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アンカラ特急とイスタンブール -イスタンブール1- 98.08.22-08.23
本日はアンカラからイスタンブールへ寝台特急で
清水の舞台から飛び降りた気持ちで買ったヘレケの絨毯、きっと良い思い出になるだろう。バスはカッパドキアを離れ、一路首都のアンカラに向かう。1923年初代大統領アタトゥルクが当時人口6万人のこの町を首都に定め、新たな都市計画の下で発展を続け、現在人口360万人の大都市に変身している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/dc/84b973c8ec4db0f9561f6493a457ba86.jpg)
(左・右)夜行寝台列車に乗る前に、アンカラ駅に近いワシントンというレストランで夕食を取る。
アンカラ特急(二人用のコンパートメント)
TCDD(国鉄)のアンカラ特急は、アンカラ駅を午後10時半に出て、翌朝7時35分にイスタンブール・ハイダルパシャ駅へ到着する約9時間半の旅。
料金は日本円で約2600円。距離的・時間的に日本のブルートレイン急行「銀河」とよく似ている。我々の車両は二人用のコンパートメント。発車してほどなく車掌がベッドメーキングしてくれる。ベッドに横になると心地よい揺れがいつしか深い眠りを誘う。
(左)朝日がイスタンブール到着近しと教えてくれる (右)アジア側のハイダルパシャ駅
朝陽がイスタンブールへの到着が近いことを教えてくれる。アジア側のハイダルパシャ駅はマルマラ海に面した駅。対岸にこれから行くトプカプ宮殿、アヤソフィア博物館、そしてブルーモスクとして知られるスルタン・アフメットジャーミィ等がある。
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(左)「アヤソフィア」博物館の入場券 (右)ビザンチンの名建築 大ドーム建築の元祖
最初に訪れたのは、ビザンチン建築の最高傑作と言われる「アヤソフィア」。大型ドームを持つ建物は、537年に完成を見たアヤ・ソフィア大聖堂がその起源である。
ペンデンティブドームという建築手法が直径30mという大ドームを可能ならしめたわけだが、ビザンチン形式の建築史における最大の貢献と言われている。
しかし、ビザンチンの材料は煉瓦とモルタルが基本であり、ドームの工期短縮メリットもあったが、修復の繰り返しのため、ベネツィアのサン・マルコ寺院(11世紀)の例もあるが、中期以降のビザンチン建築は小型化していく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/ce/7d5ec9d910febeb348e32221ac2f3af7.jpg)
(左)何度か崩落を繰り返している巨大ドーム (右)黒に金のカリグラフィー円板
アヤソフィアは東ローマ帝国終焉の時までギリシャ正教の大本山であった。ギリシャ語名はハギア・ソフィア。1453年コンスタンティノープルが陥落すると聖堂はイスラム教寺院となり、ミヒラーブ等が新たに設置された。ドーム内の黒に金のカリグラフィーの円板には、アッラーやムハンマドに4人のカリフなどの名が書かれている。
(左)手前はスレイマニエ・ジャーミィ その先はトプカプ宮殿の緑 (右)トプ(大砲)カプ(門)サライ(宮殿)の入場券
次なる訪問先は「トプカプ宮殿」。15世紀半ばから20世紀初頭まで強大な権力を保有してきたオスマン帝国の支配者の居城である。
ボスポラス海峡を見下ろすように建つ宮殿は、トプ(大砲)カプ(門)サライ(宮殿)と呼ばれた。1460年メフメットⅡ世が着工、その後のスルタンが増築に増築を重ね、70haという広大な宮殿となっている。(ちなみに、大阪ドームとその周辺商業地区あわせて12ha)
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(左)「スルタンの調理場」の名残り屋根 (右)内部は陶磁器コレクションの一大展示
アラビア語のハラム(聖域)、ハリム(禁じられた)を語源とするハーレムは、今回はパス。スルタンの調理場と呼ばれるかつての厨房は、一大陶磁器の展示場となっている。
次は人気の高い宝物館。オスマン朝以降、侵略を受けなかったスルタン達のコレクションが展示されている。トプカプ短剣、重さ3kgの世界最大のエメラルド、86カラットのスプーン屋のダイヤモンド、様々な王座等々、見ごたえのある宝物が展示され、多くの人だかりが出来ている。
