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旅行記、世相独言

スイスの番外観光 -チューリヒ-(異文化体験12 都市再生の旅8)

2011年04月26日 19時40分10秒 | 異文化体験_西欧
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スイスの番外観光 -チューリヒ- 1990.9.22

 スイス6番目の湖 チューリヒ湖とアルプスの展望

 バッド・デュルハイムを夕刻出てパリに行くのがもともとの予定であった。しかし、温泉とサウナに飽きた我々は、これ以上この町にいても時間の過ごしようがない。
 ゴルフ場も近くにあるにはあるが、メンバーコースゆえ国際ハンディキャップ?の提示が必要とか。「何、それ?」という人達の団体ではどうしようもない。さすが欧州。如何に田舎町とは言え、プライドがある。
 おりしも天気は小雨がぱらつく曇天。しからばチューリヒ見物でもしようということになった。

 湖畔に広がる美しい街並み(曇天で少し寒々しい感じ) 

 チューリヒ湖はスイス6番目に大きな湖。レマン湖ほどの華やかさはないが、静かな湖面に沢山の水鳥が羽を休めている。中央駅に夕刻集合するまでの3時間ほどを自由行動にあてる。バーンホーフ通りは中央駅から湖畔に続く市内一の目抜き通り。土曜日の午後とあって大勢の人出である。最近の欧米の商店は、さすがに日曜日開店の所は少ないが、土曜日は結構遅くまで営業している。

    
(左)街のシンボル「グロスミュンスター大聖堂」    (右)中世ギルドの街の雰囲気が残る

       旧市街の真ん中には、回転木馬等の移動遊園が。

 バーンホーフ大通りと反対側のリマト川沿いの河岸通りは、中世のギルドの立並ぶ通りとして有名らしい。グロスミュンスター大聖堂は11~13世紀に建てられたスイス最大のロマネスク様式の寺院でチューリヒのランドマーク的存在である。この周辺が旧市街にあたる。なだらかな坂道に大道芸人が人を集めてマリオネットの芸を披露している。買って帰りたいような珍しい食品屋さんも多数軒を連ねている。

 
        老舗ショコラティエ「シュプリュングリ」開店当時と現在の店内(HPより)

 ヨーロッパ、特にスイスに来て最も楽しいことの一つは、チョコレート屋さんのショーウインドを見てまわることではなかろうか。特に、バーンホフ大通りのど真ん中、パラデプラッツ広場に本店を置く地元の老舗ショコラティエ「シュプリュングリ」といえば、チューリヒの名刺代わりともいわれるほど、地元民に愛され贈り贈られ、そして観光客のお土産マストアイテムという看板ブランド。実に楽しいデコレーションを施したチョコレートが、色鮮やかにいろんなお店の店頭を賑わしている。

     
 (左)とあるチョコレート屋のショーウィンドウ      (右)Reuge社のオルゴール

 もう一つはオルゴール。Reuge社のオルゴールが有名だが、残念なことに徐々にオルゴールを扱うお店が少なくなってきて、今回も楽しみにしていたが、短時間では専門店は見つからず、コレクションに仲間入りしたのは結局空港で買った一つだけ。

 機会があれば、今度はここを基点にルツェルンやユングフラウヨッホ、インターラーケン等に行きたいものである。



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ドイツの温泉町、兎に角でかい! -バッド・デュルハイム-(異文化体験12 都市再生の旅7)

2011年04月19日 17時45分32秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)


ドイツの温泉町、兎に角でかい! -バッド・デュルハイム-  1990.9.20~22

 フィレンツェからバスでミラノに戻り、空路スイス第2の都市チューリヒへ。そこから再びバスで黒い森の近郊、西ドイツのバッド・デュルハイムに着いたのは夕刻。
 チューリヒからバッド・デュルハイムへの道はアルプスの牧歌的風景が一面に広がっている。国境線が入り組んでいてスイス→西独→スイス→西独と進む。
 途中ライン川で唯一のラインフォール(滝)を見物する。とにかく寒い。ホテルの部屋に入るなりヒーターのバルブを全開にするが中々暖まらない。

 
   (左)ライン川唯一の滝      (右)バッド・デュルハイムの宿舎セントラルホテル

 そもそも何故にこんな人口1万人の温泉町に来ることになったのか。「バッド・デュルクハイム」という一字違いの大きな温泉町があり、そこに行くはずが、どうも旅行代理店が間違えたらしく、「バッド・デュルハイム」というこの温泉街に来てしまったようだ。とは言え、明日は市長自ら歓迎レセプションを開催してくれると言う。

 
(左)黒い森に点在する温泉保養地の一つバッド・デュルハイム      (右)上空写真

 西ドイツにはおよそ300ケ所の温泉保養所があり、バーデン・バーデンのような国際的保養所から今回のような田舎の保養所までバラエティに富んでいる。ここは市の100%出資会社が開発・管理運営を行っているユニークな存在らしい。

