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旅行記、世相独言

韓国の勢い、IT産業とハブ空港と -ソウル-(異文化体験38 商品開発の旅)

2017年01月11日 11時50分56秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

韓国の勢い、IT産業とハブ空港と -ソウル- 2003.09.29~03.30

 あるIT系戦略商品の開発で制御系を韓国・軍需産業のM社に製造委託することになり、今回はその視察に1泊2日でソウルにやってきた。

 関空を午前9時過ぎに離陸し、アジアのハブ空港を目指す仁川国際空港に11時過ぎに到着。以前の金浦空港から更に京畿湾へ、LNG基地のある仁川の浅い海を埋め立てて造られた巨大な空港である。日本の地方空港から韓国への観光客のみならず、今や東アジアのハブ空港として日本から欧州や北米に向う旅客をこの空港を経由して大韓航空とアシアナ航空が運んでいる。

 ←東アジアのハブ空港化しつつある仁川国際空港

 それにしてもやることが早い。今から25年近く前のことであろうか。韓国国内に都市ガスや天然ガスを普及させるため、たびたび韓国から調査団が来日し、本社勤務していた私も何度となく応対した。
 欧米諸外国には「Right of Way」という公共の優先度の高い建造物を整備するための私的権利を制限する法律がある。韓国はいち早くこの法律の下でナショナルパイプライン網を国内に整備し、国内のエネルギーインフラを強固なものにしてしまった。
 日本にもそれ以前から太平洋岸ベルト地帯を結ぶナショナルパイプライン構想があるが、私的権利が優先?する日本では未だに構想だけで、何も進んでいない。
 空港にしても同様である。国家戦略の下、一点集中で東アジアの玄関口としての地位を仁川国際空港は既に獲得してしまった。閑古鳥のなく成田や関空とは大違いである。

 水原にあるM社の下請け会社に向かう車中から見る林立する高層住宅と、今なお次々と建設中の高層住宅の多さには驚かされる。ソウルでは、戸建て指向はほとんどなく、ソウル周辺の高層マンションに人気が集中すると言う。
 このためソウル市内の交通事情は悪化の一途。ハイウエイは車の洪水で、至る所で大渋滞が発生している。

 ←世界文化遺産「水原華城」

 世界遺産「華城」のある水原(suwon)には、沢山のHi-Tech下請け会社が集まっている。M社の下請け会社も歓迎の垂れ幕を掲げて我々を出迎えてくれた。今、韓国IT産業は日本を追い抜き世界のトップに踊り出ようとしている。その底辺を支えているのが、日本同様多くの下請け企業である。
 制御系はほぼアッセンブリーを終えて出荷待ちの状態にあったが、具体的な工程を一から再現して貰う。規模の差はあれ、そこには日本のIT産業とほぼ同等の製造工程があり、検査体制があった。説明を受けて一定の技術レベルの下で製作されていることを確認する。ただ、両国の安全基準の差が気になるところで、同行した専門家にしっかりフォローして貰うことになった。

 ←華城のお祭り風景(Wikipediaより)

 その後、移動してM社の立派な本社ビルに社長以下幹部役員を表敬訪問する。韓国軍需産業の中で中堅会社のM社は、無線、ソナー技術を核に、民生分野への展開を図りたいようである。製品・技術展示室で韓国海軍の技術の一端を見学しM社を後にした。


 交通渋滞のせいでソウル市内に戻ると結構いい時刻になったので、夕食会場の三元ガーデンに直行する。
 三元ガーデン(Sam Won Garden)は、広大な敷地内に川の流れる庭園形式の焼肉レストラン。ビル・ゲイツが経営していると言う噂もあるが、本当かどうか。ここで、今回の仕事のコーデイネーター氏と合流する。

      

      
                         庭園形式の高級焼き肉レストラン「三元ガーデン」

 夕食後、コーディネーター氏の誘いで市内のカラオケ屋に直行し、お酒と歌で全員酩酊状態でCOEXインターコンチネンタルホテルに戻る。
翌日は、お昼の出発までフリーというのがおなぐさみである。

 ←COEXインターコンチネンタルホテル

 COEXインターコンチネンタルホテルは1999年開業で、10年ほど前に大阪WTC(ワールドトレードセンター)の建設促進協議会調査団の一員として来た時は、隣接するグランドインターコンチネンタルソウルに宿泊している。
 朝はお粥定食を食べて、プールで一泳ぎ。その後、近くの漢江沿いのオリンピックスタジアムまで散歩をして戻って来ると、丁度出発に良い時間となった。

       
      1988ソウル・オリンピック・スタジアム           漢江沿いの高速道路と林立するビル群

 早めの昼食後、市内の垢すりマッサージ屋に寄って空港に行くという。あるホテルに併設の垢すりマッサージ屋は、平日昼間だというのに結構混んでいて、垢すりの順番がなかなか回ってこないのでマッサージルームに入る。
 日本語の達者なマッサージ嬢がストレッチ系のマッサージをしてくれる。目下、英語を勉強中で、日本語も独学だという。1日7~8人程度マッサージするというから結構ハードな仕事だ。1時間のマッサージがあっという間に済んで、仁川国際空港に向かう。

 
                            韓国マッサージ・ストレッチ系(イメージ写真)

 小生のソウル訪問は、最近ではアシアナ航空を使ったトルコ旅行の帰路、一晩だけソウルに泊まっただけで、それを別にすると10数年ぶりのソウルは、ただただ林立するマンション群と車の洪水と化した埃っぽいハイウエイ等、コンクリートの近代都市に急速に変身していた。
 
 まだまだ人口集中は止まる所を知らず、10年後にはどんな街に変身しているだろうか?


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ジョホール・バルとクラーク・キイ、それにしても大阪人は! (異文化体験46 夜間空中遊泳の旅3)

2015年07月30日 11時29分07秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

ジョホール・バルとクラーク・キイ、それにしても大阪人は!-シンガポール-     2015.05.13~16

  
(左)シンガポール地図 ジョホール・バルは地図上端  (中)約1kmのコーズウェイ  (右)マレーシアからシンガポールへ給水パイプ

 27年ぶり、2度目のマレーシア・ジョホール州の州都ジョホール・バルである。シンガポールとは約1kmのコーズウェイ橋でつながり、それぞれの橋のたもとに入出国管理所があり、結構シビアなチェックを行っている。朝はシンガポールに出稼ぐ通勤客や輸送貨物が多く、シンガポールの入国ゲートには長蛇の車列が形成される。以前来た時の審査は、バスの中に審査官が入ってきてチェックした程度だったんだが。

 ← ご当地で今なお語り継がれる「マレーの虎(マライのハリマオ)」山下将軍

 当地では太平洋戦争で第25軍司令官としてマレー作戦を指揮した山下将軍、別名「マレーの虎」(「マライのハリマオ」)の逸話が語り草になっている。シンガポール戦の終結時に敵将イギリス軍司令官アーサー・パーシバル中将に対し「イエスかノーか」と降伏を迫ったという逸話であるが、実際は落ち着いた紳士的な口調の会話だったという。

