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旅行記、世相独言

韓国式マッサージに眼鏡は必要? -済州島-(異文化体験32 執念の済州島の旅2)

2013年08月24日 23時02分54秒 | 異文化体験_アジア
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韓国式マッサージに眼鏡は必要? -済州島- 99.03.26~03.28

 吾羅カントリークラブ (ホテルと同一系列の経営)

 二日目は吾羅カントリークラブでのゴルフ。スタート時間は8時20分からの4組。貸しクラブは一流メーカーのクラブである。
 生憎の空模様で傘が必要かなと思うが、韓国では傘は自前で準備するものらしく、仕方なく売店で購入。キャディのチップも各個人が直接支払うようだ。済州島には5つくらいゴルフ場があり、必ずしも日本人ばかりでもなさそうである。
 お昼過ぎにはラウンドを終了し、昼食後、一度ホテルに戻る。

 夕食までの間、Iさんお薦めのホテル近くの韓国式マッサージに出かける。およそ1万円程度の料金を支払い、ガウンに着替えて浴場に行く。
 垢すりマッサージの順番が来るまで入浴。風呂場の片隅に垢すりコーナーがあり、全裸でベッドに横たわると、男のマッサージ師が塩を含んだタオル状のもので垢すりをしてくれるが、これはややなおざり程度の垢すりであった。

 イメージ写真 

 再びガウンに着替えると案内係がマッサージの部屋の前に案内してくれる。
 目の前で先客がマッサージを受けている。しかし、これが結構きついようで時々唸り声が聞こえる。マッサージ嬢もピンク色のワンピースの仕事着でかなり大胆なポーズで仕事をしている。
 風呂に入ったので眼鏡はロッカーの中に置いてきている。こりゃ、待っている間、目の保養になるわい!と、眼鏡を取りに戻ろうとするが迷路のような場内、悲しいかなロッカールームに容易に辿り着けない。
 案内係りにロッカールームを聞くと「マッサージに眼鏡はいらないよ!お客さん」と愛想のない魂胆を見抜かれたような返事。

 イメージ写真

 仕方なく待合場に戻ると先客は体格の良い韓国の若者と判明。それでも結構唸り声を上げているところを見ると、相当きついマッサージのようだ。馬乗りになったマッサージ嬢が、素足の太腿に伸びる若者の手をピシャリと叩いたり、見ているだけでも結構面白いものである。

 小生の番が来て、ベッドに上がると片言の日本語で「痛くないですか?」と聞いて来るが、手を緩める気配は全くない。マッサージの間、時々手がマッサージ嬢の素肌に触れるので甘い誘惑に耐える一方で、きつ~いマッサージにも耐えなければならない。
 およそ、1時間のマッサージであったが、身体が軽くなり、爽快な気分である。
 一日何人の客をマッサージするのか知らないが、マッサージ嬢の重労働にも感心させられる。

 夕食は、車で小一時間走った山間の焼肉屋で、韓国焼肉を賞味する。たらふく食べても3000円程度と聞いて、こりゃ、安い!


 最終日は、島の南部の観光。
 木石苑は文字通り天然木や石を使った芸術作品の公園、

 木石苑 

 大侑狩獵場では、各自初めてのライフル射撃を試みるが、的が定まらず結果はいまいち。

 大侑狩獵場でライフル射撃

 昼食は、射撃場近くの雉の肉を使ったしゃぶしゃぶ鍋で有名な店。

 昼食は雉シャブ、あっさり系のお肉

 食後は、山房窟寺、天帝淵瀑帝、お化け道路等を観光して、新羅ホテルの新羅免税店でショッピング。
 
    
(左)天帝淵瀑                     (右)通称、お化け道路(上り斜面と思しきが実は下り斜面)  

 近くに中文ゴルフ場もあることから、新羅ホテルの新羅免税店にはゴルフ用品の専門店がある。
 ゴルフシューズの新製品が入口に並べられており、免税品ということで結構安い。丁度足にフィットするものがあったので、旅の記念に購入。

 その後、お決まりの韓国海苔とキムチ専門店でかさ張る買物をして、韓国の南国におさらばの旅であった。

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入国拒否から1年、執念の済州島 -済州島-(異文化体験32 執念の済州島1)

2013年08月18日 10時59分53秒 | 異文化体験_アジア
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入国拒否から1年、執念の済州島 -済州島- 99.03.26~03.28


 事の発端は、昨年の業界団体の懇親旅行。行き先は済州島である。残念ながら参加出来ずオフィスで執務中の小生のもとに、旅行代理店から「えらいことですねん!」と電話が入った。飛行機でも落ちたかと一瞬どきりとしたが、「Fさんが入国出来ません!」との声に、「何故?」と思わず聞き返す。「期限切れです!」「???」。