 裕福な西独国民のバケーションの過ごし方は海外の保養所のようだが、低所得者層は国内温泉保養所を利用し、当地の人気は高いようだ。隣近所のおばさん達がお互い誘い合って来る場合が多く、日本人の観光客なんて初めてと言われる。2年後西独の国家レベルの温泉祭りをここが誘致したというので、なかなかやり手の市長である。

 
  (左)森の中の温浴施設        (右)優しい木で出来たドーム状の温泉

 市長の計らいで、温泉の一日フリーパスが貰えるようだ。サウナ体験希望者もフリーにすると言うので、小生、S氏、某コンサルのM氏の3人が挙手。ちなみにわが調査団のマドンナは見学だけということで、皆がっかり。

 水温は羊水の温度が最も適温と聞いたことがある。保養に来た老若男女がゆっくりとした時間の流れの中で温泉を楽しんでいる。サウナは少し離れた所にあり、辿り着くとサウナハウスは非常に広く、数部屋のサウナルームと水浴場所や足を冷水に浸す場所、談話コーナー等から構成されている。水着のままサウナルームに入ると、眼鏡をはずしているのではっきりと分からないが、湯気の向こうの先客達が新しい客を見ている視線を感ずる。  

   
                 サウナ施設の中は、素っ裸で混浴(写真はイメージ写真)

 白衣の女性が我々に近づいて何事か言いながら、人差し指で腰の辺りを指して下げるしぐさを繰り返す。取れ!ということか。
 湯気にも慣れると、何とここでは男女を問わず全裸で闊歩している。正に混浴施設!う~ん、取るか! 皆の視線が異国人の股間に集中しているのを感じながら、水着を取って外に置き、ついでに見返してやろうと眼鏡をかけて部屋に入る。

 とあるサウナルームに入ると何人か先客があるが男か女か熱気で分からない。空いている場所にドッカと座り、目が慣れると真ん前に35歳位の女性が仰向けに横たわっており、同年代の女性が隣にうつ伏せで寝てたりで、目のやり場に困る光景。白衣の女性が入ってきて灼熱の石に水をかけると、とたんにムッとする熱気に包まれる。隣のおじさんが気さくに話し掛けてくる。隅の砂時計に合わせてサウナを楽しむと良いと言う。

   
            サウナ施設には比較的若い層が多い!(写真はイメージ写真)

 外に出ると若者が冷泉にさっと入るか、冷泉の入ったバケツに足を入れ、またサウナに入ると良いと教えてくれる。おかしなもので、ものの5分もすると裸でいることが違和感なく感じられる。とは言え禁欲10日目。裸のドイツ女を目の前に見ていると息子がムクムク頭をもたげそうになる。こりゃいかん!と冷泉にザンブリ。

 でも負けた!ドイツ男のソーセージには。



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歴史の重みに挫屈現象?-フィレンツェ-(異文化体験12 都市再生の旅6)

2011年04月12日 17時26分27秒 | 異文化体験_西欧
東日本大震災の被災者の方々にお見舞い申し上げます。
また、不幸にも亡くなられた方々に深く哀悼の意を捧げます。


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歴史の重みに挫屈現象? -フィレンツエ-  1990.9.18~20

 花の都、ルネッサンスの都、芸術の都 フィレンツェ 

 花の都、ルネッサンスの都、芸術の都、この街ほどいろんな呼び方をされる街も珍しい。フィレンツェの偉大な華、ミケランジェロ(1475~1592)とレオナルド・ダ・ビンチ(1452~1519)が美を競い合った所である。しかし、2人のライバル意識とは別にお互いが目指したものはかなり性格が異なる。
 ミケランジェロは芸術一筋に彫刻・絵画・建築を通じて生涯のテーマ「聖母」を追及し、精神と肉体を総合した独自の理想を追求した人である。
 一方、ダ・ビンチは芸術家それも古典主義芸術の完成者であり、物理学、化学、植物学、解剖学等、近代科学の先駆者となった人である。

 
  (左)シティ・マップ             (右)街角のいたるところに名画?が

 この街の至る所に文化遺産が目に付く。市の都市計画責任者は、街の大きく遅れた近代化とこれらの歴史的遺産の保存という大テーマに頭を抱えているのが現状である。
 建物のコストの中に維持管理費が1/3必要だとか。平たく言えば通常コストの3割アップ。京都と同様の苦労がうかがえる。旧市民は観光客ばかり増えて一向に改善されない住環境に、郊外に逃げて行くいわゆるスプロール化現象がこの街でも出ているという。歴史の重みに耐えかねて、とならなければ良いが。
 ガンバレ フィレンツエ!