      
(左)ジョホール・バルの地図             (中・右)1988年訪問時のイスタナ・ブザール(王宮)、今回は入れなかった 

 マレーシアは、13の州と3つの連邦特別区で成立しており、ペナン、マラッカ、サバ、サラワク州以外の州にサルタンがおり、5年ごとの会議で国王が選出される。
 ジョホールは16世紀初めにサルタン・ムハンマド・シャーが建国、1866年にはサルタン・アブ・バカールがジョホール王国の王に即位。マレー半島の他の州が英国植民地となるが、ジョホール王国は独立を維持し、その為スルタン・アブ・バカールは『近代ジョホールの父』と呼ばれている。
 アブ・バカールが1866年に建てた壮麗なサルタン王宮イスタナ・ブザールは、50haもの美しい庭園に囲まれ、緑の芝生に黄金色の建物が映え、ジョホール水道を見下ろすビクトリア調宮殿は圧巻である。前回は内部見学出来たが、今は不可とのこと。

  
(左)アブ・バカール回教寺院     (中)回教寺院から見るジョホール水道とシンガポール  (右)スルタン・イブラヒム・ビルディング  

 この近辺に同じくアブ・バカール回教寺院がある。立派なモスクだが、ここも信者のお参りの邪魔になるとのことで、今は中に入れず、外観のみ。
 現在州の役所として使われているスルタン・イブラヒム・ビルディング。ジョホール・バルのランドマーク的建築物で、戦時中は軍司令部として使用されていたとか。

          
(左)昔はよく採取された天然ゴム・ラテックス       (右)樹上の生物たち

  
(左・右)お粗末な文化村?でのバンブー音楽とマレーダンス        (右)バティック制作のデモンストレーション

  
(左・中)このツアー唯一の大皿盛り料理でないブッフェ料理 バナナのフライは結構いける    (右)ニューヨーク・ホテル   

 あとは、ご当地の様々な果物、植物が見れる文化村でマレー人に伝わる音楽と踊り、バティックの店等を回って、何故かニューヨークホテルでのブッフェランチ。大皿中華の取り合いに不満を募らせた我々にとって、高評価の昼食であった。でも、このオプショナル半日ツアー15000円はちと高過ぎる。

 
(左)シンガポール市内を走る水陸両用車        (右)オーチャード通り付近

 午後シンガポールに戻り、オーチャード通りで2時間ほどの自由散策となる。この日のオプショナルツアーバスは、関東組との混載バス。ツアーガイドはもともと関東組に付いていたベテランのケンちゃんというガイド。朝出発の時から、ケンちゃんいわく「東京の人はいつも時間守ってくれるけど、大阪の人は結構守らない人が多いので、今日は時間厳守よ!」と関西組にお達しが。ケンちゃんには関東=東京、関西=大阪という構図が出来上がっているようだ。

      
(左)免税店「Galleria」前の様子            (右)Galleria の表口 バスは裏口にひっきりなしに出入りする

 ケンちゃんがこの辺りで散策して!と近辺案内をして解散。我々夫婦は伊勢丹斜め向いのアイオンに向かう。結構地下街が発達していて、ウインドショッピングしながら地下4階の巨大フードコートに到達。ゆっくりお茶でもと思うがどこも満席状態。地上に戻り近くのスターバックスでコーヒーブレイク。時間になり集合場所の免税店Galleriaへ。

  
(左)伊勢丹の入るビル             (中)奇抜な外装のION(アイオン)     (右)満席状態の地下4階のフードコート 

 「二人足りない!」。ケンちゃんが探し回っているが見当たらない。バスの停車場所には後続バスが次々入ってくるので、ゆっくり止まっておれない。仕方なくケンちゃんをおいて、バスは近隣の駐車可能な場所に移動。待つこと20分。あの夫婦が戻ってきた。そう!海外通を自称する大阪の夫婦。道に迷ったらしいが東京組はあきれ顔、大阪人の肩身が狭くなる出来事でした。


      
(左)プラナカン料理の店「ブルー・ジンジャー」     (右)さほど大きくない店の2階の様子

      
                (左・右)ブルー・ジンジャーのホームページより

 今宵の夕食は、プラナカン料理。ガイド本にこの料理の人気店として紹介されている「ブルー・ジンジャー」での夕食。さほど広くない店の2階を我々が占拠。プラナカンとは、近隣国・地域からシンガポールに渡ってきた中国移民が、地元マレー人と結婚して生まれた子孫たちのこと。プラナカン料理は、「ニョニャ」料理とも言う。ニョニャとは、社会的に地位の高い女性に対する敬意と愛情を表すマレーの古い言葉だそうだ。
 シンガポールのプラナカン料理は、ココナッツミルクが多用され、インドネシア料理の影響が色濃く反映されている。詳しくはブルー・ジンジャーのホームページをご覧下さい。( http://www.theblueginger.com/ )


  
(左)リバークルーズの案内書            (中)クラーク・キイ乗り場周辺         (右)クルーズの航路案内

 食後は、シンガポール最後の夜をクラーク・キイからのボート遊び。クラーク・キイは、シンガポール川沿いの古い倉庫街を再開発し、19世紀の街並みを再現したお洒落な場所。21年前に来た時はオープン直後でまだ一部工事中だったが、川に浮かぶ船のレストラン、果物の王様ドリアンのメニューだけを揃えた店、ショータイムが話題のクラブ、ボートに乗ってシンガポール川の歴史をたどるアドベンチャーライドなど、特色あるスポットが並んでいた。今は更にマリーナ地区へのボート発着場として更に賑やか場所となっている。遊覧ボートは、クラーク・キイからマリーナ・ベイを往復40分で遊覧する。大人24ドル。

      
(左)高層ビル群の真下を通って                (中)フルトンホテルの壮麗な姿を見て

  
(左)マリーナに出るとマーライオンの噴水が間近 (中)対岸にマリーナベイサンズのシルエット (右)遅くまで賑わうクラーク・キイ

 林立する高層ビルやフルトンホテルの夜景を見ながらマリーナ・ベイに船が入るとマーライオン吐き出す噴水を真正面から見、反対側にマリーナ・ベイ・サンズホテルの200mのシルエットを見るに及んでこの遊覧ボートのクライマックスとなる。

   
(左・右)1994年訪問時のオープン直後のクラーク・キイ。20年経って新たな機能も付加され進化するクラーク・キイとシンガポール

 まさに、巨大エンターテイメント都市に変貌したシンガポール。日本を手本に成長し、今や日本を追い抜かんばかりの国民一人当たり経済力。若い力を喪失した日本が彼らにとってどのようなお手本に映っているのか、10年後にもう一度訪れたい街、いや国である。
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地上200mの夜間空中遊泳 -シンガポール- (異文化体験46 夜間空中遊泳の旅2)

