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旅行記、世相独言

ペーパームーン - ミラノ ― (異文化体験28 イタリア満喫の旅2)

2013年01月24日 16時31分21秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

ペーパームーン - ミラノ ― 1996.04.26~04.29

 プリンシペ・ディ・サヴォイアホテル。昔、私の数部屋先にモナコ皇太子も宿泊。

 午前11時45分成田発JL419便はミラノへの直行便、夕刻マルペンサ空港に到着する。今までEU圏からミラノ入りしていた小生はリナーテ空港しか知らない。リムジンバスでミラノ中央駅まで行き、三日後(29日)のヴェネチア行き列車の指定券を購入してからタクシーでホテル「プリンシペ・ディ・サヴォイア」に向かう。久々のホテルスタッフとの再会である。夕食は歩いて懐かしの「遠藤」へ。女房殿は何でミラノまで来て日本食?と不満である。

    
(左)ミラノ初の夕食は「遠藤」。世界ガス会議時、随分通ったお店。 (右)市内見物前のホテル・テラスにて

 
 27日は朝から生憎の小雨模様。今日はゆっくり市内観光する予定で、まずは「最後の晩餐」鑑賞に。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会までホテルがベンツで送ってくれる。

        
(左)サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会 (右)「最後の晩餐」(Bonechi Edizioni IL TURISMOより)

 キリストの「汝らの一人、我を売らん」という瞬間を描いた名画は戦禍を免れ修道院の食堂から見つかったが、長年修復中であり小生は2度目の再会である。


         
  (左)スフォルツェスコ城                  (右)お城の中

 教会を出る頃には小雨も上がり、スフォルツェスコ城に向かう。欧州の各都市は、その観光スポットが旧市街地にあり徒歩で観光出来る点が良い。15世紀のお城で現在は博物館、美術館として使われている。城の裏手はセンピオーネという大きな公園で沢山の市民の憩いの場所となっている。


          
(左)ドゥオーモ広場 (右)ミラノ・ドゥオーモ(いずれも「ミラノとその地方ロンバルディア」政府観光局より)

 ドゥオーモを背景に。

 お城の前のカイロリ広場に面したカフェテラスでコーヒーブレークした後、ダンテ通りを進むとドゥオーモの姿が目に入ってくる。初めて見る人間にとってこの尖塔135本を有する巨大なゴシック建築は強烈なインパクトを与える。


    
(左)現地人お薦めのピッツァなら「Paper Moon」    (右)ペーパームーン店内

 ドゥオーモ見物を終えた頃になると、お腹が空いてくる。ミラノの現地人からお惣菜ならペックで、ピッツァならここ!と教えられたところがある。モンテ・ナポレオーネ通りの裏通りでバグッタ通りにある「ペーパームーン」というお店。

     
(左)紙のように薄いがもちもち感十分のピッツァ(参考写真)  (右)アサリのスパゲッティ

 紙のように薄い生地でしかももっちり感があり、未だに夫婦揃って忘れ難いピッツァである。ちなみにPizza raggio di sole(トマト、モッツアレッラ、卵、ハムのピッツァ)とSpaghetti alle vongoli veraci(アサリのスパゲッテイ)が昼食メニュー。


 昼食後は、ミラノに来ればやはりショッピング。この界隈には多くの女性が目を輝かせる高級ブティックが目白押しである。しかし、幸運にも?うちの奥様はあまりブランド商品にはご興味がないらしく、ドゥオーモ横の「リナシェンテ」というデパートに向かう。

 リナシェンテ最上階のコーヒーパーラー(後ろはドゥオーモ)

 欧州の春は6月。日本で言えば4月に相当する。デパート内には数々の春物ファッションが展示されている。1時間半ほど洋服のお買物にお付き合いし終わった頃には足が棒のようになっている。屋上のカフェテリアでドゥオーモを背景に休憩し、よほどお昼のピッツァがお気に召したのか、ホテルに戻ってまた夕食に出るのがしんどいので、美味しそうなピッツァをテイクアウトして帰ろうと女房殿の提案。

 安上がりでいいけど、でも確かにホテルに戻ってまた夕食に出るのも億劫。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアからスカラ座広場に出て、タクシーでホテルに戻る。

        
(左)スカラ座広場にて(温々のピッツアを持って)   (右)ホテルの部屋で早速ファッションショー

 ホテルに戻ると、早速リナシェンテで買った春物ファッションショー。夕食の後は、最上階のプールで一泳ぎ、今日一日歩き回った足の凝りをジャグジーでほぐす。
 明日は、天気も回復したので湖水地方コモ湖にでも行くか!

