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旅行記、世相独言

頤和園と故宮博物院 さすが中国!-北京-(異文化体験21 改革解放の国の旅5)

2012年04月29日 00時51分55秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

頤和園と故宮博物院 さすが中国!-北京-  1994.9.18

 「頤和園(いわえん)仏香閣」入場券
 
 若い人の調査能力には感嘆する。展示設営責任者の I 嬢が「今日は頤和園に行きましょう!」と提案してくる。

 市の北西部に位置する「頤和園」には、1元タクシーで30分ほど。公園の面積290haというから半端な大きさではない。日本の大手都市ガス会社の一つの工場が大体40~50haだから、その6ケ所分。

 300ヘクタール近い広大な庭園、どこから行こうか?

 歴代皇帝の離宮であったが、清代の乾隆帝の時に大規模改修がなされ現在の形になり、1860年英仏軍の手で徹底的に破壊されたが、西太后によって復旧された。
 1888年、西太后50歳の誕生日を祝うため、万寿山の麓、昆明湖のほとりに巨大な庭園の造営を命じ、宦官が財源不足を報告すれども、意を解した国防大臣が海軍の経費を流用し、最終的に国家歳入の1/3を投入したとか。
 1894年の日清戦争では日本海軍が弱体化した清の北洋艦隊を破り、大連湾を占拠する。その時、西太后は60歳の誕生日をこの頤和園で盛大に祝っていたと言われている。
 清朝の滅亡を早めたと言われているこの庭園、まずは北宮門の蘇州街から見物。

    
                   蘇州街入場券(左)とその解説(右)

 
            生活臭が全く感じられないが、蘇州を模したテーマパークのようなもの
 
 蘇州の街を再現したウォーターフロントのショッピング街「蘇州街」は、ベネツィアの中国版と言える雰囲気。水辺を徘徊しながら様々な物売りの店や文化歴史を伝える展示物等、結構楽しめる。
 蘇州街から万寿山を登っていくと、仏香閣、拝雲殿と言った昆明湖が眼下に見渡せる建物に出る。このルートは通常のルートの逆を廻っているようで、その分眼下に視界が一気に広がる感動が大きい。昆明湖は人造の湖で、その掘削土を積上げて万寿山を造ったとか。

 
(左)万寿山の頂上に建つ仏香閣 (右)人造の昆明湖 国家財政の1/3を投入して造営された庭園

            
(左)湖畔の長廊には極彩色で様々な物語が。    (右)石舫 舟遊びの雰囲気を楽しむ人たち。

 昆明湖の対岸ははるかに霞んで見える。湖の畔に下りると、拝雲門から長廊が伸びていて、そこに中国の様々な物語が描かれている。長廊の先に西太后が政務を執った仁寿殿がある。湖には大理石で装飾された石造の舟が浮かび、大勢の人が舟遊びの雰囲気を味わっている。とても一日で全部を周る事は出来ない。
 庭園出口の食堂で遅めの昼食をとる。


 
              故宮博物院入場チケット 裏面には三菱自動車のSIGMAの宣伝が。 
 
 市内に戻って、明、清王朝の皇帝の居所となった故宮を訪ねる。東西750m、南北960m、面積72haの大宮殿である。60元の外国人切符で五色門から中に入る。

 
(左)故宮博物院入場門(内国人として入ろうとしたが、見破られました)(右)ご存知、太和殿

 筒子河を渡って、午門、太和門に進むと、ここから外朝と言われる科挙の試験等、国家的行事が行われた場所に入る。太和殿、中和殿、保和殿が外朝の建物。
 これを過ぎると乾清門があり、ここから先が内廷と言われる皇帝が政務を摂り、日常生活を送った場所となる。
 乾清宮、交泰殿、坤寧宮の三宮は皇族の祭典・儀式が執り行われたところ。
 映画ラストエンペラーの舞台となり、紫禁城とも呼ばれるこの大宮殿、部屋が9000以上あるというから、一部屋ずつ泊まり歩いて27年の歳月を要する。

        
(左)部屋が9000以上あるという紫禁城   (右)紫禁城の奥「内廷の御花園」かな? 誰か教えて!
 
