細粉のような砂が一面に広がっており、自然の造形の吹き抜け洞窟も見られる。

      
(左)駐車場から珊瑚を打ち砕いたような白砂の道を上り、そして下ると砂山ビーチ。   (中・右)自然の造形、吹き抜け洞窟

<南西楽園 シギラベイリゾート>
 この日の観光を終え、今回の宿舎「リゾートヴィラ・ブリッサ」に向かう。南西楽園が展開する巨大リゾートのコンドミニアム型ホテルでリゾートの西端に位置する。リゾート内には複数のホテル、直営レストラン、温浴施設、ゴルフ場等があり、循環バスによる移動サービスが提供されている。

  南西楽園のシギラベイリゾート

 早速、今夕の相談が始まり、温泉温浴施設で汗を流して、明日のゴルフのためにステーキハウスで栄養をつけることに。
シギラ黄金温泉は、日本で最南端、最西端の天然温泉施設だそうな。通常2000円が65歳以上は800円になる。パンフ写真をさっと見て広大な露天風呂を期待して入浴したが、露天風呂と思ったのは水着着用の天然温泉プールで、様々な複合施設となっている。

        
(左)シギラ黄金温泉の入り口                      (右)ジャングル温泉プール(夕刻で人影はまばら)  

        
     シギラ黄金温泉の(左)温泉風呂 (右)温泉プール等(水着着用)(パンフより)

 ステーキハウス「ビアファス」では、200g程度のT-ボーンステーキやサーロインが2800~3500円で提供されている。このリゾートには団体客も結構多いが、これらの直営レストランの利用者は少ない。

        
      (左・右)ステーキハウス「ビアファス」(ステーキは3000円前後、その他ハンバーグ等)

 さあ、明日はゴルフ、天気も良さそうだ!! 
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ボージョボー人形とポリネシアンダンス(異文化体験40 サイパン戦後60年の旅3) 

2014年03月20日 11時07分53秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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ボージョボー人形とポリネシアンダンス-サイパン- 2005.07.08-07.10

 無事ボールを余して18ホールをラウンドし終え、ホテルに戻ってホテルレストランで和食の昼食を取りながら、午後と夕方の過ごし方を協議する。
 折角サイパンまで来たのだから綺麗な海で少しは泳がないと、ということで2時間ほど泳いだ後で、お土産等ショッピング。夜はポリネシアンダンスのディナーショーと協議決定。DFS等のある街の中心とグランドホテルとは5kmほど離れているが、Koncha Cardというカードを見せれば巡回バスがフリーで乗れる。

 浜辺から見たホテル、日光浴の人影もまばら

 同僚の一人がマリンジェットを体験する間、残り3人はホテル前の浜辺の小さな岩場で熱帯魚観察。浜辺は日光浴をする若い女性が数人いるだけで、マリンジェットの音を除けば静寂な空間が広がっている。

 午後の静かな浜辺に遠くでマリンジェットの音だけが響く

 午後4時頃から街の中心にショッピングに出かける。海に囲まれたサイパンであるが、意外と食べ物の値が高い。魚もほとんど外から運び込まれたものと聞く。これぞご当地土産といった特産品が見当たらないサイパン、どうしても手工芸品やTシャツ類、ナッツチョコということになる。

 買物の中心、DFSの入っているGALLERIA

 同僚の一人がメモを持ってDFSの店員に聞いてまわっている。ボージョボーとかいう人形がないか?ということらしい。「何、それ?」と聞くと「わしも見たことないが、なんでも小さな人形らしい」と同僚の答え。部下の女性達から頼まれたようだ。DFSでは入荷してもすぐに売り切れるとかで、店員に聞いてもこの近辺のお店には見当たらないとの話。

 購入した土産物を持って一旦ホテルに戻り、タクシーで第一ホテルのディナーショー会場に向かう。ホテル近くで下車し、歩いていると一人の女性が近づいて来て「若い女の子はいりませんか?」と声をかけてくる。どこにでもいるんだね、こういうのが。