2015年07月22日 12時29分58秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

地上200mの夜間空中遊泳 -シンガポール-  2015.05.13~16

        
(左)ホテル屋上デッキからのシティ側の眺め  (中)様々な複合施設の巨大開発   (右)ホテル屋上デッキからの公園側の眺め   

 今、世界で最も注目されているホテルの一つがこの「マリーナ・ベイ・サンズ (Marina Bay Sands)」というホテル。3つのホテル棟をまたぐ地上200mの最上階に全長340mの「サンズ・スカイ・パーク」が整備されている。南側に全長150mのインフィニティ・プール、北側にシンガポールを360度眺望できるスカイデッキがある。1泊1室8万円でも満室というだけあって、多様な人種でごった返している。

         
(左)今回宿泊した11階のシティ側に面した部屋      (右)部屋から1歩出た吹き抜け空間の眺め

 巨大なホテルの割には、スタッフの数はさほど多くはなさそうだ。ツアー客は地下1階のコーチ乗降所から出入りし、チェックインはツアー代理店が代行し、チェックアウトは何もなければ至る所にあるキイドロップに放り込めばOK。
 我々の部屋はTower1‐11階のマーライオンが立つマリーナ湾に面した部屋。広くて設備も新しくて申し分ないが、ウォッシュレットに慣れ親しんだ日本人にとって、唯一その点が満点評価を邪魔している。

      
(左)長さは300m、横幅は10~15m程度        (右)こういう構造になっています

      
      (左・右)夕暮れ時のインフィニティプール(右はホテル提供の絵葉書)

 小休止の後、チャイナタウンで海鮮料理のあわただしい夕食を済ませ、部屋に戻り水着にバスローブ、スリッパといういでたちで早速、ルームキイ持参で57階のプールに。プール目当てのゲストがほとんどで、かつ宿泊者専用プールなので、ホテル内はこの姿のゲストがうろうろしている。
全長150mのプールは、縦方向には15mほどしかなく、ほとんどの人達がカメラ片手にマリーナ湾と日没後の光輝く高層ビル群を借景に、プールの中での写真撮影に忙しい。水温は少し加温されていて水中では冷たさを感じないが、デッキに戻ると200m上空にいることを思い出させる。

                    
(左)Light and Water Spectacular Showの案内    (右)イベント広場から見た電飾されたホテル

      
    (左・右)ショウのテーマは「The universal tale of the journey of life」

 午後8時と9時半(週末は更に11時も)に、ホテル屋外に広がるウッドデッキでマリーナ湾を背景にしたレーザー光線と噴水と音楽のクロスオーバーショーが見れるというので、プールを切り上げ会場に行くと既に沢山の人達がウッドデッキに腰を下ろして待機している。ショウのテーマは「The universal tale of the journey of life(さしずめ、人の一生の物語)」。わずか15分ほどのショーだが、なかなか見ごたえのあるショーだ。

        
(左)2階から1階へ回転流を使った人工の滝      (中)1階の人工カナルとゴンドラ      (右)買い物優待券

  
(左)ホテル地下のショッピング街(高級品ばかりです)  (中)通路案内にCASINOの文字が    (右)CASINOの入口ゲート

 マリーナ湾とホテル棟の間の約7haのショッピングモールには、ゴンドラや人工の滝等の人々を楽しませる仕掛けがあり、これらを見ながらホテル棟に戻り、ホテル地階にあるカジノを覗きに行く。
カジノはパスポート持参で誰でも入ることが出来る。シンガポールという土地柄、大衆的なカジノ、もっと言えば日本のパチスロ屋を少し上品にしたようなカジノで、モナコで見たカジノとは格段の差がある。コーヒー等の非アルコール系飲料は無料で提供されている。カジノを使って街を活性化させるなぞという発想は、およそ貧弱な発想の持ち主の発想と言わざるを得ない。

  
(左)早朝ウォーキングプログラムに参加     (中)Gardens by the Bayの全体マップ    (右)早朝のスーパーツリーグローブ

 翌朝、早朝ウォーキングのプログラムに参加するため6時半にロビーへ。まだ日の出前の薄明かりの中をガーデンズ・バイ・ザ・ベイに向かう。遠くの黒川紀章デザインのシンガポールフライヤー(大観覧車)には残り灯が丸いシルエットを残し、人影の全くないガーデンのスーパーツリーグローブも朝焼けの空に薄らと昨夜来の残光をのぞかせている。朝日が昇る頃には、うっすらと汗もかき、45分間の心地よい早朝ウォーキングを終えドラゴンフライブリッジからホテルに戻ってさあ、朝食だ。

   
(左・右)朝食会場のrise (チャイナドレス姿で、ちょっとでも間が空くとお皿を下げてしまいます)、料金5000円也

 ホテルロビーの朝食レストラン「rise」。ブッフェスタイルだが、何と料金は5000円。確かに彩りは多いが、朝からそんなに食べれるものではない。スタッフは結構多く、すぐにお皿を下げようとするので要注意。今日は、これからマレーシア・ジョホールバール観光に出かけるので、そうそうゆっくり朝食を味わうわけに行かない。

 夜の帳が降りると一層魅惑的な景色に

 ジョホールバール観光とクラークキイ・リバークルーズの二日目プログラムを終え、再びホテル57階のインフィニティプールへ。おりしも昨夜見た光と噴水と音のショーが下のマリーナ湾で演じられている。遠くにマーライオンの吐き出す水煙も見える。光り輝く高層ビル群等の景色は香港の夜景とダブってくる。

     
(左)非宿泊者は屋上デッキ入場料23ドル (中)屋上デッキで新婚さんの撮影  (右)シンガポールフライヤー方面の眺望

 最終日、再びロビーレストランで今朝はゆっくりと朝食。チェックアウトが11時なので、最後の一泳ぎに57階へ。サンズ・スカイパークの北側にあるスカイデッキは、一般の人も入場料を支払って入ることが出来る。スカイデッキからは、西側のマーライオン方面、北側のシンガポールフライヤー方面、東側のガーデンズ・バイ・ザ・ベイ方面、360度の眺望が楽しめる。おりしも、今日は週末とあって結婚式のカップルの記念撮影とも出くわした。プールには、東端に2ケ所にホットジャグジー、西端に子供用プールがある。

  
(左)結構温かいジャグジーもあります     (中)日本では決して撮らないショットですが    (右)こんなプールよく考えました

 空中遊泳プールを堪能し、シンガポールの勢いを今更に再認識させられた今回の旅。若い勢いを感ずる国と成熟した高齢化国家、今後のそれぞれの成長戦略はまさに知恵比べである。
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巨大エンターテイメント都市 -シンガポール-(異文化体験46 夜間空中遊泳の旅1)

2015年07月17日 01時16分20秒 | 異文化体験_アジア
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巨大エンターテイメント都市 -シンガポール- 2015.05.13-16

   
   (左・右 ホテル「マリーナ・ベイ・サンズ」最上階の展望デッキからの景色)

