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旅行記、世相独言

淡路花博2010 花みどりフェア

2010年05月31日 21時04分49秒 | イベント
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淡路花博2010 花みどりフェア   2010.5.27   


 淡路夢舞台、淡路島国営明石海峡公園をメイン会場に「淡路花博2010」が、3月20日から5月30日まで開催されました。

 この事業は早いもので淡路花博から10年経った記念事業だそうで、5月には皇太子殿下も立ち寄られました。

  
  (左)百段苑花あそびガーデンの最上段からの眺望   (右)百段苑を流れ落ちる水のオブジェ


 私も10年ぶりに家内と訪れ、淡路夢舞台を中心に見事な花々を楽しみました。お天気も良く対岸の泉州の山々や関空から飛行機が離発着する様子が展望出来ました。

   
  会場内には様々な季節の花、草木を使った作品が。。。。


  

 左上の写真で紫色のぼんぼりの花、名前をご存知の方教えて下さい! 
アリ・・・何とかと係りの方が教えてくれましたが。。。


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平城遷都1300年祭「美しき飛鳥の祝祭」

2010年05月29日 23時01分26秒 | 異文化体験_日本
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平城遷都1300年祭「美しき飛鳥の祝祭」 2010.5.22


 
  (左)せんとくんも会場に                 (右)高句麗時代の衣装


 5月22日(土)大和三山の一つ「畝傍山」に隣接する「かしはら万葉ホール」で、「美しき飛鳥」実行委員会&コリアンワールド主催の東アジア歴史シンポジウムが開催された。

 710年藤原京から平城京へ遷都され、東大寺大仏開眼供養会に象徴される天平文化が大きく華開いた。今、その1300年祭が大々的に平城京跡で開催されている。

 しかし、およそその100年前、飛鳥にわが国初の国家の礎が構築され、また天平文化の基礎となる飛鳥文化もまた大きく華開いた。言わば、飛鳥1400年祭でもある。

         
 (左)シンポジウム資料表紙               (右)プログラム 


 この日のテーマは「日本国家形成と渡来人」。縄文時代に倭人、先住民族アイヌ民族、弥生時代に朝鮮半島からの渡来人、更には遣隋使・遣唐使等による大陸からの人々、様々な人々が融合し、古代日本の文化を築き上げてきたわけだが、日・韓・中3ケ国の研究者達による友好と共存の時代を掘り下げ、より良い明日に繋げる議論がなされた。

 特に、666年高句麗からの渡来人である高句麗若光が大和朝廷に仕え、その後韓半島の状勢変化により716年現在の埼玉県日高市とその周辺に高麗郡が置かれ、実に1799人の高麗人が入植し開拓に当った、との話が高麗神社宮司高麗文康氏からあった。
日高市では「高麗郡建都1300年記念事業」が動き始めている。

   
  (左)パネルディスカッション風景               (右)「世界大百済典」紹介パンフ表紙

 また、倭・飛鳥と深く関係のあった百済でも、今年9月18日~10月17日の1ケ月間「世界大百済典」が公州市、忠清南道扶余郡で開催される。



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ローマの日米戦争 - ローマ1 - (異文化体験6 "I LOVE 欧州"の旅3)

2010年05月25日 01時01分32秒 | 異文化体験_西欧
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ローマの日米戦争 -ローマ1-  1984.6.9~10

サン・ピエトロ大聖堂から見た広場と市街地


 3日間のマラソンデイナーから開放された土曜日の今日、一足早く日本に戻るK氏と別れ、東宝ニューフェイスもどきのO氏と共にローマへ。荷物をロンドンに残しショルダーバッグ一つの身軽な週末小旅行である。

 
   (左)白銀のアルプス越え(機窓より)          (右)紺碧の地中海(機窓より)


 雪を頂いた快晴・白銀のアルプス上空を越えると、そこはもう紺碧の地中海に面した永遠の古都ローマ。英国のあの重々しい雰囲気とは対照的に、太陽に溢れ気分も軽快に弾む。若い女性の服装は原色一色となり、薄い素材で大胆に肌を露出させたデザインは南欧に来たと言う実感をいやが上にも盛り立てる。