 故宮の前は、天安門広場。天安門は1417年の建造で、1949年中華人民共和国の成立がこの門上で宣言された。毛沢東の肖像画が飾られており、その前に広がる広場は40ha。
 あの天安門事件以来、5年の歳月が流れ、今中国はアジア経済の牽引車となって、鄧小平の改革開放路線を進んでいる。


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長城と明の十三陵 罰金とディスコキング!-北京-(異文化体験21 改革解放の国の旅4)

2012年04月21日 11時42分46秒 | 異文化体験_アジア
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長城と明の十三陵 罰金とディスコキング! -北京-  1994.9.17

 フランクフルトからの機窓から見えた万里の長城

 「ガス・チャイナ94」を終えて、今日は待望の郊外ツアー。兄弟が運転する2台の車をチャーターし、万里の長城へ出発。車は中古とはいえ、まだ新しい真っ赤なセダン。それにしても狭い道を結構なスピードで走らせる。郊外に出るまではクラクションを鳴らし放し。

 秦の始皇帝が築いたと言われる万里の長城は、その長さ6000km。中国里程で約1万2千華里あるところから万里の長城と言われる。始皇帝時代の長城はほとんど崩れてしまって、現存の長城は明代に100年かけて改修されたもの。

 
 (左)慕田峪へのロープウェイチケット          (右)慕田峪の長城入場チケット

 北京の東北72kmの慕田峪は、1986年から開放された場所でロープウェイで長城まで行くことが出来る。ほとんどの施設が内国人と外国人で料金が異なるが、こことて同じ。

         
 (左)長城入口の軍服衣装の守備兵                     (右)長城美人? 

 長城入口にはラクダや古代の軍服衣装の守備兵がいて、ショウアップされている。長城の上に立つと澄み切った空の下、緑の木立の間をぬうように山々の起伏の稜線に沿って長城がはるか彼方まで続いている。110m毎に見張り台があり、当時はのろしを焚いて要塞としての機能を果たしていたようだ。

 
(左・右)澄み切った空の下、山々の稜線をどこまでも続く万里の長城

 
 (左)110m毎の見張台、有事の際はのろしで伝達 (右)慕田峪の長城一番端の未復旧箇所で。

 数キロ先に長城が崩れて修復出来ていない場所があるというので、挑戦することに。結構山を登る形になり、早足で息を切らせながら歩を進めること、およそ40分ほどで急斜面を登る階段に行き着く。はあ!はあ!言いながら登りきると、雑草に覆われた崩れたままの石積みの壁が更に上に続いている。何とか元気を出して50mほど先の上まで挑戦。

     
(左)物議を醸し出した5枚50元のTシャツ (右)昼食の11品、満漢全席より格段に安くて美味い!

 入口の土産物屋でTシャツを買おうと値段交渉。同行者と2人で5枚買うから50元にと粘りに粘って交渉成立。ところが隣で同行のI嬢が同じ物をもう少し高い値で交渉中。こっちの店が安いよ!と連れていくと、店の女将が凄い形相で隣の店の女将に食ってかかり、大喧嘩。いやはや大変。
昼食は1品を11品とって豪華な昼食。なすびの甘醤油炒めは、絶品であった。



 
 (左)北京の北西50km、明の十三陵を遠望する。 (右)明代14代皇帝「万暦帝」の陵墓

 明の3代皇帝「永楽帝」が南京から北京に遷都した際、北京の北西50kmの天寿山の麓に陵区を定め、自らの陵墓を造営(長陵)、その後13人の皇帝が同様に陵墓を造営した。
 今回訪れた定陵は、14代皇帝「万暦帝」と2人の皇后の合蔡陵で、地下20mの地下宮殿である。造営には6年の歳月と国費2年分を要したと言われている。

 定陵・陵墓の入場チケット

 地下の陵墓を見終えて、外に出た所で喫煙していると日本の一昔前のバスの車掌さんのように、首から小さなかばんを提げたおばさんが寄って来て、何か言っているが要領を得ない。どうもここは禁煙のようで注意されたようだ。注意だけならいいが、罰金を払えと言う。禁煙の看板が後ろにあるのはあるが、看板の前か後ろでその有効性が変わるはずだが、議論する術を持たない小生にとって払うしかない。結局10元の罰金。内国人にとっては大金である。

 初体験のディスコで、いきなりディスコキング?

