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旅行記、世相独言

天蓋付のダブルベッド -バーミンガム-(異文化体験23 会議準備の旅2) 

2012年06月30日 17時39分36秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

天蓋付のダブルベッド -バーミンガム-  1995.4.27~4.30

 コペンハーゲンからロンドンに飛び、現地事務所お薦めのランガム・ヒルトンに1泊。
 翌朝事務所のT君と商社某女史の3人でバーミンガムに列車で移動。7月に開催されるLNG-11(第11回国際天然ガス会議)の日本側VIPのホテル選定と現地下見が目的である。

 夏にLNG11が開催されるバーミンガムの街

 バーミンガムは、産業革命を迎える18世紀までに既に世界の工場として、宝飾、銃刀器類、バックル等の製造を行い、ジェームズ・ワットをはじめ英国屈指の発明家や技術者が活躍したところ。
 自動車の発明以降、バーミンガムには様々な乗物の部品工場が立地し、19世紀には商業都市としても発展、ビクトリア女王により市に昇格し、市長も務めたジョセフ・チェンバレンのもと「世界で最もよく統治された街」として知られるようになった。


 初日の今日は、事前に候補選定されたホテルを見て廻る。

 市内中心部に位置するスワローホテル(Swallow Hotel)は、ヨーロッパスタイルの格式ある最高級ホテルで、スィートルームはやや小ぶりな4つの部屋からなっている。

 
(左)市内最高級とされるスワロー・ホテル       (右)ホテル内の調度品・雰囲気

 次に訪れたのは少し郊外の田園地帯にある6haの敷地に建つ城館風のホテル。設備も最新式で、スィートルームの寝室は天蓋のついた大きなダブルベッドとチューダー調のインテリアに囲まれた、いかにも女性に喜ばれそうな部屋である。

 
(左)バーミンガム郊外の城館風ホテル      (右)スィートルームの天蓋付きダブルベッド

 次は、これも郊外のザ・ベルフリー・ホテル。14.5haの敷地を持つゴルフコース併設のホテルである。ゴルフ場は’85、’89、’93年にライダーカップが開催された名門会員制ゴルフ場で、ホテルの部屋はコースに隣接している。ダービー、チャンピオン・シップ・ブラバゾンの2コースがある。

 
(左)名門ゴルフ場「ザ・ベルフリー」併設のホテル      (右)ライダーカップのHPより抜粋

 最後は市内に戻りホリディ・イン他、いくつかの都市型ホテルを見て周る。我々事務局は、国際会議場隣接のオフィシャルホテル「ハイアット・リージェンシー」に会議登録・予約済である。

 LNG11オフィシャルホテルの「ハイアット・リジェンシー」


 さてさて、これらのホテルを4人の正・副会長にどのように割り当てるか。
問題は、誰にしようか? 天蓋付きのダブルベッド!

 熟慮の結果、単身参加のJGA会長にはヨーロピアンスタイルの市内のホテル「スワロー・ホテル」、3副会長のうち奥様連れは二人、私の出向元の大ボスには天蓋付きのダブルベッドのある城館ホテル、行動的な奥様のもう一人の副会長にはゴルフ場併設のホテル。もう一人の副会長は代理出席になる可能性もあるとのこと故、市内の酒場に近いホテルということで、各社に連絡。
 でも嫌がるかな!天蓋付のダブルベッド、大ボスは。


 ロンドンに戻る商社某女史と夕刻別れ、スワロー・ホテルに戻ると今宵は一般料金でスィートルームを開放してくれるという。広い広いスィートルームは、単身かつ貧乏性の小生には落ち着かない。全ての部屋で煙草を吸う位が関の山。

「スワローホテル」スィートルームの一部屋(四部屋ある)


 翌午前中に、会議場、展示会場を詳細視察。ついでに高齢VIPのために和食を提供するレストランを探す。しかし、これが困ったことにない! 唯一あるのが、東南アジア人が経営する何とも奇妙なジャパニーズレストラン。鉄板焼中心に麺類もあるが、似ても似つかぬ味と目をそらせたくなる浴衣美人? まあ、全くないよりはましか。

 お昼過ぎ、ロンドン・ヒースロー行きのバスでバーミンガムを後にする。
 7月にまた来るぜ、浴衣美人さん!


