五、強制土地収用・立退きプロセスから見た全体主義政治の下での「法治」の実質
ここ20年余り、中国政府は自らが現代政治的文明化に向けてまい進してきていると公言している。そして、「法に基づく統治」という金看板を折に触れてひけらかしてきた。大多数の中国人(国際社会も含めて)は往々にして次のような希望をもつ。すなわち、たとえ民主主義のない政治であるとはいえ、中国政府が法令体系を整備し続けて、しかも「法律があってもそれに依らず、法執行が厳格でない」という状況を改めれば、たとえ中国が独裁政治体制であるとはいえ、その政治文明は大いに高まるであろう、というのである。
筆者もかつてこのような考え方を受け入れていた。しかし、いかなる理論的仮定も政治的仮定も必ず実証研究という関門を通過しなければならない。近年の民衆の権利を剥奪するいとの法律規則が続々と制定されている状況と、私自身の政府の「法に基づく統治」のケーススタディによると、筆者は次の問題を考えざるをえない。中国の現在の政治体制の下で、「法に基づく統治」を行おうとすれば、基本となる政治倫理を明確にしなければならない。すなわち、立法は必ず政治的廉恥がなければならず、最低限の政治道徳がなければならないということである。ここで言う「政治的廉恥」と「政治道徳」とは、統治者が法律の形式で民衆の権利を害したり剥奪したりしてはならないということである。現下の中国では、法律体系は法律と行政規則によって構成されており、中央政府と各部委員会、各省、直轄市はいずれもこの種の行政規則を公布している。よって、これら行政規則も筆者の検討の対象範囲に含まれる。
この文章は90年代後期以降の農村土地収用と都市立退きを例として一つの事実を指摘した。各省市地方政府はひとつとして「法に基づく土地収用」あるいは「法に基づく立退き」の旗印を掲げないものはない。そして、土地収用や立退きの過程でのすべての暴力行為は「法に基づく行政」と解釈される。こうして、当局は被略奪者を法律上非常に不利な立場に追いやり、自己の権利を擁護しようとする人々は往々にして「社会治安撹乱」や「公務執行妨害」などの罪名で投獄されている。
紛争を引き起こしている収用補償金分配問題のほかにも、土地収用と立退きの過程で発生している大量の衝突の根源は依るべき法律がないとか、法があっても守らないとか、法執行が厳格ないということではない。それは、人民の権利を侵害する法令自体から生じている。水資源プロジェクトの土地収用を例に取ると、『土地管理法』のきていする補償がもともと低すぎて農民の利益を守れないのに、国務院が1991年2月に発布した『中規模以上水資源水力発電施設整備土地収用補償と移民転居条例』はさらに補償基準を下げている。もっとひどいのは、この「条例(規則)」で、「土地補償費の基準は上述の土地補償費基準よりも低くできる。具体的な基準は(一方当事者である)水利部が関係部門と協議して制定する」と定めていることである。これで、農民が法律上どれほど不利な立場に追いやられているかを知ることができよう。この規則は15年間実施されてきたが、その間に中国各地で水資源施設工事のための土地収用で地方の政府と民衆の衝突が絶え間なく発生している。2004年の四川省の漢源事件はそのうちの1例にすぎない。今年(2006年)7月7日になって、国務院はようやく改正条例を公布した。改正条例はこの荒唐無稽な規定を削除したとはいえ、全体としてみれば、農民の土地収用における不利な地位は根本的な改善を見ていない[60]。
また、多くの北京市民が悲嘆にくれる都市再開発も「法に基づく立退き」である。根拠法令は主に、1991年26号『北京市市街地家屋立退き管理条例実施細則』と1998年16号『北京市市街地家屋立退き管理弁法』の2つである。この規則は、「本市行政区域内の国有地上で建物立退きを実施する場合、立退き対象者への補償と、転居が必要な場合には、すべてこの弁法を適用する」と定めている。しかし、「国有地」とは何か? 1995年7月21日北京市家屋土地局局長が発布した第434号文書に次のような解釈が示されている。「82年憲法第10条に『都市の土地は国家所有とする』……けつろんは、本局は、都市再開発により私有建物を立ち退かせるときは、建物本体と付属物についてのみ補償することができ、私有建物が占有する国有地使用権に関しては補償できないと解する」[61]。こうして、大量の私有建物の立退きは「合法的な国有地使用権の回収」となり、多くの私有家屋所有者は家屋所有権の補償のみを得られ、最も価値のある土地使用権についてはいかなる保障も受けられない。この二つの規則は後に改正されたが、立退き住民に有利にはなっていない[62]。
他にも、民衆の権利の剥奪を意図した法令が次々と制定されている。2006年7月5日全国人民代表大会で可決された『突発事件対処法案』は、メディアの自由を一層奪うばかりでなく、国民の知る権利をも剥奪し、全く現代政治文明に反する悪法である。
法令が統治者の意志を反映して国民の権利を奪う道具に変わってしまうということは、全く政治的廉恥心のない、政治道徳の欠如した政治行為である。このような「法に基づく統治」であれば、その精神と現代の法治主義とは全く共通点はなく、むしろ中国古代の法家とあい通じる。この種のいかなる政治的廉恥もない法的暴虐は、中国をどこに向かわせるのか、多分筆者の多言を要しないであろう。
[番号]に示された出典については原文参照。
原載:
http://www.chinayj.net/