 市内に戻り、夕食後、展示設営担当の I 嬢からディスコに行こうと誘われる。そんなものあるの?と聞くと王府井界隈にあるという。小生にとってディスコ初体験ではあるが、ここは若い女性に従おうと入場すると、北京の若者達で大賑わい。
顔で日本人と分かるようで、日本の最先端の踊りを体得しようと、小生のいい加減な踊りやI嬢の踊りを見様見真似でついてくる。気の毒に!と思いつつも、小生の踊りものってくるとそこそこのもの? ごめんね!北京の若者よ。


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駐車場?高速道路と満漢全席 -北京、天津-(異文化体験21 改革解放の国の旅3)

2012年04月14日 23時42分26秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

駐車場?高速道路と満漢全席 -北京、天津-  1994.9.16

 天津市の象徴 415mのラジオ・テレビ塔

 北京、上海に次ぐ中国第3の政府直轄市の天津は、人口843万人の大都市である。大阪市が人口260万人、昼間流入人口が150万人程度だから合計しても400万人。天津市の半分にも満たない。
 天津丼や天津甘栗で馴染みの深い「天津」だが、天津丼という料理があるわけではない。その昔「中国」=「天津」というくらい重要な貿易港であったが故に、中国風という意味で使われたと言われている。北京の外港としても機能しており、工業都市でもある。

 天津煤気公司からの迎えの車でつい最近開通したと言う北京―天津間の高速道路を走る。この京津塘高速道路は1993年9月の開通で、近年の高速道路の標準仕様で建設された最初の高速道路で、北京‐天津間をおよそ1時間に大幅短縮している。

 昨年開通した「京津塘高速道路」 北京‐天津1時間

 迎えの車は、軽快に高速道路を時速100km位のスピードで走っている。
 ところが、この高速道路、路肩に沢山の車がボンネットを撥ね上げて駐車している。どうしたんだろう?と聞くと、オーバーヒートして冷却中だと言う。そのほとんどがトラックだが、中には乗用車もある。日本や欧州の中古車を買って、整備もそこそこに高速道路をスピード出してエンジンに負荷をかけて走るもんだから、オーバーヒートして路肩に立ち往生しているらしい。近代化のアンバランスがこんな所にも垣間見れる。

 蓋碗による中国独特のお茶の飲み方

 天津煤気公司のガス工場を訪れると、最近私の出向元のO社を訪問したという工場長が懐かしく出迎えてくれる。応接室の正面の大きな席に座らされ、熱烈歓迎を受ける。 小さなテーブルには蓋付のコップに茶葉にお湯を注いだ中国式のお茶が出される。そう言えばタクシーの運ちゃんも、ネスカフェの瓶に茶葉の入ったお茶をほとんど皆運転席の横に置いて運転している。慣れるまで飲み難いものである。

                   
(左)ラジオ・テレビ塔入場券               (右)テレビ塔パンフレット

 
(左・右)テレビ塔からの眺望 もやで遠望が利かない 足もとは水上公園のようだ

 工場見学の後は、天津の街が一望出来る415mのTV塔に上る。残念ながらもやがかかって遠望が利かなかったが、足元には池と思しき水面が陽光を受けてキラキラ反射し、高層住宅や平屋根の工場と思しき建物が眼下一面に広がっている。


 市内レストランで昼食、カラオケ完備

 その後、市内のレストランに案内され社長の出迎えを受ける。個室にはカラオケが用意してあり、食事の合間にカラオケが同時進行。それにしても、中国の男性の歌は、腹の底から歌う歌が好まれるのか、話し合いの際でも喧嘩しているのではないかと疑うほど、大声を張り上げる。今の流行の歌は「東方の真珠」という歌。東方は香港のことで恋歌だとか、5000年の恋がどうとかこうとか、その歌の詩のスケールの大きさには驚かされる。


 北京に戻って、今宵は展示会の打ち上げ。通訳の女性に頼んで北海公園の中にある元清朝皇室の御膳房だった「仿膳飯荘」(Fangshan Restaurant)での「正宗満漢全席」を体験することにしている。

   
(左)昼間の北海公園(71haの半分以上は池)  (右)公園見取り図、レストランは島の中にある

 北海公園は故宮の西北に位置し、10世紀に建造された総面積71万㎡の美しい島と宮殿の公園で、金・元・明・清代を通じ、霊山(瓊華島)、秀水(北海)、白塔で知られる王室御園だった場所である。

 
(左)お店の入口(HPより)                (右)我々の歓迎の踊り

         
(左)満漢全席のテーブル                    (右)お品書き 全12品

 
(左)こんな料理が 李鵬の通訳も務める通訳さんのお蔭で内国人予算で (右)記念撮影

 「仿膳飯荘」は、1925年創業の西太后の料理人の流れを汲むレストラン。入口で清朝時代の踊りで迎えられ、煌びやかな一室で円卓を囲み、華麗な飾りつけの宮廷料理、全12品を味わう。良く考えれば非常にショウアップされたレストランだ。

 こんなキンキラキンのテーブルも。

 これも改革開放路線の成せる技か?


