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旅行記、世相独言

前夜祭は「スカラ座」でガラ・コンサート -ミラノ-(異文化体験18 世界ガス会議の旅2)

2011年10月26日 22時11分30秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

前夜祭は「スカラ座」でガラ・コンサート -ミラノ-  1994.6.15~6.26

 ガラ・コンサート会場のライトアップされた「スカラ座」

 19日はいよいよ前夜祭。会議登録をフィエラ・ミラノで済ませる。登録費は既に日本から振り込まれているが一人何と10数万円! 何せ1週間足らずで20億円近くを使い果たす豪華会議である。
 展示場の設営も最終段階に入り、設営責任者のI女史がGパン姿で差配している。日本庭園と大きな赤い和傘で野点を演出した200m2のブースは一際目につくブースである。周囲にはガス・ド・フランス(仏)、ブリティッシュ・ガス(英)、ガス・プロム(露)等の巨大ブースも設営されている。 ほとんどの参加者が18日にミラノ入りしており、市内のホテルはどことも超満員のようだ。

 この中の数名がJGAレセプションでのピック・アップメンバー

 明日の開会式を前に、IGU(世界ガス連盟)理事会が37ケ国100名の参加で開催された。小生もJGA事務局として出席する。現会長イタリアのM氏は名誉会長に、次期会長はデンマークのR氏、副会長にはフランスのM氏、事務局長にはオランダのM氏がそれぞれ選出され、次回1997年のデンマーク世界ガス会議の体制が決定された。2003年には日本での開催が決定している。

 入場チケット(指定座席へは僧衣姿の案内人が)

 夕刻、afternoon18時とevening21時15分の2回、ミラノ・スカラ座を借り切ったガラ・コンサートが開演される。会議登録申込者のうち先着2000名程度しか招待されないため、事前登録申込は結構多かったようだ。

 今宵だけの特別プログラム

 スカラ座のオペラは毎年ミラノの守護聖人、聖アンブロージョの祝日にあたる12月7日に初日を迎え、5月末日まで様々なプログラムが上演される。そういう意味では今はオフシーズン。今宵の演目はROSSINIのSinfonia他、PUCCINI、CILEA、MASCAGNI、VERDIの歌曲7曲がソプラノLUCIA MAZZARIA、テノールVINCENZO LA SCOLAによって演じられる。指揮はMAURIZIO BENINI。

内部座席配置

 開演前のスカラ座広場には会議関係者が多数集まり、ほとんどが夫婦連れの正装での参加である。
 1778年にサンタマリア・デッラ・スカラ教会の跡地に造られ、第2次世界大戦で焼失、1946年に再建されたスカラ座の内部は、アリーナを取り囲む桟敷席が6層もあり、縦方向に大きな空間を作り出し、重厚な感じを醸し出している。アリーナは中央通路を挟んで左右に夫々15席づつ配置されている。桟敷席の下をくぐってアリーナに行くので、神父さんのような衣装を纏った案内係が懐中電灯で足元を照らしながら案内してくれる。

 開演前のひと時

内部参考

 およそ1時間程のコンサートは、あっという間に終演を迎え、名残を惜しみつつ劇場の外に出る。6月の19時半はまだまだ明るく、そんな中にスイスのC夫妻を発見する。IGU事務局長補佐を務める彼女は気さくな人柄で面倒見も良く、有能な補佐職である。お互い良かったねえ!と言いつつ、彼女達はこれからIGU会長主催の晩餐会に出かけるのだ。

 IGU事務局長補佐のCさんと

 小生も「おたふく風邪」の邪魔が入らなければ、ミラノ大学で21時15分から開催される会長主催の晩餐会に招待状を持って出かける予定だったのだが。

その「おたふく風邪」の話は、次回に。


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いよいよ本番 準備で大忙し -ミラノ-(異文化体験18 世界ガス会議の旅1)

2011年10月20日 15時01分25秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

いよいよ本番 準備で大忙し -ミラノ-  1994.6.15~6.26

  第19回世界ガス会議ミラノ大会のポスター

 第19回世界ガス会議ミラノ大会(19th World Gas Conference)は20日から23日までフィエラ・ミラノ(ミラノの巨大見本市会場)で開催される。3年に一度開催されるエネルギー業界では最大級の国際会議である。ヨーロッパでは6月から春到来、本格旅行シーズン。主要なイベントも6月に集中する。