 3度目のシンガポール。初めて来たのは27年前(1988)の11月下旬。この時驚かされたのは、クリスマスを翌月に控えたオーチャード道路に面するビル群の電飾合戦と地下鉄のエスカレーターの動く速さ。若い街だから可能なのだろうが、およそ日本の2倍のスピード。
次に訪れたのはその6年後の1994年の8月。この時の驚きは、アジアの小龍と評せられる経済発展をしていて、様々な都市間競争を勝ち抜く政策を次々に打ち出し、それを実践し、都市の集客魅力を維持・増強させている姿は、これから益々高齢化社会に突入、成熟化する日本と対照的な姿であった。
 そして今回。20年の歳月は、もはや前回のシンガポールを見出すのが困難な程、更に様変わりしていた。今回の主たる目的は、今話題を呼んでいる「ホテル・マリーナ・ベイ・サンズ」のインフィニティ・プールで泳ぐこと。

 関西国際空港を午後11時半に飛び立ったシンガポール航空615便は、翌朝午前5時10分に今やアジアのハブ空港となったチャンギ国際空港に着陸。この日の両替率は\10000が109.20SGD(91.6円/シンガポールドル)。旅程では、市内観光だが、早朝のため空港で待つこと2時間ほど。

 ガンガンに冷えたバスに乗せられて、最初に向かったのは今最も注目されているマリーナ・ベイフロント地区の「Gardens by the Bay」。国土を増やすに埋立以外手のないシンガポール、巨大な都市リゾートを形成しつつある地区に整備された国立の公園だ。
世界最大のGlass GreenhouseのFlower Dome、Cloud Forest、地上22m鳥の目線でSkywayを楽しめるThe Supertrees等々、広大な敷地に芸術、植物園、公園がミックスされた空間だが、何せ時間が早過ぎる。人っ気のない公園をひたすら散策する。

   
(左)早朝の「Gardens by the Bay」の入口  (右)巨大な国立公園に不思議なモニュメントが。

 次に向かったのは、この町のシンボル「マーライオン公園」。以前あった場所から少し移設されており、子供マーライオンは母親マーライオン(昔からあるもの)の後ろに置かれている。また、新たに大きな父親マーライオンがセントーサ島に設置されているとか。次々と到着する中国人観光客でごった返す広場では写真を撮影するのも一苦労である。

  
(左)シンガポールの代名詞「マーライオン(母親)」 (中)その後ろに子ライオン   (右)マリーナベイサンズホテルを背景に

  
(左・中)1988年のマーライオンと海からの景色                       (右)1994年のマーライオン

 プラナカンハウスを見た後、ラッフルズホテルに立ち寄る。以前は、ホテル中庭で自由にお茶も出来たのだが、今は宿泊客のみに限定されている。中国人客に占拠されては雰囲気も台無しということだろう。しかし、ホテルショップスは開放されているので、少し入りづらいが雰囲気のあるホテル内奥のショップで、カヤジャムならこれ!というホテルブランドのカヤジャムをお土産に購入。

  
(左)プラナカンハウスの見れる一帯        (中・右)ラッフルズホテル正面入口(以前は中庭でお茶も出来たのだが)

           
(左)シンガポールの名産カヤジャム、特にラッフルズホテルブランドが一押し (右)ホテルの中庭に面した通路

 その後、市内のサンテックシティにあるFountain of Wealth(富の噴水、風水の占いで中央噴水に手を触れ3回時計回りに回ると金持ちになれるとか)で時間調整した後、やっと朝4時の機内朝食以来の昼食会場に。チャイナタウンでのレストラン、隣の席ではタイのお坊さんたちの団体が結構いいものを食っている。一方、我々の席には次々にありきたりな飲茶料理が出てくる。ゆっくり食べたいが、見ず知らずの人間8人でテーブルを囲むと早食いの人のペースに合わせざるを得なくなる。お蔭であっという間にランチタイム終了。

   
(左・右)最近の市内名所 富の噴水(風水で中央噴水に手を触れて3回時計回りに回ると金持ちになれるとか)

 食後は、中華街の名刹「新加坡佛牙寺龍牙院」の見物。2007年5月の完成で、朱塗りの柱も内部もピカピカで、唐王朝時代の建築様式だそうな。ミャンマーの寺院で発見された仏陀の歯を納めるために建てられたようだ。1階の本堂では僧侶たちの先導で熱心な信者達による読経が響き渡っていた。

   
(左・右)中華街の名刹「新加坡佛牙寺龍牙院」多くの信者が熱心に読経。上層階では仏陀の一生を披露している。

 ホテルのチェックイン時刻は厳格で、やっとその時が来た。午後3時過ぎ、待望のマリーナ・ベイ・サンズにチェック・イン。
 夕刻、再集合して中華海鮮料理の夕食へ。ここもまた、8人テーブルの大皿料理。味わう暇もなく次々と自分の分を確保して胃袋へ。今となっては何を食べたか思い出せない。

 今のシンガポールを代表する景色
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バンカー地獄のレガシー・ゴルフクラブ -バンコク-(異文化体験45 戒厳令下のバンコクの旅3)

2014年11月09日 14時12分55秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

バンカー地獄のレガシー・ゴルフクラブ -バンコク-  2014.1.20~1.24

        
(左)レガシー・ゴルフ・クラブ クラブハウス          (右)クラブハウス・エントランス

 最終23日はザ・レガシー・ゴルフクラブでのプレイ。7時15分のホテルピックアップ後1時間ほどで到着する。スタート時刻は9時4分だが、準備出来次第スタート可能とのこと。今日は、仲間の一人が当地の知合いとプレイするので、4人でのラウンド。

        
(左)フェアウェイバンカーに特徴のあるコース設計はJ.ニクラウス      (右)スコア・カード

   
(左2枚)1番ホール ティグラウンドからグリーンまで延々とバンカーが    (右2枚)16番ホール 珍しくバンカーのない池に囲まれたグリーン

  18番ホール バンカーがないと思えば左に池がグリーンまで続く           

 グリーン周りはラフよりバンカーの方がましという人もいるが、このゴルフ場の特徴はひとえにフェアウェイバンカー。とにかくティーグラウンドからグリーンまで延々とバンカーが並走する。バンカーの適度な曲線とフェアウェイの傾斜が見事にボールをバンカーに誘い込む設計は、J.ニクラウスの設計と聞いて納得する。

              
(左)今回のキャディさん SHINさん         (右)BKKでのゴルフを楽しむいつものメンバー  

 今日のキャディさんはSHINさんという可愛いぽっちゃりタイプのキャディさん。このゴルフ場はコース内カート乗り入れ出来ないので、バンカーに入るとフェァウェイの端から端まで歩かなければならず、かつライの状態如何でのクラブ選択によっては、再度カートまで取りに行ったりで、キャディもプレイヤーも結構いい運動になる。

            
(左)クラブハウスのロッカールーム               (右)クラブハウスのレストラン(目下改修中) 

 ここのクラブハウスは、あの大洪水の影響か目下大規模改修工事中である。シャワーを浴びてクラブハウスのレストランで昼食を取り、ホテルに戻ってきたのは午後3時頃。
ホテルのチェックアウト時刻は午後6時。空港へのピックアップ時刻は午後7時45分。
4時間ほどどう過ごすか? 市内の交通渋滞も考慮するとマッサージと夕食で丁度いい時間になる。ホテルの部屋で夏服から冬服に着替えをし、荷物を預けてチェックアウト。

