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旅行記、世相独言

行って来ました、雪の大谷ウォーク

2010年04月27日 15時10分28秒 | 異文化体験_日本
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行って来ました、雪の大谷ウォーク  2010.4.23-24

  除雪された約500mの雪の壁=「雪の大谷」

 20年近く前に初秋のアルペンルートに行ったことがあるが、今回は雪の大谷ウォークを楽しもうとバスツアーの客となった。

 40年ぶりに訪れた上高地 開山式は4日後の27日

 初日は、開山式(27日)を目前に控えた上高地。20歳代の頃に穂高連峰の登山で毎年来ていたが、40年ぶりの上高地である。一面の残雪の大正池からかっぱ橋まで歩いてみた。大正池がずいぶん小さくなっていたように感じられた。残念ながら、前日の全国的な冬に逆戻りの荒れた天気の影響で、快晴とはいかなかったが岳沢から吊り尾根の懐かしい姿を見ることが出来た。

  黒部ダム展望台からの視界

  大観峰展望台からの視界

 二日目は、打って変わっての快晴。大町から立山に抜けるアルペンルートのスタートである。この時期、放水は見られないが黒部ダムとダム湖周辺の雪景色には感激ものである。
大観峰(2316m)まで登るとガスが視界を遮る場面もあったが、室堂(2450m)では再び紺碧の空と銀世界を楽しむことが出来た。

  この日の積雪最高地点は15m

 雪の大谷ウォークは、今年は17日からオープン。24日の大谷ウォークは気温-5℃、雪の壁は最大15m。今年で第17回を迎える。
 そもそも「雪の大谷」とは、室堂平付近が世界有数の豪雪地帯で約8mほどの積雪があり、その中でも「大谷」は吹き溜まりのため積雪が多く、その深さは20mを超える時もあるようだ。ここを通る道路除雪の際に出来る約500mの雪の壁の区間を「雪の大谷」と言っている。
 そそり立つ雪壁の天井には紺碧の空がひろがる。ピストン運転されている立山と室堂を結ぶ高原バスと立山トンネルトロリーバスの両方から、次から次と人の波が押し寄せ、標高2450mの室堂ターミナルの中は大混雑である。

  立山連峰を一望できるパノラマロード(室堂ターミナルを望む)


 そんな中で一際耳に入ってくるのが中国語。上高地では一人で自写真を撮ろうとしていた若い女学生に写真を撮ってあげようと声をかけると、返ってきた言葉は中国語。大観峰や黒部ダムの展望台は、中国人の団体さんで占拠。

 そういえば、何年か前には日本人の団体さんが世界中を闊歩していたなあ!


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Give me a seat ! - コロンバス - (異文化体験5 テーマ探しの旅3)

2010年04月22日 23時43分43秒 | 異文化体験_北米
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GIVE ME A SEAT ! -コロンバス- 1983.9.22~23


最近のオハイオ州の州都コロンバス(Wikipediaより)

 早朝、初めての海外出張で単独行動を取ることになってやや不安げなU君とあさってのロスでの再会を約し、アメリカン航空のチェックインカウンターに行く。
 座席を貰おうとチケットを渡すとしばし待てと言う。まだ早いのかなあと椅子に座って待っていると、しばらくして場内アナウンス。「セントルイス行き446便はEquipmentを交換します。小さくなるのでチェックインは係員の指示に従って欲しい」との事。

 Battell Colombus研究所

 さあ、大変である。人それぞれに予定というものがある。我こそは席の割り当てを貰おうと乗客たちがカウンターに殺到する。我々も負けてはならじと交渉するが、飛行機が小さくなって、おまけにオーバーブッキングとあってはどうしようもない。
 しかしながら、そこは日本人の粘り腰。米国人が登録だけしてベンチに腰を下ろして待っているのを横目に、カウンターの横から離れず、まだかまだかの催促。Cクラス優先で割り当てが進む中、あと数席という状況になって我々のコール。無事セントルイスまでの座席が確保出来た。セントルイス経由コロンバスに到着したのは夜の10時頃。ホテルリムジンで迎えに来てもらい、一息入れたのはもう日付が変わっていた長い一日であった。

Battell Colombus研究所の中庭

 オハイオ州コロンバスは州都であるが、これといった観光名所があるわけでもない小さな町である。ここに世界最大のシンクタンク、Battell研究所がある。厳重なセキュリテイシステムのチェックを受けて、とある部屋に通される。分担テーマに関する彼等の見解を正すのが訪問の目的である。

 Battell研究所の本部玄関にて

 オハイオ州は、ほぼ1年ぶりの訪問である。田舎だけに人情味溢れるもてなしは旅行者の我々にとって有り難いもの。ホテルのオーナーがバテル研究所に行くと言うと送ってやろうと言ってくれる。討議に集中して午前中の予定の時間をオーバーし、急がないとフライトに間に合わないかも知れない事態にタクシー会社に電話して最優先でタクシー手配をしてくれた研究員など、心からのアプレシエーションである。

