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旅行記、世相独言

戦場にかける橋とクワイ河マーチ -カンチャナブリ- (異文化体験45 戒厳令下のバンコクの旅2)

2014年10月19日 23時37分42秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

戦場にかける橋 と クワイ河マーチ -カンチャナブリ-   2014.1.22

  
    左)クワイ河橋                  (中)泰緬鉄道              (右)アルヒル桟橋道


 今日も朝が早い。映画「戦場にかける橋」で有名な第2次世界大戦下で建設・爆破された泰緬鉄道の橋があるカンチャナブリへ小生を含む3名が、アユタヤへ残り2名が、それぞれ観光に出発。

 7時15分ホテルを出た車は、早速渋滞の中に吸い込まれる。
 ガイドのおばさんによると、何と「戒厳令!」が出されているとのこと。聞き捨てならない話だが、どうも我々が普段イメージしている戒厳令とは少し異なるようだ。
 デモ集会に対する爆弾テロがあったので、今後のことも考えて過激化分子の活動を抑え込むためのもので、デモ集会そのものをどうこうしようとするものではなさそうだ。

  
(左・中)戒厳令が発令された早朝の市内 ダウンタウンは閑散、裏道は大混雑      (右)一時間半かかってチャオプラヤ川を越える

 早々とホテルを出た車は、遅々として動かない。やっとたどり着いたとある交差点で、運転手が描いていたラーマⅧ世橋を越えるルートが、橋の封鎖で迂回するようデモ隊から指示され、大きく時間をロス。チャオプラヤ川を越えるのに何と1時間半近くかかった。

 カンチャナブリに行く前にナコンパトムで「ワット・プラパトム・チェディ」に立寄る。高さ120mの世界最大の仏塔を持つ寺院だが、渋滞の時間ロスで寺院の中には入らず外だけ見て、カンチャナブリを目指す。車はロスタイムを取り戻そうと結構なスピードで走り続けている。

                        
(左)高さ120mの仏塔のワット・プラパトム・チェディ (中)いつもの参拝風景 (右)寺院のトイレ(便器の上から猫の陶像が覗き込む)

 ← カンチャナプリのシンボル 魚の像が分離帯に

 カンチャナブリで乗る列車は11時発。何と、バンコク午前7時発で4時間がかりで129km離れたカンチャナブリに至るという。しかし、我々の車もデモ集会のおかげで似たり寄ったりで、街はずれに来た時はすでに11時5分前。果たして列車に乗れるのか?

              
(左)11時発の列車が今日は遅れずに到着  (中)「River Kwai Bridge」駅  (右)乗降客や見物客で駅から橋の上まで多くの人が

 カンチャナブリのクウェー川(日本ではクワイ川)駅に到着すると、間髪入れず列車がホームに入ってきた。ここから乗車する人も多く、人種も様々で指定席の車内はほぼ満席。駅を出るとすぐに「戦場にかける橋」のモデルとなったクェー・ヤイ川に架かる橋を渡る。
 列車に乗らない観光客達が線路脇の待避所から手を振って見送ってくれる。橋の下にはボートハウスのレストラン等があり、一大観光地となっている。

        
(左)鉄橋待機場所の見送人 (中)昔はジャングルの中の橋も今は観光地  (右)車内の多種多様な人種。西欧人特に英国人も多い

 列車は、丁度収穫期を迎えたサトウキビ畑やあまり人影のない農村集落の間をひたすら走る。社内では記念グッズの物売りや軽食類の売り子がひっきりなしに売り歩きにくる。

        
(左)2時間の列車の旅。車窓にはのどかな農村風景が。    (右)この時期サトウキビ畑の刈入れが盛ん。

 ← 日本軍によりインドへの軍事輸送路の一環として作られた泰緬鉄道(640km)

 この列車の最大の見せ場は3ケ所

 乗車すぐの「クェー川鉄橋」と乗車後2時間(約50km)ほどで到着した「アルヒル桟道橋」。 全長300mの桟道は、クェー・ノイ川の断崖絶壁にへばりつくように作られたS字カーブの木造高架橋で、列車は時速5kmまで減速して走る。
 インドへの軍事輸送路の一環として作られた泰緬鉄道、ジャングルの中での建設作業の往時の過酷さが忍ばれる。

