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旅行記、世相独言

魔都の夜 - 上海 - (異文化体験26 中国内陸部の旅1)

2012年10月26日 22時21分32秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

 躍進著しい中国における都市ガス事業は急送に拡大しつつある。新たな技術・事業ノウハウを求めてわが国にも協力要請がある。
 しかし、面子を重んじる彼らは決して頭を下げるわけではない。彼らの表現を借りれば「日本にビジネスチャンスの場を提供してあげる」。


 前回の北京に対抗して今回は上海が都市ガス関連技術展示会(ガス・チャイナ’95)を開催するのでそれへの出展要請があり参加協力すると共に、あまり良く知られていない中国内陸部三都市(成都、西安、重慶)の都市ガス事情を調査するのが、今回の出張の目的である。

魔都の夜 -上海― 1995.10.31~11.05

 南京西路の上海錦滄文華大酒店(マンダリン・ホテル)

 JL791便でお昼に上海空港に到着すると、創業130周年記念式典に併せガス・チャイナ‘95を企画した上海ガスの3人の外事課員の出迎えを受ける。彼らとは1年ぶりの再会である。上海での宿舎は、南京西路に位置しガス・チャイナの会場の上海展覧中心に隣接する上海錦滄文華大酒店(マンダリン・ホテル)である。

  今回が第4回目のガス・チャイナ

 ガス・チャイナのJGA(日本ガス協会)ブースは、昨年の北京同様C社の I 嬢が先発準備してくれているはずである。早速、準備状況のチェックを兼ねて会場視察を行う。相変わらずGパン姿の I 嬢がてきぱきと指示を出して、JGAブースがほぼ完成の域に達している。

 英語を話せる中国人女子学生を雇って、展示会期間中ナレーションを担当してもらうことになっているが、その女子学生も会場に姿を見せ、練習に余念がない。JGAブースに各社の応援説明員に集ってもらって、明日のオープニングの諸打ち合わせを行う。

 夕刻は、我々で前夜祭をやろうということになり、I 嬢が外灘に近い南京路のお店を予約。JGAのF君は今回が初出張。8人でテーブルを囲み本場中華料理でお腹を満たす。

  日本展示会場の運営スタッフと会食後。 

 食後は、外灘を散策。長江の支流である黄浦江、その黄浦公園に沿って伸びる中山東一路の約1.5km一帯はかつて「バンド」と呼ばれ、上海が魔都と呼ばれた1920年代の租界時代の見事な建築群が残っている。

 1992年に遊歩道が整備され、今や上海の観光スポットとなっているが、一際目につくのが中央にドームを持ち、正面に列柱を配したかつての香港上海銀行、現上海市人民政府の建物である。大勢の市民や観光客がライトアップされたこれらの建物群の美しさを背景にそぞろ歩きを楽しんでいる。

  綺麗に整備された夜の外灘。市民の憩いの場でもある。
 
 不動産投機で財を築いたサッスーン一族の本社ビルで、魔都時代キャセイホテルとして君臨した「和平飯店」もバンドの一角を占め、現在も外灘のシンボル的存在である。

 「和平飯店」の1階にある「和平飯店バー」はジャズのライブハウスとして観光客の人気を集めている。店内には中国人、日本人、西欧人と種々雑多な人種が、5人の中国人のおじさん達が奏でる音色とテクニックに往事を忍ばせるライブを楽しんでいる

  「和平飯店」の名物ライブ

 我々も店の客となりライブを楽しんでいると、日本の曲の演奏でサービスしてくれる。そのうち、ステージ前の狭い空間で黒いシースルーのパンタロンスーツに身を包んだ若い女性とおばさんの2人の女性が踊り始めた。若い方の女性は、何ともセクシーな肉感的な女性である。どう見てもプロのダンサーではない。しばしば視線が合う。

  ステージ前でにわかに踊りだした2人組み

 45分ほど居たであろうか、店を出ようと出口に向かうと2人組みのこの女性達も店を出るところ。黒服の女性、間近で見ると吸い込まれそうな美人、「ダンスがお上手ですね」と英語で話しかけると、「叔母と観光に来たのよ」と流暢な英語での返事。

  シースルーの黒服美人と。

 これから何か期待出来そうな魔都、上海の夜である。


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グァム島 新婚旅行 -グァム-(異文化体験1 ハネムーン)

2012年10月21日 00時13分56秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
(写真はクリックで拡大します)

 人生初の海外旅行は、グァム島への新婚旅行である。
 「異文化体験1」となるこの旅は書く予定をしていなかったが、40年後の2012年ゴルフツアーでグァムを再度訪問、「異文化体験42」として書いた際に新婚旅行のことにも触れたので、書くことにした次第である。
 従って、40年の今昔比較は異文化体験42「グァムdeゴルフの旅その1」をご覧下さい。


