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旅行記、世相独言

行ってきました 温泉と世界遺産・熊野三山を巡る旅(2)

2021年04月27日 11時16分43秒 | 異文化体験_日本
行ってきました 温泉と世界遺産・熊野三山を巡る旅(2)

熊野那智大社・熊野速玉大社・熊野本宮大社

2021.04.22-23

(写真や図はクリックで拡大します)
 
《休暇村・南紀勝浦》
 休暇村・南紀勝浦は、いわゆる勝浦温泉街から離れた宇久井半島の高台にある一軒家。
ナトリウム・塩化物泉の4種の浴槽で足の疲れをほぐした後は、南紀くろしお会席の夕食。マグロの町勝浦らしく七種盛りの潤沢なお造りと熊野牛のメイン料理に加え、ミニブッフェコーナーから釜めし・天ぷら・郷土料理のサンマ寿司・めはり寿司等々、休暇村の食事には大いに満足である。加えて誕生祝として写真とケーキのサービスまでいただいた。

        
宇久井半島の高台に立地する休暇村・南紀勝浦       部屋から見る波静かな太平洋


(左より)ナトリウム・塩化物泉の大浴場   露天風呂   くろしお会席(いずれもホームページより)

 翌朝の日の出は5時18分。太平洋からの御来光を期待したが、雲が邪魔をして雲間からの御来光となった。超大型台風2号の余波か、やや波も高く、風も強い。

        
   この日の日の出は5時18分         宿舎の鯉のぼりでなくマグロのぼりが元気に泳ぐ

《熊野速玉大社》
 宿舎から30分ほどで新宮市の熊野速玉大社に到着。初めてお参りする神社である。熊野大神が三山に祀られる以前、最初に降臨されたのがゴトビキ岩(巨岩の御神体)の神倉山で、これを元宮とし、現在地に新しく宮を遷されたことから新宮(にいみや)と呼ばれ新宮市の語源となっているようだ。主祭神は、熊野夫須美大神(イザナミノミコト)と熊野速玉大神(イザナギノミコト)。

       
     神倉山のゴトビキ岩              新宮の熊野速玉大社         

      
          イザナギ・イザナミノミコトを主祭神の熊野速玉大社 と 御朱印

               
   境内の御神木樹齢約千年の梛(なぎ)の大樹       大社ゆかりの武蔵坊弁慶

 速玉大社から本宮大社へはR168で35km45分ほど、紀伊山地の奥へ熊野川沿いに走る。途中には瀞峡ウォータージェット船や川舟の発着場がある。

《熊野本宮大社》
熊野本宮大社の主祭神は、家津美御子大神(スサノオノミコト)。古代本宮の地に神が降臨したと伝えられ、三本の川の中州にあたる聖地、大斎原に社殿が建てられたのは、崇神天皇65年(紀元前33年)のこと。奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏としておまつりするようになった。明治22年の大洪水により、今の8倍の規模を誇っ大斎原は大被害を受け、明治24年に上四社が現在地へ移され、今なお大斎原には中四社、下四社、境内摂末社の神々がおまつりされている。

            
                      三度目の参拝 熊野本宮大社

 
             御朱印と本宮大社(主祭神スサノオノミコトは左から3番目)

 本宮大社へのお参りは、今回が3度目。しかし、今回重大な失敗に気づかされた。
今回も含め過去3回は、主に正面一番左の祭殿にお参りしていた。しかし、お参りの仕方をよく見ると主祭神は左から3番目。やり直しである。結局4度お参りしたことに。

       
      本宮のお参りの仕方(間違っている人が多いようで、いままでなかった案内図が)

《八咫烏》
本宮大社のいたるところに見られる3本足のカラスは、日本サッカー協会のシンボルとしても有名な「八咫烏・やたがらす」。
八咫烏は、日本書紀・古事記の神武天皇が、宮崎県(日向)から奈良県(橿原)に都を移し、大和朝廷を開いて初代天皇に即位するまでを描いた物語「神武東征」に登場し、神武天皇が熊野に到着された時、神の使者である八咫烏が奈良まで道案内をしたというエピソードから、熊野三山に共通する「導きの神鳥」として信仰されるようになった。

            

《熊野古道・白浜》
三山のお参りを済ませ、R311で55km、約1時間かけて白浜方面に走る。R311はかつて歩いた熊野古道の中辺路ルートと並走し、牛馬童子の道の駅でサンマ寿司と草餅をゲット、白浜ではいつも立ち寄る「えびせんべいの里」でコヒーブレイクとえびせんべいをゲットして、午後4時に無事帰宅。総行程500kmの1泊2日の旅であった。