 ホテルの前に土産物屋さんがある。だめもとで覘いてみよう!とボージョボー人形を聞くと何とわずかだがあると言う。見せてもらうと「何、これ!」という程度の人形である。しかし、かつて日本のTVで幸せをもたらす人形として放映され、今や日本の若い女性たちの間で秘かなブームを巻き起こしている代物。店のおばさんが偽物が出回っているがこれは本物!と力説する。

 クラフトセンターのボージョボー人形
 

 マリアナ諸島の先住民チャモロ族の間で古くから親しまれていた願掛け人形だそうで、「ボージョーボ(Bo jo bo、和名ウジルカンダ)」と現地で呼ばれているツタ性の植物の種を体や頭部に使い作られている。その手足の組み方で様々な願いが叶うとされ、例えば、恋愛成就には人形の足を交差させ、金運改善には人形の腕を背にまわす等々。試しに小生も一つ購入してみたが、後日会社の女性の手に早々と渡ってしまった。

 手足の組み方でいろんな願掛けが・・・・

 ちなみに人形の解説書に書かれていた内容は以下の通り。

Legend of the "Bo Jo Bo" Wishing Doll
My name is Bo Jo Bo. I came from San Roque, a little village in Saipan, Mariana Islands. I've been around a long time hiding in the woods and peeping out from the Bo Jo Bo vines. I am loveable, rich and strong. If you need some of my strength, love or money you can have all I've got, but you need to fold my arms for strength, cross my hands behind my back. Then all you need to do is hang me up where you can see me and have faith. Remember my love comes from the seeds of my eyes, my wealth from the coconut fiber of my arms and legs and my strength from my Bo Jo Bo Nuts.


 第一ホテル・サイパンビーチのジョイフルディナーショーは、6時半から約2時間のポリネシアンダンスを中心としたショーで、バーベキューの食べ放題。グランドホテルのツアーデスクによるとこういったディナーショーは3ケ所あるが、ここのショーがコストパフォーマンスが良くて人気があるとのことでほぼ満席状態。ちなみに値段は$45。

         
(左)第一ホテル・サイパンビーチのジョイフルディナーショー ホテルの会場前でお出迎え 

        
           迫力のあるポリネシアン・ダンス 最後は観客も一緒に踊る


 あわただしい旅である。午後9時過ぎホテルに戻り、翌午前3時半にはホテルチェックアウト。午前4時にはホテルを出発。午前6時発のJO940便で一路関空へ。
 JALグローバルクラブメンバーということだろうか、帰路はビジネスクラスシートに案内されて午前8時半に無事関空着。

 平和なサイパンの島

 忙しいが充実した戦後60年のサイパンの旅であった。

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サイパン de ゴルフ、ボールが・・・(異文化体験40 サイパン戦後60年の旅2)

2014年03月14日 22時44分56秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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サイパン de ゴルフ、ボールが・・・ -サイパン-  2005.07.08-07.09

 沢山のゴルフ場があるサイパンだが、今回選んだのはグレッグ・ノーマン設計の「LaoLao Bay Golf Resort(ラオラオベイ・ゴルフリゾート)」。海越えのショットが打てるシーサイド・コースと多くの池を配した山側のコースを持つゴルフ場である。

    LaoLao Bay Golf Resortのクラブハウス

           
(左)スコアカード 左がシーサイドコース、右が山側コース        (右)クラブのロゴ入りの帽子

 シーサイドコースを日本でインターネット予約(この時期$170)して出発したが、到着日の翌朝に電話確認すると「今日の午後山側コースをまわるのであれば、両コースで$200にする」と言う。
 料金表では山側コースはこの時期$110となっているから、これが$30ならラウンドせにゃ損!とばかり、ゴルフ場側の提案に飛びつく。14時23分スタートで13時半にホテルピックアップすると言う。
 午前の島内観光の後、DFS内ハードロックカフェで大急ぎで昼食を済ませホテルに戻る。