 まず最初に、Fさん本人がパスポートの期限、MARCH(3月)とMAY(5月)を勘違いしていたこと。次に旅行代理店が、それに気づかず手続きを行ったこと。更に更に、日本の出国審査官が期限切れを見落として出国させてしまったこと。これらのミスが同時に発生し、Fさんは済州島(Cheju)に辿り着きながら入国出来なかったのである。

 さすがに、韓国の入国審査官も気の毒がり、本国まで問い合わせをしてくれたようだが、答えはNO。貴賓室に通され、帰りの便を待つ間に、韓国側も気を使い、免税のお土産店に行きませんか?と言ってくれたようだが、本人の憤りは収まらない。
 結局、名古屋空港に向かう便に乗り、旅行代理店の深謝の出迎えを受けた次第。

 という訳で、今年の懇親旅行は勿論!済州島である。今回は当然あの旅行代理店は外され、別の代理店が取り扱う。

 済州島は、かつては韓国における新婚旅行のメッカ。それ程に寒さ厳しい本土と違って温帯海洋性気候がもたらす温暖な土地で、常駐人口は53万人。秦の始皇帝に不老草の存在を紹介し、採取を命じられた「徐福」伝説が伝わる島である。

   
高(Ko)、梁(Yang)、Puという苗字と関係する三姓穴    民族自然史博物館           不老草ゆかりの竜頭岩

 チェズ(Cheju)空港に到着後、済州市内で早速本場の石焼ビビンバの昼食。その後、済州市周辺の観光に出かける。徐福に同行した500名の童男童女が住み着いたと言われる済州島、そのせいか高(Ko)、梁(Yang)、Puという苗字が多く、これと関係のある三姓穴という洞や、民族博物館、海に面した不老草ゆかりの竜頭岩等を観光して、グランドホテルにチェックインする。

 済州グランドホテル

 夜は、韓国風の建物の料亭で伎生付きの宴会。お世話をしてくれるチマチョゴリ姿の女性達が、ぞろぞろ入ってくる。韓国料理が卓上に最初から全て並べられるところは、日本の懐石と大きく違うところ。

 韓国宴席の料理イメージ

 食後は、市内のカラオケ屋で何故か日本歌謡のオンパレード。お世話をしてくれている女性に韓国茶を飲みたいと言うと、ホテル近くの茶房に案内してくれる。韓国茶を飲ませる喫茶店は、店内は薄暗く好い香が漂っている。様々な茶器が並べられ、茶種も多く様々なブレンドがあるようだ。とりあえず健康志向のものをブレンドしてもらう。中国式の飲み方で、香を楽しみつつ、こういう喫茶店もいいなあと思った次第。

 韓国茶房の一例、薄暗い木の香漂う店、様々な茶器・・・

 Sさんというお世話係りの女性との会話は、何故か美容整形。韓国の女性は美容整形をする人が多いようだが、その影で失敗等で泣く女性も多いとSさんの話。

 さあ!明日は、ゴルフ。楽しみだ!


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グループ・ツアーの泣き所 -トルコ-(異文化体験31 東西文明十字路の旅10)

2013年08月11日 18時38分38秒 | 異文化体験_中・東欧
(写真はクリックで拡大します)

グループ・ツアーの泣き所 -トルコ- 98.08.17~08.26

 イスタンブール旧市街(http://jp.turtr.net/より)

 ツアーの序盤は古代遺跡巡り、中盤は世界自然遺産巡り、そして終盤は今なお東西文明の結節点の色合い濃い都市巡りと、今回のトルコ周遊の旅は充実したコストパフォーマンスの良い旅であった。

 ツアーには熟年夫婦の旅、仲間同士の旅、親子の旅、一人旅等々、様々な人たちが正に呉越同舟の旅をしようと集まる。

 そんな中でツアー・メンバーに親子ほど歳の離れた男女の二人連れがいた。当初、親子かな?と思われたがそうでもないことは、言葉使いや20歳前後と思われる女性の態度で分かる。中年男性がしきりに女性との会話の中に英語を挟んで教えようとしているようにも見えることから、塾の先生と教え子?などなど、ツアーの序盤はこの二人にどう接していいのか、皆さん戸惑っていた。

 ツアーでは団体行動をすることが多いので、自然と会話が当たり障りのないことから日が経つと少しプライベートなことに移っていく場合が多い。特に食事時がそうである。あまり社交的でないこの女性が一人で寂しそうにしていると、こちらで一緒に食事しない?と何かとお世話をしたがる。これが日本人の良い所でもありお節介な所でもある。当然同じテーブルで食事すると、二人の関係を探ろうとする何気ない会話が入り込む。