            
  熊野詣には階段がつきもの(健脚のうちに)        熊野古道・中辺路の牛馬童子近くの道の駅


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行ってきました 温泉と世界遺産・熊野三山を巡る旅(1)

2021年04月26日 23時23分31秒 | 異文化体験_日本
行ってきました 温泉と世界遺産・熊野三山を巡る旅(1)

熊野那智大社・熊野速玉大社・熊野本宮大社

2021.04.22-23

(写真や図はクリックで拡大します)
 我が家では家族の誕生月は皆で会食を行っている。3月生まれは誕生祝会食を行ったが、4月生まれはイギリス型変異株の蔓延で、さすがに中止。代わりに夫婦で1泊2日の温泉旅行に行くことに。行先は休暇村・南紀勝浦。併せて熊野三山も詣でることに。勝浦投宿は4度目だが、三山を一気に周るのは初めて。初日と二日目に分けての投稿です。

          

《古座の一枚岩》
 家から阪和道で白浜まではおよそ1時間45分、目下白浜まで片側2車線の拡幅工事が精力的に行われている。白浜からすさみ南まで片側1車線の高速道路が無料開放されており、勝浦・新宮方面も便利になった。和歌山県人が二階氏を頼りにするのもうなずける。
 勝浦への道中、古座の一枚岩に立ち寄る。ナビが選んだのが和深から39号線の細い細い道、無事古座川の一枚岩に到着。1400万年以上前の火山活動で出来た古座川弧状岩脈の一部で、その活動規模は現在の阿蘇カルデラをはるかにしのぐものと推定されている。河岸にそそり立つ幅500m、高さ100mの巨大な岩壁は、見る者を圧倒する。

             
   一枚岩の対岸に道の駅がある 

《熊野三山》
熊野の神々は自然信仰に根ざしており、奈良~平安時代にかけて熊野は仏教・密教・修験道の聖地となった。神=仏であると考えられ、その影響を受けた三山は結びつきを深め、同じ12柱の神々(=仏たち)をお祀りしたことで、熊野三山の神秘性は益々高まり、平安時代の末には「浄土への入り口」として多くの皇族や貴族がお参りするようになった。「浄土へお参りし、帰ってくる=死と再生」を意味し、「よみがえりの聖地」として、今なお多くの人々の信仰を集めている。
          

《熊野那智大社・青岸渡寺・那智の滝》
一枚岩から古座に出てしばらく海岸線を走ると、市屋から那智勝浦新宮高速道路が無料開放中で、那智勝浦ICで降り大門坂のそばを通って熊野那智大社へ。ちょうどお昼時。和か屋本店の無料駐車場に置いて、お参りと滝見物に。確か3度目のお参りと記憶しているが、那智大社までの石段(段差のかなりある467段!)にわが身の年齢を実感させられる。以前はもっと楽に、そう!ポメラニアンの愛犬まで一緒にお参りしたのだが。

 
           熊野那智大社・青岸渡寺・那智の滝周辺図        那智山郵便局横の467石段参道の始まり

      
 参道途中の鳥居(もう少し)          大社境内から眼下の和か屋本店駐車場のマイカー(赤字表示)

 熊野那智大社は、熊野信仰の中心地として古来多くの人々の信仰を集め、平安末期には蟻の熊野詣とまで言われるほどの盛況だったようだ。しかし標高500mに位置する社殿への表・裏参道は、いずれも厳しい。夫須美神(ふすみのかみ=いざなみのみこと)を主祭神とし、万物の生成・育成を司る神様で、樹齢約850年の大楠がある。

  
  熊野那智大社本殿          熊野那智大社御朱印        本殿前の胎内くぐり   

 一方、青岸渡寺は988年に御幸された花山法皇が西国三十三ケ所第一番札所と定めたと言われ、如意輪観世音を祀る本堂は1590年秀吉が再建したもの。境内から見る朱色の三重塔と那智の滝との調和が素晴らしい。

       
    青岸渡寺                大クスのある境内からのお馴染み眺望

 
   青岸渡寺の御朱印         青岸渡寺の朱色の3重塔と那智の滝

 那智の滝は、那智大社の別宮飛瀧神社の御神体で、落差133m、銚子口の幅13m、滝壺の深さ10mの落差日本一の名瀑。銚子口から三筋に分かれて流れ落ちることから三筋の滝ともいわれる。神武天皇の御東征の折りに見つけられ、これを神としてお祀りされたようだ。