 
    (左)サン・ピエトロ寺院               (右)ミケランジェロ作「ピエタ」(Wikipediaより)

 
 空港から、かのコンスタンチヌス大帝が326年に初代ローマ法王ピエトロの墓の上に建てたというバチカンのサン・ピエトロ寺院に直行し、バチカン博物館でミケランジェロや古代ローマ3000年の歴史に触れた跡、ひとまずMETROPOLEホテルにチェックイン。丁度ほとんどのお店が市の法律で決められた3時間のお昼休みの真最中。O氏にとっては恨めしい時間帯。しかしそこは時間を無駄にしない日本人。後の買物を効率よくするためにウィンドショッピングに早速出掛ける。

         
 (左)広場にそびえるエジプトのオベリスク (右)警護はスイス兵

 
 ヨーロッパの街は、何と言っても歩いて廻れるのが良い。小さな都市は半日、大きな都市でも一日あれば主要な観光ポイントを徒歩で済ますことが可能である。複雑に交錯した小さな通りを地図を頼りに目標に近づいていくこと自体楽しいものである。ましてその途中で思わぬ珍しいお店や予期せぬ楽しい出来事に出くわせば尚更である。

 いつも人で賑わうスペイン広場の階段
 

 快晴。午後のまばゆい太陽が照り付け汗を拭き拭きショーウィンドを覗きながら、いつしかスペイン広場にやってくる。昼食も取っていないことに気付き、屋台のピッツァを頬張りながらスペイン広場の階段で一休み。何をするでもなく、ただただ階段に座って午後の一時を過ごす人たちで137段の階段は鈴なりである。そうこうする内にお店のシャッター音があちこちから聞こえ始める。さあ、行動開始。

          
(左)スペイン広場に繋がる3つの通りの一つ「VIA CONDOTTI」 (右)GUCCIの本店


 スペイン広場に繋がるVIA CONDOTTI,VIA BORGOGNONA,VIA FRATTINAの3つの通りはショッピング街のメッカ。彼の荷物持ちになっては大変なので20時にCaffe’Grecoで待ち合わせることにした。
 広場のすぐ近くにGUCCIの本店がある。日本の欧州ブランドブームが盛んになったのは昔のことではない。若い女性層に購買力がついたのが最も大きな原因であろう。お店の中は日本人と米国人でごった返している。米国老夫婦はこれは孫の誰それに、これは娘にと品定め。日米の欧州買出しツァーの一端を垣間見る風景である。かく言う小生も女房殿へのバッグと自分用のペンシル・ケースを買ってしまったが。

  買い物客でいつも賑わう通り。カフェ・グレコもこの近く。
 

 女性のファッションを見るのも楽しいもの。特にピッコーネ、ベネトン等の若者向けファッションはカラフルで多種多様なデザインがある。誰一人同じようなファッションで歩いておらず、各人が個性をどのようにアピールするのかを十分に考えたファッションである。

 日本の多様化は進んだとは言え、まだまだモノトーンの域を出ていない。


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行って来ました、山が燃える~ 葛城山つつじ園

2010年05月19日 14時29分41秒 | 異文化体験_日本
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行って来ました、「山が燃える~♪」 葛城山つつじ園  2010.5.15


 金剛生駒紀泉国定公園「葛城高原」マップ


 「山が燃える~♪」 天城越えではありません。大阪府と奈良県境にそびえる標高960mの葛城山、その山頂には一目100万本と言われるつつじ園があります。
 昨年は、今日のこの日が満開の日とあって、大混雑を予見し早朝から車をとばしてやって来ました。
 御所市の葛城ロープウェイ「葛城登山口駅」前の駐車場には、午前8時20分には既に7割近くが駐車されていました。何ら待つことなくロープウェイに乗って、高低差561mを一気に山頂へ。

 葛城ロープウェイ(高低差561m 往復1220円)


 つつじ園まで山頂駅から登り坂を15分ほど歩くと、視界に入ってくる景色がこれ!