(永らくTreviewのブログ評価にご協力有難うございました。お蔭様で全体で128位、旅行・イベント部門8位、海外旅行部門2位の成績を残せました。この度、NTTコミュニケーションズ提供のTreviewサービスが終了されましたので、新たな順位・評価トラックバックを決めるまで、評価タグはなしとします。)
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展示委員会とニューハウンの打合せ -コペンハーゲン-(異文化体験23 会議準備の旅1)

2012年06月23日 15時18分08秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

展示委員会とニューハウンの打合せ -コペンハーゲン-  1995.4.25~4.27

 北欧デンマーク・コペンハーゲンの街

 成田からフランクフルト経由コペンハーゲンに到着したのは、夜の9時半頃。2007年コペンハーゲンで開催される「第20回世界ガス会議」の第1回展示委員会出席のため、指定ホテル「ネプチューン」にチェックインしたのは、夜10時半を過ぎた頃。

 会議事務局指定のホテル「ネプチューン」

 翌午前中から午後にかけて街を散策し、この日コペンハーゲン入りする米国ガス協会(AGA)副理事長のN.H氏からの連絡を待つ。夕食をとりながら次回「日米ガスサミット」の開催方針を打合わせる約束である。

 デンマークの人気スポット「ニューハウン」

 夕刻前、部屋に電話が入りニューハウンのレストランにしようと決定。ニューハウンはコペンハーゲン一美しいと言われるコンゲンス・ニュートー広場の先にあり、近年まで世界中の船乗りに良く知られた港で、陽気な居酒屋が軒を並べて夜遅くまで騒々しい街だったようだが、今は昔の面影を残しつつ遊歩道が整備されレストランが軒を連ねる観光スポットになっている。かのアンデルセンもここに居を構えたことがある。港町だけに魚料理が美味しい。

 
 ニューハウンに軒を並べるレストラン、海風と潮の匂いを味わいながら街路のテーブルで。

 「日米ガスサミット」は、日米都市ガス産業の首脳が2年に一度、ガス産業の経営課題を意見交換する場で、次回の開催方針を決定するタイミングになっている。
 世界的に企業のダウンサイジングが始まっている状況下だけに、双方の費用負担を少なくし簡素な会議にするため、来年以降両国の中間のハワイで開催する提案を日本から行った。日程案を相互に持ち寄り、いくつかの案が固まったので帰国後再確認の上決定することで会談は終了。後はH氏とプライベートな話で盛り上がった。H氏が会計はAGAで持つというのでご馳走様!


 
  デンマーク郊外の国際見本市会場兼国際会議場のベラ・センター(Bella Center)

 翌朝、ホテルでデンマークの事務局が出席者をチェックし、バスで空港方面のベラ・センター(国際見本市・会議場)に向かう。世界ガス連盟(IGU)R会長、M事務局長他、お馴染みの25名からなる展示委員会が始まる。開会式場や展示会場を見学の後、展示テーマや展示手続きについて現地事務局から説明があり、各国の概略必要面積を述べ意見交換を行う。

 
(左)北欧らしい展示会場と垢抜けした展示の仕方      (右)国際会議場

 小生から事務局長に10分程度時間を欲しいと事前要請し、会議が終盤に差し掛かった所で、先の阪神・淡路大震災時の各国支援・お見舞いのお礼を述べた。
 地震発生とともに私のJGA国際部には、大阪との通信が出来ないため、各国からの大阪ガス向けお見舞いや救援部隊の派遣FAXが連日届き、中には港に工作車と支援物資を積み込んだ船を待たせているとのFAXまで届く。国際交流が進み誠に有難いものである。
 被災状況の発表に全員固唾を飲んで聞き入っている。スピーチが終了すると、チェコのO女史から協会の記事にしたいとの申し出があった。

 展示委員会メンバーの記念撮影

 それぞれ帰国便が気になりだす頃、会議は首尾よく終了。小生はこれからロンドンに。


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GASEX'94 カリマンタン島のLNG基地 -バリ島-(異文化体験22 GASEX会議の旅3)