  
(左)断崖絶壁にへばりつく「アルヒル桟橋道」 (中)列車は時速5km。車窓の下は川しか見えない  (右)「アルヒル桟橋道」

 今一つは、我々を含む多くの観光客はアルヒル桟道橋の駅で下車するが、日本人が滅多に行かない施設がまだこの先にあるという。敷設当時の面影を色濃く残す「ヘルファイアー・パス(地獄の切通し)」がそれで、欧米人達の観光ルートとなっているようだ。

      
(左・右)我々は行っていないが「地獄の切通し(ヘルファイアー・パス)と呼ばれる英国人捕虜が切開いた難所(欧米観光客が主に訪問)


 下車後、迂回して来た車に乗って昼食場所へ。ミャンマーに至る国道沿いのレストランでブッフェスタイルの昼食。バナナの唐揚げに人気があったようだ。

        
  (左・右)アルヒル桟橋道で下車し、車で山腹のレストランでのランチ(バナナの唐揚げに人気)    


 今度は、車で再び出発地点のカンチャナブリの街に戻り、時間の都合でゆっくり出来なかった長さ300mのクェー川鉄橋を歩いてみる。
 映画「戦場にかける橋」は、デビッド・リーン監督、ウィリアム・ホールデン、早川雪舟ら豪華キャストで1957年に制作され、第30回オスカーで7部門を総なめにした作品。ミッチミラー楽団のクワイ川マーチも有名である。

          
               (左・右)車でカンチャナプリに戻り、クワイ河橋をゆっくり見物

          
(左)1957年制作の映画「戦場にかける橋」   (右)ラストシーンの爆破導線が見つかる場面 ウィリアム・ホールデンと早川雪舟


 橋の近くには、泰緬鉄道建設中に犠牲となった全ての捕虜、労務者、日本人将校、軍属の霊を慰めるため、日本人によって建てられた「戦没者慰霊塔」がある。

          
(左)昭和19年2月 日本軍鐵道隊によって建てられた戦没者慰霊塔        (右)その碑文

 更には泰緬鉄道建設に携わった日本軍の捕虜収容所の様子を再現した「JEATH戦争博物館」(J=Japan、E=England、A=Australia、T=Thailand、H=Hollandの頭文字)もある。博物館の建物は当時と同じ竹で造られ、兵士たちが残したスケッチ、日本軍が使っていた銃や剣などが展示され、過酷な収容所の様子がわかる。

        
(左)捕虜収容所を再現した「JEATH戦争博物館」 (中)再現された当時の収容所の悲惨な記録展示 (右)英国人捕虜が書いた本

 観光も終わり、午後4時頃バンコクに向け出発。アユタヤ組とは今夕は中心繁華街の台湾小籠包の店に行こうと約束していたが、彼らは既に午後4時前にはホテル帰着したらしい。我々がホテルに帰着したのは午後7時頃。今からデモ集会の拠点近くのお店は危険ということで、ホテルのレストランで夕食を取る。

 明日はまた朝の早いお迎えでのゴルフ。そして、夜には帰国の途に。
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ヴィンテージ・ゴルフクラブとマッサージと -バンコク- (異文化体験45 戒厳令下のバンコクの旅1)

2014年10月11日 16時22分18秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

ヴィンテージ・ゴルフクラブとマッサージと -バンコク- 2014.1.20~1.24

 いつものことではあるが、昨年末からタイの国内政治情勢が不安定になっている。
 年明け13日からは本格的な市内各所でのデモ集会や主要道路・交差点の封鎖、政府機関の封鎖等、バンコク市内はかなり混乱しているようだ。
しかし、この混乱はなかなか解決の糸口が見いだせない複雑な様相を呈し、過激派による爆弾投与で死傷者も出ているが、軍も王様も静観状態といったところ。

          
(左)混乱の続くタイ国内(参考写真)               (右)バンコク市内の主要道路・交差点はデモ隊が占拠)

 出発を見合わせるかどうか多少迷ったが、現地情報収集の結果、デモ隊に近づかなければ市民生活にはほとんど問題がないということで、20日16:50発JL727便で関空を飛び立った。今回の旅は、昨年同様学友達とのゴルフと観光の旅で1名増えて5名での旅である。

    
(左)バンコク・プラザホテル           (中)ホテルのエントランス         (右)ホテルのロビー(正面に国王の写真)

 21時10分、定刻にバンコク到着するも昨年のあのムッとした熱気が感じられない。出迎えの男性に聞くと今年は異常冷夏で寒いくらいだという。もっとも我々にとっては30℃を超えないちょうど良い避寒旅行である。早速、今回の宿舎「バンコク・プラザホテル」にチェックインする。

