いえいえ、まだ死ぬわけではありませんが~~。
ときどき、自分のブログは誰に向けて発信しているのだろうか、と考えることがあります。
ブログを始めてから一か月くらいは、ブログ村に登録なんて考えもせず、(なにしろいきなり削除されたクチですから)たった一人のきもの友達に向けて書いていました。
最初は顔隠しのノウハウも知らなくて
このたび、顔隠しいろいろ試してみました。
まずはいつもの文字での顔隠し。
ブログ村に登録して、いろんな方に見ていただけるようになると、今度は書くときに思い浮かべる顔が少し増えました。
やはり実際にお目にかかった方の顔が鮮明、具体的で、できればいろんな方にお目にかかりたいと思いました。
でも実像を知らない、匿名だからこそお互い言えることもあるんですね。
で、ここにきて、恥ずかしながら子どものことを書いたとき(ツボな紅型ー母の日に)、
「今は一生懸命子育てします。いつか帯買ってくれるかしら」なんてコメントがきて(ゴロさん)、このコメント、「帯買ってくれるかしら」の部分を削除して(笑)、お子さんに読んでもらいたいと思いました。
そんなこともあって、ほかの方のブログを拝見すると、
病気の孫を心配する内容、母の日の思いがけないプレゼント、懐かしい母子手帖やへその緒の披露などなど~~
リンク張るのが嫌な方もいると思いますので、ここでは張りませんが、とにかくいっぱい。
「わあ、このブログ、お子さんに読んでもらいたい」と思うような内容がいっぱいありました。
一部分をボカしての顔隠し。
涙出ました。
こんな母の気持ちを知ったら、どんな子どもでも、「お母さん、今は感謝表明するのは恥ずかしいけど、必ずいい子になります」なんて思のではないでしょうか??
ほかにも母娘で一緒のブログしている方もいて羨ましいなあ~。
そんなことを考えているうちに、わがブログは、心の奥底に、いつか、私が死んだとき、子どもたちに見てほしい気持ちがどこかにあるのではないか、と思い至ったわけです。
髪ボンバーしているのは、友達と鬘をつけて遊んでいるからです
ドラマなどでよくあります。
恋人が亡くなったあと、留守電聞いていると、思いがけず、死んだ恋人の声が入っている。
「ほら、いつかドライブに連れていってくれるって指切りしたでしょう。あれ、明日にしない」とかなんとか。
その声と言葉は観ている人の涙を誘うわけです。うう
わたしが0番目にきれいだったとき?
あるいはおばさんになっても♪
そんな感じで、母が死んだあと、このブログを遺言として遺す。それを見た子どもたちは、
「もっと、親孝行しておけばよかった。もっときものや帯買ってあげればよかった」とふかーく後悔するというわけです
今は自分のことに忙しくて見てもくれないけど、いくつかパックして遺言として残すことにしましょう。
ブログでの微妙な顔隠しは、そんな潜在的な気持ちの反映です。ほら、全部隠すと、微妙な表情子どもたちに伝わらないし、全部出すとプロポーズ殺到して!!困るでしょう
幽霊になっても、やはりきもの着たい、です。
「遺産はすべてきものに使いましたが、このブログを遺します。いつでも見守っているけど、会いたくなったらこのブログ見てね」なんてね。
子どもたちは号泣?
「きもの着て遊んでるだけじゃないか」と、即、シカトされるかな?
まっ、五分五分ですかね
最後までありがとうございました。
気が向いたら
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