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旅行記、世相独言

ベネツィアの休日とデートの約束 -ミラノ-(異文化体験18 世界ガス会議の旅6)

2011年11月28日 22時20分23秒 | 異文化体験_西欧
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ベネツィアの休日とデートの約束 -ミラノ-  1994.6.15~6.26

 ミラノから1時間半。ベネツィア、サンタ・ルチア駅 
 
 レセプションを成功裏に終えた翌日、JGA関係者の慰労も兼ねてベネツィア日帰り旅行を引率する。小生にとっては2度目のベネツィアである。
9時過ぎにミラノ中央駅を出発するインターシティで1時間半の旅。天気も快晴で、がら空きの1等車コンパートメントで大いにくつろぐ。

アカデミア美術館、入場チケット

 サンタ・ルチア駅から水上バスに乗り込み、まずはアカデミア美術館で下船。ジョルジョーネ、ジョヴァンニ・ベッリーニ等の14世紀からのベネツィア派絵画の巨匠の作品が展示されている。が、東洋人には西欧の宗教画は説明なくして理解が不能。
 再び水上バスでサン・マルコ広場に向かう。街中がテーマパークと化した観光都市、今日も大勢の観光客がサン・マルコ広場に集結している。

 サン・マルコ広場周辺の賑わい
  
 正午を少し回ったので、レストランでも入って昼食をと思うが、一行のK氏が何故か「夕刻6時にはホテルに戻りたい」と言う。ゆっくり昼食していれば観光が出来ない。しかたなく広場の北西角にあるテイクアウト専門のサンドウィッチ屋で歓談しながら昼食をとる。

 さすがサッカー王国、店内には様々なフラッグが。

        
 (左)2月の仮装カーニバルの様々なマスク            (右)お土産に買ったマスクの置物

 異口同音にベネツィアの景観と都市システムに驚嘆の声が皆から出てくる。3時にサンタ・ルチア駅に再集合することで若手組と年寄組に分かれて散策開始。
 快晴のサン・マルコ広場を少し散策し、ラグーンに浮かぶ大小様々な島を遠望しつつ、リアルト橋目指して路地裏散策に出発。サッカー王国だけあって、専門店にはリアル。マドリード等名だたるチームの大きなペナントや、女性のヌードをプリントした応援旗等、様々なサッカーグッズが売られている。また、2月のカルネヴァーレでお馴染みの仮面屋さんには大小色とりどりの色んな仮面が並べられており、目を楽しませてくれる。

 リアルト橋からのカナル・グランデの眺望

 ストレートに歩けば15分程度の距離であろうが、1時間ほどかかってリアルト橋に到着。橋の上からは雄大な大運河を水上バス、生活物資の運搬船、ベネツィア情緒満点のゴンドラ等が行き交い、どこからとなくゴンドラの漕ぎ手が歌うイタリア民謡が聞こえてくる。リアルト橋周辺の雰囲気を楽しんだ後、再び水上バスで約束の時間にサンタ・ルチア駅に戻る。4時間程度の滞在ではベネツィアを満喫出来なかったが、皆さん名残を惜しみつつ異口同音に今度はゆっくり来たいとおっしゃる。日帰りとは言え、素晴らしい所に案内してくれたと感謝される。

 水上バスのチケット

 帰りのインターシテイは2等車は満席状態。途中から乗り込んだ学生達は我々の1等車が空いているのでなだれ込んでくる。が、車掌に注意されコンパートメントの外の通路にたむろしている。G氏の目配せにその視線を追うと若いアベックが抱擁しながらおしゃべり。女学生のミニスカートの奥がちらちらと見え、そこに時々男の手が伸びる。やけに短かく感じる帰途であった。

 サン・マルコ広場からラグーナの眺望

 K氏が何故6時に!と言った理由がわかった。昨夜の歌姫と食事の約束が出来ていたのだ。昨夜初対面のはずなのに、隅に置けないおじさんである。
 ホテルに戻ると歌姫からメッセージが届いている。「急用が出来た、申し訳ない」との内容に、全員大いに納得。
 しかし、K氏。「ここに電話番号まで書いてあるのだから、本当に急用なのだ!!」と負け惜しみ。

 さてさて真実は如何に??