    
(左)さすが敬虔な仏教国 ロビーの仏様のお花替  (中)部屋(禁煙とあるが灰皿が置いてある)    (右)朝6時開店のレストラン

 5時15分のモーニングコール、6時開店のレストランでブッフェスタイルの朝食を大慌てで済ませて、7時40分ティー・オフ予定のヴィンテージ・ゴルフクラブに向かう。デモ集会の影響で市内の道路交通は大渋滞。幸い我々は郊外に出ていくので少しはましだが。

 ヴィンテージ・ゴルフクラブは、他のゴルフ場同様緑濃い木々と池とバンカーを配する平坦なコース。

  
(左)ヴィンテージGCクラブハウス正面        (中)クラブハウス・エントランス        (右)ロッカールーム入口

  
(左)ロッカールーム   (中)コース・レイアウト(平坦な土地だけに池とクリークと林とバンカーで難しくしている) (右)スコア・カード

  
(左)緑の濃いきれいなコース        (中)キャディと騒ぎながらの楽しいゴルフ       (右)17歳のキャディ Baちゃんと    

  
(左)シャワーブース               (中)クラブ・レストラン                (右)海鮮焼きそば    

 昨年往路の機内ビデオで見たゴルフレッスン(同調性)が大いに参考になったので、今回も機内で見たビデオ・レッスン(飛ばし屋本舗)を早速試してみる。しかし、これがいけなかった。ティーショットはビデオでは最低10ヤードは伸びる!とその気にさせるが、見ただけで上手くいくはずがなく結果は最悪。おまけにグリーンが速くて3,4パットも・・・。
 今回のキャディは、なんと17歳のスリムなBaちゃん。キャディも出来の悪いパターに愛想をつかしていたことだろう。

 ゴルフ場で昼食を済ませ、ホテルに戻ると、同行者の知人から果物(大きなマンゴとマンゴスティン)の差し入れが。これを頂戴しながらこれからの予定を話し合う。
 主要な繁華街周辺はデモ集会の場所と化しているため、ホテルに近い前回行ったスクインヴィットのマッサージ屋に行って、その近くのタイ料理屋で夕食を、ということで衆議一決。

 スクインヴィットの交差点はデモ集会のテントが張られ封鎖されていたので、裏通りは大渋滞である。しかし、四六時中デモ集会をやっているわけではないので、緊張感は全くなく、道行く人も普段と全く変わらない。

  ← 馴染みのマッサージ店となったHATTASART

 バンコクのマッサージは、指圧療法系でチェンマイのストレッチ系とは異なる。着替えてマットに横たわっていると巨漢のおばさんマッサージ師が足のマッサージを始めた。全体重をあずけての指圧マッサージに恐怖感を抱いたが、それも杞憂に終わりベテランマッサージ師の2時間のマッサージは、心地よいものであった。

      
(左)マッサージ店の近くのタイ料理レストラン「プワンゲーウ」 (中)定番トムヤムクンの取り分け  (右)仲間たち   

 マッサージ店の近くのタイ料理レストラン「PUANGKAEW(プワンゲーウ)」で、辛さを加減してもらったタイ料理に満腹となった我々は、またまた大渋滞の道路をプラザホテルに戻った。

 明日は、アユタヤ組と映画「戦場にかける橋」「クワイ河マーチ」で有名となったカンチャナブリ組とに分かれての観光である。
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世界遺産アユタヤ観光とマッサージ(異文化体験44 エンジョイ・バンコクの旅3)

2014年10月03日 01時29分17秒 | 異文化体験_アジア
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世界遺産アユタヤ観光とマッサージ  2013.2.25~3.1

 バンコク最後の日は、世界遺産アユタヤ観光。二度目のアユタヤである。
 前回行った時はカオサン通りのツアー代理店に直接行って申し込んだ。送迎・昼食付きで6ケ所遺産めぐりをする1日ツアーが450バーツ(約1350円)。
 今回は、パンダバスのツアーで送迎付き・昼食なしの3ケ所遺産めぐりの半日ツアーで1200バーツ(約3600円)。