(左)エメラルドがまばゆい光を放つ「トプカプ短剣」の展示 (右)参考写真
テラスに出ると金角湾、マルマラ海を眼前にボスポラス海峡を挟んで正に東西文明の十字路、アジアとヨーロッパが一望出来る。
ボスポラス海峡を挟んで右がアジア、左が欧州
遅めの昼食後は、ガラタ橋を渡って新市街地にある軍事博物館に向かう。世界最強のオスマン軍の数々の武器等が展示されている。ここでは毎日3時から4時の間に奥のホールでオスマン時代の軍楽隊(メフテル)のデモンストレーションがある。
新市街地の軍事博物館入場券
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(左)オスマン時代の軍楽隊(メフテル) (右)今日の軍楽隊によるデモンストレーション
今日の最後の観光は同じく新市街地のドルマバフチェ宮殿の見学(オプション)。
ところが16時までの開館で入場人数に制限があり、時間的に遅くなって入場不可とのこと。ドルマ(満たされた)バフチェ(庭)という意味の壮麗な宮殿である。1938年アタトゥルクが執務中にここで亡くなっている。
新市街地のドルマバフチェ宮殿入口門
長い一日であった。今宵のホテルは、初日と同じく新市街地の路面電車が走る繁華街イスティクラル通り「タクスィム広場」近くの「Eresin Taxim」。
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(左)今宵の宿舎「Eresin Taxim」 (右)トラムの走る繁華街イスティクラル通り
明日は、いよいよトルコのツアーも最終日!
(付録)アヤ・ソフィアを起源とする教会の玉葱坊主について少し調べたことがあり、過去ブログに掲載しました。ご興味のある方はそちらもご覧下さい。
カテゴリーは「コーヒーブレイク」の中にあります。 アドレスは、
⇒ http://blog.goo.ne.jp/skhr0247/e/c3a0d4d515bcafa6a02514191405a903
アンカラ特急とイスタンブール -イスタンブール1- 98.08.22-08.23
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清水の舞台から飛び降りた気持ちで買ったヘレケの絨毯、きっと良い思い出になるだろう。バスはカッパドキアを離れ、一路首都のアンカラに向かう。1923年初代大統領アタトゥルクが当時人口6万人のこの町を首都に定め、新たな都市計画の下で発展を続け、現在人口360万人の大都市に変身している。
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(左・右)夜行寝台列車に乗る前に、アンカラ駅に近いワシントンというレストランで夕食を取る。
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TCDD(国鉄)のアンカラ特急は、アンカラ駅を午後10時半に出て、翌朝7時35分にイスタンブール・ハイダルパシャ駅へ到着する約9時間半の旅。
料金は日本円で約2600円。距離的・時間的に日本のブルートレイン急行「銀河」とよく似ている。我々の車両は二人用のコンパートメント。発車してほどなく車掌がベッドメーキングしてくれる。ベッドに横になると心地よい揺れがいつしか深い眠りを誘う。
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(左)朝日がイスタンブール到着近しと教えてくれる (右)アジア側のハイダルパシャ駅
朝陽がイスタンブールへの到着が近いことを教えてくれる。アジア側のハイダルパシャ駅はマルマラ海に面した駅。対岸にこれから行くトプカプ宮殿、アヤソフィア博物館、そしてブルーモスクとして知られるスルタン・アフメットジャーミィ等がある。
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(左)「アヤソフィア」博物館の入場券 (右)ビザンチンの名建築 大ドーム建築の元祖
最初に訪れたのは、ビザンチン建築の最高傑作と言われる「アヤソフィア」。大型ドームを持つ建物は、537年に完成を見たアヤ・ソフィア大聖堂がその起源である。
ペンデンティブドームという建築手法が直径30mという大ドームを可能ならしめたわけだが、ビザンチン形式の建築史における最大の貢献と言われている。