 
ミラノ市街地図(右上方:ホテル、中央やや下:ドゥモ広場、左上:フィエラミラノ)

 4月の準備出張で大方の手配は済んでいるので、直前の詳細な詰めを行うため15日にアムステルダム経由ミラノ入りした。何せ相手はケセラ・セラのイタリア人である。


展示会場&5000人収容の会議場&ガラ・ディナー会場の巨大なフィエラ・ミラノ入口

 16日、前回同様M君と、小生が日本展示委員を務める展示会の準備状況を確認するためフィエラ・ミラノを訪れる。純和風のJGAブースの設営はC社のI女史に託している。5000人規模の開会式が開催される会場では日本のパイオニア製の大きなモニターをいくつも組み合わせた巨大スクリーンを設営中である。

 すっかり馴染み客になったプリンシペ・ディ・サヴォイアホテル

 午後、アローラおばさんこと、Tさんと準備の下打合せを行い、21日開催のレセプションの司会を務める留学中の女性を面接、司会進行の打合せを行う。プリンシペ・ディ・サヴォイアホテルの1室を事務局用に借りて、夕刻から日本から持ち込んだ数台のパソコン、プリンターの設営を行ない、レセプションの演目カードを早速作成する。

 
(左)第1陣の応援部隊(後はドゥモ)        (右)ホテルの部屋を日本事務局室に

 17日、JGA並びに日本の都市ガス各社からの応援部隊が加わり、事前に決めていた夫々の役割を確認し、準備作業が本格化する。
●展示会場の設営と説明係は、日本から送った展示品の確認作業。
● レセプションの各ホテル巡回バスの運行係と10数台のベンツ等のハイヤーリムジ ン管理係は例のアラブ人の髭のファビオとの打合せ。
●招待状管理とお土産を渡す受付係は、出席返事をよこした各国参加者リストのVIP別 アテンド要員の決定。
●スカラ座ピックアップメンバーと日本のオペラ留学生によるコンサート運営係はプロ グラムの最終決定。
●それぞれの係に運営の手筈を伝えると共に、自らはホテルの宴会マネジャーS氏と  レセプション会場の設営・運営、料理内容等について入念な打合せを行う。

 夜は多くのスタッフが遅くまで事務局室で各種資料の準備にパソコンとにらめっこ。夕食は交代でミラノ中央駅側に5分ほど歩いた所にある和風レストラン「遠藤」で丼物を掻き込む。すっかり馴染み客になった。

 
(左)ミラノ中央駅の共和国広場近くの「遠藤」    (右)ファビオもすっかり和食党に

 18日、JGA会長も姿を見せ、基調講演を行う開会式場を下見に訪れる。展示会場も徐々に全貌を見せ始め、各国ブースの趣向が明らかになる。展示会場の開会式次第も決定され、各国ブース責任者に連絡される。JGAブースでは開会式直後のVIP巡視を焼き鳥と日本酒でもてなす事にした。
 ブース接客係の2人の日本人女性も到着し、和服姿で打合せ。ホテル側とはレセプション時のVIP用に宴会場近くの部屋を確保し、カナッペとお酒の用意の打合せ。
 夕刻は、ミラノの高級日本料理屋「赤坂」でJGA会長の幹部招宴。

 ホテルの事務局室では今日も夜遅くまでスタッフが頑張ってくれている。


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ミラノのアローラおばさん、大活躍 -ミラノ-(異文化体験17 ミラノ・イベント準備の旅2)

2011年10月13日 14時27分13秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

ミラノのアローラおばさん、大活躍 -ミラノ-  1994.4.24~4.30

 会議開催地ミラノのドゥモ、大作が間もなく完成?