  
(左)アルノ川に架かるポンテ・ヴェッキオ      (右)橋の両側には金銀細工の店が

 アルノ川に沿ったホテルから、夜にヴェッキオ橋目指して散歩に向かう。ダンテとベアトリーチェが出会った場所として有名な2階建てのこの橋は、16世紀には金銀細工の店が軒を並べ、今も昔を偲べる夜でも人通りの絶えない橋である。

 街の中心 シニョリーア広場

 アルノ川から橋を左に折れて、真直ぐに行くとシニョリーア広場に出る。市の中心的広場であり、真中にメディチ家のコシモ1世騎馬像が立ち、斜め横にヴェッキオ宮がそびえている。共和国時代の政庁の跡で入口にダビデの像(コピー)が置かれている。その周辺には若者や観光客が路上パフォーマンスを楽しんだり、車座になって話し合っている。

    
(左)天空を突くドォウモ、東京都庁の原型説も    (右)ブルネレスキの巨大ドーム

 天国の門 日本人が金箔を寄贈したようだ

 更に真直ぐ行くと天を突くようなドォウモ(S. Maria del Fiore)に行き当たる。ルネッサンス時代の偉大の建築家ブルネレスキの作品である。ライトアップされた色大理石を巧みに使った華やかな印象は、強烈である。
同行のS氏曰く、「まさにこれは東京都庁の原型だ!」確かに似た所もある、真相や如何に?丹下さん。
 ドォウモの前に8角形の聖ジョバンニ礼拝堂がある。「天国の門」という浮き彫りの施されたブロンズの門が、日本の実業家の寄進で金箔の門になった。


 
    (左)ウフィッツ美術館              (右)入場チケット

   
  (左)ボッティチェリの「春」            (右)ミケランジェロの「聖家族」  
 
 ミラノで「最後の晩餐」を見ることができなかったM氏がいよいよ恋人に会う日がやってきた。 ウフィッツ美術館(Galleria degli Uffizi)は名実ともに世界第1級の美術館であり、ボッテイチェリの「春」、「ヴィーナスの誕生」、ダ・ビンチの「受胎告知」等々、ルネッサンス絵画の宝庫である。

 かつての牢獄を利用した「ホテル・ブルネレスキ」
 
 2日目の夜は、夜に弱いという女史も誘って街めぐり。初日来なかった人も加わって大勢の参加である。6世紀の牢屋をそのまま取り込んだ、その名も「ホテル・ブルネレスキ」というホテルがあり、皆で見せてよと支配人に迫る。多少のチップで中を見せてもらったが、雰囲気も味わおうとピアノ・バーで一休み。若い人はぼつぼつ欲求不満が出始める頃。それらしき女を見たの、見ないのと情報を交換し合う有様。
 今宵も若い人は更なる冒険に出掛けて行ったが、結果はさてさて如何に??


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ミラノ~ジェノバ~ピサ~フィレンツェ バスの旅(異文化体験12 都市再生の旅5)

2011年04月05日 15時49分03秒 | 異文化体験_西欧
東北関東大震災の被害者の方々にお見舞い申し上げます。
また、亡くなられた方々に深く哀悼の意を捧げます。


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ミラノ~ジェノバ~ピサ~フィレンツェ バスの旅  1990.9.18~20

 ミラノを10時に出発したバスは、高速道路を一路南へ走り、海が見え出すとそこはもうジェノバ。人口60万人、イタリア最大の港町で、コロンブスが生まれた街としても有名である。ジェノバからモナコ王国のモンテカルロを経てニース更にカンヌに至る地中海沿岸は、コート・ダ・ジュールと呼ばれる世界的避暑地でもある。

  お昼時のジェノヴァの街

 飛行機の便があれば、小生はモンテカルロでこの週末を過ごす予定であったのだが。というのも堺にある弊社の製造所跡地開発で、その泊地(船が停泊する港)が丁度モナコ湾と同じ広さ(50ha、500m×1000m)ということもあって、モナコの都市スケールを是非見ておきたかったのである。ジェノバの街角のレストランで昼食。テラスにはすごい美人が一人でお食事中。

  活気に満ちたジェノヴァの街

 バスは地中海に沿って長靴の下の方に降りてゆく。山側には大理石を切り出した峰々が白く連なり、中世の歴史的建造物の建材たる見事な大理石は、この辺りから遠くローマやその他の栄えた都市に運ばれた。

 遠くの山肌が白いのは大理石の採掘場
  
 ピサに着いたのは16時頃。日が少し傾きかけ、ピサの斜塔は逆光の中に浮かんでいる。世界7不思議と言われるこの斜塔は、今も傾きが進行中で、現在修復中のため中に入れない。ピサの斜塔は、この街のドウモの付属鐘楼だが、ドウモ内にはガリレオが「等時性の法則」を見出すきっかけになったランプが下がっている。

       
  今尚傾きを増している「ピサの斜塔」、目下修復中で中に入れない。

 中庭は広大な芝生。若い恋人達が人目もかえりみず、抱き合って横たわっている。そう!ここは情熱の国イタリアなのだ。
 露店が連なる参道で、暑さよけの麦藁帽子を見ていると、女性店員が盛んに似合いますよ!と勧める。ゴルフにも丁度良いかと購入。

            
(左)ガリレオが「等時性の法則」を見出したとされるランプ (右)フィレンツェ「ジョリーカールトン・ホテル」
 
 ピサからフィレンツェへは、内陸の道。この辺りになるとバスの中は鼾の合唱。陽が西に沈む頃、バスは無事に中世ルネサンスの都フィレンツェのジョリー・カールトン・ホテルに到着。
 ZZZzzz・・・・。

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