 迎えに来てくれたのは日本人スタッフ。山側のコースは2人乗りカートがフェアウェイの中まで乗り入れ可能との説明を受け、寝不足の初日かつ暑い日中でのプレイの我々には有難い話である。小生はクラブ持参で来たが他の3人はレンタルクラブ。ペットボトルの飲み水も2本ずつ買って、いざティー・オフ。

  山側のコースは、コース内カートの乗り入れが可能

 日本出発時に、初日の今日は4人の体調を見て、午後ゴルフが出来るようであればパブリックの安いゴルフ場でやろうという打ち合わせだったので、小生はゴルフボールを一応1ダース持参し、ゴルフバッグに半分の6個を入れてラウンドを始めた。
 さすがにカートでフェアウェイの中まで乗り入れが出来ると楽ちんである。暑さもさほど気にならない。

 しかし、2ホール目にして少し気がかりなことが発生した。
 ラフの方に飛んだ同僚のボールが落ちて転がったあたりに見当たらないのである。それまで気にならなかったが、良く見るとラフはさほど幅がなくその先はブッシュになっていて、背の低い木々が密度濃く茂っていてとても探しに行こうという気になれない。
 おまけに良く見るとフェアウェイも微妙に傾斜があり、おおむね「かまぼこ型」のフェアウェイで、ボールをフェアウェイにキープするには十分な状況判断が必要ということに気づいた。結局、ボールは見当たらずロストボールでプレイ再開。

                    
(左)山側コースはフェアウェイが軽いかまぼこ型、池が配置されている。  (右)ボール、ボール、ボール、どこかに。。。。

 しかし、これからが試練の始まりであった。
 同僚に起こった不幸が小生を含む他の3人にも次々に襲いかかった。ボールが次々と消えてゆく? 最後までボールを余してプレイ出来るだろうか?という不安が付きまとう。
 先人達も同じように心細い思いでプレイしたのであろう。大抵所有者不明のボールがラフやブッシュにあるのだが、皆が必死に拾いまくって行くのだろう、もはやどこにも余分なボールは落ちていない。

 まだハーフを残してとうとうボールを使い果たした同僚の一人はクラブハウスにカートを走らせ、1ダース仕入れて戻って来た。小生もハーフで2個なくし、最終ホールをホールアウトした時点では残り2個となっていた。


 この日の夜は、ホテルのプールサイドでバーベキューをエンジョイして、明日のシーサイドコースを楽しみにぐっすり就寝する。

 大きな夕日が海に沈んでいく

          
(左)ホテルのビーチサイド                   (右)今宵は浜辺でバーベキュー、流しのおやじも寄ってくる


 翌朝、快晴! シーサイドコースは午前7時2分のティー・オフ。涼しい間にまわろうと朝一番の組を頼んだ。結局、昨日はボール4個をなくした。今日は新しい6個と昨日の残り2個、計8個あるから、まあ8個あれば大丈夫だろう、と大船に乗った気持ちでスタート。

 快晴! 朝のホテル・シーサイド側の風景


      
                      (左・右)今日これから回るSea Sideコース

          
(左)ティーグラウンドから見た海越えの名物ホール         (右)少し見る角度を変えると・・・同じ名物ホール

 が、が、が、である。さあこれから海沿いの難コースが続くという直前で既に残り3個という有様となっている。
 こうなると慎重の上にまた慎重、豪快な海越えのショットが売り物のホールで、きざんできざんで兎に角ボールをなくさないことに専念。岩場の蔭にボールがないかとラウンドしながら探しまくるも、先人達が綺麗に持って行ったのであろう、どこにも見当たらない。
しかし、幸か不幸か何とか2個のボールを残して最終ホールをホールアウト。

 ボールを沢山持って、もう一度チャレンジしたいLaoLao Bay!

 LaoLao Bay Golf Resortでプレイする時は、ボールを十二分に持参するべし!