 世界ガス会議ミラノ大会は6月に開催される。今回の出張は、日本ガス協会(JGA)が主催するレセプションと展示会出展の最終打合せが目的である。

 26日は展示会会場のフィエラ・ミラノの視察とイタリア最大のガス会社スナム(snam)の展示委員長M氏を訪問し、JGAブースの準備状況の伝達とオープニングセレモニーのVIP対応の打合せを行う。

 ミラノで一番「プリンシペ・ディ・サヴォイアホテル」

 27日は、JGAが主催するレセプションの諸々の打合せを、プリンシペ・ディ・サヴォイアホテルの宴会係マネジャーや料理担当マネジャーと行う。料理は屋台形式の和食も入れるので、全体レイアウトと共に、ホテル側のコミッションを少なくする智恵を出しながら、暖かい料理、冷たい料理、飲み物を数量・予算と共に決定する。

 主担当のM君と準備交渉を進める

 これらの諸々の準備を仲介してくれているのが、通称アローラおばさん((アローラ=ところで、という意味)が口癖)こと、Tさんというイタリア人と結婚した日本女性。イタリアに音楽留学し、そのまま現地で生活することになった気のいいおばさんである。

 ホテルの歴史を感じさせる重厚な内装(1)

 更に、厄介なのはレセプションでの催事。徐々に簡素化されているとは言え、各国夫々趣向を凝らした出し物を毎回用意している。JGAではT夫人の助力を得て、ミラノ・スカラ座オーケストラのピックアップメンバーに日本から勉強に来ている声楽家を加えたチームで舞台を創ることにした。
 ホテルの宴会場をぶち抜き、一方の端に舞台を作り、椅子席を用意して落ち着いて音楽鑑賞してもらうスペースを1/3、立食懇談スペースを2/3、という構成である。

 ホテルの歴史を感じさせる重厚な内装(2)

 演目は、これもイタリア音楽協会への著作権がらみの話があるので、オープニングはスカラ座メンバーのオリジナル曲、エンディングは次回大会開催地コペンハーゲンにちなんだ曲を用意して貰うことを条件に、仔細はT夫人に一任。

 ホテルの歴史を感じさせる重厚な内装(3)

 次は、足の確保。招待客や一般客のために主要なホテルを巡回するバスを運行させる。その台数と運行スケジュールの概略を決定。またVIP用リムジン(ベンツ)をファビオ氏に確保を依頼。イタリア国内では数が少ないので、隣国からの持ち込みも含め、各国で奪い合いの状況である。

 パリから来てくれた某商社秘書のお嬢さん

 28日は、お手伝いをいただく某商社のミラノ支店と会議準備の打合せ。
 更に和食の屋台と仕出をしてもらう「ポポロ」(人民という意)というレストランの日本人経営者とメニュー、数量、予算の打合せ。ついでに夕食を味見させて貰う。

 ミラノで人気の和食レストラン「ポポロ」

 更に更に、日本総領事館に出向き、総領事とかかるレセプションの現地日本人会首脳の招待について打合せ。

 最後は、アメリカ、イギリス、フランス等、主要国が開催するレセプション会場を下見に行く。プリンシペ・ディ・サヴォイアホテルはミラノで最高級のホテルであり、フランスも当ホテルで我々の翌日開催するらしい。アメリカ・イギリスはフォーシーズンホテルとのこと。

  

  
           ミラノで一番のお惣菜屋との評判「PECK」 レストランも併設


 アローラ(ところで)!! SNAMのM氏がミラノで晩飯を食うならここが一番!と教えてくれたのが、ミラノの惣菜屋「Peck(ペック)」。確かに美味かったなあ。

 それにしても、ハードな出張だったが、本番が思いやられる。


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春のアオスタ渓谷 -ミラノ-(異文化体験17 ミラノ・イベント準備の旅1)

2011年10月06日 11時30分33秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

春のアオスタ渓谷 -ミラノ-  1994.4.24~4.30
 
 マンションで顔を洗いつつ、何か胸騒ぎがする。ひょっとして、とフライトを確認すると案の定13:00成田発。時既に11時過ぎ。3時(15時)と13時を間違えていた。こりゃ、しまった!ととりあえず大急ぎで都心のマンションを飛び出し、タクシーに飛び乗る。日曜日とあって比較的道路は空いている。幸運にも12時40分に成田着。搭乗手続きは終わっているが無理を言い、胸に飛行機のワッペンをつけてもらって出国ゲートをくぐり、搭乗ゲートに向かう。まだ、10分あるのを確認して免税煙草を買い、搭乗ゲートに着くとほとんどの人が機内に入り、同行のM君が一人待ってくれている。そ知らぬ顔で『ご苦労様』と声を掛け、機内に。