    
    夜、ホテル最上階の屋内プールでリフレッシュ、明日はコモ湖に行こう!

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セミスィートの旅 - イタリア - (異文化体験28 イタリア満喫の旅1)

2013年01月16日 12時18分35秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

セミスィートの旅 - イタリア - 1996.04.26~05.07

 マイレージが沢山貯まった。エコノミーなら欧州往復2人分でも余りある。それなら業務出張で一番印象深く、かつ親しみを持ったイタリアへ大阪で常に留守番役をしていた女房を連れて行ってやろうと計画する。

 ミラノの宿 Principe di Savoia (プリンシペ・デイ・サヴォイア)

 単身赴任の出向期限が6月末までなので、ゴールデンウィークの間しか時間がとれない。有楽町のJALプラザに赴き、計画作りの相談に乗ってもらう。
 マイレージチケットは、連休の間(4月27日~5月5日)は使えないとのことで、4月26日の日本出発、5月6日の現地発、計12日間の旅で計画する。

 ベネツィアの宿 Europe&Rezina(ヨーロッパ&レジーナ)

 私が初めて海外旅行したのは1972年のグァム旅行、初の業務出張は1981年の欧州。この時の同行者がビデオカメラ(と言ってまだ小型化されておらず肩に担ぐ大きなカメラ)を持参しその記録を見せてもらって以来、2回目の出張から新発売の小型ビデオ持参の旅となった。当時海外ではまだまだ珍しいものであった。
 しかし、ビデオ持参の旅は肉眼での観察がおろそかになるという欠点もある。

 今回はそのビデオカメラを持たず、スケッチブック持参でゆっくりと旅行しようと思う。基本的に各都市3泊とし、ミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ローマを基点に観光することにした。移動は電車とバスを利用する。

 フィレンツェの宿 Grand(グランド)

 飛行機代が不要な分、宿泊を少し豪華にしようと考え、仕事で付き合いのあった各ホテルにファックスを入れる。
 「**日にプライベートで女房とそちらに行くので、3泊分の部屋を確保して欲しい。ただし、個人旅行なので配慮頂ければ有難い」。
 すると先方から「お前が奥さん連れて来るのなら大歓迎。スィートルームを半額で提供する」との返事。
 冗談ではない、ミラノで一、二を争うホテルのスィートルームとなれば国賓も泊まる**十万円の部屋。しかも、ほとんど稼動せず空いている部屋ではないか。
 その後、具体的な要望を示しながら、結局3万円程度でセミスィートルームを提供してくれることになった。

 ローマの宿 Excelsior(エクセルシオール)

 ちなみに、今回の旅で使ったホテルは、
○ミラノは、Principe di Savoia(プリンシペ・ディ・サヴォイア)
○ヴェネチアは、Europe&Rezina(ヨーロッパ&レジーナ)
○フィレンツェは、Grand    (グランド・フィレンツェ)
○ローマは、Excelsior     (エクセルシオール)
 ヴェネチアのみ1泊、他は3泊。

 私は内外の宿泊したホテルのレターセットを収集している。経営が変わったりして名前が変わってしまった名門ホテルもあるが、今回宿泊したホテルから代表してミラノとローマのホテルのレターセットを紹介する。どちらも金文字の入った上質紙である。

       
  ミラノ Principe di Savoia(プリンシペ・デイ・サヴォイア)ホテルのレターセット

        
  ローマ Excelsior(エクセルシオール)ホテルのレターセット


 各ホテルとも、支配人からのメッセージと花やフルーツ・バスケットが部屋に届けられ、女房にとっては忘れられない旅になったようだ。

 次回から、ミラノを皮切りにイタリアの旅ログがスタートします。

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嘘のような本当の話、耳から何が・・-台北-(異文化体験27 日韓台ラウンドテーブルの旅2)