 ← 常連さんになった「HATTASART23」マッサージ店

 初日のマッサージ屋に再度上がり込んで、ゴルフの疲れを揉み解してもらう。2時間たっぷりのマッサージでチップ込500バーツ(1500円ほど)は確かに安い。
 夕食は近くの大衆食堂でラーメンを作ってもらう。タイで食べる麺類はセンレックという幅数mmの平麺か、センヤイという幅1~2cmの平麺が多いように思うが、日本のような小麦の丸い長麺のラーメンが出来るというので作ってもらう。久々のラーメンである。

  
(左・中)久々にラーメンが食べたいと大衆食堂へ(日本の丸い長緬で作ってくれた)  (右)冬衣装でホテルロビーで空港への車を待つ

 午後7時30分頃にピックアップの車が到着し、直ちに空港へ。デモ集会や爆弾テロ騒ぎで心配したが無事にスワンナプーム空港に到着。それにしても大勢の人で活気のある大きな空港である。成田も関空も所詮極東の島国日本の空港でしかないという思いをいつもするのだが。
 土産物を買い、さくらラウンジで寿司と味噌汁、サンドイッチ類で腹ごしらえをして、23時15分発のJL728便に搭乗。翌朝6時過ぎ、無事にまだまだ寒い大阪・関空に帰着。
 おお、寒う~。
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戦場にかける橋とクワイ河マーチ -カンチャナブリ- (異文化体験45 戒厳令下のバンコクの旅2)

2014年10月19日 23時37分42秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

戦場にかける橋 と クワイ河マーチ -カンチャナブリ-   2014.1.22

  
    左)クワイ河橋                  (中)泰緬鉄道              (右)アルヒル桟橋道


 今日も朝が早い。映画「戦場にかける橋」で有名な第2次世界大戦下で建設・爆破された泰緬鉄道の橋があるカンチャナブリへ小生を含む3名が、アユタヤへ残り2名が、それぞれ観光に出発。

 7時15分ホテルを出た車は、早速渋滞の中に吸い込まれる。
 ガイドのおばさんによると、何と「戒厳令!」が出されているとのこと。聞き捨てならない話だが、どうも我々が普段イメージしている戒厳令とは少し異なるようだ。
 デモ集会に対する爆弾テロがあったので、今後のことも考えて過激化分子の活動を抑え込むためのもので、デモ集会そのものをどうこうしようとするものではなさそうだ。

  
(左・中)戒厳令が発令された早朝の市内 ダウンタウンは閑散、裏道は大混雑      (右)一時間半かかってチャオプラヤ川を越える

 早々とホテルを出た車は、遅々として動かない。やっとたどり着いたとある交差点で、運転手が描いていたラーマⅧ世橋を越えるルートが、橋の封鎖で迂回するようデモ隊から指示され、大きく時間をロス。チャオプラヤ川を越えるのに何と1時間半近くかかった。

 カンチャナブリに行く前にナコンパトムで「ワット・プラパトム・チェディ」に立寄る。高さ120mの世界最大の仏塔を持つ寺院だが、渋滞の時間ロスで寺院の中には入らず外だけ見て、カンチャナブリを目指す。車はロスタイムを取り戻そうと結構なスピードで走り続けている。

                        
(左)高さ120mの仏塔のワット・プラパトム・チェディ (中)いつもの参拝風景 (右)寺院のトイレ(便器の上から猫の陶像が覗き込む)

 ← カンチャナプリのシンボル 魚の像が分離帯に

 カンチャナブリで乗る列車は11時発。何と、バンコク午前7時発で4時間がかりで129km離れたカンチャナブリに至るという。しかし、我々の車もデモ集会のおかげで似たり寄ったりで、街はずれに来た時はすでに11時5分前。果たして列車に乗れるのか?

              
(左)11時発の列車が今日は遅れずに到着  (中)「River Kwai Bridge」駅  (右)乗降客や見物客で駅から橋の上まで多くの人が

 カンチャナブリのクウェー川(日本ではクワイ川)駅に到着すると、間髪入れず列車がホームに入ってきた。ここから乗車する人も多く、人種も様々で指定席の車内はほぼ満席。駅を出るとすぐに「戦場にかける橋」のモデルとなったクェー・ヤイ川に架かる橋を渡る。
 列車に乗らない観光客達が線路脇の待避所から手を振って見送ってくれる。橋の下にはボートハウスのレストラン等があり、一大観光地となっている。

        
(左)鉄橋待機場所の見送人 (中)昔はジャングルの中の橋も今は観光地  (右)車内の多種多様な人種。西欧人特に英国人も多い

 列車は、丁度収穫期を迎えたサトウキビ畑やあまり人影のない農村集落の間をひたすら走る。社内では記念グッズの物売りや軽食類の売り子がひっきりなしに売り歩きにくる。

        
(左)2時間の列車の旅。車窓にはのどかな農村風景が。    (右)この時期サトウキビ畑の刈入れが盛ん。

 ← 日本軍によりインドへの軍事輸送路の一環として作られた泰緬鉄道(640km)

 この列車の最大の見せ場は3ケ所

 乗車すぐの「クェー川鉄橋」と乗車後2時間(約50km)ほどで到着した「アルヒル桟道橋」。 全長300mの桟道は、クェー・ノイ川の断崖絶壁にへばりつくように作られたS字カーブの木造高架橋で、列車は時速5kmまで減速して走る。
 インドへの軍事輸送路の一環として作られた泰緬鉄道、ジャングルの中での建設作業の往時の過酷さが忍ばれる。

  
(左)断崖絶壁にへばりつく「アルヒル桟橋道」 (中)列車は時速5km。車窓の下は川しか見えない  (右)「アルヒル桟橋道」

 今一つは、我々を含む多くの観光客はアルヒル桟道橋の駅で下車するが、日本人が滅多に行かない施設がまだこの先にあるという。敷設当時の面影を色濃く残す「ヘルファイアー・パス(地獄の切通し)」がそれで、欧米人達の観光ルートとなっているようだ。

      
(左・右)我々は行っていないが「地獄の切通し(ヘルファイアー・パス)と呼ばれる英国人捕虜が切開いた難所(欧米観光客が主に訪問)


 下車後、迂回して来た車に乗って昼食場所へ。ミャンマーに至る国道沿いのレストランでブッフェスタイルの昼食。バナナの唐揚げに人気があったようだ。

        
  (左・右)アルヒル桟橋道で下車し、車で山腹のレストランでのランチ(バナナの唐揚げに人気)    


 今度は、車で再び出発地点のカンチャナブリの街に戻り、時間の都合でゆっくり出来なかった長さ300mのクェー川鉄橋を歩いてみる。
 映画「戦場にかける橋」は、デビッド・リーン監督、ウィリアム・ホールデン、早川雪舟ら豪華キャストで1957年に制作され、第30回オスカーで7部門を総なめにした作品。ミッチミラー楽団のクワイ川マーチも有名である。