 邪視から守ってくれるというナザール・ボンジュー、お土産最適品

 旅も中盤に差し掛かった頃、ツアーの最年長夫婦に中年男性が文句をまくし立てている。その内容は、「昨晩、連れがみんなからいろいろ聞かれて胃が痛くなり、泣いていた。」ということらしい。これ以降、この男性の異様な行動が火に油を注いだようにエスカレートしていく。
「絶対、許せない。殺してやる。住所はどこだ、教えろ。・・・・・」
同行女性から執拗に誰がどのようなことを言ったのか、聞きだしては個別攻撃を時間・場所を問わずやりだした。

 海から見たトプカプ宮殿

 ボスポラス海峡の船の上は、若い女性の添乗員に対して「何とかしてよ!」とツアー客たちがキャビン内で詰め寄っている。添乗員が男性ならまだしもなのだが・・・。
小・中学生の親子連れ3人で来ていたお母さんは、恐怖に怯えて旅行どころではない感じ。
 そのうち、女房にも言いがかりをつけにきた。最初は相手にしなかったが、あまりのしつこさに女房も負けじと口論に。私にも「あんたの嫁は・・・」と言い寄ってくる。「俺には関係のない話。いい加減にしろ!極めて不愉快。お前にこのツアーを台無しにする権利がどこにある。いやなら個人旅行をしろ!」と言うと「住所はどこや、教えろ!」しつこく迫る。「いい加減にしろ!」と一喝すると引き下がった。
 結局、暴力的行為にまでは至らず何とか無事関空で解散となり、添乗員が関空でこの男女を足止めさす間に、皆さん大急ぎで夫々のルートで家路に着くことに。

 体験出来なかったハマム、残念!

 今回のこの大手旅行代理店は、参加者からのツアーアンケートの辛口評価にさぞ頭を抱えていることだろう。

 まさに、グループ・ツアーの泣き所である。


 
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無形文化遺産保護条約採択10周年記念シンポジウム

2013年08月05日 12時12分13秒 | イベント
(画像はクリックで拡大します)

ユネスコの無形文化遺産と世界遺産とは別物?



 2013年8月3日、大阪・堺市ホテル・アゴーラ リージェンシー堺で、無形文化遺産保護条約採択10周年の記念イベントが開催された。

 富士山が世界文化遺産に登録され、今夏は多くの登山者で賑わっているようだが、これは有形の文化遺産で、世界遺産だそうだ。

 一方、世界には数々の後世に伝えたい無形文化遺産がある。芸能や儀式、祭礼、伝統工芸等々。しかし、これらは世界遺産とは別物だそうだ。(今のところ)ということを、始めて知った次第。



 本条約はユネスコ加盟のうち154ケ国が締約国となり、世界各国の後世に伝えたい上記無形文化遺産を保護しようとするもので、その成立には日本国がリーダーシップを発揮したそうだ。

 いずれ、世界遺産の枠内に有形・無形の文化遺産として登録保護されることを目指して欲しいものだが、今のところまだそこまでのコンセンサス形成が出来ていないようだ。





 当日は、日本の佐陀神能(スサノウノミコトのヤマタノオロチ退治を題材にした「八重垣」)と、カンボジア王立舞踊団による宮廷舞踊「アプサラ・メラ伝説」(アンコール・ワットの第一回廊の壁面に見ることの出来る乳海攪拌の泡から生まれたアプサラたちの舞踊)が1時間半にわたって演じられた。
 この舞踊団はノロドム・ボパ・デヴィ王女殿下が顧問を務め、カンボジア宮廷舞踊を内外に広められ、当日も列席されていた。
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海峡クルーズとブルーモスク  -イスタンブール2-(異文化体験31 東西文明十字路の旅9)

2013年08月05日 10時59分42秒 | 異文化体験_中・東欧
(写真はクリックで拡大します)

海峡クルーズとブルーモスク -イスタンブール2- 98.08.24

 ボスポラス海峡(上が黒海、下がマルマラ湾、エーゲ海、中ほど金角湾が見える)

 トルコ周遊の旅も今日がいよいよ最終日。
 午前中は「ボスポラスクルーズ」、ボスポラス海峡の長さは約30km、最狭部は760m。海から旧市街地の景色を堪能し、更に海峡を黒海近くまで遡って往復するツアーである。潮の流れは黒海からボスポラス海峡を経てマルマラ海に、更にダーダネルス海峡を経てエーゲ海に注いでいる。

