(写真はクリックで拡大します)
光明皇后伝説を歩く 2011.11.26
私の住む大阪府和泉市には、光明皇后にまつわる多くの伝説があります。
伝説だからどこまで本当か、その真偽のほどは定かではありませんが、日本史に大きな足跡を残した女傑を思い起こしながら晩秋の半日を歩いてきました。
これは11月26日、和泉市が2011歴史ウォークとして企画したものです。
いずみの国歴史館 場所:桃山学院大学の奥、宮の上公園
我が家の近くにある「いずみの国歴史館」で、現在和泉市が編纂中の市史関連展示を見た後、山手の旧横山高校にバスで移動、ここから光明池までおよそ7km強のウォーキングの開始です。
当日のウォーキングマップ、7km強あります。
光明皇后(藤原朝臣光明子)、藤原不比等の子にして、皇族以外で初の皇后の位につき、夫は第45代聖武天皇。女帝である第46代孝謙天皇、第48代称徳天皇(同一人物)の母親。深く仏教を信仰し、夫聖武天皇に東大寺大仏や国分寺の建立を進言、自らは施薬院、悲田院等の福祉施設を設置。701年から760年まで、天平の時代を生き抜いた人です。
夫婦の筆跡を見てみましょう。聖武天皇の筆跡に対し、光明皇后(藤三娘と藤原姓のサインをしています)の筆跡を見ると、夫婦の力関係を計り知ることが出来そうです。
上が聖武天皇、下が光明皇后の筆跡です。
光明皇后伝説に従って写真を展開します。クリックすると大きくなりますのでご覧下さい。
「光明皇后伝説」です。クリック拡大してお読み下さい。
白瀧山薬師堂の智海上人の像
誕生の地とされる白瀧山浄福寺
不比等が光り輝く娘を見たという照田光田の場所
和泉国分寺(当時の「安楽寺を国分寺とする」という記録。和泉国は河内国から分国)
浄福寺境内裏手にある鹿の足跡のついた石
都に向う娘を母鹿が見送ったとされる女鹿坂。緩やかな坂で、ここから和泉山系が一望出来ます。
浄福寺近くの光明皇后生誕の地道標
奈良の春日大社は藤原一族を祭る神社として有名ですが、ここ和泉にも分社があります。その一つが三林の春日神社で、境内には三林古墳群もあります。
(左)三林のある春日神社(奈良大社同様石灯籠の参道が続く)
(右)参道の左右に点在する三林古墳群(昔は70基、今は19基で写真はその一つ。
また、光明池は昭和初期に築造された巨大なため池で、泉北高速鉄道の光明池駅の近く、泉北ニュータウンの光明池地区にあります。光明皇后ゆかりの浄福寺近くの槇尾川から取水し、先ほどの照田光田や女鹿坂にも近いことから光明池と名付けられたようです。現在、堤防の耐震補強工事中で、水のない光明池を見ることが出来ます。
(左)現在の光明池、周辺は泉北ニュータウン (右)1931年から5年の歳月で完成、当時の工事風景。
(左)浄福寺近くの槇尾川取水口 (右)護岸耐震補強工事で水のない光明池(左手後方山の稜線は金剛山)
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光明皇后伝説を歩く 2011.11.26
私の住む大阪府和泉市には、光明皇后にまつわる多くの伝説があります。
伝説だからどこまで本当か、その真偽のほどは定かではありませんが、日本史に大きな足跡を残した女傑を思い起こしながら晩秋の半日を歩いてきました。
これは11月26日、和泉市が2011歴史ウォークとして企画したものです。
いずみの国歴史館 場所:桃山学院大学の奥、宮の上公園
我が家の近くにある「いずみの国歴史館」で、現在和泉市が編纂中の市史関連展示を見た後、山手の旧横山高校にバスで移動、ここから光明池までおよそ7km強のウォーキングの開始です。
当日のウォーキングマップ、7km強あります。
光明皇后(藤原朝臣光明子)、藤原不比等の子にして、皇族以外で初の皇后の位につき、夫は第45代聖武天皇。女帝である第46代孝謙天皇、第48代称徳天皇(同一人物)の母親。深く仏教を信仰し、夫聖武天皇に東大寺大仏や国分寺の建立を進言、自らは施薬院、悲田院等の福祉施設を設置。701年から760年まで、天平の時代を生き抜いた人です。
夫婦の筆跡を見てみましょう。聖武天皇の筆跡に対し、光明皇后(藤三娘と藤原姓のサインをしています)の筆跡を見ると、夫婦の力関係を計り知ることが出来そうです。
上が聖武天皇、下が光明皇后の筆跡です。
光明皇后伝説に従って写真を展開します。クリックすると大きくなりますのでご覧下さい。
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白瀧山薬師堂の智海上人の像
誕生の地とされる白瀧山浄福寺
不比等が光り輝く娘を見たという照田光田の場所
和泉国分寺(当時の「安楽寺を国分寺とする」という記録。和泉国は河内国から分国)
浄福寺境内裏手にある鹿の足跡のついた石
都に向う娘を母鹿が見送ったとされる女鹿坂。緩やかな坂で、ここから和泉山系が一望出来ます。
浄福寺近くの光明皇后生誕の地道標
奈良の春日大社は藤原一族を祭る神社として有名ですが、ここ和泉にも分社があります。その一つが三林の春日神社で、境内には三林古墳群もあります。
(左)三林のある春日神社(奈良大社同様石灯籠の参道が続く)
(右)参道の左右に点在する三林古墳群(昔は70基、今は19基で写真はその一つ。
また、光明池は昭和初期に築造された巨大なため池で、泉北高速鉄道の光明池駅の近く、泉北ニュータウンの光明池地区にあります。光明皇后ゆかりの浄福寺近くの槇尾川から取水し、先ほどの照田光田や女鹿坂にも近いことから光明池と名付けられたようです。現在、堤防の耐震補強工事中で、水のない光明池を見ることが出来ます。
(左)現在の光明池、周辺は泉北ニュータウン (右)1931年から5年の歳月で完成、当時の工事風景。
(左)浄福寺近くの槇尾川取水口 (右)護岸耐震補強工事で水のない光明池(左手後方山の稜線は金剛山)
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和泉中央のそばに「唐国町」というのがありますが池上曾根遺跡隣の「曾根神社」の曽根氏同様に「イカガシオ之命」を祖先とした渡来氏族だそうです。
このことから和泉市周辺には信太首など堺市に勝るとも劣らない数々の天神地祇信仰があり陰陽道の歴史があり古代史の表舞台もあり「九鬼・父鬼」の地名に代表されるように役行者に関する伝承もあり古代史の謎解き研究に事欠かない妙見信仰がらみもあり重要な聖地と私は認識しています。
今後も和泉市・泉州各地区(特に貝塚・泉佐野市など)なども視野にいれ研鑽に励みたいとおもっています。