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トロピカル・スニーカーズ -サイパン-(異文化体験40 サイパン戦後60年の旅1)

2014年03月08日 14時27分54秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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トロピカル・スニーカーズ -サイパン-      2005.07.07-07.08


 前回、ソウル・ゴルフ旅行の時の仲間と再びサイパンに行くことになった。ソウルの時は急遽一人が身内の不幸で行けなくなったが、今回は4人揃っての旅である。

 計画時には全く知らなかったが、我々が行く10日ほど前の6月27-28日に、戦後60年のサイパンを天皇・皇后両陛下が史上初めて友好親善ではなく戦没者の慰霊目的だけのために行幸され、その様子はテレビで紹介された。

 兎に角、安くコストパフォーマンスの高い旅にしようと皆で調べた結果、飛行機・ホテルのみのパック旅行を申し込んだ。一人48420円。サイパン・グランドホテル本館3階以上/オーシャンビューで、空港税・利用料5420円、初日の午前中のミニ島内観光も含んでいる。

 サイパン島・島内略図

        
(左)今回の宿舎 サイパン・グランドホテル正面玄関            (右)部屋の様子


 関空を22時丁度に飛び立ったJALウェイズJO949便は、翌午前2時25分サイパン国際空港に着く。時差は1時間。
 サイパンのお隣の島グァムに新婚旅行で行ったのが34年前。当時は固定相場制で1ドル360円の時代(ちなみに今回は$1=114)。イエローカードとビザが必要で、円の持ち出し制限もあった。あの時もグァム行きは伊丹から夜の遅い便で、南国のけだるい風の吹くグァムの空港に深夜に降り立ったのを昨日のように思い出す。そう!旅行後すぐに横井庄一さんがジャングルから出て来るというビッグニュースがあった。

         
(左)バンザイクリフに立つ慰霊塔             (右)何事もなかったかのように紺碧の海が広がるバンザイクリフ

 朝8時30分、島内ミニ観光「トロピカル・スニーカーズ」が始まる。数時間しか寝ていないがその辺は社会人生活で鍛えられている。
最初に訪れたのが島の最北端のバンザイクリフ。1944年6月のアメリカ軍をはじめとする連合国軍の上陸の際には住民を巻き込んでの激しい戦闘によって、ここバンザイクリフから多くの人々が身を投ずるなど多数の犠牲者を出した。今は何事もなかったかのように波が打ち寄せ紺碧の海が広がっている。

         
(左)最後の司令塔 畳8畳くらいの狭い洞窟空間      (右)連合国軍の上陸・戦火拡大の様子が見て取れる 

          
                    (左・右)戦争の様々な傷跡が司令塔前に残されている

  次に訪れたのが最後の司令塔跡。第二次世界大戦中は、日本軍司令部があったが、最後の司令塔跡は畳8畳位の狭い洞窟のような所で、今はその周辺に日本国慰霊塔があり機関砲、戦車の残骸等が当時の有様を今に伝えている。この時期、火炎樹の花が咲き乱れ、忌まわしい過去の出来事がうそのようである。

          
(左)最後の司令塔近くにある「日本国慰霊塔」          (右)この時期、島内には火炎樹の花が至る所で咲き乱れる

   
 その後、サンゴ礁の上にある石灰岩でできた無人島で、表面にはたくさんの穴があき、多くの鳥たちが暮らしているのがその名の由来のバードアイランド、南洋興発株式会社初代社長である松江春次氏の銅像が設置されているシュガーキングパーク、ここには砂糖きび運搬用として1944年まで使用されていた機関車が飾られている、等々を観光し、お昼にトロピカルスニーカーズを終了する。

           
(左)無人島のバードアイランド                  (右)南洋興発株式会社があったシュガーキングパーク 

           
(左)シュガーキングパークには神社が・・・            (右)1944年まで砂糖きびを運んだ機関車

 午後は、ゴルフの予約がある。DFS内のハードロックカフェで大急ぎでサンドウィッチの昼食を済ませ、ピックアップ場所であるグランドホテルに戻る。
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