 何が違うのか?
 まず、車は同じくマイクロバスであったが、前回は各国人種の混載(前回時は日本人男女が7人ほど、ドイツ人、スペイン人等)で若者中心の計20人ほど。今回は人数が多ければ大型観光バスのようだが、日本語定期観光のため日本人のみの8人。
 案内役は、前回はアユタヤ待ち受けの中国系タイ人のおじさんによる英語案内、今回は日本人女性添乗員による日本語案内。
更に前回はホテル送迎付きだが、今回は帰りがチットロム駅前のインターコンチネンタルホテルまで。しかも、前回は昼食付、今回は、なし。
 時間のある方は、是非バックパッカーが集まるカオサン通りの旅行代理店がお勧めだ。ちなみに、前回の代理店はA&R Travel。


ワット・ヤイ・チャイモンコン (左)涅槃像      (中/左・右)仏塔への急な階段       (右)仏塔の中のキンキラ仏

 2回目のアユタヤ、あまり新しい発見はないが、最初に立ち寄った「ワット・ヤイ・チャイモンコン」は初めての訪問。涅槃像もある。

 アユタヤは、タイの歴史の中で417年という最も長い時代の都として栄えた古都で、建国は1350年。バンコクの北80km、チャオプラヤー川とその支流に囲まれた中洲の都市で、度重なるビルマとの戦争で1767年ついに陥落、建造物は徹底的に破壊された。それまでのアユタヤは海のシルクロードの東南アジアにおける最も栄えた港市・都市の一つとして遠くペルシャやヨーロッパ諸国とも外交・交易関係を樹立していた。

 続いて向かったのは、エレファントライド。わずか10分ほどの比較的おとなしいアジア象乗り体験だが、迫力がある。

  
(左・中・右)エレファント・ライド  引き返し地点で後ろの象にチップをやってくれと言うのでお札を出すと鼻で上手に取りました。


 アユタヤには、膨大な遺跡・寺院群があり、全てに立ち寄ったわけではないが、前回と今回の訪問のなかでAnchor流に3大遺跡を選択すると、「プラ・スィー・サンペット寺院」 「マハー・タート寺院」 「ローカヤスターラーム寺院」。

Anchor流3大遺跡 一つ目:「プラ・スィー・サンペット寺院」

        
アユタヤ朝の3人の王の遺骨を納めた3つの巨大な仏塔で有名。大きな破壊を受けた他の仏塔遺跡に比べ保存状態はいい。

        
(左・右)後世に建てられた本堂。高さ16mの純金に覆われた仏像の名前が「プラ・スィーサンペット」

Anchor流3大遺跡 二つ目:「マハー・タート寺院」

      
(左)菩提樹が絡まった打ち落とされた仏頭      (右)アユタヤとビルマの間の争いで、仏頭がことごとく打ち落とされている

      
(左・右)マハー・タートとは、上座部仏教国の仏舎利(マハタート:お釈迦さまの遺骨や遺灰)を言う。スコータイ歴史公園最大の遺跡。

Anchor流3大遺跡 三つ目:「ローカヤスターラーム寺院」

 ← 全長57.7m 高さ8mの巨大涅槃像(今回ツアーでは訪問せず、前回訪問時のもの)

 ツアーバスをチットロム駅前で下車し、ツアーに付いているBTSの1日乗り放題券を一回は使おうと昼食を取りにサイアム駅まで1駅利用する。サイアム駅前のパラゴンの巨大フードコートは、世界各国の料理が食べることが出来る。また、ショッピングセンターやスーパーマーケットがありバンコク一の繁華街である。

            
(左)交通渋滞が常態化しているBKKの重要な市民の足    (右)HISツアーに付いている一日乗車券(チケットブースで発券・要)

            
                          
(上・下・左・右)バンコク一の繁華街に位置する「SIAM PARAGON」  ここの巨大フードコートで昼食

 食後の1時間ほどをショッピングタイムに充てて、最後のマッサージに昨日行った店に再び行く。
 タイの古式マッサージには、南部式スタイルと北部式スタイルがあるという。
南部式は、バンコクスタイルとも呼ばれ、指圧療法が強調される。
一方、北部式は、チェンマイスタイルと呼ばれるストレッチ動作が多いようだ。
 確かに、前回チェンマイの「Let’s Relax」という店のマッサージはストレッチ系のものであったが、ここバンコクでは指圧というより体全体を使った押圧マッサージの感が強い。  
 連日のマッサージは逆効果になるのでは?と思ったりするが、それほど気持ちの良い2時間でもある。

 ← 昨日同様、「King's Body Massage」で最後のマッサージ

 ホテルに戻り、極寒の日本に戻るため、厚着に着替えて夜間飛行の客となる。
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