          
               (左・右)車でカンチャナプリに戻り、クワイ河橋をゆっくり見物

          
(左)1957年制作の映画「戦場にかける橋」   (右)ラストシーンの爆破導線が見つかる場面 ウィリアム・ホールデンと早川雪舟


 橋の近くには、泰緬鉄道建設中に犠牲となった全ての捕虜、労務者、日本人将校、軍属の霊を慰めるため、日本人によって建てられた「戦没者慰霊塔」がある。

          
(左)昭和19年2月 日本軍鐵道隊によって建てられた戦没者慰霊塔        (右)その碑文

 更には泰緬鉄道建設に携わった日本軍の捕虜収容所の様子を再現した「JEATH戦争博物館」(J=Japan、E=England、A=Australia、T=Thailand、H=Hollandの頭文字)もある。博物館の建物は当時と同じ竹で造られ、兵士たちが残したスケッチ、日本軍が使っていた銃や剣などが展示され、過酷な収容所の様子がわかる。

        
(左)捕虜収容所を再現した「JEATH戦争博物館」 (中)再現された当時の収容所の悲惨な記録展示 (右)英国人捕虜が書いた本

 観光も終わり、午後4時頃バンコクに向け出発。アユタヤ組とは今夕は中心繁華街の台湾小籠包の店に行こうと約束していたが、彼らは既に午後4時前にはホテル帰着したらしい。我々がホテルに帰着したのは午後7時頃。今からデモ集会の拠点近くのお店は危険ということで、ホテルのレストランで夕食を取る。

 明日はまた朝の早いお迎えでのゴルフ。そして、夜には帰国の途に。
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ヴィンテージ・ゴルフクラブとマッサージと -バンコク- (異文化体験45 戒厳令下のバンコクの旅1)

2014年10月11日 16時22分18秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

ヴィンテージ・ゴルフクラブとマッサージと -バンコク- 2014.1.20~1.24

 いつものことではあるが、昨年末からタイの国内政治情勢が不安定になっている。
 年明け13日からは本格的な市内各所でのデモ集会や主要道路・交差点の封鎖、政府機関の封鎖等、バンコク市内はかなり混乱しているようだ。
しかし、この混乱はなかなか解決の糸口が見いだせない複雑な様相を呈し、過激派による爆弾投与で死傷者も出ているが、軍も王様も静観状態といったところ。

          
(左)混乱の続くタイ国内(参考写真)               (右)バンコク市内の主要道路・交差点はデモ隊が占拠)

 出発を見合わせるかどうか多少迷ったが、現地情報収集の結果、デモ隊に近づかなければ市民生活にはほとんど問題がないということで、20日16:50発JL727便で関空を飛び立った。今回の旅は、昨年同様学友達とのゴルフと観光の旅で1名増えて5名での旅である。

    
(左)バンコク・プラザホテル           (中)ホテルのエントランス         (右)ホテルのロビー(正面に国王の写真)

 21時10分、定刻にバンコク到着するも昨年のあのムッとした熱気が感じられない。出迎えの男性に聞くと今年は異常冷夏で寒いくらいだという。もっとも我々にとっては30℃を超えないちょうど良い避寒旅行である。早速、今回の宿舎「バンコク・プラザホテル」にチェックインする。

    
(左)さすが敬虔な仏教国 ロビーの仏様のお花替  (中)部屋(禁煙とあるが灰皿が置いてある)    (右)朝6時開店のレストラン

 5時15分のモーニングコール、6時開店のレストランでブッフェスタイルの朝食を大慌てで済ませて、7時40分ティー・オフ予定のヴィンテージ・ゴルフクラブに向かう。デモ集会の影響で市内の道路交通は大渋滞。幸い我々は郊外に出ていくので少しはましだが。

 ヴィンテージ・ゴルフクラブは、他のゴルフ場同様緑濃い木々と池とバンカーを配する平坦なコース。

  
(左)ヴィンテージGCクラブハウス正面        (中)クラブハウス・エントランス        (右)ロッカールーム入口

  
(左)ロッカールーム   (中)コース・レイアウト(平坦な土地だけに池とクリークと林とバンカーで難しくしている) (右)スコア・カード

  
(左)緑の濃いきれいなコース        (中)キャディと騒ぎながらの楽しいゴルフ       (右)17歳のキャディ Baちゃんと    

  
(左)シャワーブース               (中)クラブ・レストラン                (右)海鮮焼きそば    

 昨年往路の機内ビデオで見たゴルフレッスン(同調性)が大いに参考になったので、今回も機内で見たビデオ・レッスン(飛ばし屋本舗)を早速試してみる。しかし、これがいけなかった。ティーショットはビデオでは最低10ヤードは伸びる!とその気にさせるが、見ただけで上手くいくはずがなく結果は最悪。おまけにグリーンが速くて3,4パットも・・・。
 今回のキャディは、なんと17歳のスリムなBaちゃん。キャディも出来の悪いパターに愛想をつかしていたことだろう。

 ゴルフ場で昼食を済ませ、ホテルに戻ると、同行者の知人から果物(大きなマンゴとマンゴスティン)の差し入れが。これを頂戴しながらこれからの予定を話し合う。
 主要な繁華街周辺はデモ集会の場所と化しているため、ホテルに近い前回行ったスクインヴィットのマッサージ屋に行って、その近くのタイ料理屋で夕食を、ということで衆議一決。

 スクインヴィットの交差点はデモ集会のテントが張られ封鎖されていたので、裏通りは大渋滞である。しかし、四六時中デモ集会をやっているわけではないので、緊張感は全くなく、道行く人も普段と全く変わらない。

  ← 馴染みのマッサージ店となったHATTASART

 バンコクのマッサージは、指圧療法系でチェンマイのストレッチ系とは異なる。着替えてマットに横たわっていると巨漢のおばさんマッサージ師が足のマッサージを始めた。全体重をあずけての指圧マッサージに恐怖感を抱いたが、それも杞憂に終わりベテランマッサージ師の2時間のマッサージは、心地よいものであった。

      
(左)マッサージ店の近くのタイ料理レストラン「プワンゲーウ」 (中)定番トムヤムクンの取り分け  (右)仲間たち   

 マッサージ店の近くのタイ料理レストラン「PUANGKAEW(プワンゲーウ)」で、辛さを加減してもらったタイ料理に満腹となった我々は、またまた大渋滞の道路をプラザホテルに戻った。

 明日は、アユタヤ組と映画「戦場にかける橋」「クワイ河マーチ」で有名となったカンチャナブリ組とに分かれての観光である。
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世界遺産アユタヤ観光とマッサージ(異文化体験44 エンジョイ・バンコクの旅3)

2014年10月03日 01時29分17秒 | 異文化体験_アジア
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世界遺産アユタヤ観光とマッサージ  2013.2.25~3.1

 バンコク最後の日は、世界遺産アユタヤ観光。二度目のアユタヤである。
 前回行った時はカオサン通りのツアー代理店に直接行って申し込んだ。送迎・昼食付きで6ケ所遺産めぐりをする1日ツアーが450バーツ(約1350円)。
 今回は、パンダバスのツアーで送迎付き・昼食なしの3ケ所遺産めぐりの半日ツアーで1200バーツ(約3600円)。