 一目100万本と言われる「つつじ園」 間もなく満開

 葛城山の山肌を真赤に美しく染め上げる

残念ながら、4月に入ってからの気温の足踏みで、つつじは蕾膨ら!といった感じだが、それでも局所的には満開状態のつつじもあり、「山が燃える~♪」に相応しい景色を堪能しました。

 今日は快晴で、頂上からは奈良県側には大和盆地を眼下に、右手に大台ケ原、吉野、左手に生駒、奈良市街まで眺望が広がっていました。また、大阪府側は遠く神戸、明石から大阪市、大阪湾、関空までが一望出来ました。

 眼下に広がる古代大和王権の地、大和盆地(奈良盆地)
中央が畝傍山、左奥が耳成山、右奥が天の香具山


 満開は今日以降の気温上昇も手伝って、20日前後ではないでしょうか? 11時過ぎには下山しましたが、駐車場が満杯のため登り道路には待ち行列が延々と出来ていました。車で行かれる場合はお早めにどうぞ!


今回の「山が燃える~♪ 葛城山つつじ園」を評価下さい。

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世界最大のダイヤモンド -ロンドン2- (異文化体験6 ”I Love 欧州”の旅2)

2010年05月13日 23時45分01秒 | 異文化体験_西欧
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世界最大のダイヤモンド -ロンドン2-  1984.6.6~9

現在の「ロンドン塔」と「タワーブリッジ」(Wikipediaより)

  ホテルに缶詰状態でスタディしている我々のこの「The Tower Thistle Hotel」の隣に、「タワーブリッジ」と「ロンドンタワー」がある。
このあたりは、1981年にロンドン・ドックランズ再開発公社が設立され、テムズ川沿岸のウォーターフロント再開発計画「ドックランズ開発事業」が動き始めている。

 
              「The Tower Thistle Hotel」から見た「タワーブリッジ」と「ロンドン塔」


 すぐ前のテムズ川にかかるロンドン名物のタワーブリッジは、1894年に完成した全長244mの跳開橋。すぐ横のロンドン塔のデザインとマッチするようにと、このタワーブリッジもデザインされ、ホテルの部屋から見る夜のライトアップされた橋は異国情緒満点である。残念ながら滞在中に跳開状態を見ることは出来なかったが、参考までに跳開状態の写真を借用して掲載した。

 
(左)タワーブリッジの近くのテムズ川に停泊する海軍船 (右)跳開状態はこんな感じ(Wikipediaより)


 一方、ロンドン塔(Tower of London)は、正式には「女王陛下の宮殿にして要塞」(Her Majesty's Royal Palace and Fortress)と言うらしく、1066年にイングランドを征服したウィリアム1世がロンドンを外敵から守るため1078年に堅固な要塞の建設を命じ、本体は約20年で完成した。
 長らく王室が利用したかつての生活空間は、現在博物館となっており、その内部には世界最大のダイヤモンド「偉大なアフリカの星」や中世の騎士の鎧等が展示されており、多くの観光客が訪れている。

   
(左)ロンドン塔の入口にて   (右)塔内、中世騎士の鎧展示


 1905年に南アフリカのカリナン鉱山で発見されたカリナン(The Cullinan Diamond)と呼ばれるダイヤモンド原石(3106カラット(621.2g))は、9つの大きな石に切り出されカリナンⅠ世からⅨ世まであるようだが、「偉大なアフリカの星」(530.2カラット)はカリナンⅠ世で世界最大のカットダイヤモンドである。これらはいずれも英国王室のもの。

    
(左)カリナンから切り出された9つのダイヤ(ガラス模造品) (右)「偉大なアフリカの星(530カラット)」


 さてさて、需給予測の作業はホテルに缶詰状態で3日間続き、就寝前に窓から見えるライトアップされたタワーブリッジが心を穏やかにしてくれる。

  ホテルの部屋から夜毎見たタワーブリッジ

 チームの作業が終われば、憧れのローマ行きである。


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終わりのない宴マラソンディナー -ロンドン1- (異文化体験6 ”I Love 欧州”の旅1)