2012年06月16日 15時54分47秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

GASEX'94 カリマンタン島のLNG基地 -バリ島-  1994.11.05~11.13

 
(左)カリマンタン島・ボンタンLNG基地の位置    (右)基地見物は一番人気のオプショナルツアー

 早朝、ホテルを出発して「ングラライ国際空港」へ。会議後のオプショナルツアーはいくつか用意されたが、目玉はボンタンLNG基地見学である。飛行機の関係で人数が先着100名程度に制限されている。私の受付番号は000004。U事務局長が事前に用意しておいてくれたようだ。

 
               機窓から見た緑のジャングルの中のボンタンLNG基地

 カリマンタン島はインドネシア領、マレーシア領、ブルネイの3国が占有しているが、そのほとんどが熱帯雨林のジャングルである。その島の東カリマンタンにボンタンLNG(液化天然ガス)の基地がある。数十人乗りの2機の小型飛行機に分乗して、約1時間のフライトで熱帯の島に。一際緑が削り取られた河口にタンクやプラント類、フレアスタッグの炎、道路等が機窓から見える。

 
                      左右ともボンタンLNG基地の参考写真

 ボンタン基地のLNGは最初日本向けに出荷され、今やアジアの重要な供給源である。天然ガスは今日世界にメジャーなエネルギーとなっているが、その市場は欧州市場、米国市場、アジア市場と3極市場に分かれている。
 欧州市場はパイプラインによりロシアや北海、アフリカから大陸に供給され、一部LNGの形態もある。
 米国市場は同じくパイプラインによりアラスカを含むカナダ-米国間で供給され、一部LNGの形態もある。
 一方、アジアでは日本がアラスカから初のLNGを導入して以来、ブルネイ、マレーシア、インドネシア、オーストラリア等々の非中東諸国から輸入しており、韓国、台湾も追随している。

    
                      左右ともボンタンLNG基地の参考写真
                     

 天然ガスは欧州圏、北米圏、アジア圏で夫々供給源と取引形態が異なるため、欧米中心の国際エネルギー会議ではLNG中心のアジア圏は、彼らの関心が薄いと言わざるを得ない。そういう意味で西太平洋諸国の産ガス国、消費国が一堂に会するGASEX会議の意義は大きい。

 しかし、最近になって台頭しつつある巨大市場中国によるロシア、中央アジアのガスの導入検討や、最大の埋蔵量を誇る中東のガスを日本が輸入するに至り、一気に欧州とアジアの関係が密接化しつつある。

LNG生産会社のM部長(昼食時日本で覚えたカラオケ披露)

 ボンタン基地では、週に数便の飛行機が唯一の交通手段だけに、従業員とその家族のための数々の施設が整い、ゴルフ場まである。PT.BADAKのM部長が見学者の案内と昼食時にカラオケ披露(しかも日本の歌)までして歓待してくれた。彼とはIGU(国際ガス連盟)の横浜で開催された委員会以来の再会で、その時彼が覚えた歌である。

 ホテル横に広がるBali Golf and Country Club 

 翌11日は、今回の会議をサポートしてくれたスタッフへのお礼を兼ねて、ホテルの横に広がるBali Golf and Country Club(直前の11月3-6日にトーナメントがありグレッグ・ノーマンが優勝したとか)でゴルフを楽しむ。トーナメント直後でラフが深いためラフに入ったら田草を捻ってその上にボールを置けば良いとの指導も。お年寄り達は山の上にある少し涼しい廣済堂のゴルフ場に行ったらしい。

 
11月3-6日に開催されたAlfred Dunhill Masters(ノーマン、ファルド、モンゴメリー、ビジェイシン等の名が)

 神々の島での会議も盛大に成功裏に終わり、帰りはジャカルタ経由で成田へ。しかし、機内は満席。通常エコノミー席チケットを購入し、グローバルクラブ会員の小生は日本で座席を指定したにもかかわらず3人席の真中になり、格安チケットと同等以下の扱いにJAL運行代行の係員にクレームをつけるもSorryの連発。

 帰国後早速JALからお詫びがあったが、次回に何かサービスを期待! 無駄かな?