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いよいよ本番、レセプション -ミラノ-(異文化体験18 世界ガス会議の旅5)

2011年11月22日 16時53分19秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

いよいよ本番、レセプション -ミラノ-  1994.6.15~6.26

 プリンシペ・ディ・サヴォイア・ホテルのレセプション会場受付風景

 1994年6月21日、ミラノはやや曇天で一時雨の予報も。今日は午後2時からオーディトリアムでJGA会長の基調講演があり、午後5時にレセプション関係担当者はホテルロビーに全員集合!と伝えてある。
 既に専任スタッフは午後から活動を始めており、主要ホテルにJGA調達の巡回バスの運行時刻表を張りに出かけた者、一時雨の予報に傘50本を買いに行った者、レセプション会場の受付準備を行っている者等々、皆てきぱきと働いてくれている。

 オープニングはスカラ座ピックアップメンバーによる四重奏「タンゴの警句」

 夕刻、日本の都市ガス各社のお客さま対応要員が集まり出す。広々としたロビーで今夕のレセプションの段取りを彼らに伝え、JGA正副会長の顔ぶれも揃い、VIP来客用の部屋で全員少し早目の軽い夕食を取りつつ適宜待機して貰う。

 招待状は、およそ400部発送しており、日本国内で回収した出席返答は300部、来場は500名前後と予想している。我々の開会は午後7時半で、この日はドイツが8時半からスフォルツェスコ城で開催する。

 
          各国VIP達が「素晴らしいレセプションだ!」と挨拶に来てくれる
 
 午後7時15分頃から正装の招待客が顔を見せ始めた。巡回バスも数十名のお客様を乗せて次から次と到着し、受付デスク前に長蛇の列が出来そうな気配。直ちに招待状のチェックを中止させ、JGA正副会長の立礼でお客様を出迎える。

 広々としたレセプション会場も、7時45分にはお客様で一杯となった。予定を早めて早速舞台を開演させる。こちらは椅子席も用意され、「タンゴの警句」の演奏が始まると会場に一瞬静寂が戻り、すぐに途切れた会話が再開される。8時15分位まで来客は続き、豪華なホテルの食事・屋台の和食と飲み物を片手に談笑が絶えない。舞台ではじっくり聞こうというお客で椅子席も満席。NHKにも出演した日本の女性歌手の「蝶々夫人」には盛大な拍手。

 
日本から音楽の勉強にミラノに来ているミュージシャンもレセプションを盛り上げてくれる(左、赤いドレスがアローラおばさん)

 来客の顔ぶれは、IGU現会長、次期会長他各国首脳に加え、M次期事務局長やM展示委員長、C事務局補佐等が私の所にやってきて、素晴らしいレセプションだと賛辞を送ってくれる。ホテル・スタッフも額に汗しながら温かい料理や冷たい料理を取り替え、飲み物をサーブして廻ってくれている。私の立てた親指に彼らも親指を立て、お互いの労を労う。

 8時半が招待客のピークで、ドイツのレセプションに向かう人も出始め、8時45分に舞台を終演させることにした。司会の女性が一際大きな声で「皆さん、ご一緒に「ワンダフル・コペンハーゲン」を歌って、また3年後に再会しましょう!」と呼びかけ、オーケストラが演奏を始めると欧州の人々には馴染みの歌とあって大合唱が始まった。

 ミラノ・スカラ座オーケストラのピックアップメンバー達

 9時過ぎに残っている一部のお客様と共に、我々も宴会場でゆっくり食事を開始。接客係の各社の社員も大成功と喜び合う所に、舞台関係者も加わって記念撮影やら、舞台の感想やらで大いに盛り上がった。

 
       会長代行として各国レセプションにも顔を出す(次期会長国デンマークのレセプション)

 結局、700名の参加があり、トラベルウォッチのお土産物も足らなくなったようで、カップルには1つで辛抱してもらったようだ。ちなみに同じこの会場で翌日開かれたフランスのレセプションのお土産は、ミニチュアのムラーノ島ベネチアンガラス容器であった。

 フランスのレセプションのお土産


 さすがにこの日はドイツ会場に行く元気もなく、内輪で成功を乾杯!


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本番にハプニングはつきもの? -ミラノ-(異文化体験18 世界ガス会議の旅4)

2011年11月13日 23時19分19秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

本番にハプニングはつきもの? -ミラノ-  1994.6.15~6.26

 第19回世界ガス会議 5000人の開会式風景

 午前10時、オーケストラの生演奏にあわせて、マルチビジョンにシシリー島からミラノに至るイタリアの観光名所が名画のシーンと共に映し出され、イタリアらしい雰囲気の中で第19回世界ガス会議の開会式が始まった。イタリアのM会長ご自慢の企画である。