 広大なダラス・フォートワース空港

 コロンバスからはダラス/ホートワース経由で西海岸に逆戻り。ダラス空港はその大きさに仰天。同じアメリカン航空なので乗り継ぎはさほど離れていないのだが、それでも数百mは歩いたであろうか。一度降りてみたい空港である。

 米国に来て困るのはお土産探し。どの都市に行っても名前が異なるだけのTシャツ(フットボール、大リーグの球団等)や小物商品が売店に並んでおり、純米国製のものは少ない。ダラスで買った金属製の飛行機の置物も台湾製。ここまで来るとさすがに暑く、アイスクリームを頬張りながらのショッピングであった。

 機内食イメージ(JLエグゼクティブクラス)

 ロスまでの数時間のフライトはさすがに眠気との勝負。まわりが騒がしいので目を覚ますと皆さんお食事が済んでコーヒーをすすっている。自由の国アメリカは寝ていると食事もさせてもらえない。食べたくないので寝ていると無理に起こしてくれる日本の航空会社とは大違い。着陸寸前まで一人食っていたのは小生だけであったようだ。





勉強一筋 - メンロパーク - (異文化体験5 テーマ探しの旅2)

2010年04月18日 18時27分11秒 | 異文化体験_北米
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勉強一筋 -メンロパーク-  1983.9.18~22


機窓から見たゴールデンゲートブリッジ

 DATE21プロジェクトも専門リサーチャー同士の会議を設ける所まで来た。日本で調べ上げた事をベースに、SRIの専門家と討議するのが今回の目的である。4つの分野を一人ずつ分担し、三日間の日程で詳細な詰めとターゲットの絞込みを行わなければならない。

 4月のゆったりとした旅とは異なり、今回はハードスケジュールである。早朝から夕刻まで1テーマずつ、SRIの専門家のプレゼンテーションに対し疑問点をぶつけ、自らの考えを主張し討議するのであるが、彼らも仕事を貰おうと売り込みに必死である。

    
    スタンフォード研究所(SRI) 上空写真と本部玄関


 彼らは自らの専門領域に誇りを持っており、極端な言い方をすれば企業は自らの目的を達成するための止まり木に過ぎないと思っている。これは特に研究者に多く見られる傾向である。スピンオフは日常茶飯事で、特にSRIのような研究機関では立派な業績を挙げれば企業からスカウトされたり、自ら起業家に変身したりする場合も多い。また、自らの専門領域が生かせる求人があると容易に研究者が移籍していく。春に我々のプロジェクトをコーデイネートしていた研究マネジャーが、秋にはもう変わっているという事態に我々は驚くと共に、米国ビジネスの活力のようなものをひしひしと感ずる。

 
     常宿となったマーメイド・イン          午後のひと時、モーテルのプールサイドで。

 彼等の必死の売り込みと、そこに矛盾・問題点を見出し事業化評価を行おうとする我々との討議。そんな緊迫した雰囲気の中で会議は進められていく。ホテルに戻っても、翌日の討議に備え遅くまで自らの担当分野のチェックに勤しむという今までの海外出張とは少し趣の異なる日々が続く。ちなみに小生はこのプロジェクトのリーダーとして、又専門リサーチャーとして一つのテーマを分担。テーマ名は、Rechargeable-Solar-Battery。

     
 世界で一番旨いスペアリブを食わす店「マッカーサーパーク」  スーパーマーケット「ペイ・レス」のロゴ

  スタンフォード・ショッピング・センター


 周囲に何もないメンロパークという学生街は、そう言った意味では最高の環境である。
 例の旧駅舎を改造したレストラン「マッカーサーパーク」でのスペアリブ、PAY LESSでのカリフォルニアオレンジの買出し、スタンフォード大学ショッピングセンターでの買物、日課となったこれらの楽しみ以外に何もすることがない。

 予定された日程を有意義に過ごした我々、最後の夜はパラアルトの日本食レストランにSRIの専門家を招き、さよならパーテイ。
 明日からは行動を別にして、小生とM君はオハイオ州コロンバス・バテル研究所へ、U君は西海岸の別の大学に、M氏とT氏はカーネギーメロン大学を訪ねる。



川がピンクに染まる時 - シアトル - (異文化体験5 テーマ探しの旅1)

2010年04月13日 09時51分54秒 | 異文化体験_北米
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 さて異文化体験「その5」は、4回に分けて技術立社を目指す「テーマ探しの旅」です。