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GASEX'94 さすが国営企業 -バリ島-(異文化体験22 GASEXの旅2)

2012年06月10日 15時29分13秒 | 異文化体験_アジア
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GASEX'94 さすが国営企業 -バリ島-  1994.11.05~11.13

 GASEX'94 開会式

 7日~11日の5日間、New Gas Horizons In The Western Pacific RegionをテーマにGASEX’94の開幕である。コンベンションセンターの開会式には西太平洋諸国の各国首脳が集い、国営企業プルタミナの総裁挨拶、ガムランの楽団と歓迎の意を表する民族衣装に身を包んだ華やかなバリダンス等で開幕した。会議場では3日間、基調講演や各国のカントリー・レポート、技術講演等が行われる。


 GASEX会議の執行委員会 次回開催国マレーシアを決定

 8日は会議の合間をぬって、執行委員会が行われ、「次回開催国」が最大の議題である。日本、豪州がリーダーシップを持って運営しているが、途上国が多く、台湾が先に加盟しているため中国がオブザーバー参加という状態。中国を正式加盟させるのも委員会の重要な役割である。次回開催国は、隣国マレーシアが手を挙げ決定。


 
(左)ヌサインダー・リゾートホテルの客室棟         (右)客室に囲まれた中庭のプール

 ヌサインダー・リゾートホテルは、5階まで吹抜けの巨大ロビーは空調が効き、コの字型の建物客室に囲まれた中庭にプールがある。中の島や、人工洞窟の中にプールバーがあり、色とりどりの大胆な水着姿の女性を目にすることが出来る。会議の合間や夕刻のレセプション前に一泳ぎして、リラックスすることが出来る。


 GASEX'94 閉会式

 9日はフェアウェル・パーティがプタミナコテージで開催された。会議出席者が乗り込んだ何台もの観光バスは何と白バイの先導でノンストップでコテージを目指す。コテージの手前2km位から道路の両側にGASEXの旗が靡き民族衣装の女性達が数十m置きに手を振って出迎える。さすが国営企業はやることが違う!と感心。

 
クタビーチのプルタミナ・コテージでのフェアウェル・パーティ(民族衣装の女性達、GASEX染抜きの旗手)

 会場に着くと白にGASEXを染め抜いた旗手達の列、バリ島中の踊り子を集めたのではないかと思われる程、沢山の踊り子が様々な衣装で我々を出迎える。広大な庭には舞台を取り囲むように何十もの大テーブル席が用意され、ブッフェディナーが用意されている。

 
              クタビーチのプルタミナ・コテージでのフェアウェル・パーティの様子

 舞台では主催者挨拶、歓迎のペンデットの舞に続き、バロンダンスや様々な踊りが披露される。小生も前回来島時に購入したバティックの正装で出席している。およそ、2時間半ほどでパーティは終わり、今回の会議の開催国最高責任者U事務局長夫妻に大成功を祝う言葉をかけ会場を去る。彼も日本の我々のサポートに対し感謝の意を伝えると共に、正直ほっとしていると本音をのぞかせる。

 
(左)開催国事務局最高責任者のU事務局長夫妻と   (右)出向元会社トップの通訳として同行のF女史と


 帰路も同様に見送りの列。今度は道路の両サイドに松明が焚かれている。心憎いまでの演出であり、彼等のホスピタリティに感動する。テレマカシ!

               
(左)今回の会議のお土産(ガルーダの彫り物)   (右)昨年のIGU理事会の時のお土産

 明日は待望のカリマンタン島ジャングルのLNG基地見学。スラマッ・ティドゥール!




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GASEX’94 女性は強し! -バリ島-(異文化体験22 GASEXの旅1)

2012年06月03日 11時52分26秒 | 異文化体験_アジア
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GASEX’94 女性は強し! -バリ島- 1994.11.05~13

 成田からシンガポール経由デンパサール空港へ。同行者がガルーダ・インドネシア航空を嫌がりJAL、シンガポール航空と乗り継いでのバリ島入りである。
 今回の旅は西太平洋諸国のガス関係者が一堂に会する国際会議の旅。過去、豪州、日本で開催され第3回目を迎える3年に一度の会議なのだが、会議名称を「GASEX」という。
 「GA-SEX」ではなく、「GAS-EX」、つまりGASに関する情報のEXCHANGE(交換)という意味。会議はシェラトン・ヌサインダー・リゾートに隣接するバリ・コンベンション・センターで開催される。