2013年01月07日 17時08分26秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

嘘のような本当の話、耳から何が・・-台北― 1995.11.16~11.19

台北 大台北区ガス本社ビル

 日韓台ラウンドテーブル2日目の朝は、大台北区ガスの施設見学。昼食後は楽しみにしている国立故宮博物院が待っている。

       
(左)故宮博物院文物参観券 50元          (右)故宮の精華50選(ガイドブック)

 1924年清朝最期の皇帝溥儀が皇宮を後にし、翌1925年国慶節(10月10日)に清朝宮殿跡は国立故宮博物院(北京)として開放された。しかし、1931年日本軍が中国東北地方に侵攻すると政府は故宮の歴代の優れた文物精華を南方に移し、抗日戦に勝利すると文物は南京に運び込まれた。しかし、今度は共産党の反乱で1948年末選び抜かれた4000箱近くの重要な文物が台湾に移送され、しばらく台中に保管された後、1965年現在の地に移され、実に32年間に渡る放浪の旅を終えたことになる。

 歴代王朝に伝わる文物を持つ者こそ中国正当政府との主張も

 故宮博物院 

 収蔵品は、新石器時代の圭や壁と呼ばれる玉器、秦時代以前の銘文を持つ青銅器、唐代から清代にいたる名家の書画、宋版の善本図書、清代末期の公文書、歴代官窯の陶磁器や珍玩等々、中国歴代皇帝が収集し、受け継がれてきた質量ともに世界有数のコレクションである。

 「翠玉白菜」白菜は純白無垢、螽斯は多産の象徴

 そんな中でも一際気に入ったのが清の時代の「翠玉白菜」。「量材就質(材料に応じて物を創り出す)」の設計原理で見事な翠と白の玉を白菜に造形し、かつ葉の先端に2匹のキリギリスかイナゴをとどめた一品である。


  小籠包の「鼎泰豊」 店の表には常に行列が

 夕食は台湾ガス協会お薦めのいつも行列の出来る小籠包の店「鼎泰豊(テインタイフォン)」で超人気の小籠包を堪能する。協会の顔で待ち時間なく入れてもらえたのはラッキー。店の前は待つ人で溢れている。

  「Windsor Bur Barber Shop」

 その後、3人で「美容院」に行くことにした。いわゆるマッサージ屋である。今も「もう一つ別種の美容院」があるようだが、治安が悪くなっていろんな被害が出ているらしく、協会が止めておいた方が良いと言う。

 台湾式マッサージは、足踏み式マッサージである。一応フルコースをお願いすることにした。約1万円のコースである。3人部屋に通されて、マッサージ着を着用しそれぞれベッドに横たわる。一通り足踏みマッサージを受け、次のオイルマッサージでは蒸したタオルを何枚も顔や身体にのせ、その間に爪切り専門の女性がネイルケアをしてくれる。

       
 (左)台湾式足踏みマッサージ           (右)本格的な耳掃除   (左・右 いずれも参考写真)

 更に次は耳掃除専門の女性。隣のベッドのT君が、何やら悩ましい声を発している。特別のマッサージでも受けているのかと思うような悩ましげな声である。タオルが邪魔をして想像の世界でその声を耳にしているのだが、「ああ!」とか「う~ん」とか、どうなっているの?と大いに気にかかる。
 そうこうする内に耳掃除専門の女性の「キャー!」という喚声が部屋中に響き渡る。すかさずT君が「あ~あ、気持ち好い!!!」。
 と同時に、マッサージのお姐さん達や耳掃除のお姐さん達の「きゃっきゃ」言った感嘆の声が聞こえる。

 蒸しタオルが取られて何事ぞ!と横を見ると、何と何と、パチンコ球を少し小さめにした見事な「耳糞」がそこにあるではないか。よくもまあ、こんな耳糞を耳穴にためて、それでよく聞こえたものだと感心すること、しきり。
 耳掃除のお姐さん達も長い職歴の中でこんなのは初めての出来事とか。「記念に持って帰る?」の問いにさすがのT君もノーサンキュウ。

 ひょっとしたら、この店の、いや故宮博物院のお宝コレクションの一つになっているかも。
 3泊4日の短い台北の旅の最大のトピックスでもある。

台北の名寺「龍山寺」1737年建立 夜遅くは近寄らない方が

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