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ロマンティック街道の中世都市(2) -ローテンブルブ- 2002.08.04
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/3c/bb1a9d844f4e6632e105ba049f123cc0.jpg)
(左)ローテンブルグ市の市章 (右)ローテンブルグ・オブ・デル・タウバー地図
ハイデルベルグからローテンブルグまでは185kmのドライブ。人口1.2万人のローテンブルグは、入り組んだ路地や小さな公園、それらを取り巻く木組み住宅といった中世さながらのよく保存された旧市街で知られ、ドイツで最も完璧な中世都市の姿を今日に伝えている。
ここローテンブルグは「中世の宝石」とも呼ばれ、正真正銘のロマンティック街道の街である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/96/44729b6881e887a49b11de7521de286f.jpg)
同じ場所の (左)1900年当時の風景 (右)現在の風景
ローテンブルク・オプ・デア・タウバー (Rothenburg ob der Tauber) は、バイエルン州ミッテルフランケンのアンスバッハ郡にある大規模郡都市である。
その起源は、970年頃にライニガーという貴族によって創設されたデトヴァンクの小教区だそうな。
彼がタウバー川を望む丘の上 (oberhalb der Tauber)に城を建てたことが、現在の地名である "ob der Tauber " の由来だとか。
(左)城門から見た城壁に囲まれたローテンブルグの家並み (右)1900年頃のローテンブルグの家並み(参考)
ここで、少しローテンブルグの歴史を垣間見てみよう。
12世紀には、1137年ドイツ皇帝ホーエン・シュタウフェンが即位(在位1138-52)し、1142年にローテンブルグに帝国の城を築き、ここに宮廷を置いた。
しかし、この宮殿で政務を執った皇帝は彼のみで、その後フリードリッヒ赤ひげ大王によって都市に昇格。市場や城壁が築かれ、タウバー川沿いの城壁はこの頃のものである。
13世紀になると、領主ホーエン・シュタウフェン家が断絶し、1274年ローテンブルグはハプスブルク家のルドルフⅠ世から帝国都市の特権を与えられ、自由都市となる。これにより商業都市として栄え、第2の城壁が築かれた。
十字軍遠征に伴いローテンブルグには聖遺物として聖血が置かれ、中世のローテンブルグは第1級の巡礼地であったとか。市壁内5500人、周辺領地内14000人が居住。
街を取り囲む城壁
14世紀になると、第3城壁も築かれ、1350年には皇帝から徴税権と関税権が認められ、ローテンブルグは帝国自由都市とみなされるようになる。
14世紀に建てられた高さ52mの鐘楼と市庁舎が並ぶマルクト広場を中心に、街は大いに発展を極めた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/42/00cd98c830794ab00f3010d7e443f29c.jpg)
(左)街の中心 マルクト広場と市庁舎 (中)市参事会酒宴館のマイスタートランクのからくり時計 (右)からくり時計のアップ
今日は夏休みの日曜日とあって、城壁に囲まれたこの街は観光客でごったがえしている。
歴史的な市庁舎に面したマルクト広場には、大勢の人が市参事会酒宴館のマイスタートランクのからくり時計が時を告げるのを今や遅しと待っている。
また人々は様々なお店や昔変わらぬ中世の街並み(プレーンライン)をそぞろ歩きしながら、まるで街全体が一種のテーマパークとなっているこの街を楽しんでいる。
暑さに堪えかねて街角の噴水で水浴びする鳩たち
そんな中で暑さに堪えかねた鳩が街角の噴水で水浴びをしていた。
ロマンティック街道の中世都市(2) -ローテンブルブ- 2002.08.04
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(左)ローテンブルグ市の市章 (右)ローテンブルグ・オブ・デル・タウバー地図
ハイデルベルグからローテンブルグまでは185kmのドライブ。人口1.2万人のローテンブルグは、入り組んだ路地や小さな公園、それらを取り巻く木組み住宅といった中世さながらのよく保存された旧市街で知られ、ドイツで最も完璧な中世都市の姿を今日に伝えている。
ここローテンブルグは「中世の宝石」とも呼ばれ、正真正銘のロマンティック街道の街である。
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同じ場所の (左)1900年当時の風景 (右)現在の風景
ローテンブルク・オプ・デア・タウバー (Rothenburg ob der Tauber) は、バイエルン州ミッテルフランケンのアンスバッハ郡にある大規模郡都市である。
その起源は、970年頃にライニガーという貴族によって創設されたデトヴァンクの小教区だそうな。
彼がタウバー川を望む丘の上 (oberhalb der Tauber)に城を建てたことが、現在の地名である "ob der Tauber " の由来だとか。
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(左)城門から見た城壁に囲まれたローテンブルグの家並み (右)1900年頃のローテンブルグの家並み(参考)
ここで、少しローテンブルグの歴史を垣間見てみよう。
12世紀には、1137年ドイツ皇帝ホーエン・シュタウフェンが即位(在位1138-52)し、1142年にローテンブルグに帝国の城を築き、ここに宮廷を置いた。
しかし、この宮殿で政務を執った皇帝は彼のみで、その後フリードリッヒ赤ひげ大王によって都市に昇格。市場や城壁が築かれ、タウバー川沿いの城壁はこの頃のものである。
13世紀になると、領主ホーエン・シュタウフェン家が断絶し、1274年ローテンブルグはハプスブルク家のルドルフⅠ世から帝国都市の特権を与えられ、自由都市となる。これにより商業都市として栄え、第2の城壁が築かれた。
十字軍遠征に伴いローテンブルグには聖遺物として聖血が置かれ、中世のローテンブルグは第1級の巡礼地であったとか。市壁内5500人、周辺領地内14000人が居住。
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14世紀になると、第3城壁も築かれ、1350年には皇帝から徴税権と関税権が認められ、ローテンブルグは帝国自由都市とみなされるようになる。
14世紀に建てられた高さ52mの鐘楼と市庁舎が並ぶマルクト広場を中心に、街は大いに発展を極めた。
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(左)街の中心 マルクト広場と市庁舎 (中)市参事会酒宴館のマイスタートランクのからくり時計 (右)からくり時計のアップ
今日は夏休みの日曜日とあって、城壁に囲まれたこの街は観光客でごったがえしている。
歴史的な市庁舎に面したマルクト広場には、大勢の人が市参事会酒宴館のマイスタートランクのからくり時計が時を告げるのを今や遅しと待っている。
また人々は様々なお店や昔変わらぬ中世の街並み(プレーンライン)をそぞろ歩きしながら、まるで街全体が一種のテーマパークとなっているこの街を楽しんでいる。
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そんな中で暑さに堪えかねた鳩が街角の噴水で水浴びをしていた。
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