    
銚子口から三筋に分かれて落下   那智大社の別宮飛瀧神社の御神体  落差133mは日本一  

 参拝を終えたのは午後2時頃、駐車している和か屋本店の名物お滝もちを味見して、紀伊勝浦の旅館街から少し離れた宇久井半島の休暇村・南紀勝浦に。この宿舎は2月の加太に次ぐ2度目の休暇村である。


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松山選手のマスターズ制覇に思う グリーンジャケットとダブルボギー

2021年04月14日 01時20分13秒 | コーヒーブレイク
松山選手のマスターズ制覇に思う グリーンジャケットとダブルボギー


 2021年度第85回マスターズは、日本のゴルフプレイヤーたちにとって忘れられない大会となった。過去、日本のゴルファーたちが挑み続け誰もがなしえなかったゴルフトーナメントの最高峰「マスターズ」に、ついに日本人の名前が刻まれた。
4月11日、松山英樹選手の快挙を見届けようと、多くのファンが深夜から早朝にかけてのテレビ中継に一喜一憂しながら固唾をのんで見守った。
2打差をもって臨んだ最終18番、第1打で喜び、第2打で憂慮し、第3打で勝利を確信し、1打差で勝利を手中に収めた瞬間に、自然と涙する人も多かったであろう。

 ダブルボギーのない素晴らしいラウンドは、誰もが認める彼の並々ならぬ練習によるテクニックとオーガストという難コースのマネージメント戦略の習得によるものだろう。そして10度目の挑戦にして、ついにオーガスタの女神を呼び寄せ、認めさせることが出来たのであろう。
 松山選手の素晴らしいプレイとチーム松山の総合力がグリーンジャケットを手中にしたように思う。心からの敬意と祝意を送りたい。

            

 ただ一つ、個人的に残念であったのは、全72ホールを3イーグル、13バーディ、9ボギーという、ダブルボギーのない素晴らしい成績で回ったのだが、場外で1つのダブルボギーがあったように思う。
 それは、表彰式でのこと。あのシャイな松山選手が前回優勝のジョンソン選手からグリーンジャケットをかけてもらい、小躍りして両手を突き上げ喜びを爆発させたのは、普段決して見ることのできないほほえましい光景であったのだが、その直後、主催者から優勝スピーチを要請された彼のスピーチは、残念ながら私は唯一のダブルボギーであったと思う。
 彼のスピーチは、優勝できたことを喜ぶとともに、ファンへの感謝の言葉であった。通常、こういった大きな大会での公式スピーチでは、まず主催者はじめ多くの大会運営の関係者への謝意があるべきで、特に今回はコロナ禍での大会で運営関係者の努力は並大抵のものではなかったはず。見かねた通訳からナショナルオーガスタへの謝意を述べなさいと耳打ちされたのは、やはりダブルボギーと言わざるを得ない。
 もう一つ残念なのは、部分的でも英語でのスピーチが欲しかったが、サンキューの一言であった。10年間、米国でプレイしてきた人間として、また日本の最高学府を出た選手として少し寂しい思いをしたのは、私だけではないであろう。

 ただ、早藤将太キャディのとった行為が、松山選手のこのダブルボギーをボギー程度に軽減したかも知れない、素晴らしい行為であった。

 マスターズの覇者は、次回以降もこの大会への出場権が与えられる。松山選手にはぜひ次回優勝への宿題として、頑張ってほしい。












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大阪府和泉リサイクル環境公園とチューリップ

2021年04月05日 22時18分29秒 | 異文化体験_日本
大阪府和泉リサイクル環境公園とチューリップ

《写真はクリックで拡大します》                                             
2021年4月3日


          

 大阪府和泉市にある和泉リサイクル環境公園では、色とりどりのチューリップが満開の時期を迎えています。行ったのは4月3日(土)の午前8時半。この公園は、入場無料、午前8時から午後5時(入園は午後4時まで)で、無料駐車場も完備されています。ただ、ペットの入場は禁止されているので要注意。

 この時期、眼前に広がる色とりどりの多様な品種のチューリップは圧巻です。また、チューリップを取り囲むようにラッパ水仙も咲き乱れ、円形花壇には芝桜も満開です。一方で、係の人たちがラベンダーの苗木の植栽に取り組んでおられました。
 また、これらの花壇から少し離れた日本庭園では、今年は開花の早かった桜が散り始めていました。紅白の枝垂れ桜も見事です。
 また、売店では近隣農家からの野菜等も手に入れることも出来ます。

        



          

          

          

  
 
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