2010年05月09日 14時33分59秒 | 異文化体験_西欧
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終わりのない宴、マラソンデイナー -ロンドン1-  1984.6.6~9


 早朝のロンドン・ヒースロー空港にO君の出迎えを受けて、ラッシュの道をシティの一角にあるロンドン事務所に向かう。3年ぶり、2度目のロンドンである。
 今回の同行者は、小生と同年代で東宝ニューフェースに志願したという同業T社の独身男性。出発前に彼の上司から彼には気をつけた方が良いというアドバイス。何のことか分からず、さして気にもとめずにいたが、ここロンドンに着くや早速その片鱗が出た。
10時になると、この近辺の英国紳士ご愛用の傘屋があるので早速買いに行くと言う。かくて同行の氏のローマ、パリに至る買出し旅行のスタートが切られたのである。

ロンドン名物「タワーブリッジ」

 
 ガス関係者が参加する世界最大の団体「International Gas Union(世界ガス連盟)」。その団体の活動の一つに「天然ガスの長期需給予測」があり、その結果はIEA(世界エネルギー機関)も一目を置いている。タスクフォース・チームは、主要な世界のガス、電力、石油会社が集まって3年に一度需給展望をスタディする。

 タワーブリッジに近接する「The Tower Thistle Hotel」


 今日はその初日。今回のホストである英国ガス公社の歓迎晩餐会がテムズ河畔、タワーブリッジ横の「The Tower Thistle Hotel」で開催された。緊張した面持ちで会場に出掛けると、ご婦人連れや単身者らが好きな飲み物片手に雑談している。欧州の人達が大多数で、他は米国人や我々日本人のおよそ40名ばかりのパーティである。初対面とは思われぬ親しさで、気軽に話し掛けてくる人達と名刺交換しながら、名前と容姿の特徴を一致させるのに必死である。公式用語は英語、仏語で、各人それぞれお国なまりの英語でコミュニケーションをはかっている。

 晩餐会、まずは食前酒から(イメージ写真)


 米国人の英語が一番分かりにくいが、汗だくの食前酒の1時間があっという間に過ぎ、別室のテーブル席に移っての晩餐会となる。自由席とは言え、そこには当然暗黙の秩序がある。ご同伴の人達は一つのテーブルに集い、ホストと議長、副議長たちは中央のテーブル、単身者は単身者のテーブルにという傾向で適当に席に着く。小生のお隣はオランダ人とスペイン人。これから3時間に及ぶディナーの始まりである。およそ相互のガス事情が分かっている欧州人の中で、極東の話は少しは興味があるようだが、所詮地球の裏の話。 世界の天然ガス貿易市場は3つに分かれており、規模のまだ小さい、しかもLNG特化した極東・日本の影響はひしひしとマイナーなものと感じられた。

 ホテルの会場で延々と続く晩餐会(イメージ写真)

 7時に始まったパーテイも既に11時である。デザートが出て終わりかと思えば、さあこれから葉巻タイム、食後酒の時間と言う。広見護氏のブログ「極上シガータイム」によれば、フレンチ・レストランのアフターディナーに欠かせない4Cアイテムがあるとか。コーヒー(Coffee)、チョコレート(Chocolate)、コニャック(Cognac)、シガー(Cigar)だそうだ。12時になって5時間に及ぶご餐会は、議長の「さあ、明日は元気にスタディしよう!」の声でやっとお開きになった。
 このスタイルがこれから毎日続くとは、この時点では夢にも思っていない。

 アフターディナーに欠かせない4Cアイテム(広見護氏のブログより)