 何が違うのか?
 まず、車は同じくマイクロバスであったが、前回は各国人種の混載(前回時は日本人男女が7人ほど、ドイツ人、スペイン人等)で若者中心の計20人ほど。今回は人数が多ければ大型観光バスのようだが、日本語定期観光のため日本人のみの8人。
 案内役は、前回はアユタヤ待ち受けの中国系タイ人のおじさんによる英語案内、今回は日本人女性添乗員による日本語案内。
更に前回はホテル送迎付きだが、今回は帰りがチットロム駅前のインターコンチネンタルホテルまで。しかも、前回は昼食付、今回は、なし。
 時間のある方は、是非バックパッカーが集まるカオサン通りの旅行代理店がお勧めだ。ちなみに、前回の代理店はA&R Travel。


ワット・ヤイ・チャイモンコン (左)涅槃像      (中/左・右)仏塔への急な階段       (右)仏塔の中のキンキラ仏

 2回目のアユタヤ、あまり新しい発見はないが、最初に立ち寄った「ワット・ヤイ・チャイモンコン」は初めての訪問。涅槃像もある。

 アユタヤは、タイの歴史の中で417年という最も長い時代の都として栄えた古都で、建国は1350年。バンコクの北80km、チャオプラヤー川とその支流に囲まれた中洲の都市で、度重なるビルマとの戦争で1767年ついに陥落、建造物は徹底的に破壊された。それまでのアユタヤは海のシルクロードの東南アジアにおける最も栄えた港市・都市の一つとして遠くペルシャやヨーロッパ諸国とも外交・交易関係を樹立していた。

 続いて向かったのは、エレファントライド。わずか10分ほどの比較的おとなしいアジア象乗り体験だが、迫力がある。

  
(左・中・右)エレファント・ライド  引き返し地点で後ろの象にチップをやってくれと言うのでお札を出すと鼻で上手に取りました。


 アユタヤには、膨大な遺跡・寺院群があり、全てに立ち寄ったわけではないが、前回と今回の訪問のなかでAnchor流に3大遺跡を選択すると、「プラ・スィー・サンペット寺院」 「マハー・タート寺院」 「ローカヤスターラーム寺院」。

Anchor流3大遺跡 一つ目:「プラ・スィー・サンペット寺院」

        
アユタヤ朝の3人の王の遺骨を納めた3つの巨大な仏塔で有名。大きな破壊を受けた他の仏塔遺跡に比べ保存状態はいい。

        
(左・右)後世に建てられた本堂。高さ16mの純金に覆われた仏像の名前が「プラ・スィーサンペット」

Anchor流3大遺跡 二つ目:「マハー・タート寺院」

      
(左)菩提樹が絡まった打ち落とされた仏頭      (右)アユタヤとビルマの間の争いで、仏頭がことごとく打ち落とされている

      
(左・右)マハー・タートとは、上座部仏教国の仏舎利(マハタート:お釈迦さまの遺骨や遺灰)を言う。スコータイ歴史公園最大の遺跡。

Anchor流3大遺跡 三つ目:「ローカヤスターラーム寺院」

 ← 全長57.7m 高さ8mの巨大涅槃像(今回ツアーでは訪問せず、前回訪問時のもの)

 ツアーバスをチットロム駅前で下車し、ツアーに付いているBTSの1日乗り放題券を一回は使おうと昼食を取りにサイアム駅まで1駅利用する。サイアム駅前のパラゴンの巨大フードコートは、世界各国の料理が食べることが出来る。また、ショッピングセンターやスーパーマーケットがありバンコク一の繁華街である。

            
(左)交通渋滞が常態化しているBKKの重要な市民の足    (右)HISツアーに付いている一日乗車券(チケットブースで発券・要)

            
                          
(上・下・左・右)バンコク一の繁華街に位置する「SIAM PARAGON」  ここの巨大フードコートで昼食

 食後の1時間ほどをショッピングタイムに充てて、最後のマッサージに昨日行った店に再び行く。
 タイの古式マッサージには、南部式スタイルと北部式スタイルがあるという。
南部式は、バンコクスタイルとも呼ばれ、指圧療法が強調される。
一方、北部式は、チェンマイスタイルと呼ばれるストレッチ動作が多いようだ。
 確かに、前回チェンマイの「Let’s Relax」という店のマッサージはストレッチ系のものであったが、ここバンコクでは指圧というより体全体を使った押圧マッサージの感が強い。  
 連日のマッサージは逆効果になるのでは?と思ったりするが、それほど気持ちの良い2時間でもある。

 ← 昨日同様、「King's Body Massage」で最後のマッサージ

 ホテルに戻り、極寒の日本に戻るため、厚着に着替えて夜間飛行の客となる。
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ザ・ロイヤルゴルフ&CC と タイ古式舞踊  (異文化体験44 エンジョイ・バンコクの旅2) 

2014年09月18日 16時12分51秒 | 異文化体験_アジア
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ザ・ロイヤルゴルフ&CC と タイ古式舞踊    2013.2.25~3.1

 今日は、The Royal Golf & Country Clubでプレイ。ホテルで6時オープンの朝食ブッフェをせかせて早朝のバンコクを郊外に。
しかし、バンコクの朝は早い。郊外の工場に向かう従業員を運ぶバスやトラックで早くも渋滞している。

  ← とても綺麗なザ・ロイヤルゴルフ&カントリークラブ

      
(左)正面エントランス                        (右)クラブハウス入口

 ザ・ロイヤルゴルフ&カントリークラブも池と木々とバンカーを配した同じようなコースつくりだが、昨日のレイクウッドよりは綺麗なコースづくりに感じられる。
 昨日のママさんキャディと違って今日は23歳の若いピチピチ・キャディさん。とにかく陽気なキャディたちとわいわいがやがや言いながらのラウンドは面白く、かつ楽しい。キャディがスコアカードをつけてくれるが、その字を見れば性格が垣間見れるのも面白い。

   
(左)5番ホール パー5のロングホール      (中)ティーグラウンドから見た5番ホール       (右)陽気なキャディさん

                 
(左)スコアカード         (中)スコアカード                (右)キャディ評価箱(優・良・普通・悪 容姿で決まる?)