StubArticle.asp?issue=060302&total=94
ここ20年余り、中国政府は自らが現代政治的文明化に向けてまい進してきていると公言している。そして、「法に基づく統治」という金看板を折に触れてひけらかしてきた。大多数の中国人(国際社会も含めて)は往々にして次のような希望をもつ。すなわち、たとえ民主主義のない政治であるとはいえ、中国政府が法令体系を整備し続けて、しかも「法律があってもそれに依らず、法執行が厳格でない」という状況を改めれば、たとえ中国が独裁政治体制であるとはいえ、その政治文明は大いに高まるであろう、というのである。
筆者もかつてこのような考え方を受け入れていた。しかし、いかなる理論的仮定も政治的仮定も必ず実証研究という関門を通過しなければならない。近年の民衆の権利を剥奪するいとの法律規則が続々と制定されている状況と、私自身の政府の「法に基づく統治」のケーススタディによると、筆者は次の問題を考えざるをえない。中国の現在の政治体制の下で、「法に基づく統治」を行おうとすれば、基本となる政治倫理を明確にしなければならない。すなわち、立法は必ず政治的廉恥がなければならず、最低限の政治道徳がなければならないということである。ここで言う「政治的廉恥」と「政治道徳」とは、統治者が法律の形式で民衆の権利を害したり剥奪したりしてはならないということである。現下の中国では、法律体系は法律と行政規則によって構成されており、中央政府と各部委員会、各省、直轄市はいずれもこの種の行政規則を公布している。よって、これら行政規則も筆者の検討の対象範囲に含まれる。
この文章は90年代後期以降の農村土地収用と都市立退きを例として一つの事実を指摘した。各省市地方政府はひとつとして「法に基づく土地収用」あるいは「法に基づく立退き」の旗印を掲げないものはない。そして、土地収用や立退きの過程でのすべての暴力行為は「法に基づく行政」と解釈される。こうして、当局は被略奪者を法律上非常に不利な立場に追いやり、自己の権利を擁護しようとする人々は往々にして「社会治安撹乱」や「公務執行妨害」などの罪名で投獄されている。
紛争を引き起こしている収用補償金分配問題のほかにも、土地収用と立退きの過程で発生している大量の衝突の根源は依るべき法律がないとか、法があっても守らないとか、法執行が厳格ないということではない。それは、人民の権利を侵害する法令自体から生じている。水資源プロジェクトの土地収用を例に取ると、『土地管理法』のきていする補償がもともと低すぎて農民の利益を守れないのに、国務院が1991年2月に発布した『中規模以上水資源水力発電施設整備土地収用補償と移民転居条例』はさらに補償基準を下げている。もっとひどいのは、この「条例(規則)」で、「土地補償費の基準は上述の土地補償費基準よりも低くできる。具体的な基準は(一方当事者である)水利部が関係部門と協議して制定する」と定めていることである。これで、農民が法律上どれほど不利な立場に追いやられているかを知ることができよう。この規則は15年間実施されてきたが、その間に中国各地で水資源施設工事のための土地収用で地方の政府と民衆の衝突が絶え間なく発生している。2004年の四川省の漢源事件はそのうちの1例にすぎない。今年(2006年)7月7日になって、国務院はようやく改正条例を公布した。改正条例はこの荒唐無稽な規定を削除したとはいえ、全体としてみれば、農民の土地収用における不利な地位は根本的な改善を見ていない[60]。
また、多くの北京市民が悲嘆にくれる都市再開発も「法に基づく立退き」である。根拠法令は主に、1991年26号『北京市市街地家屋立退き管理条例実施細則』と1998年16号『北京市市街地家屋立退き管理弁法』の2つである。この規則は、「本市行政区域内の国有地上で建物立退きを実施する場合、立退き対象者への補償と、転居が必要な場合には、すべてこの弁法を適用する」と定めている。しかし、「国有地」とは何か? 1995年7月21日北京市家屋土地局局長が発布した第434号文書に次のような解釈が示されている。「82年憲法第10条に『都市の土地は国家所有とする』……けつろんは、本局は、都市再開発により私有建物を立ち退かせるときは、建物本体と付属物についてのみ補償することができ、私有建物が占有する国有地使用権に関しては補償できないと解する」[61]。こうして、大量の私有建物の立退きは「合法的な国有地使用権の回収」となり、多くの私有家屋所有者は家屋所有権の補償のみを得られ、最も価値のある土地使用権についてはいかなる保障も受けられない。この二つの規則は後に改正されたが、立退き住民に有利にはなっていない[62]。
他にも、民衆の権利の剥奪を意図した法令が次々と制定されている。2006年7月5日全国人民代表大会で可決された『突発事件対処法案』は、メディアの自由を一層奪うばかりでなく、国民の知る権利をも剥奪し、全く現代政治文明に反する悪法である。
法令が統治者の意志を反映して国民の権利を奪う道具に変わってしまうということは、全く政治的廉恥心のない、政治道徳の欠如した政治行為である。このような「法に基づく統治」であれば、その精神と現代の法治主義とは全く共通点はなく、むしろ中国古代の法家とあい通じる。この種のいかなる政治的廉恥もない法的暴虐は、中国をどこに向かわせるのか、多分筆者の多言を要しないであろう。
[番号]に示された出典については原文参照。
原載:
http://www.chinayj.net/
StubArticle.asp?issue=060302&total=94