 ミラノの名門「プリンシペ・ディ・サヴォイア・ホテル」

 フランクフルト経由でミラノの最高級ホテル「プリンシペ・ディ・サヴォイア・ホテル」に着いたのは、深夜。
今回の旅の目的は6月にミラノで開催される世界ガス会議の諸々の下準備である。

 アオスタへの道中、春のアルプス山麓

 翌25日は時差解消も兼ねて、イタリア北部・アルプスの麓のアオスタ渓谷に行くことに。事務局サポートのI氏も加わり、今回の会議で多数のベンツの調達を依頼している地元のハイヤー会社を営むファビオ氏が、自ら運転するベンツで我々をホテルに出迎えてくれる。

 
(左)ヴァッレ・ダオスタ州の州都「アオスタ」の街 (右)初代ローマ皇帝アウグストスが造ったアウグストス凱旋門(Wikipedia)

 あいにくの曇空の下、「アオスタ」へは時速140~150kmのスピードで約2時間半のドライブ。ヴァッレ・ダオスタ州の州都であり、2000年前のローマ時代の面影を今なおそのままに伝えている。初代ローマ皇帝アウグストスが造ったと伝えられるこの街にはアウグストス凱旋門、円形劇場跡、プレトリア門等が当時を偲ばせる。

 ウィンタースポーツの拠点「クールマイヨール」近郊の景色

 周囲は4000m級の山々が迫り、4月下旬ではまだ残雪があちこちの山肌に厚く残っている。少し山側に行ったスキーや登山の拠点「クールマイヨール」の小さな村「ラパリュ」のレストランで軽い昼食を取る。立派な髭を蓄えたアラブ人のファビオに歳を聞くと、何とまだ30歳。どう見ても40歳以下には見えないが、まだ独身とか。

 
(左)ラ・パリュのレストランにて (右)イタリアからフランスへ、アルプス越えケーブルカーの拠点(参考写真)

 昼食後、山上方面にケーブルカーが動いているのを見て案内板を見ると、なんと!ここからケーブルカーやロープウエイを乗り継いでモンテ・ビアンコ(モンブラン)の真横を通ってアルプスを越え、フランスのシャモニーまで行く事が出来るようだ。

     
(左)伊側ラ・パリュからエルブロンネルへ (右)仏側エルブロンネルからエギュ・デュ・ミディ経由シャモニーへ
(赤線は氷河スキーコース、黒線がケーブルカー、ゴンドラルート)

 しからば、ちょっと乗ってみよう!と、ファビオに出発の時間を確認し、往復切符を買ってケーブルカーに乗り込む。小生とM君は一応厚手のセーターを持参してきたが、I氏は背広姿のまま。1370mのラパリュから2173mのパヴィロンへ、更に3375mのトリノ小屋へとケーブルカーを2つ乗り継いだが、辺りの視界は全くゼロ。乗り込んで来る人は大人も子供も防寒具に登山靴と本格装備。2つ目のケーブルカーを降りて、人の気配のない展望台に立つと横殴りの雪に凍えるような寒さ。ガスの合間から剥き出しの黒い岩肌と真っ白な積雪の山々が見え隠れする。岩ツバメが我々をあざ笑うかのように、頭上を生き生きと飛び交っている。こりゃたまらん!と着いたばかりのケーブルカーにまた乗り込んでラパリュに下山する。車窓からは野生のカモシカが見える。

 
(左)春4月のラ・パリュを出発     (右)ガスと寒さでこりゃたまらん!岩燕があざ笑っている。

 
(左)こんな格好では、馬鹿な日本人と思われているだろう  (右)天気が良ければこんな景色が。

 6月にはきっともう一度チャレンジするぞ、岩ツバメ君!!


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