 
           GASEX会議の会場「Bali International Convention Center」

 到着後、早速コンベンションセンターを覗くと、インドネシアの会議事務局長以下スタッフが準備に追われている。国際会議の運営に不慣れな彼らは、日本ガス協会(JGA)の私のオフィスに事前に訪ねて来て、運営の仕方を伝授したのだが、早速助言を求めてくる。あるセッションの議長を私にやって欲しいと突然言い出し、別の人間を推薦するも、いや、お前のほうが良いと引き下がらない。私の立場は業界のNO.4、海外ではVIPのようである。開会式の手順がまだ決まらないらしい。事務局に助言をして明日聞くことに。 


 Bali島の地図

 
(左)キンタマーニのバトゥール山と湖の雄大な眺め  (右)民族衣装を纏ったパイナップルジュースを売る少女達
 
 翌日は、同行の上司など3人で島巡り。ほぼ1年前に来た時とほぼ同様のコースをチャーターしたマイクロバスで巡る。キンタマーニでバトゥール山とバトゥール湖の雄大な眺めを楽しみながら昼食。ガムランの調べが旅情を掻き立てる。
 バスの発着の度に小さな男の子達がTシャツや絵葉書、木彫りの像を持って1000円!1000円!と乗降客に群がる。何でも1000円であるが、この1000円は買って頂戴!という意味で、1000円に意味があるわけではない。女の子達は民族衣装を身に纏いパイナップルジュースを売り歩いている。

 
                ウブドの巨大な顔を持つ古代遺跡「ゴア・ガジャ」

        
                バリ・ダンスを鑑賞できるレストランでスタッフと夕食

 タンパクシリンの聖なる泉の湧く寺院ティルタ・エンプルから、ウブドの巨大な顔を持つ古代遺跡ゴア・ガジャを訪ねる一般的な観光を終え、夕刻ホテルに戻る。先行してバリ島入りしているわがチーム・スタッフ達と郊外のショーの見れるレストランで夕食をとる。


 ホテルに戻るとまだ明日の開会式の手順が届いていない。会議場の事務局を訪ねるとやっと決まったようで、それをJGAの正・副会長に伝えなければならない。実はこれが大変! リゾートホテルは広大なのだ。

 昨年来た時に宿泊した「グランド・ハイアット」

 会長の宿舎は、グランドハイアット。秘書とはすぐに連絡がとれ、要領を伝える。

 「シェラトン・ラグーン・ヌサ・ドゥア・ビーチ」

 次にA副会長(実は私の出向元のトップ)の宿舎は、シェラトン・ラグーン・ヌサ・ドゥア・ビーチ。秘書に電話すれども出ない。仕方なくA副会長の部屋に電話すると「ほな、すぐ来てくれるか」の返事。直線距離で約1.5km。外を周ると距離が余計かかるので砂浜伝いに「はあ!はあ!」言いながら部屋に辿り着く。呼び鈴を押せども応答なし。最初は1分間隔で鳴らすが、そのうち腹が立って10秒間隔で鳴らす。待つこと7~8分してやっとドアが開く。「すまん、すまん、風呂に入ってた。」 それなら直になどと言わないで! 部屋に入って説明していると、ご夫人、秘書等の一行がお戻り。「ゆっくりして行ったら」と言ってくれるが、「次があるので」と早々に退散。

 我々の宿舎でもある「シェラトン・ヌサインダーホテル」 

 今度はB副会長の所へ。宿舎は我々のシェラトン・ヌサインダーホテル。でも秘書もB副会長も捕まらない。朝からトローリングに出て、釣った魚で同社の出席者で船盛宴会とか。しばし待って戻ってきたB副会長はぐったりお疲れの様子、でもご夫人はこれからホテルでもう少し飲もうかという元気の良さ。秘書に要領を伝え、小生と部下のMgrはやれやれ!。

 やっと、開放されて11時頃部屋に戻る。いずこも女子は強し!である。

 
(左)シェラトン・ヌサインダーホテルの玄関            (右)ホテルの施設見取り図


 
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