川がピンクに染まる時 -シアトル-   1983.9.18

 大阪への乗り継ぎの悪いPA(パンアメリカン)に懲りてJL(日本航空)で飛んだシアトルへの機内は、中国人が多いせいかチャイナドレスのスチュアデスがいる。中国語の機内放送を一手に引き受けてエグゼクティブクラスの我々の席の前に座っている。ドレスのスリットが以外に深く目の保養に申し分がない。隣に座ったM君はしきりとボタンを押してスリット嬢を呼んで飲み物の注文。日本人?それとも中国人? そんな他愛もない二人の質問に、ニコっと笑って「どう思われます?」と切り返す。日系中国人。これが正解だそうな。

  チャイナドレスのスチュアデス(イメージ)
 

 小生が彼女にお茶を頼んだ時のこと。丁度テーブルに彼女がお茶を置こうとした時、気流の変化で機体が大きく揺れ、手元が狂ったお茶が小生のズボンを濡らしてしまった。それも足の付け根に近い部分である。エクスキューズを言うや彼女は、慌てて濡らしたタオルを持ってきて、小生の股間に手を伸ばしてすばやく拭いてまわる。場所が場所だけにうら若き女性にそうそういつまでも拭いて貰うわけにいかない。「もう大丈夫」と少し未練気にご辞退申し上げる。幸い乾燥した機内のこと、シアトル・タコマ空港に降りる時は跡形もなく消えている。それでも気にする彼女に有難うと握手。帰りの便も一緒だといいなあと独り言。

 ワシントン州シアトル。タコマ空港から道路沿いのボーイング社の工場を横に見て市内に向かう。秋田県人がいち早くこの地に入植、高台にある高級邸宅はどことなく日本庭園風の風景が見られる。気候も日本の東北地方に近い。


 船の上げ下ろしをするためのハイラム・M・チッテンデン水門

 
         ハイラム・M・チッテンデン水門横のFish Ladderと、水中ののぞき窓 


 フィッシャーマンズターミナルに程近いワシントン湖運河にバラード・ロック(Ballard Locks)とも呼ばれるハイラム・M・チッテンデン水門(the Hiram M. Chittenden Locks)という水位調節用の水門があり、その水門の横にFish Ladderがある。この運河は、船が淡水と海水を往来できるように船の上げ下ろし(潮によって2mから8m)をするために作られたもの。


 
     海から戻ってきた鮭が、生まれ故郷に戻る姿をトンネル内のガラス窓から見ることが出来る


 丁度この辺りは海水と淡水の分岐点で、海から戻ってきた鮭が、ユニオン湖、ワシントン湖を経て生まれ故郷に戻っていく姿が、トンネル状の階段側道のガラス窓を介して見ることが出来る。おりしも日ごとに秋が深まる季節。鮭が大きな身体をくゆらせて川を昇っていく様が目前に繰り広げられる。段差のついた水門を一息ついてはジャンプし、また一息ついてはジャンプする様に、思わず「がんばれ!」と言いたくなる。


 ワシントン湖の Evergreen Point Floating Bridge(2285m)

 ワシントン湖の Evergreen Point Floating Bridgeという2285mの浮橋を車であっという間に通り過ぎ、郊外にある鮭の養殖場に向かう。川幅がどんどん狭くなり、川底の小石を巻き込むような浅瀬に果たして鮭がいるのだろうか。そんな疑問を感じながら40分近く走って養殖場に到着。


 
          川の上流の養殖場          プールの水面を覆いつくす鮭の姿(背びれが見える)


 大きな丸いお椀を伏せたようなコンクリート製のプールに、いるわ、いるわ。大きな図体の鮭が水面を埋め尽くし、背びれだけがまるで鮫のように突き出ている。ここから少し歩いた所に水深10cmもない小川が流れている。薄日に水面が反射しきらきら光っているが、近くに寄って目を凝らして見ると、なんとピンク一色に染まっている。身体中をピンク色に染めて、疲れ切った身体に鞭打って産卵の場所と自らの死に場所を求めて、なお昇ろうとする姿は神秘的な荘厳さと感動を見る者に与える。


 川をピンクに染める産卵の鮭たち

 川がピンクに染まる町、シアトル。がんばれ、サーモンたちよ!



LEXUSコンサートで右脳が活性化?

2010年04月09日 18時10分18秒 | イベント

LEXUSコンサートで右脳が活性化?  2010.4.9


 昨夕、友人のお誘いでLEXUS Concert Eveningを楽しませて貰った。

   梅田芸術劇場でのコンサート(パンフより)
 
 ウィーンフィルハーモニー、ウィーン国立歌劇場からのピックアップメンバー、総勢30名からなる室内オーケストラである。ほとんどのパートの首席奏者が入っているので、贅沢な一流の楽団である。コンサートマスターは、フォルクハント・シュトイデ(ウィーンフィルハーモニー管弦楽団コンサートマスター)。曲目は多様なプログラム構成で、音楽の楽しさを十分味わうことの出来るものであった。

  当日のプログラム(パンフより)  