グァム島 新婚旅行 -グァム-  1972.5.6-5.10

      
(左)当時の青色パスポート(右)と現在(左)           (右)旅程表

 新阪急ホテルでの結婚式・披露宴を終え、夕刻大阪国際空港(伊丹)発のPA801便(パンアメリカン航空)で一路グァムへ。
 パスポートに米国ビザ、イエローカード、制限付きの外貨申請(1$=¥360)等々、不慣れな手続きを経て、初の異国の地に降り立ったのは深夜であった。生暖かい風が吹いていたのを思い出す。宿舎は最近オープンしたグァム第一ホテル。

 
(左)人影もまばらなタモン湾に広がるビーチ           (2)ホテル前のビーチにて

 さすがに翌7日は疲れを癒すために、終日休息日。ホテルの前に広がる浜に出て日光浴。
 海はどこまでも透明で穏やか。しかし、入って行こうとすると何やら黒いものが足もとに。それも半端な数ではない。よく見るとナマコがうようよ。サンダル履きでないと気持ちが悪くて歩けない。それだけ自然が残されているということか?
 ホテルのプールには島北部にあるアンダーソン空軍基地の関係か、米国人の子弟をよく見かける。そんな子供をつかまえて、英会話の練習も出来る。

 
(左)きれいな海にはナマコがうじゃうじゃ(写真の黒いもの) (右)プールでアメリカの子女と英会話のレッスン


      
(左)1972年のグァム観光地図              (右)島内観光は主に島の南側(北側には空軍基地)

 15人乗りのリムジンで島内観光へ
 疲れも癒えて8日は島内観光。15人乗りのリムジンが迎えに来る。

 グァム第一の名所「恋人岬」
 最初に立寄ったのがタモン湾を一望出来る「恋人岬」。伝説によると恋に落ちたチャモロ娘と青年がかなわぬ恋となったのを嘆いて身を投じた岬だそうな。

 PITIにある自然エネルギーを利用した波動発電所
 その後、車はAGANAの海岸通りを南下してPITI(ピティ)へ。PITIには「波動を利用した発電所」や海軍基地がある。

 NIMITZの「スペイン古橋」
 更に南下するとNIMITZ BEACH(ニミッツビーチ)に至る。ここは「日米攻防の舞台」となったところ。スペイン統治時代の名残の珊瑚造りの「スペイン古橋」がある。

 スペイン統治時代の「ソレダド砦」
 更に南下を続けると、UMATAC湾(ウマタック湾)に出る。ここは1521年世界一周途上の「マゼランが上陸」した所。丘の上にはスペイン統治時代の哨舎「ソレダド砦」が残っている。

 グラスボートで海底見物
 少し南に行くとMERIZO(メリソ)の村がある。ココス島への渡船基地だがココス島は明日行く予定。今日は、グラスボートに乗って海底見物。

      
(左)INARAJANの浜辺から見た「熊石」        (右)イナラハンの村で椰子の実の試飲・試食
 INARAJAN(イナラハン)は島の最南端に近いところ。海上に熊のように構える「熊石」や、海辺に天然プール・飛び込み台がある。

        
(左)タロフォフォ川 (右)この川の上流で3ケ月前に横井庄一さんが発見、その新聞記事(日本中が驚いた日)

 イナラハンから北上するかたちで、しばらく走るとTALOFOFOの入江に着く。タロフォフォとは明日への道という意味だそうだ。このタロフォフォ川の上流で3ケ月前に横井庄一さんが発見されたそうだ。

 南太平洋の巨石文明の一つ「ラッテ・ストーン」
 ここから中央部アガナに戻って、最後に立寄ったのが「ラッテ・ストーン公園」。マリアナ諸島に残る石器時代の遺物。珊瑚岩から切出された1.5mほどの石造物で、イースター島やヤップに残る石造物と共に謎の史跡である。


 翌9日は、昨日通ったメリソの村からボートで5分のココス島へ。
 白砂の無人島「ココス島」から見たグァム本島

       
       無人のココス島に置いてけぼり、ランチは届けてくれるようだが・・・

 化粧品会社や水着のCM撮影によく使われる島だそうで、モーターボートで数分の沖合いの小島である。まばゆい白砂と熱帯の緑のコントラストが見事な島だが、「ランチはまた運ぶから」と、ここに二人で置き去りにされても・・・。まあ、無人島生活をしばし体感することに。

 夜はタヒチアンショーを見ながらのディナー

 
(左)帰国日 ホテルの正面玄関にて        (右)帰国日 ホテルのプールサイドにて

 
             グァム-東京便のジャンボジェット(東京経由で帰国)

 帰国日は、私の希望で東京経由に。ジャンボジェットが就航してまだ日が浅いが、伊丹には滑走路の問題で発着出来ないので、ジャンボに乗りたいがゆえの東京経由。

 グァムのお土産(首狩族の木彫り人形)

 やはり、熱帯は暑い!を実感した異文化体験の初旅であった。
コメント (1)
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