しかし、ビザンチンの材料は煉瓦とモルタルが基本であり、ドームの工期短縮メリットもあったが、修復の繰り返しのため、ベネツィアのサン・マルコ寺院(11世紀)の例もあるが、中期以降のビザンチン建築は小型化していく。
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(左)何度か崩落を繰り返している巨大ドーム (右)黒に金のカリグラフィー円板
アヤソフィアは東ローマ帝国終焉の時までギリシャ正教の大本山であった。ギリシャ語名はハギア・ソフィア。1453年コンスタンティノープルが陥落すると聖堂はイスラム教寺院となり、ミヒラーブ等が新たに設置された。ドーム内の黒に金のカリグラフィーの円板には、アッラーやムハンマドに4人のカリフなどの名が書かれている。
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(左)手前はスレイマニエ・ジャーミィ その先はトプカプ宮殿の緑 (右)トプ(大砲)カプ(門)サライ(宮殿)の入場券
次なる訪問先は「トプカプ宮殿」。15世紀半ばから20世紀初頭まで強大な権力を保有してきたオスマン帝国の支配者の居城である。
ボスポラス海峡を見下ろすように建つ宮殿は、トプ(大砲)カプ(門)サライ(宮殿)と呼ばれた。1460年メフメットⅡ世が着工、その後のスルタンが増築に増築を重ね、70haという広大な宮殿となっている。(ちなみに、大阪ドームとその周辺商業地区あわせて12ha)
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(左)「スルタンの調理場」の名残り屋根 (右)内部は陶磁器コレクションの一大展示
アラビア語のハラム(聖域)、ハリム(禁じられた)を語源とするハーレムは、今回はパス。スルタンの調理場と呼ばれるかつての厨房は、一大陶磁器の展示場となっている。
次は人気の高い宝物館。オスマン朝以降、侵略を受けなかったスルタン達のコレクションが展示されている。トプカプ短剣、重さ3kgの世界最大のエメラルド、86カラットのスプーン屋のダイヤモンド、様々な王座等々、見ごたえのある宝物が展示され、多くの人だかりが出来ている。
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(左)エメラルドがまばゆい光を放つ「トプカプ短剣」の展示 (右)参考写真
テラスに出ると金角湾、マルマラ海を眼前にボスポラス海峡を挟んで正に東西文明の十字路、アジアとヨーロッパが一望出来る。
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遅めの昼食後は、ガラタ橋を渡って新市街地にある軍事博物館に向かう。世界最強のオスマン軍の数々の武器等が展示されている。ここでは毎日3時から4時の間に奥のホールでオスマン時代の軍楽隊(メフテル)のデモンストレーションがある。
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(左)オスマン時代の軍楽隊(メフテル) (右)今日の軍楽隊によるデモンストレーション
今日の最後の観光は同じく新市街地のドルマバフチェ宮殿の見学(オプション)。
ところが16時までの開館で入場人数に制限があり、時間的に遅くなって入場不可とのこと。ドルマ(満たされた)バフチェ(庭)という意味の壮麗な宮殿である。1938年アタトゥルクが執務中にここで亡くなっている。
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長い一日であった。今宵のホテルは、初日と同じく新市街地の路面電車が走る繁華街イスティクラル通り「タクスィム広場」近くの「Eresin Taxim」。
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(左)今宵の宿舎「Eresin Taxim」 (右)トラムの走る繁華街イスティクラル通り
明日は、いよいよトルコのツアーも最終日!
(付録)アヤ・ソフィアを起源とする教会の玉葱坊主について少し調べたことがあり、過去ブログに掲載しました。ご興味のある方はそちらもご覧下さい。
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