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日本では小指、中国では親指? 公用局と公安局 -北京-(異文化体験21 改革解放の国の旅2)

2012年04月07日 22時24分51秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

日本では小指、中国では親指? 公用局と公安局 -北京-  1994.9.15


 (北京中心部地図、天安門広場前道路を右に行くと国際貿易センターがある)

 国貿飯店の部屋の窓から国際貿易センターに隣接する公園が見える。起床して時差のためまだ意識朦朧の目に、太極拳の運動をする老人達の姿が飛び込んでくる。
そうだ、ここは中国なのだ!

 中国を実感させる朝の景色(参考)

 日本を出発して10日目、欧州から周ってきたのでカルチャーショックは余計に大きい。朝食に1階のレストランに行くとチャイナドレスに身をつつんだ若い女性が愛想良く出迎えてくれる。大きく割れたスリットに自然と目が行ってしまう。毎日朝食が楽しみだ。

 ホテル・レストランのウェイトレス嬢(イメージ写真)

 「ガス・チャイナ‘94」が、国際貿易センターの展示会場で始まった。今回は中国ガス協会からの強い要請に応えた出展である。中国の巨大市場を狙って英国やフランス、ドイツ等のガス会社からも大規模な出展がなされている。日本は、東京・大阪・東邦の都市ガス大手3社に日本ガス協会が冠をかぶせた形態で出展しているが、ややお義理色の強い出展なので展示内容やブースの広さにおいて欧州の企業ブースにやや見劣りがする。

 
(左)会場の国際貿易センター展示会場       (右)日本の出展ブース(準備中)   

 中国全土からガス関係者が来場するようで、会場は結構熱気に包まれている。中国語に翻訳した日本の技術資料は、資料マニアによってアッという間になくなってしまう。 天然ガス、都市ガス(石炭ガス)、石油ガス(LPG)等々、ガス種は違えど、日本から出展した炊飯器、給湯器や地下埋設物のマッピングシステム、レーダーロケータ等は、大いに感心を集め、各社説明員は質問攻めにあっている。
 私の出向元の会社と友好関係にある天津ガスの社長も展示会に出席しており、天津ガスにも是非来て欲しいと招待を受け、明日急遽天津に行くことになった。


   
(左)天安門広場に近接する北京の銀座「王府井」 (右)王府井の入口にあるマクドナルド

 今夕は展示会関係者の慰労会を北京ダックの有名店で行うことになっている。
 夕刻、スタッフの一人が土産物を買いに行くので通訳を貸して欲しいと言ってきた。集合時間までに戻ることを条件に許可する。6時半に北京ダックの店に全員集合するはずが、この2人が戻ってこない。どうしたのかと心配しているとお店に電話が入り、今北京市の「公安局」にいると言う。

 
(左)王府井の再開発が始まった東安市場      (右)現在の東安市場(参考)

 どうやら、北京一の繁華街「王府井」でネクタイの買い物中、通訳の女性の財布を獲ろうとしたスリを地元商店街の自警団が現行犯で捕まえ、公安局で事情聴取を受けていると言う。
 この時期、国慶節で中国全土から北京に悪党どもが上京し、治安が極度に悪くなっているとのこと。警察はスリを一網打尽にせんと厳しく取り調べを行っているようで、協力して欲しいとのこと。通訳の女性も裁判官をしている夫を呼び寄せ、どうやら大騒ぎとなっているようだ。

      
(いずれも参考写真)左:昔ここにあった「王府の井」 右:昔の面影を一新した現在の王府井

 二人の安全が確認されたので、我々は北京一と言われるこの店「Tuan Jie Hu(団結湖)」の北京ダックを大いに楽しんだ。

   
                 北京一と噂される「団結湖 Tuan Jie Hu」のパンフレット

 聞くところによると、中国のスリ達は親指の腱を切断することで、万一捕まった際、身障者扱いで刑が軽減されるようだ。日本では小指、中国では親指、いずれにせよ人騒がせな話で、我々の来訪の目的を管轄するのは「公用局」だが、このスタッフは「公安局」をしっかり調査して帰国した。


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