 久しぶりに生の音に、ましてそれが世界1,2を争う奏者たちの奏でる音楽となれば、わが耳がすっかり洗われ、右脳が大いに活性化した気がする。
最近のコンサートでは、マイクでひらってアンプリファイされた音を聞かされることが多いだけに、生の音が醸し出す柔らかい、それでいて時として力強い旋律は何ものにも代え難いものである。

 15年ほど前にミラノで、私自身ミラノ・スカラ座オーケストラのピックアップメンバーと日本の歌手たちを組織して、あるレセプションでショートプログラムを演出・構成したことがあるが、超一流の奏者の音を外すことのない流れるような旋律には、ほとほと感心させられる。


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スペアリブと税関と -パロアルト&メンロパーク- (異文化体験4 Leap, Leapの旅2)

2010年04月05日 09時50分11秒 | 異文化体験_北米
スペアリブと税関と -パロアルト&メンロパーク- 1983.4.5-4.10


 スタンフォード大学
                                 
 三日目の朝、コンチネンタル・ブレックファーストと言えばかっこよいが、モーテルのおやじさんが小さなパン切れ数枚とコーヒーをくれるだけの食事では頼りないので、道路向い側のデニーズに行く。禁煙席と喫煙席とに分かれていて、田舎の街とは言えインテリの街の片鱗がうかがえる。

 気楽な常宿「マーメイド・イン」

少し汗ばむような初夏を思わせる日差しの中をSRIに徒歩で赴く。お昼過ぎには全ての打合せが終わり、一旦モーテルに戻る。マーメイドインにはちゃんと中庭にプールもあって、メキシカンの親子が戯れている。一泊朝食付きで$37。充分日当内でお釣りがくるので今回の出張は赤字にならなくて有難い。

 大学のHoover Towerを背景に 

     
(左)Quad Memorial Churchを背景に (右)大学のブックストアにはお土産になりそうなものが

夕刻までスタンフォード大学のキャンバスを散策する。東のハーバードと並び賞される1891年創設の名門校である。ホットパンツとTシャツ姿で教材を入れたナップサックを背負って自転車通学する学生があちこちに見受けられる。ブックストアを覗くと扱う本の多さに驚かされる。丁度ベストセラーの「メガトレンド」が在庫まさに1冊というので買って帰る。スタンフォードのロゴ入りクラッチバックも安くお土産に手頃な価格であった。

 
(左)写真下部の緑が「Sunnyvale Municipal Golf Course」上部が軍の飛行場  (右)同行のM氏と

 翌日は、SRI極東代表のT氏の提案で「Sunnyvale Municipal Golf Course」というシリコンバレイに近いSunnyvale市の経営するパブリックゴルフ場でプレイすることになった。先週カリフォルニア州では珍しく大雨が降り水はけの悪いこの土地のゴルフ場はほとんどクローズド状態。唯一プレイ可能なのがこのサニーベールのようである。すぐ横が軍の飛行場とあってひっきりなしに軍用機が離着陸する。まさにその機体めがけてドライバーを打つ醍醐味はなかなか日本では味わえない。貸しクラブにラージボールという条件もあって成績はいまいちであったが、長い長いコースを堪能した。

 
        木造駅舎を改造したスペアリブが有名なレストラン「マッカーサーパーク」

 最後の夜は例によって旧駅舎のレストラン「マッカーサーパーク」。スペアリブがここの名物料理。1ポンドのスペアリブに挑戦する。味が何とも言えぬ甘さとスパイスの香りでいくらでも入る。以後、メンロパークに来ると真っ先にこのスペアリブを味わうことになる。

 いくらでも胃袋に入るスペアリブ

 帰りのパンアメリカンは定刻を大幅に遅れてサンフランシスコ空港を飛び立った。成田での乗り継ぎが2時間なので、この遅れ様では目一杯エンジンをふかせても1時間程度の乗り継ぎが取れれば良い方だろう。PAとJLは接続しないし、悪くすると成田泊まりかな、とPAのクリッパークラスの座席に身を沈めていろいろ考える。

 成田での接続が悪く、税関の廃棄同意書を書く羽目に

 成田に着いたのはJL出発の20分前であった。大急ぎで乗り移って欲しいとキャビン・アテンダントに言われ、荷物はどうなるの?と聞くと間に合うかどうか分からない、念のために書類に住所、氏名を書いてくれという。この時である。そうだ、あのペントハウスはバゲージの底にショッピングセンターで買ったレコードと一緒に忍ばせたことを思い出したのである。
 結果はやはり間に合わず、単身我が家に帰ったが、翌日送られて来たバゲージは、誰かがさんざん荷物を穿り返した跡が歴然と。ない、ペントハウスがない。
 その代わり、税関の「廃棄同意書」がしっかりと入っていた。

 これからは、絶対JLに乗るぞ!