 クルーズ船にて

 ガラタ橋近くのエミノニュ桟橋を出ると、眼前には旧市街地の街並みにトプカプ宮殿、アヤソフィア、ブルーモスク等が重なり合った重厚な景色が展開する。
 それらの景色が少し遠くなった頃に、左手に昨日入れなかったドルマパフチェ宮殿を海から眺めることになる。
 海峡には2本の橋が架かっているが、最初の橋がボスポラス大橋。往路の中ほどにあるのがファティフ・メフメット大橋。この橋の手前に1453年建造のルメリ・ヒサール(要塞)がある。

      
(左)イスタンブールの旧市街地              (右)昨日見学出来なかったドルマパフチェ宮殿

      
(左)遠くにファティフ・メフメット大橋(第2ボスポラス大橋)が。 (右)1453年建造のルメリ・ヒサール(要塞)

 黒海近くのキレキュブルヌという町で下船し、「Qulistan」というシーフードレストランで昼食。ここから遠望する黒海は波も荒く、正に黒い海である。

 黒海(左下にマルマラ海が覘いている Wikipedia) 

   
(左)黒海沿岸のシーフードレストラン「Qulistan」   (右)黒海沿岸にて(波が少し荒い)


 再びイスタンブールに戻って旧市街にある通称「ブルーモスク」、正式名スルタンアフメット・ジャミィを訪れる。
 このモスクは珍しく6本のミナレット(尖塔)を持ち、27.5mの大ドーム、4つの副ドームと30の小ドームを持つ1616年建造のオスマン建築の傑作の一つ。直径5mの4本の柱で大ドームを支え、内壁を飾るブルーを基調とするイズニック・タイルも素晴らしい。

 6本のミナレットを持つブルー・モスク(スルタンアフメット・ジャミィ)

           
(左)真近に見るモスクの威容          (右)巨大なドームを持つモスクの内部


 ローマ時代の大競技場の跡がヒプドロムという公園になっていて、3本の碑が立っている。最南端の26m高さの碑は、テオドシウスⅠ世のオベリスクと呼ばれローマ時代エジプト・カルナック神殿から運ばれたもの。真ん中が8mの青銅製の蛇の柱。最北端が切石積のコンスタンティヌスⅦ世のオベリスクで青銅板で覆われていたもの。

 ローマ時代エジプト・カルナック神殿から運ばれたオベリスク


 イスタンブールの旧市街地には、4世紀から6世紀にかけて造られた地下貯水池が何箇所か発見されている。
 その一つがトプカプ宮殿近くのイエレバタン・サルヌジュである。イエレ「地に」バタン「沈んだ」という意味。ローマの水道橋(ヴァレンス水道橋)からここに引かれトプカプ宮殿の水源となったようだ。140m(L)×70m(W)×8m(H)の地下空間を28本×12列336本のコリント様式の柱で創り出している。薄暗く夏は涼しい地下宮殿の一番奥にはメドゥーサの妖しい顔が2基横たわっている。

        
(左)イエレバタン・サルヌジュの入場券          (右)照明に浮かぶ幻想的なコリント様式の柱群

    
(左)メドゥーサの妖しい横顔(左が頭部、右が顎)   (右)巨大な地下貯水池は涼しくしばし休憩


 カパル・チャルシュ、屋根付き市場の意、日本語でグランド・バザール。
 中東最大の規模で、出入口が20以上、店数4400。15世紀半ばにメフメットⅡ世が設置し、順次拡大し今日の姿になった。当初は貴金属や絹を扱う店が多かったようだ。世界的に有名となり今や観光客価格となって、あまり買うものはなく、雰囲気だけを楽しむ。

 世界最大規模のグランド・バザール


 最期の夜は「Karvansaray」というレストラン&ナイトクラブでの夕食とベリーダンスのショー。
 ベリーダンスは西洋人がつけた名で、元来は中近東各地の民族舞踊がそのルーツ、必ずしも女性だけの踊りではないようだ。イスラム教の浸透で露出度や派手さも少なくなったが、トルコは比較的戒律が緩やかなため、ベリーダンスが観光資源の一翼を担っている。

       
          「Karvansaray」でベリーダンスを堪能、胸元にチップも忘れずに 

 独特のリズムとサズの音にあわせて、臍だしルックの衣装で妖艶な身体の動きを続けるダンサーが小生の席に近づいてくる。あわててポケットからチップのお札を取り出して、ダンサーの豊かな胸元に差し入れる。あっという間のショータイムも終わり、深夜の空港に向かう。

 午前1時発のアシアナ航空OZ552便は、ソウルに18時05分着。ソウル市内で焼肉を食した後、漢江観光ホテルで1泊。翌26日10時20分の便で11時55分関空着。

    
(左)韓国・ソウルの一夜(付録の焼肉)        (右)漢江観光ホテルで迎えた夜明け 


 ハマム(トルコ風呂)だけ行き損じた充実した東西文明十字路の旅であった。


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