      
(左)最終18番ホールからクラブハウスを望む          (右)クラブハウスのレストラン

 昨日同様、前半はまあまあのゴルフだったが、暑さが増してくると集中力が保てなくなりスコアを乱す。今日は、結局パッティングの不調がスコアに影響し、39パットの96でホールアウト。ゴルフ場のレストランで昼食後、ホテルに戻って小休止する。

         
(左)左の店はやや如何わしい感じの店 右側の店が我々の目的店     (右)King's Body House

 今日もマッサージに行こう!ということで、パッポン通りに近いKing’s Body Houseへ。周辺にはいわゆるエロマッサージ屋もあるが、当店は古式マッサージの店。2時間たっぷりのマッサージでチップ込み500バーツ(約1500円)は値打ちがある。ただ、バンコクのマッサージは指圧系マッサージで、チェンマイのストレッチ系マッサージとは異なるので、手加減をしてもらわないと耐えがたい場合もある。

          
(左・中)昨日と今日のマッサージ店のカード(ご参考まで)         (右)マッサージの後、カフェテラスでコーヒーブレイク

 本日の夕刻は、タイ古式舞踊を見ながらの夕食に案内してもらうことになっており、マッサージ屋近くのSurawongse Roadに面したオープン喫茶で時間調整する。バンコクの人口は600万人以上と聞いているが、道行く人も多種多様。多国籍企業も進出し、国際化がどんどん進んでいる。


 夕刻6時、仲間の知人のお迎えでディナーショウ会場に到着。まだ、時間が少し早いようでお客はさほど多くはなかったが、あまり辛くない料理を注文してもらい、それが運ばれ出した頃には、誕生祝の団体客やその他の客も入って、舞台では歌が始まり、そして3人の踊り手による古式舞踊も始まった。

  
(左・中・右)タイ古式舞踊(東南アジア諸国の様々なダンスは、国境のない時代融合して発達しており、違いはよくわからない)

 過去、インドネシア・バリ島で見た多種多様な踊り、カンボジアの宮廷舞踊、そして今回のタイ古式舞踊等々、様々な踊りを見てきたが、専門家に言わせれば大きく異なるのであろうが、手や足の所作はよく似ており小生にはその違いが今一つわからない。
 タイ舞踊の特徴は、指先の芸術と言われているように、繊細な美しい指の動きとしなやかな腕の動きで感情を表現し、腰を落とし床をすって歩き、ゆっくりと体をくねらせながら、曲線美を見せるのが特色のようで、バリのガムランとはまた異なる木琴や笛、太鼓などタイ独特の楽器で編成された楽団の演奏を伴奏にして踊ることにあるという。

            
(左)辛くないメニューを選んで出してもらう        (中)タイ古式舞踊                (右)ミニダンス教室

 舞台の上で手の反りや足の運びを教わるが、身体の堅いわが身では如何ともし難い。タイでディナーショウと言えば、本格的な大仕掛けのタイ創生劇のショウに加え、ニューハーフのショウ等沢山あるが、今回はコスパの良い異文化体験であった。

 さあ、明日は2回目のアユタヤ観光だ。
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レイクウッド・カントリークラブと王宮と  (異文化体験44 エンジョイ・バンコクの旅1)

2014年09月07日 00時11分04秒 | 異文化体験_アジア
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レイクウッド・カントリークラブと王宮と   2013.2.25~3.1

 16時50分に関空を飛び立ったJL727便は、21時10分にバンコクに到着。時差は2時間。
 2度目のタイ旅行だが、今回は学生時代の仲間4人でバンコクのみの3泊5日の旅。さすがに空港に降り立つとムッとする熱気が身を包む。極寒の日本から多少薄着を心掛けて来たものの、少し動くとうっすらと汗ばむ。

       
(左)バンコクセンターホテル入口    (中)夜の駐車場は大型観光バスで満車状態  (右)アジア系利用者の多い経済的ホテル

 ホテルは移動効率を考えて、地下鉄駅前の「バンコク・センターホテル」にしたものの、仲間に少々重症の腰痛持ちがいるため結果的にほとんどタクシー利用となった。

 翌朝、7時過ぎに市内を抜けて車を走らせること1時間ほどで、「LAKEWOOD COUNTRY CLUB」に到着。
LAKE, WOOD, ROCKの3コース27ホールのゴルフ場だ。今日は、WOOD & ROCKの18ホールをプレイする。

      
(左)LAKEWOODのスコアカード        (中)ラウンドしたのはWOODとROCKの18ホール   (右)陽気なキャディさん達と      

 前回来た時は、「PINE HURST GOLF & RESORT」を徒歩でプレイしたが、今回は腰痛持ちもいるので個別カートにした。打球の所までカートで行けるので極めて楽ちんである。
 キャディ達も陽気でバカ話にキャッキャ言いながら、楽しくプレイ出来る。小生のキャディさんは、小学生のお嬢さんがいる。写真を見せて貰ったが可愛いお子さんだ。ハーフターンの時には、キャディさん持参のバナナを頂戴した。

          
(左)池と緑を配したきれいなコース                 (右)クラブハウスを背景に

          
(左)クラブハウスの正面玄関                  (右)クラブハウス2階のレストラン(和食もある)

 コースは平坦で、木々と池とバンカーを巧みに配して難しくしている。前半42と調子良かったが、後半暑さが増すにつれ少し乱れて46、結果88とまあまあのスコア。
 シャワーを浴びた後、クラブハウスで昼食を取り、一度ホテルに戻ってゴルフバッグを置いて、タイが初めての仲間2名がいるので再度王宮見物に出かける。

              
(左)王宮前の通りは、観光客でごった返している   (中)王宮の案内書          (右)王宮の平面図

        
(左)王宮内メイン施設のエメラルド仏寺院の本堂     (中)本堂正面          (右)エメラルド仏

        
(左・右)王宮の中核施設の一つ「チャックリー・マハー・プラサート殿」     (中)多くの若い女性が衛兵相手に記念写真

  まばゆいばかりの黄金色に輝く仏教寺院

2度目の王宮だが、いつ来ても大勢の観光客でごった返している。午後3時の入場締切にぎりぎりのタイミングではあったが、極彩色の王宮内部を見て回る。

 夕刻、マッサージ屋に行くべしで、王宮の外の通りでタクシーをひらおうとするが、行き先を言うとことごとくノー! 
 仕方がないので近くにたむろしていたトゥクトゥクと交渉すると、やっとOK! 通常大人なら3人程度が乗る所に大の男が4人、必死にポールに捕まりながら、いざマッサージ店へ。

  ← 隣を走るトゥクトゥク   大男4人にはちときつい乗り物  

 が、15分、30分経っても目的地に着かない。名物の交通渋滞だ! タクシーが嫌がるのも納得。結局、小1時間かかってマッサージ店の近くで下車。多分、耳や鼻の穴が黒くなっているだろう。

  ← HATTASART23 MASSAGE 

 一難去ってまた一難。案内役のY君、思っていたマッサージ屋と違うマッサージ屋の名刺を運ちゃんに見せたようで、道行く人に聞きながら、それでも無事に想いとは異なるマッサージ屋に到着。「HATTASART 23 MASSAGE」がそのお店。
 2時間コース400バーツのマッサージを受ける。歩いたわけではないので、さほど足腰が疲れてはいないものの、マッサージで身を軽くして夕食に。

← タイスキの一番人気チェーン店MK

 夕食は、タイスキが良かろうということになって、マッサージ屋の近くスクィンヴィット通りのMKの店に行く。当地ではコカよりMKの方に人気があるようだ。
 結構長い1日であったが、明日も早朝からゴルフゆえ、おとなしくタクシーでホテルに戻る。
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