 マルチスクリーンは日本のパイオニア製、M会長ご自慢の企画

 が、どうしたことか? マルチビジョンの映像が途中で止まってしまう。再度最初からやり直し。しかし結果は同じ。3度目は諦めてオーケストラがそのまま演奏を続行させる。と、しばらくすると日本のパイオニア製のマルチビジョンに5000人の出席者の期待が通じたのか、イタリアン・フィルムの名画シーンがオーケストラの音楽に同調して映し出された。よかった、よかった。

 
     (左)開会式チケット                   (右)座席エリア指定

 関係者席に座る小生の前には、SPに囲まれたロシアのチェルノム・イムジン首相の顔も見える。ミラノ市長の歓迎の挨拶、IGU・M会長、イタリア産業省次官、チェルノム・イムジンロシア首相のスピーチが続く。M会長がロシア首相を招聘したようで、彼の人脈と、欧州ガス市場とロシアとの緊密な関係が窺い知れる。5000名の参加者のうち、日本からは250名。欧州以外では最多参加国となった。

 開会式の後、展示会場に直行すると、既に日本ブースには日本からの視察ミッションのおじさん達が焼き鳥と冷酒で大賑わい。彼等のために用意したわけではないのだが。果たして間もなくやって来るIGU幹部の巡視に残っているやら? 運営係に注意をして、正午に始まる展示会場のテープカットに出向く。

 展示会場・日本ブース内の休憩コーナー

 日本ブースでは、常時11名の説明要員とイタリア人コンパニオン3名、和服姿の日本人コンパニオン2名、それに日本の設営会社のスタッフ数名等が運営にあたっている。設営会社の責任者 I 嬢も和服姿となって、来場のご婦人に和服を着てポラロイド写真を撮るサービスを提供しているが、これが結構うけている。

 午後からオーディトリアムで基調講演が始まり、本格的にA~Kまである各委員会のセッションもスタートする。基調講演の最初はインドネシア・プルタミナのA総裁が務める。

 フィエラ・ミラノでのガラ・ディナー(5000人が同じ食器で同じ食事を)

 夕刻20時30分から、フィエラ・ミラノのいくつものホールをぶち抜いたガラ・ディナーが開催される。その前にフォーシーズン・ホテルで米国ガス協会主催のレセプションが18時から開催されているので顔を出す。アメリカガス協会会長や事務局長らが出迎えてくれる。飲み物とカナッペだけのシンプルなレセプションであった。

 その足でガラ・ディナー会場に向かう。同じ食器、同じ食事で5000人が一堂に会する晩餐会となると日本ではとても出来そうにないが、この辺のインフラが整っている欧州はたいした物である。

 ガラ・ディナーで同席したマレーシアのVIP

 しかし、小生はそうゆっくりと出来ない。というのも、明日のレセプションに備えてスカラ座ピックアップメンバーで組織するミニオーケストラがリーダーのマンションで練習中、是非見に来てくれと言う。
 何とかメイン・ディッシュを食してから、同席のマレーシアのVIPに別れを告げてミラノ市郊外のマンションにアローラおばさんと担当のM君の3人で訪ねる。彼らとは初対面である。オープニングに採用した「タンゴの警句」という曲とフィナーレで使う次回開催国デンマークの民謡「ワンダフル・コペンハーゲン」を聞き、日本民謡も取り入れたプログラムに満足の意を表する。

 今日の開会式といい、ホテルS氏のおたふく風邪の件といい、入念に入念を重ねた準備にもハプニングはつきものである。明日のレセプションは如何あいなるや?


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世界の一流ホテルと「おたふく風邪」 -ミラノ- (異文化体験18 世界ガス会議の旅3)

2011年11月08日 10時42分42秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

世界の一流ホテルと「おたふく風邪」  1994.6.15~6.26

 ミラノ「プリンシペ・ディ・サヴォイア・ホテル」

 世界ガス連盟(IGU)の理事会を終え、ホテルに戻るととんでもない事態が発生していた。何と宴会総責任者のSマネジャーが「おたふく風邪」でダウンとのこと。あさっての我々が主催するレセプションを目前にして、今まで詳細に打合せた内容はどうなっているのか、相手は何せケ・セラ・セラのイタリア人である。さあ、大変!

