鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

赤尾木城跡と種子島時堯像

2008-02-13 | 史跡
赤尾木城跡は、種子島の西之表市にある種子島家の居城跡です。
アコウの木がうっそうと茂る城であったため、赤尾木城と呼ばれました。
現在、榕城小学校と榕城中学校になっています。(榕はアコウ)


赤尾木城跡。
石垣や細い小路に城の面影が残っています。
石垣の上が榕城小学校で、道路の左が榕城中学校。

赤尾木城は、14代島主、種子島時堯(ときたか)の時代に、榕城中学校の敷地に内城として建設されました。
1624年、17代島主忠時が榕城小学校の場所に居城を移し、明治2年の版籍奉還まで、250年間、種子島家の居城として使用されました。


榕城小学校。
お城をイメージした屋形風の建物です。


榕城中学校の一角にある種子島時堯の像。
時堯は、なんと言っても鉄砲伝来で有名な島主です。

天文12(1543)年、島の南端門倉岬に明国船が漂着し、乗っていたポルトガル人が鉄砲を所有していました。
16歳の若い島主時堯は、鉄砲2丁を2000両で譲り受け、刀鍛冶の八板金兵衛に命じて作らせます。
ここに国産の鉄砲が完成し、戦国時代の歴史を変えるのです。


時堯像の隣、榕城中学校の校庭の土手にあるアコウの木。
コメント (2)
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