 昼間のスタディを終え二日目の夜は、「Dickens Inn by the Tower」でのご餐会。趣のあるウオーターフロントの木造のレストランで、テラスの食前酒から今宵もスタート。ロンドン塔、タワーブリッジ、対岸の荒れた倉庫群、小さなマリーナを借景に、今夜のお隣さんは仏国電力庁、英国ガス公社公爵夫人。日本のように次々と席を変えることなく、じっくりとコミュニケーションを楽しむ彼等のスタイルは欧州、特に英国的大人の文化と感じられた。

 私はこれを「マラソン・ディナー」と名付けた。


 
  緒に着いたドッグランズ再開発に立地する二日目の「マラソン・ディナー」会場「Dickens Inn by the Tower」





 
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アメリカン・ドリーム - ロサンジェルス - (異文化体験5 テーマ探しの旅4)

2010年05月03日 00時10分53秒 | 異文化体験_北米
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アメリカン・ドリーム -ロサンゼルス-  1983.9.23~25


 ホテル・ニューオオタニ(今は別名)
  
 リトル東京の側にあるホテル・ニューオオタニ。無事U君とも合流し、ロスの休暇を楽しむ。3年程前から義弟がデザイン関係の勉強でロスに来ている。電話連絡すると24日は空いていると言うので久々に会うことになった。

 
      ディズニーランドより歴史のある遊園地、もともとはベリーを売る店から始まった。
 
 車がないとどうしようもないロスの町。義弟の車で「ナッツベリーファーム」というOld Time Adventureが楽しめる遊園地に行く。ここも子供以上に大人が多く、ライド系の遊園地では全米でも屈指の遊園地である。次にUCLAにテニスのラケットを買いに行ったが結構高いので止め、ジョギングパンツを購入。その後、義弟の住むハリウッド方面に向かう。

 UCLAの学内ストアでテニスラケットを物色、高くて購入中止。
 
 ビバリーヒルズに日本人2人と米国人1人の3人で共同生活をしているという。仕事場兼住居のその家は、3DKでプール付きのタウンハウス。セキュリテイを重視するお国柄とあって、門扉は各家からのリモート操作。CATVが発達していて、ここだけでスポーツ番組5チャンネルと契約していると言う。

 デザインの仕事はそれなりに進んでいるらしいが、競争が激しく日本人留学も多く、仕事にありつける確率は高くないらしい。今はバドワイザーの広告を手掛けており、彼の関係する作品が日本でも週刊誌に毎週見受けられる。しかし、下働きでは日本に帰っても大した仕事に就けないので、もう少しがんばってみると言う。義弟の勇気とファイトに大いに声援を送る次第である。

  
      グリフィス天文台と天文台からL.A.のダウンタウンを遠望する

 グリフィス天文台やそれに続く小高い丘の上からGreater L.A.が一望出来る。夕日に照らされたロスの町並はうっすらとスモッグに霞んでいた。久しく日本食を食っていないと言うので、寿司でも食おうとリトル東京の「大阪寿司」に行く。カリフォルニア巻きなどという海苔巻があって、観光客にうけている店である。

 カリフォルニアロールの一例、板前と「目つき」論議

 板さんは日本から来た人で、二人の会話の途切れた間にうまく入ってきて、小生が日本から来た人で、お連れさんはこちらの人でしょと言う。「どうして分かるの?」と聞くと、目を見ればわかると言う。日本から来た人は非常に目が鋭くなっていて、こちらに住んで永い人は日本人の本来の目つきだと解説してくれる。本人はリラックスしているつもりだが、心身はやはり緊張し、目つきは鋭くなっているらしい。もっとも団体旅行の人には当てはまらないようだが。
 義弟の成功を祈って乾杯し、夜遅くホテルに戻る。

 買って帰ったインディアンの砂絵

 翌朝はお土産の買物。リトル東京には岡田屋等、沢山のお店がある。COTYのコンパクト付き口紅$6(1$=260円前後、日本のデパートで4千円程度で販売)が目下の米国出張時の人気土産品。まとめ買いすると$5にしてくれる。この時買ったインデイアンの砂絵は今も書斎の壁を飾っている。

 帰りの機内、スチュアデスのあのスリット嬢は?? 今、彼女はいずこの空を飛んでいるのか。


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