鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

若狭姫墓地

2008-02-14 | 史跡
昨日、種子島時堯と鉄砲伝来の話をしましたが、鉄砲伝来にまつわるヒロイン、若狭(わかさ)の伝説があります。
種子島では、若狭姫と呼ばれます。

時堯から、鉄砲の製作を命じられた刀鍛冶、八板金兵衛清定は、日夜製作に励みます。


西之表港の近くにある八板金兵衛の像。

ようやく完成に近づきましたが、どうしてもできない部分がありました。
銃身の底をふさぐネジです。
当時の日本にはネジという技術がなかったのです。

翌天文13年の春、島の東海岸の熊野浦に再びポルトガル人が来島し、金兵衛がネジの教えを請うと、娘の若狭を嫁にくれたら教えてやるといわれます。
親子は悩みますが、若狭は親のためポルトガル人に嫁いで行きました。このとき、若狭16歳でした。
こうして、国産の鉄砲が完成したのです。
外国で若狭が詠んだ歌です。
 月も日も日本(やまと)の方ぞなつかしき
 わがふた親のあると思えば 

翌年、若狭はポルトガル人と帰島します。
親子は再会しますが、数日して若狭は急病で亡くなったと偽り、葬式を出します。
若狭は再びポルトガルには行かなかったと言われます。


西之表市街地の南の小高い丘にある若狭の墓。
右の小さな石が墓で、中央の大きいのは忠孝碑。


墓の隣にある海音寺潮五郎の歌碑。
 あハれここ若狭の墓か
 白砂のもろく崩るる海のべの丘


シティホテルあらきの前にある若狭の像。

若狭の伝説が事実かどうかはわかりません。
ネジの製作の困難さを伝えるエピソードかもしれません。

ネジの造りかたは、雄ネジはタガネやヤスリで削って造り、雌ネジは焼いて軟らかくした鉄に雄ネジをねじ込んで造ったようです。
こう書けば簡単ですが、大変な苦労があったのでしょう。
コメント (4)
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