 
                 (左・右)レセプション会場のイメージ写真

 ホテル支配人を呼びつけ、段取りは大丈夫か?と詰問するも、大丈夫の一点張り。こりゃ、もう一度再確認をしなくては!とSマネジャー上司のホテル宴会部長と今夜徹底的に確認作業を行う約束を取り付け、スカラ座でのガラ・コンサートに向う。

 
  (左)IGU会長からの晩餐会招待状           (右)会場となるミラノ大学構内

 「おたふく風邪」の邪魔が入らなければ、ガラ・コンサートの後、ミラノ大学で21時15分から開催されるIGU会長主催の晩餐会に招待されているので出かける予定だったのだが。

 しかし、急病とあれば仕方がない。早速ホテルに戻ってスタッフ共々、ホテルの宴会部長と従前の段取りを再度詳細に確認することに。

 
  (左)ホテルで一番大きな宴会場見取り図         (右)重厚な装飾のホテルラウンジ

 「一流ホテルとは?」との問いにどのような答えが適当であろうか? 今宵はプリンシペ・デイ・サボイアというホテルが、各国首脳が宿泊するミラノ第一のホテルだということを思い知らされた夜であった。
 Sマネジャーと打合せた内容は、ほぼパーフェクトに現場に伝達され、ホテル側も我々の熱意がひしひしと感じられたようで、我々スタッフとホテル側により大きな一体感が醸成された。

 
         (左・右)一流ホテルを支えるスタッフ達(当時のものではありません)

 夜遅く雷とシャワーがあり、IGU会長主催の晩餐会に出席したJGA首脳も帰ってくると「雨で大変な晩餐会だった」と言いつつ、心配そうに事務局室を覗いてくれる。
 午前0時を過ぎてもホテル側はいやな顔をせず、逆にここはこれで良いのか?とか、予定ではこうなっているが、このように変更したらもっと良いのでは?といったアドバイスも出てくる。

 結局、深夜1時過ぎまで打合せを行い、パソコンで訂正等を入れてベッドに入ったのは3時前であった。



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行ってきました、九州ドライブ-阿蘇・九重・耶馬溪・湯布院・高千穂峡-

2011年11月02日 11時17分26秒 | 異文化体験_日本
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行ってきました、九州ドライブ-阿蘇・九重・耶馬溪・湯布院・高千穂峡-2011.10.27-10.29

 10月の末、2泊3日で九州、阿蘇・九重・耶馬溪・湯布院・高千穂峡・熊本を旅してきました。まだ、紅葉にはほど遠い状態でしたが、40年ぶりに阿蘇を中心とする大自然を満喫してきました。全行程525kmのドライブでした。

<初日 10月27日>
熊本空港→(ミルクロード)→大観峰→深耶馬渓→耶馬溪・青の洞門→原鶴温泉

 ミルクロードから大観峰を望む

 
  (左)大観峰から阿蘇五岳を望む         (右)大観峰からくじゅう連山を望む

 
(左)深耶馬渓 一目八景 紅葉にはほど遠い    (右)耶馬溪・青の洞門と禅海像

  
(左)筑後川に面した開湯130年の原鶴温泉   (右)「ホテル・パーレンス小野屋」の広い和洋室


  
  (左)珍しい畳敷きの大浴場     (右)露天風呂 泉質は硫黄泉と弱アルカリ泉のダブル泉質

 
(左)楽しみの夕食、私は和牛、家内は鮑をチョイス (右)ホテル近くの三連水車(稲作期は回ります)


<二日目 10月28日>
原鶴温泉→(大分自動車道)→湯布院→”夢”大吊橋→(やまなみハイウェイ)→(阿蘇パノラマライン)→草千里→阿蘇山火口→南阿蘇温泉

 
(左)湯布院・金鱗湖 (右)温かい湖水で気持ち良さそう 周辺では韓国語と中国語が飛び交っています

 
 (左)九重'夢'大吊橋 全長390m       (右)右は震動の滝、左は? 紅葉はこれから。

 
 (左)くじゅう高原の波打つすすき      (右)阿蘇パノラマライン「草千里」風が強い

 
40年ぶりの火口、幾度もの大噴火でシェルターだけが昔の面影を残している。

 
(左)南阿蘇温泉「ホテル夢しずく」の中庭   (右)展望室からの阿蘇五岳、雲に隠れています

(三日目 10月29日)
南阿蘇温泉→(RT325号線)→高千穂峡→高千穂神社→天の岩戸神社→(RT218、445)→熊本城→熊本空港

 
(左)宮崎県「高千穂峡」真名井の滝 雨でもボートに乗る人が     (右)渓谷奥の滝

 1900年前の創建と言われる高千穂神社

 
(左)天の岩戸神社(西本宮)ご神体は天の岩戸      (右)天安河原・仰慕窟と沢山の石積み

 
 (左)加藤清正築城の「熊本城」        (右)築城400年記念事業で復元された本丸御殿


今回の「行ってきました、九州ドライブ」を評価下さい。

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